ミャンマー問題/人的支援受入れの成果に飛びついた(?)潘基文

2008-05-27 09:10:13 | Weblog

 25日(08年5月)の日曜日のブログで紹介したことだが、サイクロン被災民救済のための人的支援受入れ拡大要請のためにミャンマーを訪問していた潘基文国連事務総長と自宅軟禁中のミャンマー民主化運動家のスー・チー女史との面会がセットされなかったことについて土曜日24日の『朝日』朝刊≪時時刻刻 当然の対応ようやく≫が部分記事《軍政、復興資金へ思惑》は、政治こそが問題の国で、被災者を人質に取られた国際社会の代表は、政治を語れない状況におかれている。>と会談が実現しなかったことに歯がみする思いを吐露していたが、昨月曜日5月26日の朝刊(≪スー・チー氏解放求めず ミャンマーに 国連・潘基文議長「今回は目的が違う」≫)では潘議長がバンコクでの記者会見で自らの口から「今回は人道援助が目的で」あって、政治「問題について話す機会はきっとくる」と会談を別機会に譲ったことを明らかにしたと伝えている。
 (左写真/CNN記事から
 「寄付された食料の配給を受けるヤンゴンの子どもたち」)


 但し記事は軍政側からの<「議題を人道援助に限定し政治問題を絡めない」との条件をのまざるを得なかったとみられる。>と、相手の要求に応じて「人道援助」という成果を優先させ「政治問題」は切捨てたのではないかと推測している。
 
 切り捨てたと言って悪ければ、無視したと言うべきか。決して後回しにしたとは言えないだろう。後回しとは順序を変えるだけで、片付ける点は同じなのだから、そのことと違ってスー・チー女史の自宅軟禁からの解放は片付かない問題として続き、同『朝日』記事も言ってることだが、今後とも片付く見通しは立っていないのだから、「その問題について話す機会はきっとくる」としても、「話す」機会だけで終わる確率は高いと言わざるを得ない。このことは「話す」こと(=会談すること)自体が目的となる自己目的化の変質の可能性を示すことにもなる。

 勿論今回の機会を把えて「政治問題」に取り組んだとしても、話すだけで終わる自己目的化を成果としない保証はない。だからこそ、自己目的化を避けるためにも如何なる機会も逃さずに<「政治問題を絡め」>る方策を講じるべきではなかったろうか。

 だとしても、人道援助優先は一見妥当な選択のように見える。何しろ5月16日時点で軍政府が発表した被害人数は死者は8万人に迫り、行方不明者は6万人に迫っているのである。国連推計では死者、行方不明者とも10万人を超えるのではないかとしている。

 このように被害者数を早急にははっきりと確定できないということは被災民は被害を受けたままの状態で、あるいはほぼそれに近い状態で放置され、困窮の真っ只中にあることを示している。そのような状況下にあるサイクロン被災国民を救うことを優先させ、「政治問題」には口にチャックを閉めたとしても間違った選択ではないと受け取られるに違いない。

 多分「議題を人道援助に限定し政治問題を絡めない」との交換条件を獲ち取るために軍政はまずテイン・セイン首相に「被災者支援の局面は終わり、既に再建段階に入った」と、誰もがそんなはずはないと分かっていることだから、滅茶苦茶なことを言わせて人的支援受入れ困難と一旦は思わせ、是が非でも受入れさせたい事務総長側の要求のハードルを下げさせたと疑うこともできる。

 だが、<「議題を人道援助に限定し政治問題を絡めない」との条件>を突きつけられたとしたなら、「すべての政治勢力が力を合わせて対処しなければならない規模の大災害であり大被害ある。サイクロン接近も民主主義制度の重要な根幹を成す「情報公開」制度を有せず、それが機能しなかったことも原因とした被害拡大だったと考えると、このことを教訓に野党勢力と和解し、すべての政治勢力が一致協力して救済と復興に当たると共に民主化にも向けて大きく舵を切るときではないか。ミャンマーの民主化ということになれば、スー・チー女史も当然ながら参加の資格を有すると主張すべきではなかったろうか。

 多分、そういった主張は一応は試みたに違いない。しかし結果として「政治問題」に関しては相手の要求に従った。

 もし事務総長側が<「議題を人道援助に限定し政治問題を絡めない」>を拒否した、それでは軍政側としては人的支援は受け入れることができないと言うことなら、その条件とそれが引き出すこととなる結果を国際社会に公表しなければ子供の使となって私の立場を失う。人的支援受け入れ拒否は多くの被災国民を政府が見殺しにすることに等しく、公表した場合、国際社会の批判を浴びることになり、国際的立場だけではなく、いずれは見殺しにされたことを多くの国民が知ることとなって、国内的にも立場を悪くすることになるのではないのか。そのことばかりか人的支援の受入れ拒否は国際社会からの復興のための財政支援を難しくすることでもあり、国家運営にも支障を来たすことになるだろうと反論したなら、果して軍政側はどういう態度に出ただろか。試しにでも言ったのだろうか。

 人道支援受け入れを認めさせるためにたいした意見主張も反論もせずに「政治問題を絡めない」ことを逆に簡単に受入れたとしたら、潘基文は国連事務総長としての成果を人道支援受入れを手柄とすることに置いた取引だったと疑われても仕方がないし、その疑いが限りなく濃厚だと言わざるを得ない。

 いずれにしても人道的支援を行うことができたとしても、民主主義を伴わない人道支援は、それがどのような形式を取ろうとも被災民にパンのみを保証するものとなるだろう。民主主義と自由を保証しない政治が国民に意味するものは過酷な鎖でしかない。人間精神を抑圧状況下に追いやってパンのみにて生きる国民を多くつくり出す試みに過ぎない。

 となれば、スー・チー女史釈放はミャンマー民主化の試金石となるのだから、人道的支援受入れと「政治問題」と二兎を追う騙し合いの賭けに出るべきではなかったろうか。一兎も得ずで被災民が現状以上の困窮に追いやられる危険性を覚悟でミャンマー軍事政権をも現在以上に国際的にも財政的にも孤立化させる、彼らにとっての危険性を同時に覚悟させる賭けである。

 どちらが自らの覚悟に耐え得るかが勝負の分かれ目となる。 


 ≪スー・チー氏解放求めず ミャンマーに 国連・潘基文議長「今回は目的が違う」≫(『朝日』朝刊/08.5.26)

 【バンコク=柴田直治】国連事務総長として44年ぶりにミャンマー(ビルマ)を訪れた潘基文氏は、サイクロン被害の救援関係者受け入れ拡大を軍事政権に承諾させたことを成果に25日、日程を終えた。だが、自宅軟禁が続くかどうかの瀬戸際にいる民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんに、手を差し伸べることはできなかった。

 軍政のタン・シュエ国家平和発展評議会議長と23日、トップ会談した潘氏は、スー・チーさんら政治犯の解放を求めたのか。24日、バンコクの記者会見で質問が飛ぶと、潘氏は「今回は人道援助が目的だった」と答え、会談で触れなかったことを確認。「その問題について話す機会はきっとくる」と釈明した。

 しかし、スー・チーさんの軟禁問題は今がまさに正念場だ。軍政は昨年5月5日、軟禁の1年延長を宣言しており、本来なら25日には解放するか、軟禁を続けるか何らかの根拠を示さなければならないはずだ。だが、軍政は態度をはっきりさせていない。

 スー・チーさんが03年5月30日、同国北部を遊説中に拘束されてから、間もなく5年。国家防御法裁判抜きの拘束を5年までとしている。同法の適用が決まった段階から数えると、期限は半年ほど延びるが、国民から絶大な支持のあるスー・チーさんを解放することは考えにくく、法の運用を変えたり無視したりする可能性がある。

 潘氏はこれまで特使を3度派遣、タン・シュエ議長に書簡を送り、スー・チーさんらの解放や民主化プロセスへの参加を呼びかけてきたが、今回の訪問に当たっては「議題を人道援助に限定し政治問題を絡めない」との条件をのまざるを得なかったとみられる

 スー・チーさんにとって重要な時期に議長に会いながら、問題を持ち出すことことさえできなかったことに、失望する民主化運動関係者は多い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする