国連事務総長の潘基文(パン・ギムン)氏が5月22日、サイクロン被災への国際社会からの人道支援を拒否しているミャンマーの最大都市ヤンゴンを訪れ、軍事政権のテイン・セイン首相と会談して人的支援の受け入れを求めた。
(asahi.com記事から/首都ネピドーで23日、会談したミャンマー軍事政権トップのタン・シュエ国家平和発展評議会議長(右)と潘基文国連事務総長=ロイター)
会談に1時間半もかけてどういう結末を得たかというと、5月22日の「asahi.com」記事≪ミャンマー軍政、支援受け入れ拒否 国連事務総長と会談≫は次のように伝えている。
潘氏「一国の対応能力を超えており、物資が迅速に到達していないことにいらだっている。必要なのは支援要員で、受け入れに柔軟になるべきだ」
テイン・セイン首相「被災者支援の局面は終わり、すでに再建段階に入った」
1時間半もかけた割にはあっさりとしたつれない結末となっている。
次の日の5月23日に潘基文国連事務総長は軍事政権トップのタン・シュエ国家平和発展評議会議長と初会談。これ程名と実体とが相応じていない人物も珍しいに違いない。軍事独裁者が「国家平和発展評議会議長」を名乗っているのである。ノーベル平和賞を受賞してもおかしくない名と実体との隔離と言える。
2時間以上続いたという会談の経緯を昨土曜日5月24日の『朝日』朝刊記事≪ミャンマー軍政、人的援助受け入れ合意 国連総長と会談≫は次のように伝えている。
<前日に自ら被災地を視察して被災状況を確認した潘氏は、国際社会による被災者支援の専門家や医師ら人的援助の必要性を訴えた。要員の受け入れはあくまで人道支援が目的で、政治的背景はないことを説得したとみられる。
これに対し、タン・シュエ議長は「純粋に人道支援が目的で、それ以外の行動をしないことが明確ならば、受け入れない理由は見つからない」と述べ、人的援助の受け入れを認めた。議長は終始無表情で潘氏の話を聞いていたという。>・・・・・
但し、<円滑な被災者支援への始動に「大きな進展」との認識を示す一方で、具体的な人的支援の受け入れについては「細目は決まっていない」と述べた>そうで、<24日夜のミャンマー国営放送は合意について全く伝えておらず、潘氏は「合意の履行が最も重要だ。世界中がミャンマーを見ている」と念を押した。>という。
記事は被災状況と軍政の対応を次のように伝えている。<ミャンマー南西部エヤワディ管区のデルタ地帯を中心に大きな被害を出し>ており、<国連の推計では被災から3週間たった今も最大250万人が避難生活を送っており、必要とされている食料や水、テントなどの緊急物資の2割も被災者には届いていない。軍政は各国からの物的支援は受け入れてきたが、人的援助は友好国の中国、インド、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国などの数カ国に限定し、各30人までしか受け入れを許してこなかった。 >・・・・・・・
そして『朝日』は「人的援助受諾」の理由を外交関係者の推測を交えて3点、同日付関連記事≪時時刻刻 当然の対応ようやく≫の中で《軍政、復興資金へ思惑》の副題で内幕風に挙げている。
1点は、一旦はテイン・セイン首相に人的支援受入れを断らせて期待値を下げておいて、譲歩の大きさと驚きを演出しようとした。
2点目は、王都と名づけた新首都(ネピドー)に国連の顔を呼びつけて、この国の権力の所在がどこにあるか国際社会に示したかった。
3点目は、ヤンゴンでの欧米も参加する支援国会議25日開催のタイミングに合わせて復興に必要とされるミャンマーの国内総生産額131億ドル(06年)に迫る100億ドル(約1兆円)を引き出す関係上、譲歩のカードを切った。
多分次の1点も付け加えるべきではないだろうか。たった一日経過した次の日の受諾である。すべての最終的決定権はテイン・セイン首相ではなく、タン・シュエ議長自身にあることを誇示し、自身の存在感を高める目的の勿体付けに一旦受入れ拒否した。独裁者というのは内実はケチ臭くできているから、金正日ならずともやることなのである。
「時時刻刻」は最後に次のように伝えている。
<これまで再三にわたってスー・チーさんの解放を求めてきた潘氏にとっては重要な節目のはずだが。軍政は今回の訪問中にスー・チーさんとの面会予定は入れさせなかったとみられる。
政治こそが問題の国で、被災者を人質に取られた国際社会の代表は、政治を語れない状況におかれている。>――――
国際社会からの被災者支援の専門家や医者といった人的支援もサイクロン被害復興支援金も被災者救済の「国民保護」に役立ちはするだろうが、それ以上に軍政維持救済の役に立つ背中合わせの貢献となり得ることは間違いない事実となるだろう。国際社会は平和を意図しながら、国民に物質的にはどうにか食いつないでいく安心を与えはするものの、人間らしく生き、活動する平和を保証できないままで終わる矛盾を残すに違いない。
そして軍政は5月23日に潘基文国連事務総長と被災者救済を議題とした会談をしておきながら、その舌の根も乾かない翌日の5月24日、サイクロン襲来で被災地以外は5月10日投票の予定通りに実施していた新憲法案の是非を問う国民投票を、優先すべき被災者救援を他処に被災地でも行う「国民保護」とは矛盾する行為を平気で行っている。
サイクロンの手痛い被害にも関わらず、被災民も軍政を支持している、軍政は信頼され、信任を受けた、軍政の災害対応は間違っていないと、それを投票賛成の形で示し、既成事実としたかったのだろう。
これらの権力維持を絶対優先とし「国民保護」を後回しとする矛盾行為を早急且つ全面的に解決するには軍事攻撃以外の方法はないのではないだろうか。もし中国が反対するなら、ミャンマーのサイクロン被災国民は中国四川大地震の被災国民と同じ状況に置かれている。中国政府は地震による被災国民の困窮を無視できず、「国民保護」の責任を果たすべくあらゆる努力を惜しまないに違いない。ところがミャンマー軍政はハリケーン接近の情報を外国から得ていながら、国民にその危険報知と避難勧告の「国民保護」に動かなかったばかりか、被害が生じたあとも被災国民救済の「国民保護」の責任を満足に果たしてもいない。「国民保護」という点で自国民、他国民の違いがあるだろうか。自国民保護には動くが、「内政不干渉」の原則を掲げて、他国民保護はその国の問題で外国には関係ないで済ますことができるだろうか。最優先すべきは自国民、他国民の関係なしに国家権力は「国民保護」の責任を負うという一点の成否でその存続価値を問うべきではないかと説得する。
幸い首都ネピドーはハリケーン被災中心地ヤンゴンの北320キロと離れている。その住人はタン・シュエ議長以下軍政関係者と軍政に保護され、軍政を間接的に支える彼らと同じムジナの位置にいるヤンゴンから移住させられた公務員を主体としている。軍事攻撃による人的被害は被災国民を救済・保護するための止むを得ない代償と見るべきだろう。あるいは自由を抑圧されたミャンマー国民を解放する代償だと。
米大統領選民主党指名争いで劣勢に立たされているヒラリー・クリントンが23日、選挙戦を継続する意思表示として「私の夫(ビル・クリントン前大統領)は九二年の大統領選挙で六月半ばまで勝利が決まらなかった。ロバート・ケネディ氏はカリフォルニア州で六月に暗殺された」(≪『ケネディ長官は6月に暗殺』 クリントン氏が選挙戦継続理由≫東京新聞/2008年5月24日 夕刊)と地元紙に語ったそうだが、逆転の望みがほぼなくなった状況でワラをも掴みたい願望、あるいは妄想がつくり出した抑えがたい思いだったろうが、願望、妄想の類で抑えておくべきで、決して口が裂けても言ってはならない言葉だったはずである。
ミャンマー軍事攻撃も抑えがたい思いではあっても口にすべき言葉ではないかもしれない。しかし広く世界にまで発言影響力がある人間が「今がミャンマーを軍事攻撃する最大のチャンスだ」と意図的に話し、上記理由を述べた場合、ミャンマー軍政に対する圧力とならないだろうか。何らかの圧力となれば、それはわずかながらにでもミャンマー「国民保護」の力へと転換されることになるに違いない。