以前ブログに書いたことと重なるが、麻生前首相は大敗を喫した先の総選挙の遊説で次のように声を大にして自由民主党が「真の保守党」であること、そして「真の保守政党のあるべき姿」を訴えている。
「民主党は、今回の衆議院選挙を革命的な選挙にすると言っている。しかし、自民党は日本に革命を起こす気はない。我々は真の保守政党だ。・・・・我々は守るべきものは守る。家族や歴史、伝統、それに国旗や国歌、皇室をきちんと守っていくのが保守だ。守るべきものは守ったうえで、改革すべきものは改革するのが、真の保守政党のあるべき姿だ」(NHK)
「山陽新聞」Web記事によると、「守るべき」項目のうちに「日本語」も入れている。
そして「保守の論客」だという名前を奉っている中川昭一の死を麻生は次のように惜しみ、それを賛辞に代えている。
「保守の理念を再生していくうえでは最も期待されておられる人物だと思っていました」(asahi.com)
保守理念再生のホープだったと賛辞を送った。
いずれにしても日本の保守が守るべき大事な大事な項目は次のとおりとなる。
「日本の家族」、「日本の歴史」、「日本の伝統」、「日本語」、「日本の国旗」、「日本の国歌」、「日本の皇室」・・・・・
民主党の小沢幹事長は日本は「明治以来の中央集権制度」だと言って、それを抜本的に改めて「地方分権国家を樹立する」とする政策を掲げているが、日本の中央集権制度は権威主義的な封建領主制以来のもので、明治・大正・戦前昭和も、アメリカから民主主義を移入した戦後昭和に於いても中央が地方を、地方に於いても地方の中央が周辺を権威主義的に支配する中央集権制度を受け継いでいるのであって、その結果として小沢一郎その他が今以て中央集権制だ、官僚制などと言わなければならないことになっている。
官僚が政治家に対してはかなりソフトな巧妙さでだが、地方に対してはかなり一方的に上から支配する権威主義の構造を取った中央集権制だから、“中央集権的官僚制”と言っていいと思うから、今後「中央集権的官僚制」という言葉を使うことにする。
民主党は打破しようとしているが、自民党は戦後以来、中央集権的官僚制にどっぷりと浸かって国民を統治してきた。歴代の自民党政府は官僚を黒衣(くろご=自分は表に出ないで陰で操ること『大辞林』)として統治体制を築いてきたとも言える。あるいは二人三脚でと言ってもいいが、主役は常に政治家の陰に隠れた官僚であろう。政策づくりも国会答弁も官僚任せだったのだから。
ということは、自民党保守派が言っている「守る」とする「日本の家族」、「日本の歴史」、「日本の伝統」、「日本語」、「日本の国旗」、「日本の国歌」、「日本の皇室」は中央集権的官僚制に則った「守る」ということになる。
中央集権的官僚制に則っていると言うことは国を地方や国民よりも権威主義的に上に置いた構造での約束事としていることに他ならない。当然の形として、国民の形よりも国の形を優先させることになる。いや。自民党政治は国民の形よりも常に国の形を優先させてきた。小泉内閣はどうしようもない財政悪化を受けて国家予算を削減しなければならない状況に立ち入ったとき、国の形を優先する思想を引き継いでいたからこそ、社会保障費を削り、国民の生活を犠牲にする政策を打ち出すことだできた。
逆に国の形の優先(国家優先)から「日本の家族」、「日本の歴史」、「日本の伝統」、「日本語」、「日本の国旗」、「日本の国歌」、「日本の皇室」を読み解いていくと、日本の保守の姿が浮かび上がってくる。
先ず「家族を守る」と言っている。そこに国の形の優先を当てはめると、夫婦同姓を伝統としてきた国柄を守ることが当然のこととして優先事項となり、そこから夫婦別姓に反対という発想が出てきて、そのことを以って「家族を守る」一要素としていることが分かる。
いわば国民それぞれの価値観に従ったそれぞれの幸福よりも、それを無視して夫婦同姓を守ることで国の形の維持を図っている。
すべてが国の形への拘りにつながっている。これが日本の保守ということなのだろう。
このことは政治家等の次の言葉に現れている。
鴻池祥肇(女性問題を週刊新潮に報じられ辞任した自民党前官房副長官)「別姓選択制度を取り入れると、夫婦(家族)の一体感がなくなり、家族が崩壊する」
妻以外に愛人をつくっておいて、「夫婦(家族)の一体感」も何もあったものじゃないと思うのだが、「夫婦(家族)の一体感」と愛人との「一体感」を同時並行的に築く器用さを持ち合わせているらしい。愛人とホテルに泊まるとき、宿泊名簿に「同 妻」と書くことがあったと思うが、偽りの同姓ではあっても愛人との「一体感」を強く感じさせた偽装同姓だったに違いない。
田母神「夫婦別姓は仕事の都合上、姓を変えたくない女性が救われる効果はあるが、日本の家族制度を崩壊に導きかねない恐れがある。何よりも田中さんの奥さんが佐藤さんで、佐藤さんの奥さんが田中さんだなどというのは私にとっては漫画に思える。社会が混乱するだけではないか。多くの女性は結婚をしたら相手の姓を名乗ることに喜びを感ずるはずである。うちのカミさんだって最初は喜んでいた」
「最初は喜んでいた」は最近は田母神姓を喜んでいないと言うことなのだろうか。当たり前のことになって、何も感じなくなったということなのだろうか。
もし後者なら、「田中さんの奥さんが佐藤さんで、佐藤さんの奥さんが田中さん」といったことも周囲の人間からしても当たり前のことになる可能性は否定できない。
「夫婦(家族)の一体感がなくなり、家族が崩壊する」、あるいは「日本の家族制度を崩壊に導きかねない恐れがある」――
では、同姓なら常に「夫婦(家族)の一体感」を保つことができ、「家族の崩壊」を出来させない保証を確実に得ることができると言うのだろうか。
これが事実なら、「家庭内離婚」とか「家庭内別居」、あるいは「熟年離婚」といった社会現象は発生しなかったことになる。「熟年離婚」どころか、夫婦同姓によって「家族の一体感」が守られ、成田離婚も含めてどのような離婚も起きないことになる。
勿論、別姓だからと言って、その結婚が常にうまくいく保証はない。所詮、同姓も別姓も形式(ハコモノ)でしかない。そこに夫婦の絆を込めることができるかどうかは夫婦それぞれの資質にかかっている。家族制度が問題ではない。
それは事実婚であっても通い婚であっても同じであろう。
ところが日本の保守は旧来の家族制度を日本の伝統だとして国の形の一部に位置づけているから、国民の形(それぞの存在形式)よりも国の形(国の存在形式)を維持させる項目の一つとすることとなって、当然の経緯として旧来の家族制度が守ってきた夫婦同姓はいい、そこになかった夫婦別姓はダメだという発想になる。
ここにあるのは国の形優先(国家優先)のみである。
一頃騒がれた離婚後300日以内に生まれた子が遺伝的関係とは関係なく前夫の子と規定される「離婚後300日規定」(1898・明治31年施行民法772条)にしても日本の保守は夫婦別姓問題と同じく国民の形よりも国の形優先で把えている。
保守派の論客という地位を死んで失った中川昭一。
「300日問題の見直しを進める与党(当時)民法772条見直しプロジェクトチームの議員立法案は「『不倫の子』も救済対象になりかねず、親子関係を判断するDNA鑑定の信頼性にも問題がある」――
法務省の通達見直し「離婚後に妊娠したことが明白な場合を救済対象とし、離婚協議が長引いている間に妊娠したような事例は救済されない」――
両者とも離婚が成立しないうちに夫以外の男との性交渉は勿論、そのような交渉で生まれた「不倫の子」を「救済の対象」にすることなど以ての外だと言っている。
中川昭一の場合は、信頼性に問題があるから、DNA鑑定で誰の子かシロクロをつけることも反対だと言っている。これが日本の保守の論客中川昭一の夫婦観、親子観というわけである。一見しただけでは夫婦の形、親子の形のみを問題としているように見えるが、今の時代の国民の幸せはどこにあるのかという今ある国民の形の観点からの主張ではなく、1898・明治31年施行がそれ以前の歴史的・伝統的慣習を受け継ぎ、それ以後、法律による強制を加えて形づくられてきた日本の家族制度に立脚した主張である以上、国の形を維持・優先する観点からの主張であることが分かる。
国会対策委員会幹部「離婚して別の男の子を出産しようとはけしからん」――
離婚してからでも、最初の夫以外の男との間の出産を怪しからんと言っている。
長勢法相「貞操義務なり、性道徳なりと言う問題は考えなければならない」――
国家権力が関与すべきではない個人の問題を国家権力によって統制したい意志を疼かせているが、このような疼きも国の形を優先させていなければ出てこない発想であろう。
「家族の再生」を掲げ、伝統的な家族の価値観を重んじている安倍晋三元首相
「わが国がやるべきことは(772条の)民法改正ではなく、家族制度の立て直しだ」――
要するに772条を維持することで、それが義務付けている旧来の家族制度から外れた今どきの家族の形を旧来の家族制度が規定している家族の形に戻す「家族制度の立て直し」が必要であり、それを「国がやるべきこと」だと言って、国の義務としている。
旧来の家族制度の維持を国の義務とするということはそのような家族制度を国の形の一つとしていて、それを守ることを優先的な目的としいるということであり、それを日本の保守の役割としていると言うことであろう。
日本の保守が掲げる「日本の家族]を守る以下、「日本の歴史」、「日本の伝統」、「日本語」、「日本の国旗」、「日本の国歌」、「日本の皇室」を守るは皇紀2669年の長きに亘って伝統としてきたこれまでの日本の形を守るという一言に尽きる。それぞれが日本の保守が言う国の形を形づくっている事柄だからだ。
このことは安倍や麻生、そして中川昭一等の日本の保守が天皇主義者であり、と同時に国家主義者であり、さらに日本民族優越主義者であることからも指摘できる。そのような主義主張が守るべき項目と重なるからだ。
麻生太郎の場合について「国を守る」を言うと、麻生太郎は日本は「一文化、一文明、一民族、一言語の国」だと賢くも言ったが、これは「一文化、一文明、一民族、一言語」を守ると言ったことと同じ意味を成す。守らなければ、自身が誇っている「一文化、一文明、一民族、一言語」という日本の国の形を守ることができなくなる。「一文化、一文明、一民族、一言語」という日本の国の形を失うことにつながる。
これは麻生一人の問題ではなく、安倍や中川、それ以下の日本の保守が総じて掲げる思想であろう。
時代の趨勢、世界の趨勢といったいわば外圧を受けて、あるいは世界的なグローバル化の恩恵を日本も受けているバランス上、以前程ではないが、難民認定が厳しく、なるべく難民を入れようとしない国の姿勢、あるいは外国人の日本国籍取得(帰化)に厳しい条件を課して外国人を日本人としない姿勢はやはり「一文化、一文明、一民族、一言語」という日本の国の形を守ろうとする意志の衝動を受けた方向づけに他ならないはずだ。
「Wikipedia」に記載の2005年の各国の難民認定のデータだが、アメリカ難民認定申請数39240人に対して難民認定者数は19766人、認定率50.4%。日本の場合は難民認定申請数384人に対して難民認定者数は46人、人道的配慮による在留許可数97人、認定率12.0%となっている。
より大きな問題はアメリカは人道的配慮による在留許可数は0に対して、日本は難民認定者数の46人の倍以上の人道的配慮による在留許可数97人となっていることである。「人道的配慮による」と銘打っているが、あくまでも“認定”ではなく、「在留許可」に過ぎない。
外国人が日本人として住むことへの拒否、難民を最小限にとどめようとする国の意志を見ることができる。このことは難民の多くが有色人種であることも関係しているに違いない。何りしろ、“他ニ優越セル日本民族”と自らを価値づけている日本の保守が支配してきた日本であった。
外国人の日本国籍取得(帰化)に関して言うと、血統主義の国籍法に現れている。1985年の国籍法改正までは父親が日本国籍を有している場合のみに限って、相手が外国人女性であっても、二人の間に生まれた子どもは日本国籍を取得できる制限を設けていたが、これは日本人の男の血優先の思想であるが、法改正後、父親か母親かいずれかが日本国籍を有していたなら、相手が外国人であっても子どもは日本国籍を取得できるようになったのも時代の要請という一種の外圧からで、日本で生まれた子供で両親の国籍が判明しない場合は例外として出生地主義により日本国籍が取得可能であるものの、在日外国人の両親の結婚で生まれた子供は日本国籍が取得不可能で、本人が現在の国籍を放棄して日本に帰化しない限り日本国籍が取得できない、ほぼ全面的に血統主義を取っている状況は「一文化、一文明、一民族、一言語」の国の形を守る意志と深く関わっているはずである。
いわば外国人の血を排して国の形を守る意志からの血統主義ということであろう。
谷垣禎一自民党総裁は永住外国人への地方参政権付与や夫婦別姓導入については「慎重な立場だ」と語ったと「asahi.com」が伝えていた。
日本が伝統としている権威主義的な中央集権的官僚制が守ってきた「一文化、一文明、一民族、一言語」の国の形を変えることに慎重という意志を見せたと言える。
安倍晋三がかつて言っていた「(国を)命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」にしても、日本の保守を担う一人らしく、「国が命を投げ打ってでも国民を守る」ではなく、「国民が命を投げ打ってでも国を守る」という国の形優先の思想の現れとなっている。
国連の女性差別撤廃委員会に日本に於ける女性の社会進出の遅れを指摘されながら、なかなか問題解決できないのも、男尊女卑を社会の形、最終的に国の形として伝統としていたために、その名残を今以て引きずっていることからの未解決であろう。
以上挙げてきた国の形を今現在の国民が希望する国民の形に優先させて守ることを日本の保守は自らの使命としているということである。
9月30日(09年)の「asahi.com」記事――《「夫婦別姓、来年にも国会提出」 千葉法相、強い意欲》が、〈千葉景子法相は29日、報道各社のインタビューで「選択的夫婦別姓制度」を導入する民法改正案について「早ければ来年の通常国会への提出を目指す」と述べ、実現に向けて強い意欲を示した。福島瑞穂・男女共同参画担当相(社民党)もこの日の記者会見で「私自身も実践してきたし、選択肢の拡大につながる」と話し、通常国会での成立を目指す考えを明らかにした。〉と伝えている。
民主党内にも改正に表向きは慎重、内心は反対の議員がいる。記事は続けて次のように書いている。
〈民主党はマニフェストの元となる政策集で「夫婦別姓の早期実現」と明記しており、千葉法相も「党として承認する政策だ」と述べた。ただ、法改正には与野党を問わず慎重な意見も根強く、結局、民主党のマニフェストには盛り込まれなかった。実現には、まず民主党内をまとめられるかが焦点になりそうだ。
結婚した際に夫婦同姓か別姓かを自由に選択できるようにする同制度は、96年に法制審議会(法相の諮問機関)がその導入を柱とする民法改正案を答申。法務省もその内容に沿って法案化に着手したが、当時の自民党を中心とした与党内から「家族の一体感が損なわれる」などと異論が噴出し、法案は提出断念に追い込まれた。その後、推進派の議員らが議員立法で20回にわたって法案を国会に提出したが、成立には至っていない。
千葉法相はこうした経緯に触れ、「法制審の答申があったのに、この間、実現しなかったことの方が異常という感じがする。答申に基づいた法案を、できるだけ早い時期に国会に提案できるように進めたい」と話した。通常国会で予算に関連しない法案を審議するには、3月までに法案を提出するのが通例だ。
法制審の民法改正案には、離婚を認める理由の見直しや婚外子の相続差別の解消も盛り込まれている。千葉法相は家族をめぐる民法の規定についても「旧来の家族法では対応しきれない問題も出てきている。個人の多様な生き方、家族関係、社会状況に対応できるように変えていく方向で考えたい」と述べ、見直しに前向きな姿勢を示した。(延与光貞) 〉――
法改正を実現させて日本の保守の国民の形よりも国の形を優先させる権威主義性を少しでも打ち砕くことができるかどうかである。もし打ち砕くことができなければ、民主党が掲げる中央集権制を打破して地方分権を確立するという政策も実質的な成果は覚束なくなる。
いや、そういったこと以上に民主党が自ら掲げる国民の形優先の“国民主権”に立つなら、その実現のためには国の形を優先させる日本の保守思想そのものの息の根を止めなければならないだろう。 |