テレビで個人の日記を埋もれさせない活動をしているグループを紹介していた。個人的なことだけでなく、その頃の市井の人の日記が意外と当時の世相を捉えていて役にたつと発言をしていた。
日記をつけなくなってから久しい。しかし、毎日丹念に日記を書いていたころ、私も市井の人間が世相をどう捉え、どう感じていたか、庶民の歴史が分かるようにと個人的のこと以外に、世の動きも書き留めていた。たぶん「アミエルの日記」の影響だったと思うが。その日記はダンボールにつめて下の倉庫に入っているはず。
夫婦でそんなテレビを見ながらの会話。何かのことから「後20年は長生きしてもらわなければ困る」とPapasanが言った。「冗談でしょう。あと20年なんて生きたくないですよ。」「遣り残したことはないの?まだまだやりたいことがあるでしょう?」「遣りたいことや遣り残したことはいっぱいあるけど、そんなこと言ってたらきりがない」「ボクはこれからだけど」「あっ、そう、お好きなように。日本がこれ以上、おかしくなっていくのを見たくないから、私はさっさとおさらばしたいよ」
共謀罪だなんて、治安維持法みたいなもんだ。それより悪いかもしれない。そんなことされてもいいのかねぇ。のんきなキリギリス(国民) は。
そうだな、今の人達、治安維持法なんて言ってもわからないのかも。最近の世相では、日本が治安が悪くなったと考える人が多い。マスコミの影響もある。だから治安を守るためと言えば、国民をごまかすことが出来ると考えているようだ。オーム事件のあと、国民のオーム憎さを利用して破防法を通した。しかしオームに破防法は適用せず、いまだ野放し状態である。破防法成立は先を見ての手段であったと思う。目先のひとつにとらわれると、周囲を見忘れる。そして思わぬ落とし穴に落ち込むことになる。
参考:
「共謀罪ってなんだ」: http://kyobo.syuriken.jp/
治安維持法 ちあんいじほう :
1925年(大正14)に公布された思想・結社をとりしまる、もっとも典型的な治安立法。第1次世界大戦後の社会運動の高まりに危機感をいだいた政府によって、過激社会運動取締法案・治安維持令をひきついで、普通選挙法とだきあわせて法案可決、公布された。1900年(明治33)に制定された治安警察法が社会運動などの具体的な行為を取り締まりの対象にしていたのに対して、国体(天皇が統治する国の政体)の変革や私有財産制度を否認する思想・信条をとりしまったところに特徴がある。25年に朝鮮で初適用され、日本内地では26年の学連事件で協議罪が初適用。28年(昭和3)の三・一五事件で結社罪が初適用された。
1928年に改正されて、より強力な取り締まり法となった。結社の組織者・指導者には最高で死刑が科せられるようになったほか、日本共産党だけでなく、その支持者や労働運動・農民組合などの活動家にもひろげて適用されるようになった。共産党指導部が崩壊した35年以降は、拡大解釈されて宗教団体や学術研究サークルなどにも適用されることになった。35年の大本教弾圧、38年の唯物論研究会事件をはじめとして、それまで合法的であった信教・思想の弾圧にも利用された。
日中戦争が泥沼化した1941年、いっそう権力に都合のいいように大改正され、より広範囲にわたってとりしまることができるようになった。アジア太平洋戦争に突入してからは、国民の思想統制につかわれた。この時期の弾圧事件には、おもなものだけでも41年に尾崎秀実が死刑になったゾルゲ事件、43年の創価教育学会事件、44年の横浜事件などがある。敗戦直後の45年10月15日にGHQ(連合国最高司令官総司令部)の指令によって廃止された。(エンカルタ百科辞典より)
サクランボを少しとった。雨にぬれて果皮がはじけてるのがずいぶんある。熟れているのはスズメやヒヨがつついて種がのぞいている。それでも5分ぐらいで、小さなザルにいっぱいになった。そんな少しの時間でも、腰がいたくなった。で、やめて前に持っていった。取立てはやっぱり新鮮で美味しい。
クモの写真を撮った。名前はわからない。先生さまにきくとしよう。
夜、また雨だ。まるで梅雨みたいだ。ほんとくさくさ。