帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

7割が英語?

2020年02月05日 | Weblog

ネットサーフィンをしていたら、 某芸能人の子供の話が有った。

そこに書かれていたのが、会話の7割を英語で話すという我が子の話と、恐竜のおもちゃをもって遊ぶその子供の写真。

ふ~~~ん!と思って半分くらい読で、すぐに他のページに飛んだ。

 

別にその芸能人女性が嫌いとか、 やっていることがどうとか、 そうった感じは全くなく、我が子が可愛くて仕方ないのは当然だし、

又それは親なら当たり前の事だし・・・、 ただ、英語7割という部分だけが気になったが、それ以外の記載は僕にとって何の興味も無い。

 

人生の半分?を アメリカで過ごし、今も ”仕方なく” 英語で読み書きして、話さねばならない僕にとってみれば、会話の7割が英語とかスペイン語とかいうことが何ら自慢のにならない事を知っている。

 

言語は、 単なる情報伝達手段。

ほぼ全ての人間にとって、 生まれ育った環境下で、その場所にある言語をごく自然に身に着ける。

故に凄くもなく、偉くもなく、 誰にでも出来ることだ。

 

僕自身は純粋な日本人で、生まれたのは日本、 日本の田舎で育ち、日本で子供時代を過ごして、日本の高校を出て社会に飛び込んだ。

ただ、人生の始まりが アメリカだったというのが他の人達との違いであって、 いうなれば否応なく、否、 嫌々英語の世界に突っ込まれたわけだ。

 

そうして、長い年月をその環境で過ごしてきた僕にとっては、 自分の意思を伝達するに役立って最大の物は何?と聞かれれば、

子供の頃の沢山の思い出と、 何を隠そう 日本語そのものとそれが織りなす思考だ。

 

違う言語の世界に浸るまで、日本語には何の興味もなく、むしろ面倒くさくてウザったい物という意識しかなかったのだけど、

実は その日本語が”きちんと出来ていない=思考をそれで巡らしたり構築する事が出来ない”という事で、 

英語そのものは文法的に組み立てられたとて、そこに思い(感情)を乗せてた、気持ちを伝える手段としては完全にペケでしかないんです。

 

ネイティブではない限り、 相手に自分の思いを伝えるのは、 正直言って難しいことが多い、自分がメインとしている言語でさえそうなのだから、 ましてや仕事絡めばさらに高度なものが要求されてくる。

ところが、”現実は可能な限り”自分の思いを正確に伝える事が要求(出来ねばならない)されてくる。

 

なら、どうすればその差を埋めていけるのか?というなら、 自分の思い=心 それをどれだけ豊かに表現できるかで、

それには難しい単語は全く持って不要となり、 誰にでも解る 簡単で分かりやすいものを駆使し、 そしてどう表現するか?に尽きる。

 

その時に要求されるのは、自分はどの言語を使って、それをやっているのか?ということ。

答えは、どこまで行っても日本語だ。

 

日本の文化は、非常に豊かな精神性と多様性の上に成り立っている。

そして、それはいかなる言語に対しても全く劣る部分は無く、常に秀でている部分のみが存在すると自分は思っている。

 

日本人が英語苦手であるという理由は、 英語が言語ではなくて学問であり、 それを学校で強制しているからで、最悪なのが点がどうのとか丸がどうのとか、 重箱の角ツツキが学校の学問英語になっている点だと僕は思っている。

一番くらだないのが、 This is a pen.     の is   を ”です”と訳している愚かさ・・・・・

英語に”です”という言葉にあたる物はない。  表現や使う単語の種類、言い回しや話し方の穏やかさなどで、 見えない”です”を表現しているわけだ。

is は 単に 右と左を 接続しているだけで、 ”=” イコールという事。

他にも Will

Will は その人間の実行意欲を宣言している存在で、 ゆえに”こうしたい”という 意思で有って、

I will go to ~~~~   私 = (意志宣言) どこぞに行きたい なわけで、 これは 遺書が” Will ”という単語である事からも解る。

To の Tは 本来 Tune,  Try、 Tap,  等の漠然とした 人の何某かの事始め的な様を表す T と Open, oppotuinity,Original,などのそれにより起きこされた様をのちにコントロールする意味が強い O の組み合わせで、 TO = 前の言葉を後の接続している。

だから Will と To を使うことで 実行意志と 向かう先 を 結合した、表現として確立されるわけだ。

 

学校英語は役に立つのか?といと、役にたつ、ただし学問(学校英語)として学んだことを一度すべて忘れ(壊して)、もう一度構築し直した物が必要になる。

そのままでは、聞いた相手が、なんとなく ”気持ち悪い奴だなこいつは!” という印象しか与えないし、 ましてや使う単語が大学で習う

専門単語(彼ら滅多に使わない物)をごく普通の会話の中にちりばめれば、 ”こいつは頭のやばいやつ?・・・”と単に相手に避けられるきっかけをつくるだけ。

 

冒頭にも書いたけど、 言語はどこまで行っても単なる情報伝達手段、 可能な限り簡単で分かりやすいものが 最高なわけだ。

自分の生まれ育った環境にある言語をどれだけ豊かに表現できるか? それが多言語を使うに一番重要である以上、

幼子の7割が英語 は、まったくもってその子の将来にとって何の役にも立たないのだと・・・

 

握り寿司ならぬ、握り文鳥状態の甘ったれ 文鳥