飲酒運転で3人殺し、懲役7年に飲酒運転常習者が学習したこと

2009-10-23 10:22:56 | Weblog

 場所は北海道栗山町中里の国道234号。7月13日午後9時5分前後、同町農協職員35歳運転の乗用車に時速100キロで追突された22歳若者運転の乗用車が対向車線をはみ出して同町無職67歳男性の乗用車と激しく正面衝突。

 現場は片側1車線の直線。事故当時は雨で路面が濡れていた。

 67歳男性とその妻63歳、追突された車に同乗していた22歳女性が全身を強く打って死亡。追突された22歳男性は足の骨を折る重傷。

 35歳農協職員は車をその場に放置、徒歩で逃走、帰宅。いわばひき逃げを敢行。警察は14日未明(夜がまだ明けきらない頃)だというから夜明けが5時だとしても、8時間後、1時間差引いて7時間後に逮捕。呼気1リットル中0・15ミリグラム以上のアルコールが検出されたという。

 本人曰く。「事故を起こした。怖くて逃げた」(以上四国新聞インターネット記事)

 10月22日、検察側は懲役12年を、被害者参加制度に基づいて出廷した遺族は最高刑(懲役15年)を求めていた35歳元農協職員の自動車運転過失致死傷と道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)に対する札幌地裁(岩見沢支部)の判決が下りた。

 判決は検察側の立証を全面的に認容した上で(?)懲役7年。

 井上裁判官「今年に入って10回以上は飲酒運転を繰り返していた。事故当時も深く酔っていたと推測できる。極めて無謀かつ危険。過失の程度は重く、結果も重大。・・・・事故後の現場で当事者と申告し、道交法上の報告義務を果たした。将来は二度と運転しないと誓っている」

 同井上判官「自動車運転過失致死傷事案としては最も悪質だが、反省の態度を示している」

 反省の態度を汲んで、情状酌量に処した。(以上毎日jp

 井上裁判官「相当酔った状態で時速100キロを超える速度で追い越そうとして事故を起こし、救護せず逃走した。・・・・同種事案としては最も悪質な態様」

 但し、事故当時、現場に駆け付けた警察官に当事者であることを告げており、道交法の報告義務の一部を果たしたと認定。「反省し、二度と運転しないと誓っている」と情状酌量。(以上47NEWS

 「現場に駆け付けた警察官に当事者であることを告げ」ながら、「救護せず逃走した」――、「現場に駆け付けた警察官」の目を盗んで、「事故を起こした。怖くて逃げた」ということなのだろうか。

 「今年に入って10回以上は飲酒運転を繰り返していた。事故当時も深く酔っていた」――飲酒運転常習者なら、飲酒運転で事故って人を殺しても、怖くなって逃げる前に警察官が駆けつけたなら、事故を起こした当事者であることを告げ、駆けつけなかったなら、自分が当事者であることをメモに書いてウインカーにでも挟んで置き、形だけでも道交法の報告義務の一部を果たしてから救護せずに逃げ、裁判になったら、二度と運転しないと誓って盛んに反省したところを見せれば軽い罪で済むぐらいは学習しなければならない。

 裁判で常習的な飲酒運転がいつかは行き着く結末に行き着いた必然性を問題点としないでくれるのは飲酒運転常習者としては丸きり助かる有難いことだ。譬えて言うと、「酒を飲んで運転ばかりしていたから、いつかは飛んでもない事故を起こすと思っていたが、案の定、起こしやがった」と人に言われる普段の心がけの悪質性とそれが引き出した悪質で重大な事態が問われるのではなく、事態に驚いて否応もなしに本人を見舞うことになる後悔や反省といった後付の感情的必然性だけが、普段は見せないことなどどうでもよく、問われるのだから、裁判は飲酒運転常習者の味方であって、心強い限りである。

 上出「毎日jp」記事――《司法:元農協職員に実刑判決 情状酌量認め7年に 飲酒運転3人死亡事故で地裁岩見沢支部》(2009年10月23日 0時27分)が各関係者の主張を伝えている。

 被害者参加制度に基づき初公判に続いて判決公判にも出廷した夫婦遺族の長女、次女。

 「全く納得できない」

 「7年はアッという間。刑務所で罪の償いが済んだと思わず、一生罪を背負って生きてほしい」

 札幌地検次席検事「事件の悪質性、被害者遺族の心情を考えると、量刑について大いに不満が残る。上級庁と協議の上、適切に対応したい」

 交通事件を多く手がける高山俊吉弁護士=交通法科学研究会事務局長(東京)

 「一般的な量刑基準と変わらない。遺族が重罰を求めることは自然な感情だが、裁判官は流されることなく判断した。たとえ被告が重罰に処せられても遺族が癒やされることはなく、被害者参加制度自体に問題がある」

 弁護士と裁判官とが利害が一致するのは飲酒運転常習者にとっては最高に嬉しいことで歓迎しないわけにはいかない。弁護士は常に加害者側(=被告側)の利害に立つ。加害者側(=被告側)の利害を代弁する。軽い刑で済ます程、被告の利害とぴったりと一致し、弁護士としての手腕も評価され、被告から感謝を受ける。そこに裁判官の利害の一致が加わるのだかから、言うことなしではないか。

 「遺族が重罰を求めることは自然な感情」なのだから、「被害者参加制度」などといって遺族が出廷して最高刑(懲役15年)を求めて裁判官の判断に影響を与えようとすること自体がそもそもからして間違っている。「裁判官は流されることなく判断」できる環境を用意するためには「被害者参加制度」はない方がいいという考え方とも飲酒運転常習者には有難い利害一致となる。大賛成。

 「遺族が重罰を求めることは自然な感情」だとすると、「たとえ被告が重罰に処せられても遺族が癒やされることはな」いとするのは矛盾した主張となるが、それを矛盾だとすると飲酒運転常習者の利害に反することになるから、気づかぬ振りをしなければならない。例えどのように重罰に処したとしても、事故で殺された家族が戻らない点は「癒されることはな」いだろうが、一抹の心の救いとなるなどとするのは被告と弁護士の利害に反する考え方でしかない。

 謝罪と反省反省。酒を喰らって運転して事故って誰か殺したら、先ずは誰彼構わずに謝罪し、反省の色を見せる。被告と弁護士と裁判官の利害が一致したら、シメタものだ。

 反省の色って、どんな色なのだろうか。飲酒運転して事故って人殺しして、裁判で被告席に立ったら、どんな色か考えてみよう。そのときまで反省することはないのだから。

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