12月2日の日記の上にかぶせて書いています。
今朝で7日となり、母親はディケアに行ったので、昨日の面会は僕一人でいったのですけど、
親父はほぼ無反応になった。
声をかけても顔を軽くたたいても、手の平を握っても駄目。
数日前なら口を開け、声は出ないながらも返事したり、手の掌を握ってくれたのが、
まったくなくなり、すでに意識混濁になっているのだろうか・・・・
と思えてしまう。
病室で親父の横に座り、独り言のように、二人のひ孫や家族の話とかを親父にするけど、
それは、耳は最後まで聞こえているという事がわかっているからですけど、少し前までなら眼球の動きから、ある程度起きているのだなとわかったのが、今日はそれも無い。
”そうだ!”と思いつき、 LINEで送られてきた、孫の捉まり立ちのシーンを探し、
まぶたを指で開けて、スマホで見せてみた。
約50%成功という感じで、懸命に立ち上がろうとするひ孫(親父にとって)、約1分程度の動画で、そのまま瞼を開けっぱなしだと痛いので、時々閉じさせてまた開くという感じで再生。
再生が終わる頃に、目を閉じさせようと指を離すと、そのまま開けていて、といっても半開きだけど、
僕が病室で親父に話しかけた時には閉じっぱなしだったが、動画を見られた証なのかは判りませんが、
開けている。
その後、しばらくはまた独り言のように僕が話をして、最後に「帰るね!」と言って手のひらを握った時にはまぶたは閉じられていた。
年齢なりの惚けはあるけど、認知ではない親父なので、耳が聞こえていて、少し前まで目が見えていたので、
おそらく全部分かってくれていると思う。
主治医の話では、点滴により体内の水分が過剰摂取気味で浮腫んでしまうことで、針を刺せなくなり、その状態で点滴外すと、早くて5日 大体1週間、 どんなに長くても2週間らしく。
今朝でほぼ7日間となり、体の浮腫が徐々に引いて、お年寄りらしい?ほっそりとした腕や手のひらになりつつある。
8月末に一度親父のことで病院で看取り含めての話をしたときは、 半分パニックになり、数日は思い出すと涙ぐむことも有ったけど、今はそうした心の動揺はなくなり、親父が寝たきりで全く動けない姿を見るにつけ、
できるだけ安らかに逝ってもらいたいという気持ちが強い。
老衰の最後は 顎呼吸、そして体温が上がり、死前喘鳴というたどり方をするみたいですが、
今日握った手のひらは左右とも、とても温かく、少し顎呼吸で、+死前喘鳴なのかいびきのような感じに聞こえる。
どのくらい親父に時間が残されているかは判らないけれど、可能な限り側にいてあげたいと思う翔です。
以下は 12月2日の日記です
11月10日から食事がとれなくなり、先週の木曜日の朝からから最後の頼みである点滴もできなくなった。
食事をとってない期間がもう3週間となり、点滴自体は基本の朝から的な栄養分がある程度含まれていたにしても、
まだ心臓は動いている。
点滴でむくみが著しくなり、針を刺せる血管が痩せ衰えてほぼなくなり、そしてそれを外せば頼みの綱の投与がなくなる事であり、生きるための水分はどんどんと減っていく。
普通の人で72時間がリミット。
体にむくみとして溜まっている水分があるにしても、今日で4日になる。
仕事休んで 先週の木曜日、土曜日、そして今日(月曜日)と面会に来たけど、
どんどんと反応は弱くなる一方で、声を出せるほどの体力が無いながらも、前は手を握り返してくれることで
ある程度の会話ができた。
ただ、今日はその握る力もほぼなく、親指だけが動くことで見舞いに来ている事がわかっているんだなと・・・
そんなに時間が無いことはわかっていることから、今日から有給をつかって、親父の最後を看取るために、
実家に泊まり込みになるけど、後のどのくらいの時間が残っているかはわからない。
息子として”最後にできることは何か無いだろうか?”と考えるも、意識酩酊が始まってきている親父に何ができるはずもなく、ただ、見守る事しかできない。
母親は、僕が家に来ていることもあって元気だけど、この後、自分が家に戻って一人きりになった時が怖い。
一気に惚けないだろうか?と思うけど、 かといって自分の家で一緒に生活することは母親自身が拒むので不可能。
まだ、自分一人で起きて、ご飯を作って食べ、畑仕仕事とかをやってお風呂に入れているが、
それもそう長くはないだろうと思う。
施設という言葉が頭の中をうろうろするが、 施設に入ったとたんに一気にできなくなる事が増えてしまうのは、親父を見てきたからよく知っている。
かといって、そのままにもしてはおけないという、どうにもならないジレンマ。
ベストは何か?という自分への問いかけは常に付き纏うもので、また課題であり。
どれが正しくて、どれが一番よい回答なのか?というものがない以上は、常に可能な限りを目指してやっていくしかないわけで、 ただしそれは、自分を育ててくれた親に対する当然の事だと思っている。