帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

91年間の人生

2024年12月12日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

親父が、今朝永眠した。

91年+9ヶ月という長い人生、 後数ヶ月で92歳を迎えることができた訳だが、 こればかりは神様のみ知りうることで、

どうすることもできない物でもある。

 

最後の表情は本当に穏やかで、幸せな一生であったと思う。

「亡くなる(心臓が止まる)のは時間の問題です」ということで、昨日は家族の皆、親父からすると我が子(自分)と孫、そしてひ孫まで院の方へ来てくれて、

看取りの為に移された、個室にて対面。

 

昨日の早朝の段階で、いつ呼吸停止してもおかしくなかったことから、面会制限が一切ない部屋に移された訳ですが、 今にも止まりそうだった呼吸は、

皆が来てくれたおかげでなぜか強くなり、そう、皆がいた朝から夕方まで、ずっと安定していて。

 

本当に親父が居なくなってしまうのだろうか?と思ってしまうほど。

体は動かせないけど、瞳は見えていて、耳も聞こえていて、 なので面会室で家族皆の話とかが聞こえていたのがよく判るのは、

表情がわずかなりとも変化するから。

他にも涙をみせたり、年齢なりの惚けはあれど、認知症ではない親父は、家族皆の会話が楽しかったに違いない。

 

91=大往生、だから明るくて楽しく親父と最後の時を過ごしてもらいたいと、子供達には予め伝えてあって、そのことも有るだろうけど、

面会室は死ぬこととは全く無関係に思える、明るい声と笑い声に満ちていた。

 

時間が殆どないのなら、”皆で楽しく時を”、それが親父に対して自分ができた最後の孝行だった。

 

 

夕方に子供達皆が帰り、僕と母親だけが実家へ。

 

今朝の5時15分頃に電話あり。

病院に着いたときには、すでに臨終で、ほんの少しだけ間に合わなかった。

触れた体はまだ十分に暖かく、 医師の検死によって5時45分に死亡という書類となった。

 

葬儀会社に連絡して、遺体を安置してもらい、 その後にこの後のスケジュールなどを業者さんと打ち合わせ。

予め相談してどういった式にするかを決めてあり、その通りに行い、特段の追加もなく。

ただ、母親の希望にて、 完全なる家族だけの葬儀を執り行うことになっている。

 

世間体や、見栄とかいった物が此れっぽっちも存在していない僕故に、葬儀は”完全に親父のために家族で行う葬儀”となる。

故に香典もなく、お返しもなく、 意味不明で不要な物は無く、本当に家族だけで故人を偲びながら送りだす、 少しだけ変わった葬儀になるが、それでいいと僕は思っている。

ちなみにだ、歌を歌ったりとか、変な呪いごとをするみたいな、”異常な葬儀”ではなく、ごく普通の葬式であるけど、送り方と気持ちの込め方が少し違うわけだ。

 

なぜなら、もし自分が命を終える時が来たらば、 家族の皆に、”笑顔であの世に送り出してもらいたい”と思うからで、

その自分の思いを親父に重ねて、故に葬儀はそのスタイルで行くことにしている。