帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

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葬儀費用とボッタクリ

2024年12月19日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

いわゆる”ボッタクリ”が平然と横行するのが、冠婚葬祭。

ついこの間も テレビで200万円ボッタクリされた事が報道されていた。

 

数十万円が、終わってみたら200万円では、たまった物では無い・・・・・・。

 

有名人、親族多数、仕事の関係者多数等々、どうしても”仕事や様々な縁を持つ方達”がお別れに来なければならない様な故人はともかくも、

家族葬を謳って、”これだけ安く出来ます!”と大規模宣伝し、最終的にはバカにならない費用となる。

ちいさな何とかは、行政指導も受けていたりして、その悪質さがそこからも判るがかなりの注意が必要なことは間違いない。

 

当たり前だけど、人が亡くなられ、その方に関係していた方達に連絡をすれば、広がっていくのは当然。

家の親父みたいに、長生きしすぎて? 廻りが皆亡くなってしまっている場合は、余りそうした事が無い分、楽だ。

 

今回の葬儀だけど、あらゆる事を全て含めんで90万弱で収まった。

これには、いわゆるお墓を購入して?、墓石を押っ建て?、それに納め、49日の法要までの形を、

少し違うやり方でこなしている。

 

まず、葬儀会社関連は約64万円(税込み及び仮葬費込み)で、内訳は基本費用が約46万円(会員で割引)。

これは病院から安置所までの移送、安置と葬儀場代、葬儀、そして霊柩車で運んで、火葬の終わりまでにかかる一切を含んだ費用であり、又、ごく基本的に掛る物。

これは葬儀会社が24時間体制で対応しなければならない面を含んだ、施設維持費、暖房光熱費、会社として必要となる人件費を考えるなら特段高くは無い。

https://www.tokatsu-memory.com/

今回は、これに湯灌代の15万円が加算されて、他にドライアイス(3日分無料)の1日分11000円が加わっている。

湯灌代が少し高いが、元々お風呂が好きであった親父が、最後の一月に渡って全く入浴が出来なかったから

どうしても、最後にきれいににしてあげたかった。

面会に行くと、熱も有ったせいで、汗をかいていた姿が目に焼き付いているのもある。

 

ちなみに僕の選択した葬儀会社は、祭壇に生花を使用してくれて、”なんとかの葬儀”とか、”よりそう何とか”みたいに、

造花を使い回しするところでは無い。

この”祭壇の花”が造花であるかどうか・・・・・は葬儀会社の選択の重要なポイントだった。

理由は至極簡単で、その葬儀会社が葬儀自体をどう見ているか?がこれで判るからだ。

ちなみにこの生花は、普通より増量をお願いして、さらに親父が元々菊作りが上手だったこともあり、大半を菊にする手配をしてもらった。

 

格安葬儀社は、祭壇の花が”造花”なので、当然棺に納める花が無事から、ありとあらゆる口実?を付けて花を買わせようとしてボッタクル。

「こんなに綺麗なお花はどうですか?」とばかりに、高額なのを推し進めてくる。

 

今回、完全なる家族葬故、そんな高価な花は不要だし、準備したり等の手配は一切拒否。

祭壇にあるものだけで十分だからだ。

 

葬儀の方はそんな感じであったのだけど、次は ボッタクリキングのお布施。

 

お坊さんが絡んだ、壮大な常識的ボッタクリな訳だが、親父には、僕の名前を生まれた時に付けてくれたように、僕が親父に戒名を付けた。

 

”菊法社澄陽銀和院居士”という名で、 菊は親父が大好きだった菊創りから来て、法は晩年に検察審査会の組織員だった事に基づいている。

その次の”社”という文字だが、親父が菊を納めていたのが神社や公的機関等で、社会にわずかなりとも貢献していたので、

いわゆるどこぞのお寺の記号でもある ○○院などとは全く無関係。

故に社会という意味で菊法社になる。

 

*後日談(12月25日) 前の法と、後ろの院との兼ね合いが有る(二重になるらしいです)ので、

どちらかを消すのがベストで、法を無くしてもきちんと意味をなして全く問題は無いという、よく知る方からのお話があり、

最終的に、そちらをなくした名にすることになりました。

後で変更可能なのか?と思いましたが、 戒名は単にどこぞの宗派の、どこが経を上げ、どのくらいそのお寺に寄与したか?という

単なる記号的意味合いしか無いらしく、何の影響も無いらしいです。    

まあそんな物は分っていましたけど、改めて詳しくてお話を聞くと、ボッタクリだよな~と・・・・

本人はすでに天界に旅立っていて、その名を提示して天界の仏門に入る(仏弟子になる)とか何とかで、

元来が無宗教だし、 息子さんがお父さんに命名しても、仏様はまったく差別も区別もしないらしいです(笑)

故に変更も全然問題なしとの事でした。

 

 

次の”澄”という文字は、親父が自分に対して常に素直であったからであるが、逆にうちら家族は結構酷い目に遭ったりもした。(笑)

ただ、世に迷惑を掛けたわけでは無く、何時も自分に素直で純粋であった事と、菊の花は澄んだ水と温度管理が大切でそこからも来ている。

”陽”は、やはり菊に関連してるが、趣味の畑仕事が好きで、太陽光をいっぱい浴びた野菜を収穫しては、近所の家にただで配って歩いていた。

僕も家族も沢山の野菜をもらった。

 

太陽の”陽”を戒名に設けたのはそのためだ。

さらにその次の二文字は、親父の親父(ぼくにとって爺ちゃん)の名前から1文字、親父の名から1文字持ってきていて、銀は月をも意味して、和はあらゆる事に平穏をもたらす笑顔が元になっている。

 

そして最後の院居士は、基本的な戒名のルールに添って単に付け加えただけで、これ坊さんに頼んで最後に付けてもらうと、特に院がつくとお布施代は100万円を超える。

しかしながら、上記にあるように、戒名は僕が付けたので、無料=ただ である。

 

この、戒名程いい加減な物は無い、ごく個人的な偏見がかなり混ざっているが、縁もゆかりも無い、知らない坊さんに頼んで、

そいつが生前の親父の話なんぞを聞いて”適当”に名を付ける。

最後に何を付けるかで価格が大きく変わる。

なんで、そんな”つまらない物?”に、なんで?大枚を払わねばならないのか?が全くもって僕は理解できない。

 

爺ちゃんも、親父も僕も完全無宗教で、本来は経など一切要らないのだが、今回は母親の要望で頼んだ。

ただ、ネットにあるいい加減な”コンビニ坊さん派遣”では無くて正規のお坊さん。

戒名無しの俗名であげてくれる方を、葬儀会社の上の方から頼んでもらったわけだ。

 

当然、戒名が無いのだから、経は俗名で行われたが恥ずかしくもなんとも無い。

以上、これらの費用が10万円。

 

今回、完全なる家族葬であったことから、通夜は無しの告別式のみ。

ただ、告別式当日に遠方から子供達(幼児含む)が朝早く移動してきて、その後に家へ帰るのは大変なことから、

前日に駅前のビジネスホテル予約をして、そこで宿泊してもらった。 

この費用が約4万円(6名)

戒名に無駄な金を払うなら、そっちに使った方が遙かに良い。

 

同時に、告別式前の夕飯は、実家で皆が集まり、ブリしゃぶで親父をしのんで乾杯。

https://www.nissui.co.jp/recipe/00536.html

意味不明に暗くなっている必要は無いし、大往生で最後は苦しむことも無く安らかだったのだから、皆で明るく、

そして楽しい一時で親父を送り出してもらいたいからだ。

この費用がお酒代含んで約1万5千円

 

翌日、告別式はごく普通に行われ、火葬場へ移動し、11時から火葬なので、皆は控え室で一時を過ごした。

当然だが、火葬場待合室の糞高い食事用意等、バカバカしいので絶対にやらない。

その後、遺骨を持って実家に戻ると皆で私服に着替えてお昼を食べに。

 

回転寿司で皆お腹いっぱい食べてもらい、これが約1万8千円。

安くてやたら美味しいはま寿司だけど、人数が多い(といっても合計8人)ので、このくらいは当然。

以上、合計 84万4000円

 

この後だけど、 僕は親父を墓に入れるつもりは無く、将来的には樹木葬にするけど、今すぐにでは無い。

遺骨はすぐに手元供養の専門業者に送付したので、粉骨後に特殊な遺骨ケースに入れてくれ、そこに俗名と戒名を記してもらって、

これが位牌とお墓の代わりとなる。

母親のすぐ近くに、そして親父にとって安らぎの自宅に居させたいわけだ。

https://una-kuyou.jp/contact/

アライブという、2人が入る手元供養ケースを頼んだので、初めはそこに親父が入り、家の仏壇に位牌として置き、その後はやがて来るであろうその時の、母親の骨もそこに。

2人が亡くなったら、それを僕が自宅に持ち帰って、3回忌もしくは7回忌まで家に置いた後に、樹木葬で最終的に埋葬することにしている。

墓に入れるつもりは無い。

https://www.taijyunowa.org/tokorozawa/

以上は、すでに母も了解済み&心から納得済み。

この費用が約8万。   

樹木葬は 後に多分20~30万円。

 

いわゆる、お墓を買って、そこに納骨するという一般的な手法と僕とではやり方が全然違うわけだ。

位牌というのは、本来遠方に墓があったりして、そこに行けないから位牌をもって代用するのわけで、 

遺骨そのものがすぐ近くに有るのなら、位牌なんぞ一切不要。

 

さらに、僕がウーナでの粉骨を頼んだのは、 きちんと真空パッケージによって腐ることが無いから。

 

お墓というのは、当たり前だけど土の中に石で囲いを造り、そこにただの骨壺に納めた遺骨を置くだけ。

これ、どうなるか?というと、 あっさりと腐るんです骨壺の中で。

 

ジメジメとした空間、 骨壺内部が結露してカビが生えてきて、やがて腐敗する。

それが実際です。

 

骨壺の中でジクジクと親を腐らせていくのなら、樹木葬で自然に戻してあげる方が、ごく自然である、というのが僕の考えであり、

それに沿っている。

 

 

実は、実家のすぐ近くにお墓が有って(茨城県の守谷市にある某霊園)、これは親父と母が以前買った物なのですが、現在骨は一つも入ってない。

初め、自分的には不本意でありながらも、親が墓を自分達で購入したのなら、その意思に一応は報いようと考えていた。

 

無宗教故に、今回の親父の件でその霊園に出向き、(まだ臨終前)、戒名無しのお経だけをお願いをしようとしたところ、非常に不愉快な思いをさせられた事から、

このお墓は、しばらくしたら終いして取り壊し撤去する。

 

「日本の古くからの宗教(仏教)なら宗派問わずOK、納骨も好きなように出来ます!!」と遙か昔(今も)に募り、

それ見て親が買った訳だが、単なる納骨だけだと駄目!、お経上げをしてもらわねば困るとのたまわる、

そしてそれだけに止まらずに、葬儀の段階からうちの坊さん(宗派)を使ってもらわないと駄目!!という言い方しかしなかった。

「そこを頼みます」と頭を下げてお願いしても、頑として拒否された。

しかもその問答の時に、事務所からすぐ横の寺に電話をかけて、数十秒もかからずに来れるのに、坊さんは現われず、

事務員の、何も知らない若い女の子だけが連絡係よろしく、一方的に文言を伝えてきた。

それだけならまだ良いのだが。”絶対に戒名は必要!”と伝えてきて、その代金(お布施)も払え!と言われ、

完全に親は瞞されたわけですよ。

 

書類を見たら、初めに買ったときは条件無しだったのが、その後にこそっと規則改正(よりよい霊園のためにとか何とか)の書類が来て、

そこにしっかりと催事ごとは関連のお寺の坊さん使わにゃ~いかんとかかれていた。

 

母親に聞いたら、「そんなことが全く無いという事だから買ったんだけど・・・・」とのことで、 ここにも葬儀に絡んだ常識的?ボッタクリがあるわけだ。

悪いが、そんな信用ならない処に(霊園)に親の骨を納める気など、これっぽっちも僕は無い。

故に親父が家で過ごせるように、手元供養を選択したわけだ。

 

最後に49日だが、 実家で行い、お経は僕があげて終わりとなる。

 

以上が今回の葬儀から 納骨(手元供養)までの全費用で、安くは無いが、高くも無いと思う。

ただ一つ言えるのは、 意味不明な無駄支払いをしなかったという事になる。

 

沢山の人を呼んで、通夜から食事振る舞って式を執り行えば すぐに200~300万は飛んでしまう。

そこに来て、墓を買って石を置けばプラス300~500万。

合計500~800万円。

 

これが良いか悪いか?

等はという事は無いし、それぞれの家庭で、それぞれの葬儀の形があり、

どうやるのが正解というのが無いのが当然だけど、

 

僕が求めたのは、家の家族が”心から素晴らしい葬儀であった”と、後に笑顔で話せる物であって欲しい、

ただそれだけの思いでしか無い。

 

 

 

 

 

 

 

 


思うこと

2024年12月19日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

親父が亡くなって、日曜日に葬儀も終了。

月曜日は母親を連れて、役所にて必要な手続きを完了。

 

火曜日には朝から実家の片付けを初めて、掃除、整理をして、お昼を母親に準備してから帰途に、

そして昨日から正常業務。

 

12月2日からリモートワーク、12日から忌引きということで、約2週間程職場を離れていた事も有り

多量の片付け(仕事)に丸一日追われたけど、大体それも落ち着いた。

 

親父はもうこの世に居なくなってしまったわけだけど、気持ち的にはとても落ち着いている。

よく聞く、 ”親が生きている間にもっと色々してあげたかった云々” という事は自分には無く、

というのは、この数年間、特に親父が脳梗塞を起こして右半身が不自由になった一昨年の年末からは、

できる限り実家に来ては、ホームに居る親父を連れ帰って過ごしつつ、自分なりにやれることは全部やった。

 

望むこと、出来ること、可能なこと全部だけど、 一番親父が嬉しそうだったのは何より、 

僕と会える事そのものであった・・・・・というのは、母親の話だ。

 

物では無く、贅沢でも無く、とても些細で単純な事だけど、親父にとっては母親と僕と、家で過ごすという、

何気ないことが一番良かったのでは無いかと思う。

 

葬儀は僕が全て仕切り、僕の思うとおりに進め、本当に家族だけで、静かに送ることが出来た。

 

慰問者が居て悪いという事は無いが、その分親父と最後に過ごす時間は短くなるし、不要に気を遣うし散るわけで、

余計なことにひたすら神経をすり減らす上に、後で来る経済的負担も多大な物となり、なんら良いことなど無い。

 

故に、僕は完全なる家族葬にした。

 

自分は、世間体など一切気にしない。

そんな物を気にする事ほどくだらない事?は無いと思っているし、見栄もなく、飾りもしない。

いわゆる世間の常識とやらに、不必要に揺すられたり、動かされたりという事が一切無い自分だから、

不要な物はできる限り排除し、その代わりに家族全員の心だけに包まれた空間を親父に提供できた。

 

家族だけで送ってあげるということが、本当に心地よい物だろうか?という迷いも初めには有ったけど、

想像以上に穏やかで幸せな一時で有った事実は間違いない。

 

by 翔

 

次の日記は 葬儀費用について書いてみたいと思います。