Cogito

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駄菓子屋

2007-06-19 20:08:31 | インポート

かつての子ども達には駄菓子や文化というのがあった。100円玉を握り締めて、店先でいろいろ考える。自分の意志でそれを選び、100玉でいかに買えるか、子ども達にとってはたのしみであると同時に生活への準備、訓練の場でもあった。ともだちとのふれあいもそこにはあった。

うちの町からも駄菓子やが消えて久しい。親たちは子どもを車で運び、ほしい物をえらばせ、いっしょに会計をしてしまう。
ほしいものは手に入るが、手に入れるまでのわくわく感はないし、駄菓子やを中心に展開する子ども同士のつながりもなくなってしまった。

そこで駄菓子屋を復活させようとDYIのかつて子どもであったオバサンやオジサンたちが、駄菓子屋を開いている。といってもイベントとしてやっているのだが。それでも、7月で3回目になる。初回はあわただしく開店したので、宣伝が行き届かなかったようだが、こどもの日の2回目はお客さんが遠くからも来てくれて盛況だったそうだ。駄菓子やだけでなく、遊びもいっしょに行っている。子どもから「またやってね」「7月7日の七夕さんにもやる?」といわれて、その気になってしまったようだ。駄菓子屋の売上金は、図書館の子ども図書の購入費の一部に寄付されている。そんなつながりから、図書館も子どもの本の読みきかせをこの日にあわせることにしたという。 そう町民が横に手を結ぶことは大事なんだよね。
Children_1

Photo_23 さて、そのチラシを元イラストレーターに描いてもらった。細かな字は子どものお母さんが書いてくれたが、いくらチラシだと言ってもモノクロではさびしい。そこでPCに取り込んで、色を塗ってあげるよ、と借りてきたのはいいのだが、余計な事を言ってしまったと後悔した。一応ペイントで色はつけたけど。はい、 はい、こういうことも出来るようにしておかなければね。

子ども達も、昔の子ども達も、7月7日、情報センターへ

みんな、行ってあげてね、

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花探し

2007-06-17 14:00:33 | 日記・エッセイ・コラム

Imo1 Imo2 Imo3 シリアのエブラ遺跡でサトイモ科のこんな花に出会った。紫紺というより黒に近い紫の花、なんていう花か名前を知りたいと思っていた。生命の地球・・博物館にもメールを送った。

Imo4 Imo5 ヨルダンに一年間滞在したぱぶさんがヨルダンの野生植物の本を貸してくれた。ちゃんと載っていた。それを見るとEminium spiculatum、やはりサトイモ科の花だった。webを探すとたくさんの記述が出てきた。これには毒があるので、生で食べてはいけないと書いてあった。調理すればいいというから、たいした毒ではないのだろう。コンニャクイモだって生では食べないよねぇ。それにしてもサトイモ科のEminiumは種類が多い。サトイモを連想すると水分のある土地を考えてしまうが、砂漠にも強いんだ。ふ~ん。

ついでアザミを探し始めた。アザミは種類が多い。世界で250種ぐらいあるそうだ。そのうち日本には70種余りがあるというから、比率では多いことになる。

アザミは英語ではThistleだが、学名は様々。onoperdumはonos(ロバ)perdo(破滅するために) acanthos(とげ)

要するに「ロバによって食べられるとげの多い植物」ということになる。

このほかにもcirsium、carduusはアザミ、notobasis(シリアのアザミ)、arctium(ゴボウ)、などがある。そうか、ゴボウね。ヤマゴボウの味噌漬けはヤマゴボウではなく、アザミの根だった。ゴボウに似ていたのでそうつけられたんだろうが。ヤマゴボウという名の植物もあるから混乱してしまうよ。

漬物に使われるアザミはマリアザミというのだそうだ。薬用種らしい。ミルクアザミ(silybum)なんて名のアザミもある。

しかもセイヨウヤマゴボウは外来種でやたらと繁茂して、うちの周りにもあり、ブドウ色のきれいな実がなるけど、毒がある。

onoperdumはオオヒレアザミ(cotton thistle)はスコットランドのアザミ。スコットランドの花はこのアザミだそうだ。

アザミといえば、イースター島は近い将来アザミとルピナスに席巻されてしまうのではないかと思うくらい、勢力を伸ばしていた。ルピナスは家畜には毒があるけど、アザミはないだろう。でも馬や牛は食べないらしい。あそこは馬は持ち主がいても、家畜として飼ってはいなくて、放りっぱなしだった。イヌも馬も自由に生きていた。

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森のふれあい館

2007-06-15 09:36:33 | 日記・エッセイ・コラム

Fureai 外を見ると、霧が山から降りはじめている。山は降っているかもしれないが、いまのうちならと箱根にイソヒヨドリの巣を届けに、久しぶりに森のふれあい館を訪ねた。石原館長さんはまだ若いが、私の動植物の先生である。森のふれあい館は箱根町の施設で、動植物の展示を通して森林やそこに生きるものたちのすばらしさを学習していくことを目的に作られている。森のふれあい館は2階建ての建物だが、まわりには散策できる森や広場が作られていて、ハイキングやピクニックも出来る。その先は芦ノ湖である。

館長さんが出てきて、展示室を案内してくれたが、勝手に見るからと展示物をゆっくり眺めてきた。石原さんが館長になって、展示にも努力が伺える。自然に興味のある人には子供ならずとも、たのしいひと時がすごせる。

石原さんとの出会いは、もう30年ぐらい前になるが、真鶴で野鳥の写真展をしようと、富士吉田にお住まいの野鳥写真家、名前が思い出せないが、どこかに写真集は買ってある、の写真を貸してもらいに、生活学校の仲間たちと、大涌谷の自然科学館を訪ねたのが始まりである。石原館長さんは学芸員をしていた。お借りした野鳥の写真は、町民センター2階のスペースで展示した。2回ぐらいやっただろうか。写真を返しながら、私が写したアオダイショウがアヒルの卵を飲み込む写真を何枚も撮って持っていったのだった。その写真を見て「これだけの写真が撮れるのなら」と記録の仕方を教えられ、弟子になったのである。写真のみならず、死んだヘビや野鳥、生きたヘビやヤモリまで届けた。生きたヘビはちゃんと返してもらっている。私の蛇の写真も飾られていた。その大涌谷の自然科学館が取り壊されて、新しく森のふれあい館となったのである。

自然に関して、わからないことがあると、すぐここに電話して先生サマに教えてもらっているが、最近はあまり行った事はなかった。家から行くには、森のふれあい館の方が近い。十国から上って、一号線を芦ノ湖に下ってくるとすぐなのである。

Kinoha お土産に木の葉をラミネートしたものをたくさんいただいた。前の教室においてくると、その後、和美さんが来て、大きなのはガラス窓に貼り、光にすかしてスンドグラスみたいにするのだという。そして一枚一枚になったものは、使い方が書いてあKinoha2 って、カルタにできるのだそうだ。たとえば、読み手が「ブナ」と言ったら、ブナの葉を探して取る。ふ~ん、木の葉を覚えられるね、考えればもっと利用法があるかもね。

                                       

                                             

Kinoha3 ステンドグラスにすると、こんな感じになるのかな。

                                              

                                             

                                             森のふれあい館HP:
http://<wbr></wbr>www.ha<wbr></wbr>kone.o<wbr></wbr>r.jp/m<wbr></wbr>orifur<wbr></wbr>e/inde<wbr></wbr>x.htm

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イソヒヨドリの巣

2007-06-12 16:43:58 | 動物記

Img_0944 消防署の前の谷平自動車修理工場の3階の踊り場にイソヒヨドリが巣を作った。家人はヒナが孵って、騒々しくなって気がついてのぞいてみると、親が帰ってきたのかと思ったヒナたちの大きな口が迎えてくれたそうだ。巣には5羽のヒナがいた。

Img_0943 ヒナたちも5日、巣立って、巣が空になったので、持ってきてくれたのだった。ほんとに小鳥の巣って見事に編んである。中にはムカデの残骸もサクランボの種も残っている。周りには緑のコケもついている。

先日、ミミズをくわえたイソヒヨドリのオスを見かけた。そこでヒナが孵ったことは知っていたから、親が運んでいくのかもと思いながら見ていた。家人の則子さんの話だと、ヒナガ小さいときは羽虫(たぶん蛾のことじゃないかな)やイモムシ、ヒナが大きくなるとトカゲやムカデをよく運んできたそうだ。玄関をあけると、トカゲをくわえた親鳥と遭遇して、思わず、ヒャ~と悲鳴を上げたそうだ。でもよく観察したよ。

巣を計ってみると直径12cm。巣のまわりは横28cm。縦20cm。高さは8cmある。

この巣は、箱根の「ふれあいの森科学館」へあげることにした。則子さんが撮った写真もつけて。

Iso1 則子若奥さんの撮った写真。5月28日から巣立ちの6月6日まで。

  

Iso2 Iso3 Iso5 Is05 Iso6 Iso7 Iso8 Iso9 Iso10 Iso11 Iso12                      

  

                                                

                                              

                                             

Isohiyo21

Isohiyo312月、我が家に来ていたイソヒヨドリのオス。メスの写真もどこかにあるはずだが、さてどこだろう。

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クラスター爆弾禁止へ

2007-06-10 19:23:53 | 日記・エッセイ・コラム

オスロ会議の時には、まだ日本の態度は禁止ではなく、不発弾が含まれる物も各国の自主規制に任せるべきだと言って、各国から冷たい目で見られていた。日本の自衛隊は陸海も不発弾を何割も入っている旧型のクラスター爆弾を所有している。

そのときの自衛隊の何某の言がすさまじかった。侵略に対して防衛をするときは不発弾が含まれ、国民に犠牲が出ても、使わざるをえない、と言ったものだった。日本ほどの軍備のある国を侵略しようと言う国があれば、クラスター爆弾で防御できるわけはない、と、これも冷笑ものだった。下の参考記事の中にもその言はうかがえる。

この言を先の会議のとき読んで、本音が出ているなと思った。軍部が権力を握れば、軍事力は国民の安全を守るためではない。かつての軍国国家(軍部)がそうであったように。ひとえに自分達の権益のためである。そのためには国民は奴隷に等しくなる。

こういうことからちらちらと先が見えてきても、まだ国民はだまされて憲法改正に向かうのだろうか。

司馬遼太郎が書いていた。戦争末期、本土決戦をひかえて九十九里にいたとき、九十九里から東京へ向かうとき、東京から逃げ出してくる避難民と遭遇することになる。そういう時どうすればいいのか、と指揮官にたずねると、蹴散らしていけ、と答えた、と。国民を守るはずの軍隊が、国民を蹴散らしていいものか、この国は狂っていると司馬さんは思ったそうだ。

過去のことのように思えるが、軍隊のそういう精神は生きている。

ともかくクラスター爆弾による被害が少しでも減ることを願って、狙いは何であれ、禁止に賛成することに拍手しよう。

参考記事:

■積極関与で実効性確保狙う

 1発の爆弾から多数の子爆弾を飛び散らせるクラスター爆弾の使用禁止条約を制定する動きが国際社会で強まる中、政府が、19日からジュネーブで開かれる特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)政府専門家会合で、制定に賛成の立場を表明することが、9日分かった。政府は禁止条約への態度表明を控えていたが、制定過程に積極的にかかわることで、即時全廃を唱えるノルウェー、ペルーなどを牽制(けんせい)。同時に米国、中国、ロシアといった生産・保有大国を巻き込む考えだ。

 外務・防衛両省による調整の結果、(1)CCW専門家会合や今年11月のCCW締約国会議に「基本的に賛成」の立場で臨む(2)「即時全廃ではなく代替兵器の開発まで十分な移行期間を設ける」「大量保有する米中露の参加も得て条約の実効性を確保する」といった日本の考えを条約に反映させる-などの戦略をまとめた。
 クラスター爆弾は米、イスラエル両軍などがイラク、アフガニスタン、レバノンといった紛争地で使用。「子爆弾の不発率は5~20%」(防衛省筋)とされ、不発弾で民間人が犠牲になるケースが出ている。このため、ノルウェー、ペルーや国際NGO(非政府組織)は非人道的兵器として全廃を求めている。

 しかし、CCWでの議論が進まないことに不満を持った有志国が今年2月、ノルウェー・オスロで2008年までの条約締結を目指す「オスロ宣言」をまとめた。これにより、オスロ・プロセスがスタートしたが、米国、中国は加わっておらず、ロシアもオブザーバー参加にとどまっている。
 久間章生防衛相は「攻撃用にクラスター爆弾を使うことは100%ない」と語っている。ただ、日本政府は、敵の侵攻を「面」で食い止めるクラスター爆弾を、海岸線が長く、離島の多い日本にとって敵の上陸を食い止める防御手段として不可欠との立場だ。

 それでも政府が条約締結交渉に前向きにかかわろうとしているのは、平成9年、橋本内閣時代に小渕恵三外相(当時)の政治判断で対人地雷の全廃を決めた事態の再来を懸念しているからだ。
 政府は当初、米中露不参加の対人地雷全面禁止条約の実効性は疑問として消極的だった。それが政治決断で条約に参加することになり、その結果、「北朝鮮、韓国を含めた周辺国すべてが廃止しない中で、日本だけが敵の上陸を食い止める能力を著しく減少させた」(陸自幹部)という。
 政府としては、急進色が濃いオスロ・プロセスではなく、米中露を含む100カ国以上が参加するCCWで議論を進めることにより、現実的な条約作りを目指す。
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