四川省大地震とミャンマーサイクロンと「保護する責任」

2008-05-18 07:42:27 | Weblog

 至って不勉強の至り、無知な話だが、国連総会特別首脳会議が05年に「保護する責任」といった国家が国際社会と共々負うべきとした理念を掲げたことなど知らなかった。常々当ブログで言っている「すべての国のすべての国民が等しく享受しなければならない人間的条件性から言って基本的人権は国家主権を超えるゆえに、基本的人権に国境は存在せず、それぞれの国家の内政問題から切り離され、《内政不干渉の原則》には抵触しない」、「内政不干渉」を理由に国家権力の国民に対する恣意的な人権抑圧を擁護・傍観してはならない、外国は国家権力による人権抑圧に積極的に干渉すべきだとする主張に相通じるものがあるが、「保護する責任」なる理念から、今回の中国・四川省大地震と胡錦涛を国家主席、温家宝を首相とする中国共産党政府の未曾有の被災者救済、さらにミャンマーの軍政下に置かれたミャンマー国民を考えてみた。

(「asahi.com」記事から/中国四川省綿陽で16日、到着した胡錦濤国家主席(中央右)を出迎える温家宝首相(新華社)=AP)

 まずは「保護する責任」なる理念を「Wikipedia」から見てみる。

 <基本理念
 国家主権は人々を保護する責任を伴う。
 国家が保護する責任を果たせない場合は国際社会がその責任を務める。
 国際社会の保護する責任は不干渉原則に優先する。

 不干渉原則に優先する理由
 主権概念に固有の義務
 国連憲章24条による安全保障理事会の責任
 国際人権文書、国際人道法および国内法に基づく特定の法的義務
 国家、地域的機関及び安保理による慣行の発展
 
 3つの包含要素
 保護する責任には、「予防する責任」を筆頭に、「対応する責任」と「再建する責任」の3つの要素が包含されている。このうち、最も重要なのが「予防する責任」である。あらゆる干渉行動は、その実施に先行して予防的手段が尽くされなければならない。

 予防する責任 (Responsibility to Prevent) - 紛争の原因に対する取り組み
 対応する責任 (Responsibility to React) - 状況に対する強制措置(軍事干渉も含む)を含む手段に
       よる対応
 再建する責任 (Responsibility to Rebuild) - 復興、和解などへの十全な支援の提供

 軍事行動の正当化要件
 保護する責任の遂行における軍事行動は、例外的で特別な措置であるため、それらの行動が正当化されるには、具体的に次の6つの要件が満たされる必要がある。
正当な権限 (Legitimate Authority) - 国連憲章第7章、第51条、第8章に基づ
くものでなければならない。

 正当な理由 (Just Cause) - 大規模な人命の喪失、又は大規模な人道的危機が現在存在し、又は差し迫
      っていること(急迫不正の侵害)。
 正当な意図 (Right Intention) - 体制転覆等が目的でなく、体制が人民を害する能力を無力化するこ
      とが目的でなければならない。
 手段の均衡 (Proportional Means) - 措置の規模、期間、威力などは、人道目的を守るために必要最小
      限でなければならない。
 合理的見通し (Reasonable Prospect) - 干渉前よりも事態が悪化しないという、措置の合理的な成
      功の見通しがなければならない。
 最後の手段 (Last Resort) - 交渉、停戦監視、仲介など、あらゆる外交的手段および非軍事的手段を
      追求したうえで、それでも成功しないと考えられる合理的な根拠があって初めてとられる手
      段でなければならない。>――

 「国家主権は人々を保護する責任を伴う」は国家権力の当然の義務であり、責任である。その当然のことを果たしていない無責任な国家権力が存在する。無責任に何ら後ろめたさもなく国家の代表者の顔をして憚らない。

 但し「人々を保護する責任」と言っても、物質的に飢えない生活を保障すれば国家の責任を果たしたとは言えないのは断るまでもない。物質的にも精神的にも人間らしく生きる生活、「人間らしい生活」を保障して、初めて「国民保護」と言える。「人間らしい生活」は基本的人権を絶対要件とするのは、これまた断るまでもないことであろう。

 中国・四川省で地震が発生したのは5月12日。日本の国際緊急援助隊の第1陣31人が四川省の成都空港に到着したのは生き埋め生存限界とされる「発生後72時間」(3日間)である5月15日午後を過ぎた5月16日未明であり、そこから被災地に向かった。日本に引き続いて、現在韓国、シンガポール、ロシアの3カ国が救援隊を派遣しているという。

 中国政府が自然災害で外国の救助隊を受け入れるのは異例のことだそうだが、道路や建物は回復可能だが、回復不可能な人的被害である「死」を如何に少なくとどめるかの救助活動が政府の「国民保護」の主たる責任項目となり、その成否が胡錦涛体制の存在意義に関わってくる。地震が与えた物理的破壊の大きさが予見させる人的被害の回復困難さが胡錦涛体制の存在意義を貶めかねない要因に向かう恐れから外国からの救助隊を巻き込むことで「国民保護」の責任を相殺する意味合いもあったのだろう。

 だから外国救助隊の受入れが結果的に生き埋め生存限界とされる「発生後72時間」(3日間)を過ぎた後付けの選択となったのだろう。このことも国家の「国民保護」の責任に関わってくる。ロシア救援隊が5月17日夜に初めて生存者1人を発見したと言うことだが、外国救援隊の生存者の発見が多い程、なぜもっと早くに派遣要請をしなかったのか、そうしていたなら、もっと多くの生存者を発見できていたのではないのかという声に変わるに違いない。そうなった場合、後付けの外国救援隊派遣要請は責任の相殺どころか、中国当局が「国民保護」をどの程度認識していたか検証を受けることになる両刃の剣となり得る。

 災害対策本部が伝えた5月17日午後2時時点の死者数が2万8881人に上ることを日経インターネット記事で知った。すべては被災地及び被災者の救援を通した「国民保護」の成果にかかっている。「国民保護」が国家権力にとって如何に重要か、最重点の政治課題であるかを証明して余りある。そこにゴマカシがあってはならないのは当然のことだろう。

 胡錦涛の言葉――

1.現地に向かう特別機の中で「地震の救援活動は今、最も厳しい時にある。寸秒を争って最大限の努力をしなければならない」

 「地震発生後72時間という人命救助に大事な時間を過ぎたが、人の命を救うことに全力をあげなければならない。同時に、負傷者の救助や交通・通信・電力などの復旧を急ぎ、民衆の生活を保障しなければならない」(≪四川大地震:胡錦濤主席、被災地の北川県に向う≫(中国情報局/2008/05/16(金) 20:56:01更新)

2.「救助活動は最も重大な局面に入った。全力で時間と戦い、最終的な勝利を手にするため、すべての困難を乗り越えなければならない」≪「救助活動は最も重大な局面」被災地入りの胡錦濤主席≫(MAN産経/2008.5.16 20:52 )

3.四川省に向かう機中で「地震発生からすでに72時間以上が過ぎたが、人命救助は依然として最も重要な任務だ。負傷者の治療や、交通、通信、電力など基礎的なインフラの復旧も急がなければならない」≪胡錦濤主席が綿陽市に到着≫(日経新聞/08.5.16))

 すべては人命救助=「国民保護」を念頭に置いた、そのことを最優先課題とした発言となっている。

 国民を「保護する責任」を有することから当然の措置とは言え、国家権力者としてかくこれ程までに「国民保護」に関して最優先課題の軸足を置きながら、ミャンマー軍政当局の民主化デモに対する武力弾圧やサイクロン被災者に対して窺うことができる「国民保護」の放棄とも言える不備・欠如に「内政問題」だからと鈍感でいられる態度の違いは明らかに自己に降りかかる責任の有無からきているのだろう。

 地震被災者救済に対応遅れや不手際があったと認められた場合、国家の指導者としての評価を落とし、その地位からの失脚の可能性も生じる。失脚した場合歴史に記録され、世界中の人間に記憶される不名誉を担うことを意味する。

 だがミャンマー問題に関しては中国の国益のみを考えていれば、「国民保護」の責任から自由でいられる。いわば中国に於ける「保護する責任」は国連の規定に反して国際社会的な相互性を無視した単独主義と化していると言える。

 この自国民のみを対象とした「保護する責任」(「国民保護」)の単独主義は同時に国や政治体制によっ人間に差別を与える政策行為となる。極端な言い方をするなら、中国に経済的利益や軍事的利益をもたらす友好国であるミャンマーの軍政が維持されれば、ミャンマー国民はどうなってもいいという差別主義を外交政策としているということである。

 自国民に対する「国民保護」だけではなく、政治権力の犠牲となっている他国民の保護まで考慮してこそ、国連が規定した「保護する責任」に於ける国際的相互性を担うことができるのだと思うのだが、どんなものだろうか。四川大地震の救済で見せる「国民保護」から学んで、ミャンマー軍政の犠牲となっているミャンマー国民の窮状に思いを馳せたなら、ミャンマー軍政を「内政干渉」あるいは「内政問題」だとして擁護することはできまい。


 参考までに。

 「救援強行」揺れる国連 ミャンマーサイクロン被害(『朝日』朝刊/08.5.17)

 自然災害にあえぐ国民を国家が十分に救おうとしないとき、国際社会はその主権を侵してでも救援を強行すべきか。ミャンマー(ビルマ)のサイクロン被害が国連に重い問いを突きつけている。閉鎖国家の中で苦しむ人々の救済のために世界は何ができるのかの論争でもある。
 仏 保護する責任 中国 内政干渉

 今月7日(08年5月7日)、安全保障理事会の非公式協議。ミャンマーの軍事政権が国際援助を拒み続けている問題をめぐり、フランスと中国が激しい論戦を繰り広げた。

 「サイクロン自体は自然災害だが、その後は人災だ。疫病などで新たな被害の波が押し寄せてる恐れがある。早急に介入すべきだ」

 中国「国内問題に介入すべきではない。国際法上も災害救援のための強制介入を認めた合意や取り決めはない。そんな空論は時間の無駄だ」

 仏側には米、英、ベルギーなど、中国側にはロシア、南アフリカ、リビアなどがつき、安保理は分裂状態。協議は今後も続く見通しだ。

 仏などが介入の根拠としているのは、05年に国連で採択された「保護する責任」 と呼ばれる合意だ。すべての国家は国民を守る責任を負う。それができなければ、国際社会が強制代行する責任があることをうたっている。
 
 ただその合意が主に想定していたのは、集団虐殺や民族浄化などの政治暴力や迫害だった。自然災害への対処は強制介入の発動対象に含まれるのか議論はなかった。

 仏は今回のミャンマー問題について「情勢は急速に政治化しつつある」 と主張している。軍政は自力で救助活動を十分に施す能力がないのに国際援助を拒むのは政治的行為であり、その結果として人命の大量喪失が起きるのを防ぐ責任が国際社会にあるとの考えだ。

 国連は、ミャンマーの被災地で250万人が脅威にさらされているともている。これまで空輸による物質の投下など限定的な救援はあったが、「大規模な地上活動なしに実効的な救援はありえない」(英NGOオックスファム)。仏英米はミャンマー沖に海軍艦船を展開しており、上陸用舟艇やヘリコプターなどを駆使した本格救援活動の準備態勢をとっている。

 しかし、中国は激しく抵抗している。国連筋によると、中国代表は安保理で「『保護する責任』が天災に適用される道理はない。フランス人はインテリと思っていたが、議論を持ち出す場を間違えたのではないか。自分の外相のところに行って議論したらどうか」と外交上異例とも言える言葉遣いで反論した。

 中国は最近の安保理では、ミャンマーの民主化を求める2度の議長声明に同意する譲歩をしてきたが、今回は一歩も譲らない構えだ。もし災害救助を国際介入の大義に加える前例を認めれば、もう一つの閉鎖的な友好国・北朝鮮への適用の可能性も生まれる。しばしば起きる大水害による被災と飢餓も当然、「保護する責任」の範囲内に入る。さらにチベットなど中国自身の敏感な「内政問題」にまで波及しかねない。

 そんな中国に同調するリビアなども国家体制の安定のために国際介入を嫌う国々だ。安保理を分かつ賛否両派の対立は根源的な国の価値観の違いに根ざしている。

 キーワード【保護する責任】 05年の国連総会特別首脳会議が採択した「成果文書」に盛り込まれた理念。ルワンダの虐殺などを教訓に、危険にさらされた人間は国家だけではなく国際社会にも守る責任があるとし、必要な場合は安保理を通して共同行動をとることをうたった。
 同年に創設60周年を迎えた国連の包括的改革の一環。03年のイラク戦争後の混乱で米国の単独行動主義の限界が露呈した中、国際社会は多国間主義で人道危機に対処することを申し合わせた形だった。実際に発動されたケースはまだない。

 欧米も賛否分かれる

 欧米側でも賛否両論が交錯している。「国連は人道介入の約束を忘れたのか」(米ワシントン・ポスト紙)という積極論の一方で、イラク戦争などを教訓に「介入はむやみに行うものではなく、綿密な検討が必要」(英ガーディアン紙)との慎重論もある。それは主に強制援助に伴う欧米側のコスト負担を懸念したものだ。

 そもそも援助の強制執行ができるのかとの疑問も多い。米欧がミャンマー国内に物資を運び込むために港湾を開放させ、軍艦船を接岸し、領内に多数のヘリコプターを飛ばす活動が軍政の承認なしに可能なのか。救援目的とはいえ、領内に侵入した外国軍にミャンマー軍が攻撃を加える事態になれば、「被災地」は「戦場」と化す。そうした懸念から「現時点では強制援助が懸命な選択肢とは思えない」(ホームズ国連緊急援助調整官)と国連内にも異論がある。

 それでも仏政府が今回、国連の場で「保護する責任」の初適用を発案したことは、災害救助の論議に一石を投じたことは間違いない。安保理論争の中で起きた中国四川省の大地震を受けて、中国がかつての閉鎖的な態度から一転、国際支援の受け入れを示したことは「前向きな成果」とみる向きもある。(あらゆる選択を試みないことには、被害結果に応じて国の責任が問われることになるからだろう。たいした人命救助ができなかったということになれば、政府の救助体制の不備を問われ、天安門事件のように歴史に刻み込まれることになる。)

 国連では近年、失敗国家閉鎖国家の内部で起きる国民の大量死を防ぐことができなかったことをめぐる焦燥感が漂っている。スーダンのダルフールやソマリアに加え、イラクの混乱にも有効な手を打てずにきた。

 そんな中で、人権侵害への積極介入論者であるクシュネル仏外相が「保護する責任」を新たな武器に掲げ、国家ではなく人間の安全保障をのための「攻め」の声を上げたことは野心的な試みとして評価されている。

 最優先で保護すべき者は国民か、国家体制か。そんな基本的な価値認識を共有できない閉鎖国家とどう向き合い、政治の壁を越えて人々の窮状を救うために何ができるかのか。未曾有の災害を契機とした国際的な模索に、日本ももっと積極的に参加すべきではないか。 
 記事はミャンマーに対する人道的介入が軍政当局の抵抗にあって戦争化する危険を指摘しているが、ミャンマー最大の後ろ盾である中国が「内政不干渉」の看板を取り下げて賛成したなら、軍政当局と言えども、直ちに軍事独裁体制崩壊につながりかねない戦争を自ら引き起こす可能性は限りなくゼロに近いのではないだろうか。

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