朝9時に目覚ましが鳴って、止めて、ちょっと目を閉じたら10時になってる。ただでさえ日が短いのにこのところ起きるのは10時~11時。寝るのは2時すぎ。
モンちゃんはいたって平穏な毎日。15時頃までは庭の日向で昼寝したり毛繕いしたり。テレワークになってからモンちゃんは、毎日好きなだけ庭で日向ぼっこできる。今年は早めにオルラヤの種を巻いて、7つの芽から本葉が生えてきた。
モンちゃんはロイカナの減量カリカリにゼッピンや銀スプを混ぜたご飯を続けて、体重は8.4キロ。新聞の下でオモチャをがさごそやるとつっこんでくる。これは殿やキンタもいつまでも好きだった。興がのるとジャンプもするし、玄関までドドドッと駆けていく。
モンちゃんはうちで唯一ポンポンぎらいなので、ポンポンマスターのTの出番がなくてもったいない。ついクセでポンポンすると、ガブッと噛む。前ほど本気で噛まなくなって、ちょうどいい噛まれごたえ。
11月になった。休みが多くて仕事も暇。10月31日からの4連休は、初日にパーティ、海には2回、映画も見て、目が回った。
新宿駅を降りたらわけがわからなかった。人と店が異常に多くて落ち着かない。どうやって目的地の映画館に行くのか見当がつかず、スマホの地図を見てもさっぱりわからず、途方にくれた。
タイピーの世界とは真逆の街。人間がやりすぎるのはお金のため。タイピーの暮らしでブレッソンの映画を見れる世界への帰着はあり得ないのか。
Cくんに電話して聞いてすぐに映画館についた。
14歳の少女ムシェットの身に陰鬱で悲痛なことが立て続けに起こる映画なのに、見ていて辛いどころかひき付けられて、嫌な気分になるどころか清々しいのは、少女がスクリーンの中で鮮やかに瑞々しく生きているからで、どのシーンも美しい。
遊具をぶつけ合うシーンやクラスメートに泥団子をぶつけるシーンは楽しい。
セリフはほとんどなく、説明は全くなく、人や物(動物や雨や風含む)の動きと視線だけで、一度見たら忘れないラストへと流れていく。少女を虐げる悪い人たちも、悪いわけでなく自然のままに生きているだけのようなリアリティ。
映画の後は高層ビル街に移動。西日が高層ビルに反射してきれいだったけど、自然が全くないと息苦しくてやっぱり新宿は苦手。
パーティまで2時間半くらい、お茶しながら猫トーク、どれだけ寂しいか聞いてもらった。
時間しかないんじゃないかな、とCくん。8ヶ月くらいしてやっと写真が見れるようになってきたと。
時間が忘却を促すのは有名な話だけど、忘却はしたくないこの場合、時間は寂しさをどう変えてゆくんだろう。
○海上の濃霧が万物の目印を消してしまうように、私の時間の距離感は混乱してばらばらになり、距離はこちらで縮まったかと思えばあちらでは伸びる始末で、あらゆるものと私との距離が、あるときは実際よりずっと遠くに、あるときはずっと近くに感じられた。
というのは、消え去ったアルベルチーヌの中ほど。
パーティは高層ホテルの最上階にて。ある人のデビュー30周年を祝う人が60人以上集まって、飲んでおしゃべり。
今年はお花見もなかったから1年以上ぶりに会う人が大勢いて、いろんな人が声かけてくれて、ワインを飲みながら話したり笑ったり。スピーチも良かった。
1次会でやめとけば、いい夜たったのに、つい終電すぎて、マスクしないでタクシーに乗って後でドライバーさんに申し訳ない気持ちに。それに今後2週間は、実家に帰れない。
酒と人に酔ったのと、ヒールのパンプスで疲れきり、夜なかなか寝つけなくて、疲労を連休の間ひきずることになった。
50手前、はっきり言えるのは、家が一番ってこと。
次の日は12時まで寝て、急いで支度して海へ。つづく