特に皇室や皇族に関する情報はマスコミの公的な報道からでは窺うことはできない一般国民の考えを知る情報源としてインターネットに優る情報獲得場所はないように思える。
もしもそういうことなら、岡田克也外相が23日午前の閣議後の閣僚懇談会で国会開会式で天皇陛下が述べる「お言葉」の見直しを求めた問題にしてもマスコミの報道だけではなく、インターネット上に投稿してある主張・意見等に触れて、一般国民がどう把え、どう考えているか一通り目を通しているのではないだろうか。
天皇や皇太子がパソコンを操作してインターネットにアクセスし、あれこれの情報に接している姿を想像すると何だか楽しくなる。
皇族の発言は政治的に制約を受けているが、もしもインターネットに自由にアクセスして各種情報に自由に触れることまで禁止されているとしたら、日本は本質のところでは民主主義を装った独裁国家ということになる。天皇を国家権力に都合のいい情報で支配し、それをあるべき天皇像として国民の目に触れさせて、それを介して国民の意識を間接的にコントロールしていることになる。マスコミがつくったタレント像にファンが惑わされるように。
だが、実際はそうなっていなかった。
2001年12月18日の天皇の記者会見で記者から、「世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年、日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ、両国の市民レベルの交流も活発化していますが、歴史的、地理的にも近い国である韓国に対し、陛下が持っておられる関心、思いなどをお聞かせください」と問われて答えた天皇の発言は、小泉純一郎が2001年の自民党総裁選で「私が首相になったら毎年8月15日に靖国神社をいかなる批判があろうと必ず参拝します」と公約、首相になったものの中国・韓国の反撥から8月15日参拝を避けて2日前の8月13日に参拝したが、中韓の激しい抗議を受けて関係がギクシャクした3ヶ月後の記者会見であり、新聞・テレビだけではなく、インターネット等で得た内外の反応が頭になかったとは思えない。
天皇「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や、招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています。
私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし、残念なことに,韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。
ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として、互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ、このことを通して、両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております」(宮内庁HPから)
「武寧王の子孫」なる情報がインターネットからではなく、直接『続日本紀』を勉強して得た情報か何かではあろうが、国家権力に都合のいい情報で支配されていない証拠とはなり得る。
この発言だけからみると、天皇の発言が政治的制約を受けていないように見えるが、2001年12月23日の「朝鮮日報」記事――《全日本が沈黙してきた‘ルーツ’を言及「意外」》は、〈今回の発言が日本政府と事前の調整がなされた痕跡はなく、日王自らの判断によるものである可能性が高い。記者会見での質問は、慣例によって事前に提出する。しかし、宮内庁の実務者が準備した回答資料に「百済」や「武寧王」などの言葉はなかったと、いくつかの消息筋は伝えている。〉と、「宮内庁の実務者が準備した回答資料」から外れた異例の発言であることを伝えている。
「記者会見での質問は、慣例によって事前に提出する」は、2003年12月18日の天皇誕生日記者会見で、「70歳と申しますと杜甫の詩に『人生七十古来希』と詠まれた年齢です。とはいえ現代ではむしろ多くの人が迎える年齢で、当時とは意味合いも違ってきているように思われます。一つの節目として70年を振り返り、陛下ご自身に喜びや悲しみをもたらした出来事についてお聞かせください」との質問に対する天皇の回答、「質問に正しくお答えするために、紙を準備してきましたので、それに添ってお話ししたいと思います」から前以て質門内容が伝えられていることを窺うことができる。
天皇の発言が“異例”とは、政治的制約を受けているからこそ、その政治的制約が強制している天皇の発言の一般性に反する、その反撥の大きさを指しているはずである。いわば天皇の一般的な発言の中に入っていない、あるいは周囲が一般的に認めている天皇の発言の中に入っていない文言ということで、だから“異例”とならないように「回答資料」を「宮内庁の実務者が準備」することにしているのだろうが、このことは天皇が外的な有形無形の制約を受けている、あるいは自発的な有形無形の制約を自らに課していることとイコールを成すはずである。
日本民族の優越性を象徴させている「万世一系」を看板とした天皇家が朝鮮半島人の血を受けているということは日本の保守の単一民族主義差者にとっては都合の悪い話で、その発言は当然極めて“異例”な、政治的発言の部類に入る。
私は容量の関係でアップロードから外したままになっているが、自作HP「市民ひとりひとり」<第49弾 雑感AREKORE part9>〈2002.1.15(火曜日) アップロード〉に感想を次のように書いた。
平成天皇、単一民族説を自ら否定する
〈平成天皇は2001年12月18日、68歳の誕生日を迎えるに先立っての記者会見の中で、次のように述べている。
「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」
日本民族を優越的民族だとするためには、純粋民族(=単一民族)を条件としなければならない。混血民族とした場合、その優越性の根拠は薄れる。最悪の場合、優越性の勲章は混血部分の民族に奪われかねない。だからこその、跡を絶たない単一民族発言なのである。あるいは、中国・朝鮮半島からの文化や技術の伝播は認めても、人間の移動を黙殺してきた、一般性としてある歴史態度の表れなのである。
天皇自身、気づいているかどうか知らないが、自身の発言は純粋民族(=単一民族)を否定する内容のものであり、同じ記者会見での、「韓国から移住した人や招聘された人々によって様々な文化や技術が伝えられた」という発言も、人間の移動に関わる日本人の意図的な隠蔽に事実訂正を迫るもので、純粋民族(=単一民族)否定を補強する発言趣旨となっている。
このことは、国民の中にある、日本民族優越性の証明として優越的存在だとしている天皇自らの権威性を天皇自身が否定していることを意味している。〉――
日本の保守、単一民族主義者たちにとっては都合の悪いこの天皇発言を受けた単に事実を伝え、常識に添った解説を加える形のマスコミ報道だけではなく、マスコミ報道の常識的な情報処理を破った一般的な国民が記したインターネット上の書き込みを天皇は自分の発言の世間一般に与えた反響を知りたい誘惑に打ち勝って、覗かないでいられただろうか。
もし覗かなかったとしたら、人間味を感じないというだけではなく、発言から判断する国民の天皇自身に対する把え方に目をつぶることになる。
また、“否定”は単なる事実誤認から発している間違いの指摘、あるいは愚かさから発している間違いの指摘等の形式を踏むが、天皇の単一民族否定の“単一民族”は単純な事実誤認からではなく、愚かさから発している間違いと把えているはずで、にも関わらず、それ以降も日本の保守の「単一民族」発言は姿を消すことはないまま推移している。そのような状況に単一民族主義を否定した本人である天皇は無感覚でいられただろうか。
2004年の10月28日の天皇主催の元赤坂御苑での秋の園遊会で東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけたのに対して、天皇が「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と答えたことが、異例だとされた。
2004年10月28日の「asahi.com」は〈天皇が国旗・国歌問題に言及するのは異例だ。〉と伝えている。
対して宮内庁羽毛田信吾次長が、異例ではないと記者会見で答えている。
「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います。・・・・国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」(同asahi.com)
政治的発言ではないにウエイトを置いた発言となっている。だが、米長は東京都という一自治体の教育委員でありながら、権限外の「日本中の学校」を対象とした。そのことだけを以ってしても「『強制しようとするものではない』との首相答弁」を踏み越えた強制的ニュアンスを漂わせていることが分かる、狂信的とも言える自己使命を「私の仕事でございます」と天皇に向かって訴えた。
対して天皇は「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と答えた。
しかし二人の遣り取りの背景にある現実世界は「国歌・国旗法」が1999年8月13日に公布・即日施行される以前から当時の文部省の指導で、日の丸の掲揚と君が代斉唱が事実上義務づけられていて、君が代のピアノ伴奏を断った教師や国旗掲揚時に起立しなかった教師が学校側から懲戒処分を受けたりして、強制化への動きが加速していた。
いわば宮内庁羽毛田信吾次長が言うような「自発的に掲げる、あるいは歌う」といった“自発性”は許されない状況にあった。
天皇が自分という存在に深く関わる君が代・日の丸にどういった態度の持ち主であるかは別として、君が代・日の丸がその当時そういった強制化に動いている現実を知らなかったはずはない。
そんな中での「やはり、強制になるということではないことが望ましい」である。現実に即しないまま一般的見解で終わっている「『強制しようとするものではない』との首相答弁」に添った意思表示ではなく、「自発的に掲げる、あるいは歌う」といった“自発性”は許されない、逆に強制化への動きが加速している現実に異議申し立てすることになる「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と見るべきではないだろうか。
つまり自分という存在に深く関わる君が代・日の丸に対して従来の国家権力――自民党権力の強制意志に反して強制してはならないとする意志を天皇は示したと看做すべきだろう。
この見方が正しいとなると、日本の保守を掲げる麻生太郎は政権を失う前のまだ首相であった当時、掲揚が強制でなければ批判に当たらないはずだが、強制したい意志があったからだろう、何しろ単一民族主義者の代表格である、自民党本部には日の丸を掲げているが、民主党は掲げていないと言って批判していたくらい日の丸掲揚、君が代斉唱が暗黙の強制を受けている時代にあって、それに異を唱える形の天皇の君が代・日の丸に関わる姿勢は極めて政治的な発言となる。
この構図は一方に政治的制約があるからこそ、それを破る“異例”が生じせしめることとなる極めて“政治的”ということであろう。
天皇はこの発言のあと、インターネットで自分の発言の影響を確かめることはなかったろうか。マウスを操作し、これと思った書き込みに出会って読み通す姿を想像するのも一興ではないだろうか。
天皇が「象徴天皇とはどういうものか日々考えている」といった発言をした記憶があるが、象徴天皇との兼ね合いで徐々に自分の言葉で発言しようとする極めて“政治的な”意志を持って、その機会を狙っているように思えてならない。特に日本の保守が専らとしている日本民族に優越性を置く歴史認識に天皇は自分の言葉を記そうとしているのではないだろうか。岡田外相の「お言葉」の見直し発言はその手助けとならないだろうか。
もし天皇が日本民族に優越性を置く考えの持ち主であるなら、「宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています」といった平等思想からの発言は誰も耳にすることはなかったろう。
天皇にしても、皇太子にしても、その他皇族は全員ではないかも知れないが、パソコンを使ってインターネットから国民が国内外の諸問題をどう把え、どう考えているか、関係する情報に直接接して、色々と観察しているのではないだろうか。