なぎのあとさき

日記です。

11月はじめの海

2020年11月05日 | 日々のこと




11月1日と3日に海に行った。駐車場が5時まで。潮はまだ冷たくないけど、空気は4時頃から冷えてくる。
半袖ウエットの上にタッパー着用。

1日は曇り、今年一番澄んでいた。
ボードに乗って水の上からでも底が見えるくらい。

青く光るイシダイが3匹いた。
クロダイもたくさんいた。
ソラはあちこちにいた。

岩に釣り人が一人いて、Cと「やめるように言ってやろうか」と話してたけど、ゴムボートに乗ってきて完璧装備で一人極上時間を過ごしてる人に声をかけるのは無粋、どけとは言わなかったけど、すぐそばまでバシャバシャ泳いで行って迷惑そうな顔で睨むくらいはした。

兄さんたちタイは賢いので釣り人に釣られることはない。みんな釣り人のいるとこの反対側の岩場にいた。ほかの魚も、誰も釣られなかった。

ゴンズイがわらわらいた。
フグの青年もたくさんいる。

小さい黒っぽい魚の群、子タナゴの群もいた。

あんなに疲れて寝不足でだるかったのに海に入ると平気。
泳いでる間はそんなに寒くなかったけど、浜に出ると寒くて冷えきった。





お寺は冬の匂いがした。
体伸ばして疲れは8割とれた。
のこる2割は肩甲骨まわり。





雨をはさんで3日は晴れた、けどまた濁ってしまった。低くて厚いウネリあり。
ツノダシにまた会えた。

小さいイワシの大群が岩の裏のほうにいた。いつまでも途切れずキラキラゆっくり泳いでいた。
ボードに乗ってると、海面を滑るように跳ねるイワシもいた。
ボラもぴょんぴょんで跳ねていた。

晴れたのでそこまで寒くなくて、上がってから少し浜でごろごろできた、けど後からきてすぐ側でドローン飛ばしてる人がいてウザかった。ハエみたいでうるさいし手元の機械もピーピー鳴ってるし、すっごく目障り耳障り。
Cも大門軍団の顔で睨んでいた。

ハナセンナの大きい木が満開。黄色の花。

お寺でストレッチ。疲れはとれた。出たばかりの月が赤くて大きかった。すぐ雲に隠れた。

秋山のプール万歳で秋山の泳ぎ方をじっくり見たおかげで最近クロールが上手くなった。速くなったし疲れにくい。

この日は海から帰ってからTとトリキに行ってビールも焼き鳥もシメの塩ラーメンもめちゃめちゃ旨かった。

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読書メモ
「消え去ったアルベルチーヌ」前半。

語り手はサン=ルーを使いに出して金をちらつかせてアルベルチーヌに戻ってこさせようとしたり、少女を家に連れ帰ってみたりしてますますゲスい。

ゲスいながらもアルベルチーヌへの想いは深く、思考の中心にいる。
愛する人の不在についてはビーへの想いとかぶるところも多くてスラスラは読めなかった。

ブリショに送られて家に帰り、外からアルベルチーヌの部屋の灯りを見上げたことを何度も思いだし、
○あの光が私にとってかぎりない充実と生命と楽しさを含んでいたこと

こうした数々の思い出を心の拠り所にしている。生前の彼女の素行に嫉妬するあまり彼女が生きているとしか思えなくなることもある。

悲嘆にくれながらもアルベルチーヌのあの方の趣味への興味がつきない語り手は、エメをバルベックに送って洗濯娘に話を聞いたり、アンドレを問いつめたりする。水浴する女たちさながらの情景が浮かび、語り手の妄想はどうやら本当だった。

中盤に来てフィガロに文章が掲載されて有頂天の語り手は、社交の場に顔を出してジルベルトに会う。
オデットはスワンの死後フォルシュビルと再婚してジルベルトも呼び名が変わっていた。
これから後半。
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10月の終わり

2020年11月05日 | 日々のこと




朝9時に目覚ましが鳴って、止めて、ちょっと目を閉じたら10時になってる。ただでさえ日が短いのにこのところ起きるのは10時~11時。寝るのは2時すぎ。

モンちゃんはいたって平穏な毎日。15時頃までは庭の日向で昼寝したり毛繕いしたり。テレワークになってからモンちゃんは、毎日好きなだけ庭で日向ぼっこできる。今年は早めにオルラヤの種を巻いて、7つの芽から本葉が生えてきた。


モンちゃんはロイカナの減量カリカリにゼッピンや銀スプを混ぜたご飯を続けて、体重は8.4キロ。新聞の下でオモチャをがさごそやるとつっこんでくる。これは殿やキンタもいつまでも好きだった。興がのるとジャンプもするし、玄関までドドドッと駆けていく。


モンちゃんはうちで唯一ポンポンぎらいなので、ポンポンマスターのTの出番がなくてもったいない。ついクセでポンポンすると、ガブッと噛む。前ほど本気で噛まなくなって、ちょうどいい噛まれごたえ。



11月になった。休みが多くて仕事も暇。10月31日からの4連休は、初日にパーティ、海には2回、映画も見て、目が回った。


新宿駅を降りたらわけがわからなかった。人と店が異常に多くて落ち着かない。どうやって目的地の映画館に行くのか見当がつかず、スマホの地図を見てもさっぱりわからず、途方にくれた。

タイピーの世界とは真逆の街。人間がやりすぎるのはお金のため。タイピーの暮らしでブレッソンの映画を見れる世界への帰着はあり得ないのか。


Cくんに電話して聞いてすぐに映画館についた。


14歳の少女ムシェットの身に陰鬱で悲痛なことが立て続けに起こる映画なのに、見ていて辛いどころかひき付けられて、嫌な気分になるどころか清々しいのは、少女がスクリーンの中で鮮やかに瑞々しく生きているからで、どのシーンも美しい。

遊具をぶつけ合うシーンやクラスメートに泥団子をぶつけるシーンは楽しい。


セリフはほとんどなく、説明は全くなく、人や物(動物や雨や風含む)の動きと視線だけで、一度見たら忘れないラストへと流れていく。少女を虐げる悪い人たちも、悪いわけでなく自然のままに生きているだけのようなリアリティ。


映画の後は高層ビル街に移動。西日が高層ビルに反射してきれいだったけど、自然が全くないと息苦しくてやっぱり新宿は苦手。
パーティまで2時間半くらい、お茶しながら猫トーク、どれだけ寂しいか聞いてもらった。
時間しかないんじゃないかな、とCくん。8ヶ月くらいしてやっと写真が見れるようになってきたと。

時間が忘却を促すのは有名な話だけど、忘却はしたくないこの場合、時間は寂しさをどう変えてゆくんだろう。

○海上の濃霧が万物の目印を消してしまうように、私の時間の距離感は混乱してばらばらになり、距離はこちらで縮まったかと思えばあちらでは伸びる始末で、あらゆるものと私との距離が、あるときは実際よりずっと遠くに、あるときはずっと近くに感じられた。

というのは、消え去ったアルベルチーヌの中ほど。


パーティは高層ホテルの最上階にて。ある人のデビュー30周年を祝う人が60人以上集まって、飲んでおしゃべり。
今年はお花見もなかったから1年以上ぶりに会う人が大勢いて、いろんな人が声かけてくれて、ワインを飲みながら話したり笑ったり。スピーチも良かった。

1次会でやめとけば、いい夜たったのに、つい終電すぎて、マスクしないでタクシーに乗って後でドライバーさんに申し訳ない気持ちに。それに今後2週間は、実家に帰れない。

酒と人に酔ったのと、ヒールのパンプスで疲れきり、夜なかなか寝つけなくて、疲労を連休の間ひきずることになった。
50手前、はっきり言えるのは、家が一番ってこと。

次の日は12時まで寝て、急いで支度して海へ。つづく

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