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ヒロシマ

2016-08-06 21:54:53 | 日記
いつものように昨夜12過ぎに寝たのだが、3時には目が覚めた。外はまだ暗い。二度寝は夢を見るから嫌いなんだが、仕方がないもう一度寝よう。やはり夢を見た。作曲家の青先生が我が家に訪ねて見えられた。お元気で若々しい。先生に私が原稿をお願いしたとかでそれを届けてくださったのだ。夢だからだが、先生には消費生活大会で劇で使う「ごみのうた」の作曲は依頼したことはあるが、原稿をお願いしたことはない。Papasanも若々しかった。たのしく語り合った。先生はこれから電車で小田原まで帰られるという。「先生、もう電車ありませんよ」というと、「大丈夫です」と言って帰られた。夢の中でも、ふっと思い出した。青先生、もう亡くなられた筈、次の瞬間ぞっとした。そして目を覚ました。

テレビをつけると、広島の慰霊祭が映し出された。広島市長に続いて阿部総理の顔が見えたのでテレビを切ってしまった。時間を見ると8時6分。黙祷までにあと10分ある。

一人静かに黙祷をした。そうか、今日はヒロシマの日。だから青先生が見えられたんだ。先日片づけをしたとき「青の夕べ」のパンフや先生の作品の楽譜が出てきてピアノの上に載せてある。そういうことが意識のどこかに残っていたのだろう。久しぶりに先生の組曲「ヒロシマ」を聞きたいな。どこかにテープがあったはず。青さんは、16歳の女学生で、工場に動員され、ヒロシマで原爆にあった橋爪文さんの詩に数多く作曲している。コンサートで「おとうとよ」に涙したのを思い出す。

夜、NHKのスペシャルで「決断なき原爆投下」が放映された。原爆投下は戦争を早く終わらせるものであったというアメリカの神話、もとよりそんなこと信じていなかったが、それにしても4月にルーズベルトがなくなり、(ルーズベルトが亡くなったのはよく覚えている、学校の先生がうれしいお知らせがあります、と言って話してくれたのがルーズベルトの死だったが、2年生の私たちはルーズベルトを知らなかった)急遽大統領になったトルーマンが決断を下したものだとばかり思っていたのだが、そういう事実はなく、新型爆弾の威力を試したかった、軍部の暴走だったという事実が明るみに出た。なんということ!戦争とは常に不条理、愚かしさ、そういうものだが、それにしても残酷な事実だ。戦後71年経って、明るみに出た事実。まだまだあるだろうな。
コメント
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