拉致「国民大集会」は自民党拉致外交無策をカムフラージュする壮大なムダ遣いとならないか

2008-05-31 08:36:57 | Weblog

 「金正日が独裁者の地位にいる限り拉致解決なし」のスローガンを解決策とせよ

 来月6月8日の福島での国と県共催の「北朝鮮に拉致された日本人を必ず救出する国民大集会INふくしま」は順次全国各地で開催していくという。
 
 開催に先立って「拉致被害者家族会」の飯塚繁雄代表と救う会全国協議会の佐藤勝巳会長、救う会ふくしまの菅野重信代表及び内閣府の担当者2人が福島県庁を訪れて支援を訴えたと5月22日「河北新報」(≪来月、福島で救う会 地方で初、国が共催≫が伝えている。

 「国民大集会」開催趣旨はNHKニュースは「北朝鮮による拉致問題の解決に向けた進展が見られないなか、世論をいっそう喚起するため」と言っていた。

  「解決に向けた進展」は外交活動がカギを握っているのであって、今までの世論が役に立っていなかったのと同様に、改めてちっとやそっと世論を喚起したからといって情報操作国北朝鮮に届くわけのものであるまい。ましてや北朝鮮の将軍様金正日の耳をピクリとも刺激することもないだろうし、犬の遠吠えほどの効果もないと思うのだが、「大集会」と銘打っているところをみると、期待度を高く置いているようである。

 但し「集会」を「大集会」とするためにはそれだけカネがかかると確実に言える。

 具体的にどういう言葉で支援を訴えたのか、5月22日の「読売新聞」インターネット記事によると――、

 飯塚代表「拉致に対する関心が低くなっていく懸念がある。何が何でも取り返すという地方の人たちの多くの声を、今後の外交でのカードとして伝えたい」≪「拉致救出大集会成功を」家族会代表ら県庁訪問≫

 応対した佐藤県知事「県民に声をかけて、心は一つだといえる大会にできるよう努力したい」

 同じ日付けの上記「河北新報」インターネット記事は飯塚代表らの声として「運動が長引く中で、国と地方、住民らが一体であることを北朝鮮に訴えたい」

 「毎日jp」記事(≪北朝鮮・拉致問題:日本はあきらめない 家族会代表ら、知事を表敬訪問 /福島≫2008年5月22日 地方版)は――、

 飯塚代表「拉致問題を風化させてはいけない。地方と中央が連携し、日本はあきらめないという意気込みを北朝鮮に伝えたい」

 要するに日本国民は政府共々一体となって拉致解決に向けて決して諦めていないという姿勢をアピールする目的の「国民大集会」だということだろう。だが、それがどのような「今後の外交でのカード」となると言うのだろう。

 そういったことばかりか、そういうふうに支援を訴えなければならないところに逆に解決が長引き、国民の関心が薄れ風化しつつある現実を如実に物語ることになる。

 実際問題としても交渉が何ら進展せずに膠着状態のまま長い日数が経過している。国民の関心が他に向いているのは事実で、そのような中での運動なのだから、「大集会」とならなかった場合、却って「風化」を直接的に炙り出すこととなって単に計画倒れだったで片付けるわけにはいかなくなるに違いない。

 その逆をいって「風化」を払拭するためには「大集会」と銘打ったとおりの規模を実現させて看板に偽りありを避けなければならない。当然のこと、カネだけでなく、出席の頭数もそれ相応に揃えるために動員も避けて通れないということになるのではないだろうか。集会がただの集会ではなく、「大集会」と言うことなのだから、動員もただの動員では済まなくなり、「大動員」ということになったなら、またそれなりにカネもかかることになる。教育タウンミーティングと同様の結末に至らないだろうか。

 日本政府が拉致問題解決に向けて北朝鮮当局に常に現在進行形で丁々発止の交渉を行っていたなら、マスコミも取り上げ国民もそれら報道をそれなりに注視することだろうから、そのことが風化防止の最善策なのだが、そのような最善策を政府が示せずに無策でいることが招いた「風化」であろう。そういった無策の裏返しとして演出した余儀ない窮余の策、あるいは想像力貧しくも策としてそれしか考えつかない「国民大集会」なる仕掛けのように思えて仕方がない。

 いわば拉致解決は日本政府の外交上の交渉術にかかっているのである。いつまで経っても実効性ある交渉が期待できない状況にあるから、拉致被害者の家族会はアメリカの対北朝鮮圧力を期待してアメリカを訪問し、ブッシュ大統領に協力をお願いしたものの、アメリカと北朝鮮との核交渉のトバッチリを受けてその後の経過は思わしくなく思いついた次の一手が「国民大集会」ということであり、言ってみれば日本政府自身にしても自らの外交上の無為・無策の代償行為でしかない。

 日本政府の無為・無策が招いた拉致問題解決の膠着化であり、「風化」でありながら、そのような無為・無策の国に家族会は「国と県共催」の形式で性懲りもなく頼る。「国民大集会」がいくら盛り上がっても、それが新たな外交上の切り札になるというなら問題はないが、国内現象にとどまる可能性が高く、北朝鮮との交渉に於ける日本政府の無為・無策に変化はないこととなり、結果的に全国各地で開催される「北朝鮮に拉致された日本人を必ず救出する国民大集会」は「これだけ盛り上がった、参加者が何人集まった」と誇り、それをマスコミが一時的に報道するだけの単なる形式的な手柄で終わる確率は高く、拉致解決に何ら影響しないとなれば国と県がかけた予算は空費・ムダ遣いで幕を降ろすことになる。

 そうなった場合、新たな一手でありながら、日本政府の無策をカモフラージュする無策に無策を重ねる活動でしかなかったことになり、一方被害者家族会にとっては家族会の活動のための活動という儀式の類だった性格を帯びることになる。

 そもそも2002年9月の小泉訪朝による拉致問題交渉と金正日の謝罪、「8人死亡5人生存」、そして生存者5人の帰国からして、戦争補償と経済援助欲しさに北朝鮮側から仕掛けた外交交渉であって、日本側の拉致解決に向けた外交政策が功を奏したものではない。しかも小泉は相手が提供した「8人死亡5人生存」の事実と「5人帰国」で金正日と手を打ち、国交正常化交渉に入るつもりでいた。提供された事実で終わるのではなく、その当座小泉に拉致の真相と「8人死亡」の真相を追究する意志が少しでもあったなら、金正日から大量のマツタケを土産に頂いてくることなどできもしなかったろう。マツタケを金正日からの贈り物として受入れたこと自体が会談そのものが提供された事実で終わらせる手打ち式だったことを証拠立てている。

 真相究明に思いを馳せ、尚且つ北朝鮮国民の多くが飢餓に苦しみ、餓死者を出している実情を考えたなら、素直にマツタケなど受け取れなかったはずである。だからと言って「飢餓に苦しむ国民に与えてください」とは相手に対して失礼になるから言えないというなら、13人は日本国民である。北朝鮮側の説明は「特殊機関の一部の個別的英雄主義者たちの犯行」としていたが、彼らがどのような必要性を理由として如何なる方法で北朝鮮に拉致され、北朝鮮でどのような生活を送らされていたのか、一般の北朝鮮人との生活なら拉致が口から口へと伝わる恐れから監視下の生活を余儀なくされたことは想像に難くなく、「拉致被害者家族だけではなく、日本国民に拉致の真相を伝えなければならない責任を総理大臣として担っております。その真相究明が果たすことができ、すべての情報を被害者家族と国民に知らすことができて総理大臣としての責任を果たしたとき、お土産は素直に頂くことができるでしょう。勿論全面解決の暁には貴国の経済復興支援のために日本は最大限の援助を惜しみません」と言って、体よく断るべきだったろう。

 ところが「8人死亡・5人生存」の相手が与えた事実を国交正常化交渉の手打ちと思い定めていたから、マツタケはそのお印として何の考えもなく素直に受け取ることができた。

 だが、日本国民は外国人による日本人に対する拉致という暴力行為の残虐さに怒り、「8人死亡」の事実に納得せず疑い、その線で世論が沸騰して日本政府をして「拉致解決なくして国交正常化なし」の原則を担えわせることとなった。

 ところが拉致問題は拉致被害者とその家族の帰国のみの限定的な成果にとどまったまま解決に向かうどころか、小泉も安倍も誠実などクスリにもしていない金正日相手に「ピョンヤン宣言の誠実な履行を求める」と「圧力と対話」のバカの二つ覚えを念仏のように唱えるだけで埋め合わせてきた。

 日本人拉致に限らず、韓国人拉致、その他の国の人間の拉致は北朝鮮では将軍様に祭り上げられている金正日が首謀者なのである。辛光洙なる日本生まれの北朝鮮系人物が韓国でスパイ活動で逮捕された際、拉致した日本人になりすまして韓国に潜入したことを自白、国家保安法により死刑判決を受けたが、後に無期懲役に減刑、当時の金大中韓国大統領の太陽政策による恩赦を受けて北朝鮮への帰国を果たし、「非転向長期囚」の功績によって国旗勲章一級授与の英雄に祭り上げられたのは誰が首謀者か自白しなかった意志行為の優れた見本とし、そのことに最高の褒章を与えて他の者が後に続くことを狙った口止めの意味合いも持たせてもいた特別待遇であろう。

 首謀者である金正日が独裁者として生存している間は自らの悪事を隠すために拉致の全面解決は望めないと観念しなければならない。金正日が国内的な力によってか、外国の力によって独裁者の地位から転落した場合、真相解明と解決への道は開かれる可能性が生じる。

 しかし、その望みが果たせず、金正日が父親の金日成から受け継いだ独裁権力を金正日自身を経て自分の子供の一人に継承させる金王朝の継続を選択した場合、独裁権力を継承した子供は自己の権力継承の正統性を証明するためにも父親である金正日の拉致という悪事を暴露するわけにもいかず闇に葬り続ける努力を続けるだろうから、やはり拉致の真相解明と解決は困難となる。

 金正日にしても将軍様として崇拝を受けている自らの偶像を破壊するわけにはいかず、拉致悪事を隠し続けるための最善の方策として権力の父子継承に執着するだろう。

 となれば拉致家族会がなすべきことは、拉致問題の風化防止と世論喚起のために全国各地で「北朝鮮に拉致された日本人を必ず救出する国民大集会」といった対北朝鮮拉致交渉に外交上の有効な切り札となるとは思えない活動を行うことではなく、「拉致解決なくして国交正常化なし」のスローガンを「金正日が独裁者の地位にいる限り拉致解決なし」のスローガンに変えて金正日を独裁政権の座から引きおろす運動を起こし金正日自身にプレッシャーをかけるか、金正日独裁権力の父子継承にストップをかけて、次世代に解決の希望を託すかすることではないだろうか。

 後者に期待をかけるためにはアメリカや中国にも権力の父子継承の反対を働きかけなければならない。

 偶然が僥倖を与えてくれる以外、小泉純一郎や安倍晋三といった単細胞政治家に頼っていては何ら成果を見ることはないだろう。

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