テレビで桜紀行をやっていた。サクラのルーツはヒマラヤ。そこでネパールを訪ねていた。ヒマラヤザクラは開花期は秋で、取材中も濃いピンクの花を満開に咲かせたサクラが写っていた。遠目には桃かと思うようだった。開花期間も1ケ月位と長いそうだ。グルンの人々は結婚式にはこのサクラの花を飾るのだそうだ。木質は硬いので入り口の戸など建具に使われていた。高度2000mのこのあたりではチョータラにサクラを使っていた。チョータラとは旅人の休みどころと言ったところだろうか、目印になる木を植えたちょっと腰掛けられるくらいの高さがある憩いの場。2種類の木を植えるのは一般的だったが。サクラの並木は、同じヒマラヤザクラでも色が違う。実生で育てているので、それぞれの種の個性でいろいろな色になるのだという。そうか、ソメイヨシノはクローンだから同じなんだ。
次の取材地は中国、リス族の村。そして沖縄、ヒカンザクラ。沖縄のヒカンザクラは冬に咲いていた。沖永良部島でもサクラは冬に咲いていた。沖縄、本部のサクラの研究者曰く。サクラは中国本土から鳥によって種子が運ばれ、根付いたのではないか、と。
本州では津波で被災した陸前高田の一本桜。そして波ここまで押し寄せたと言う地点にボランティアがサクラの苗木を植えていた。専門家がついているだろうから、大丈夫だとは思うが、サクラは塩害に弱い、老婆心ながらちょっと心配した。
ヒマラヤザクラを調べると、なんと熱海高校の法面に植えられているのを知った、11月から12月にかけて咲くそうだ。熱海高校が多賀に移って以来、熱海高校を訪ねたことはない。覚えていれば、今度花の季節に行ってみよう。しかもこの木は、ネパールの故ビレンドラ国王がまだ皇太子時代、東大に留学されて、伊東を訪ねたとき、熱海の植物友の会が梅やサクラの種を贈ったので、そのお返しとしてネパールから送られた種子から育った木であるという。あらまぁ~、ビレンドラ国王は、よくしっている。国民から慕われていた王であったが、王妃、皇太子もろとも暗殺されてしまった。今は記念館が出来ていて、ネパールの知人に連れて行かれたことがある。