4月3日、PapasanのCT検査の予約が9:40に入っている。20分前には来てくださいと書いてあるので、8時半に家を出て、息子に送ってもらった。まずは、月曜日に頼んで置いた診断書が、昨日できたと連絡をもらったいたので、それを受け取りに。会計のとき一緒に渡すとうことだった。そこで放射線受付に予約を見せ、で受付してもらい地下のCT室へ。すぐやってくれ、すぐ終わった。9時半には終わってしまった。そのまま内科の受付へ。予約は10時半だが、次の予定があるので早くしてほしい旨も伝えた。ちっとも呼ばれない。予約の10時半になった。すると看護士さんが来て、新しい先生なので、カルテを確認しているのでおせおせになっている。もう少し待ってくれないかと言った。次の予定があるので、遅くなるのは困る、ウチはCTの結果を見てもらうだけだから時間はかからないはず、でなければ、キャンセルできないか、次が5月13日だから、そのとき結果を見てもらうっことはできないのか、というと、医師が違うからキャンセルは無理だという。結局15分待って、みてっもらった。すぐ出てきた。6月にまたレントゲンをとるのだそうだ。もう付き添っては来ないぞと、Papasanに文句を言っている。今日、来たのには理由がある。Papasanの運転免許が4月13日までなので、時間のないものから片付けて行くためである。
そう、高齢者は教習所で、運転の講習ならびにチェックを受けなければならない。その修了書がないと、警察に申請できない。3月27日、講習は受けた。そのとき、身障者になった旨を伝えると、教習所の職員が二俣川の試験場へ行って、認証してもらってくれ、月曜日から金曜日まで任意の時間に行ってかまわないなどなど教えてくれたそう。書類にはペースメーカーをいれた担当医の診断書も必要、と書いてあったので、わざわざ月曜日に作成を依頼に病院まで来たのだった。
診察も終わり、会計も済み、診断書も受け取った。では予定通り二俣川まで出かけよう。私は二俣川の試験場へ行ったことはない。電車に乗ることは少なかったし、まして相鉄に載るなんて何年ぶり、いや何十年ぶりだろう。それでもどうやら二俣川に着き、バスで試験場へ。どこへ行ったらいいのか分からないので、受付で聞くと相談室を教えてくれた。Papasanだけが中に入り、私は外で待っていた。しばらくすると出てきた担当が、「どうして二俣川まで来たのか。二俣川から連絡があったのか」と私に聞いた。「身障者になったというと、教習所で二俣川まで行くように言われたから」というと「なにか問題ありますか」と再度聞いた。「いいえ、町ウチですが、運転はしていますし、困っていることはありません。初めての遠出ですから私がついてきたのです」と答えると「身障者になったからと言って、二俣川までくることはなかったんですよ。小田原警察で十分対応できました」と。それを聞いて唖然。
身障者になったから認証のために二俣川まで行くようにと言われたと聞いたとき、身体的弱者が地元ではなく、なんで遠い二俣川まで行かなければならないのか、と不審に思った。とにかく身障者1年生だから、分からないので従ってはいるが。
しばらくすると、担当と一緒にPapasanが出てきた。担当は「これは教習所のミスです。警察のミスではありません」と繰り返した。民間とはいえ、教習所で言われれば、受講者は信じるよなぁ。気の毒に思ったらしく、担当は親切に書類を整えてくれ、器械操作もしてくれ、2階までついてきてくれ、目の検査、写真は順番を待ってやってくださいと言って、戻っていった。検査も写真も済んで待つこと1時間、新しい免許証がもらえた。それにしてもひどい話。だったら病院で急いで診断書を作ってもらう必要もなかったわけだ。その診断書、不要だったからいいが、印が押されてなくて公文書としては使えないといわれたそう。おいおい、小田原、大丈夫かいな。怒りを通り越して、あきれた。とはいえ、私自身のことだったらちゃんと文句を言うだろうなぁ。後で聞くと、Papasanも、次の人のためにも、一応担当に教習所に連絡して指導しておいてくれとは頼んだそう
外に出ると、雨が降り始めていた。循環バスとかで下りたバス停でまたバスに乗った。近辺にはいろんな公共施設があった。そういえば来る時ライトセンター前というのがあった。ライトセンターははるかな昔、県の施設見学できたことがあったと思い出した。
久しぶりの横浜だから、買い物をして帰ろうと思っていたのだが、寒いし疲れたので、しかも朝から飲まず食わずだったので、高島屋のレストラン街ですしをつまん帰った。
疲れ果てて、熱いお茶とお汁粉を食べて、そのまま転寝してしまった。町内放送に驚いて目を覚ますと、まだ8時だった。夕飯も抜いてそのままま朝まで。とんだ1日だった。
そう、高齢者は教習所で、運転の講習ならびにチェックを受けなければならない。その修了書がないと、警察に申請できない。3月27日、講習は受けた。そのとき、身障者になった旨を伝えると、教習所の職員が二俣川の試験場へ行って、認証してもらってくれ、月曜日から金曜日まで任意の時間に行ってかまわないなどなど教えてくれたそう。書類にはペースメーカーをいれた担当医の診断書も必要、と書いてあったので、わざわざ月曜日に作成を依頼に病院まで来たのだった。
診察も終わり、会計も済み、診断書も受け取った。では予定通り二俣川まで出かけよう。私は二俣川の試験場へ行ったことはない。電車に乗ることは少なかったし、まして相鉄に載るなんて何年ぶり、いや何十年ぶりだろう。それでもどうやら二俣川に着き、バスで試験場へ。どこへ行ったらいいのか分からないので、受付で聞くと相談室を教えてくれた。Papasanだけが中に入り、私は外で待っていた。しばらくすると出てきた担当が、「どうして二俣川まで来たのか。二俣川から連絡があったのか」と私に聞いた。「身障者になったというと、教習所で二俣川まで行くように言われたから」というと「なにか問題ありますか」と再度聞いた。「いいえ、町ウチですが、運転はしていますし、困っていることはありません。初めての遠出ですから私がついてきたのです」と答えると「身障者になったからと言って、二俣川までくることはなかったんですよ。小田原警察で十分対応できました」と。それを聞いて唖然。
身障者になったから認証のために二俣川まで行くようにと言われたと聞いたとき、身体的弱者が地元ではなく、なんで遠い二俣川まで行かなければならないのか、と不審に思った。とにかく身障者1年生だから、分からないので従ってはいるが。
しばらくすると、担当と一緒にPapasanが出てきた。担当は「これは教習所のミスです。警察のミスではありません」と繰り返した。民間とはいえ、教習所で言われれば、受講者は信じるよなぁ。気の毒に思ったらしく、担当は親切に書類を整えてくれ、器械操作もしてくれ、2階までついてきてくれ、目の検査、写真は順番を待ってやってくださいと言って、戻っていった。検査も写真も済んで待つこと1時間、新しい免許証がもらえた。それにしてもひどい話。だったら病院で急いで診断書を作ってもらう必要もなかったわけだ。その診断書、不要だったからいいが、印が押されてなくて公文書としては使えないといわれたそう。おいおい、小田原、大丈夫かいな。怒りを通り越して、あきれた。とはいえ、私自身のことだったらちゃんと文句を言うだろうなぁ。後で聞くと、Papasanも、次の人のためにも、一応担当に教習所に連絡して指導しておいてくれとは頼んだそう
外に出ると、雨が降り始めていた。循環バスとかで下りたバス停でまたバスに乗った。近辺にはいろんな公共施設があった。そういえば来る時ライトセンター前というのがあった。ライトセンターははるかな昔、県の施設見学できたことがあったと思い出した。
久しぶりの横浜だから、買い物をして帰ろうと思っていたのだが、寒いし疲れたので、しかも朝から飲まず食わずだったので、高島屋のレストラン街ですしをつまん帰った。
疲れ果てて、熱いお茶とお汁粉を食べて、そのまま転寝してしまった。町内放送に驚いて目を覚ますと、まだ8時だった。夕飯も抜いてそのままま朝まで。とんだ1日だった。