麻生とその一派の「福田降ろし」大歓迎・日本の救世主 麻生後継

2008-08-20 05:58:13 | Weblog

 麻生の腰巾着だか太鼓持ちだか知らないが、麻生支持一派所属の甘利前経財相が「福田内閣の支持率が20%を切った場合には、選挙に不安を抱えている自民党議員から体制立て直しという声が出てくる。その時に党内コンセンサスが得られるのは、麻生太郎幹事長だ」と福田首相への宣戦布告なのか、単なる打ち上げ花火なのか、<18日、BS11の報道番組「インサイドアウト」の収録で、「福田降ろし」の可能性に言及し、早くも「ポスト福田」として麻生氏待望の「第一声」を挙げた。>と昨19日(08年8月)の「毎日jp」記事≪甘利前経産相:「福田降ろし」に言及 「支持率20%割れなら麻生氏」≫が伝えていた。

 記事は甘利太鼓持ちだか腰巾着だかの特に新味があるとは思えない今後の総裁選に対する見通しを次のように紹介している。

 <甘利氏は昨年9月の党総裁選で、所属している山崎派の方針に逆らい麻生氏を支持した。最近も麻生氏と政局談議をかわしたことを認め、「次の指導者を担ぐ事態が来たら、麻生さんも私も(党総裁選で)戦わないといけないという考え方は同じだ」と戦闘宣言。衆院解散・総選挙について「(衆院議員の)任期は来年秋だが、引っ張ると事実上、解散権を行使したことにならなくなる」と語り、早ければ予算編成が本格化する前の総裁選もあり得るとの見方を示した。【近藤大介】>――――

 麻生一派の「福田降ろし」陰謀賛成。麻生自民党総裁大賛成。人気の麻生で次の総選挙を戦う。麻生の自らが趣味としている「マンガ」とその「おたく性」をウリとした大衆煽動に乗った若者世代の麻生コール・麻生熱狂がマスコミのワイドショー化させた過熱報道の照射を受けてなお一層麻生コール・麻生熱狂を高め、麻生も若者たちも小泉がそうであったように社会の何様顔の主役へと高揚し、両者の相互反響し合ったその高揚をマスコミがなお過熱報道する三つ巴の高揚が湧き起って、報道が創り出す高揚した「麻生世界」がさも麻生の実質的政治性の忠実な反映であるかのように実体化させていくマジックをマスコミは社会全体に刷り込んでいくことになり、麻生はかつての小泉のように政治的教祖に祭り上げられることとなる。

 マスコミによる擬似民意の創出である。マスコミが伝える若者たちの麻生コール・麻生熱狂とその影響を受けた一般大衆の麻生騒ぎが民意そのものであるかのような錯覚を与えて熱病のように社会全体へと伝播させていく。

 麻生は小泉同様に知っている。大衆受けする姿を演じてそれが成功した場合、マスコミが取り上げて両者を社会的に露出させ、その報道が大衆に撥ね返って大衆をさらに熱狂させ、その一層の熱狂をマスコミが引き続いて取り上げて過熱報道する相互の煽動が熱狂を上昇スパイラルで循環させていくことを。

 この大衆操作マジックは小泉人気を側面から演出したマスコミの一極集中型報道形式から学んでもいたに違いない。

 かくして「小泉劇場」の再来、「麻生劇場」が出現する。ロングランとなるのか、不入りで早々に打ち切りとなるのか。日本のためなら、ロングランとなるべきだろう。

 麻生総理・総裁が誕生したなら、第二の小泉格差政治の開始となるだろう。その手始めが既に始まっている。「300万円以下の株配当・株譲渡益無税」提案がそれである。国内雇用者5千万人強のうち、その約5分の1に当たる1千万人を超えていると言われている年収200万円以下の低所得層は生活費・その他で貯蓄に回す余裕すらないはずで、当然株どころの騒ぎではない。「300万円以下の株配当・株譲渡益」を手に入れるにはどれくらいの金額まで株を所有していたなら、可能なのだろうか。所有可能なのは所得の高い層に入る生活が豊かな人間たちであろう。

 景気回復の梃入れ策として生活が豊かな人間たちを税制面で優遇し、その収入を増やすてさらに豊かにするお手伝いをし、200万円以下で暮らす低所得層は除け者とした、小泉・安倍政治を受け継ぐ格差政治である。

 だが、大衆はそんなことは考えない。若者と同じようにマンガを愛読し、「おたく」に理解があるというだけで自分たちの味方だと思い込んで政治・社会の救世主と崇め奉り、麻生を絶対視する。
 
 金子勝慶大教授が05年9月27日付『朝日』夕刊の『論壇時評』で、小泉構造改革で増大した「下流社会」の若者たちが自民党圧倒的勝利の05年の郵政選挙では小泉政治を支える側にまわったと指摘しているが、それと同じ構図を取るというわけである。

 02年2月に始まり、東京オリンピック翌々年からのいざなぎ景気を超えて戦後最長となった景気拡大がもたらした富が大企業や富裕層のみを潤し、低所得層には配分されなかった格差政治の造物主・小泉の出現に熱狂しながら、その格差がもたらした派遣やワーキングプアといった図式で復讐を受けることとなった仕打ちが「麻生劇場」でも再現され、その二の舞を受ける繰返しの予感である。

 麻生幹事長就任に当たって福田首相から政権禅譲をほのめかされたのではないかという憶測に対して甘利太鼓持ちだか腰巾着だか知らないが、「麻生氏と話したが、禅譲という話はない。総裁選をきちんとやる」と否定したと「asahi.com」(08年8月18日)記事に出ていたが、「禅譲」の話があったなら、「福田降し」に動かないだろう。

 だが、さらに裏を行って、「禅譲話」がないと思わせるために「福田降ろし」の動きを見せたと言うこともある。「禅譲」は政権の私物化と批判を受けかねないからだ。

 裏の裏を行くといったこの手の程度の低い権謀術数は政治能力が欠けている分、それを補う形で達者な日本の政治家だから、裏の裏を疑ってかかることも必要であろう。
 小泉政治に懲りなかった若者たちよ、麻生に熱狂するがいい。小泉に見た夢を再び麻生に見るがいい。

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