橋下大阪府知事が府庁内の全職員に向けて発信したメールがひと騒動を巻き起こして、マスコミに格好のネタを提供している。大阪府の「紀の川大堰」(和歌山市)事業からの撤退によって府負担分の380億円が失われることの府幹部の議会答弁に問題があるとして注意を促すメールを全職員に送ったところ、40代女性職員の返信が火に油を注ぐ怒りを橋下知事に注入、記者会見を通して世間に公表せずにはいられなかったのだろう、マスコミに事のいきさつを明らかにしたたことがひと騒動が世間に知れるに至った真相といったところらしい。
無知・不勉強で「紀の川大堰」について一切関知していなかったものだから、例の如くに「Wikipedia」に頼った。既に知っている方もいるかもしれないが、部分引用してみる。
〈沿革
紀の川は徳川吉宗による『紀州流治水工法』に基づく灌漑整備によって、本川・貴志川に数多くの井堰が建設され、新田開発に寄与した。その後1949年(昭和24年)からは農林省(現・農林水産省)による『十津川・紀の川総合開発事業』によって井堰が4箇所に統合され、最下流部の井堰である六ヶ井堰は新六ヶ井頭首工(新六ヶ井堰)として統合・改築され、以降も流域の農業用水を供給していた。だが和歌山市とその周辺は大阪市のベッドタウンとして急速に人口が増加し、さらに海南市や和歌山市沿岸部には住友金属工業の和歌山製鉄所を始め重工業が進出。これらの要因で上水道や工業用水道の需要が増大していった。更には大阪府泉南地域で関西国際空港の建設が決定。これに伴う鉄道路線の整備や阪和自動車道の開通によって人口増加に拍車が掛かり、水需要は逼迫していった。だが紀の川は渇水時には容易に水不足に陥る流況が不安定な河川であり、安定した水供給が大きな課題となった。
一方で1959年(昭和34年)の伊勢湾台風による紀の川大水害を教訓に『紀の川修正総体計画』が1960年(昭和35年)に策定され、根本的な治水を図るため奈良県吉野郡川上村の紀の川本川に大滝ダムを建設する事となった。更に紀の川下流域における治水、特に紀の川の河水が支流に逆流することで起こる「内水氾濫」を防止する為に河口部の洪水調節も必要となった。この為紀の川河口部、新六ヶ井堰直下流に堰を設けて紀の川の洪水調節と上水道供給を図ろうと考えた。
こうして1965年(昭和40年)に建設省近畿地方建設局(現・国土交通省近畿地方整備局)によって『紀の川水系工事実施基本計画』が策定され、紀の川下流部の河川総合開発事業として計画されたのが紀の川大堰である。
2009年度末の完成が見込まれているが、直前の2009年8月31日、大阪府は水利用権を放棄した。水を利用するにはさらに若干の出費が必要だが、水需要の減少で水が必要なくなったので、少額の追加出費を避けるため。このため、事業費のうち大阪府の負担分の380億円はすべて無駄となった。
なお、堰ではあるが、特定多目的ダム法に基づいた多目的ダムである。八ツ場ダムほど騒がれていないが、「ダムは無駄」の例の一つと見なされている。〉(以上)――
撤退しない場合の完成後の年間維持管理費は2億円程度かかると以下に引用する記事の中で書いている。
ではどのようなメールの遣り取りがあったのか、調べた範囲では全文を紹介している記事はなかった。9日付「J-CASTニュース」《橋下知事に「『お前』メール」 府職員に100人もいる!》が詳しい。
先ず橋下知事が全職員に宛てて発信したメール。
「どうも税金に関して、僕の感覚と、役所の皆さんの感覚は違います。昨日の議会答弁、水需要予測の失敗によって380億円の損失が生まれたことに関しても恐ろしいくらい皆さんは冷静です。何とも感じていないような。民間の普通の会社なら組織挙げて真っ青ですよ!!(中略)それよりも、皆さん、380億円の損失って、何にも感じませんか?何があっても給料が保障される組織は恐ろしいです・・・・」
税金に対する感覚の鈍さを批判している。40代女性職員の返信。
「このメール配信の意味がわかりません。愚痴はご自身のブログなどで行ってください。メールを読む時間×全職員の時間を無駄にしていることを自覚してください。また、文も論理的でなく、それなりの職についている人間の文章とも思えませんが。・・・・380億の投資を行うことを決断したのは誰ですか?投資なら、損益を十分考えて行ったわけでしょうから、今回の責任は決断した人にあるべきです。『やめ逃げ』はずるいです。・・・・
(橋本知事の「何があっても給料が保障される組織は恐ろしいです」の批判に対して)こんな感覚を持つ人が知事であることの方が私は恐ろしい」
女性職員の返信メールに対する橋下知事の返信メール。
「まず、上司に対する物言いを考えること。私は、あなたの上司です。その非常識さを改めること。これはトップとして厳重に注意します。あなたの言い分があるのであれば、知事室に来るように。聞きましょう」
橋下知事の返信に対する女性職員の再返信メール。
「こんなにたくさんメールが送りつけられること自体、私には未知の経験で、恐怖に感じています。・・・・知事室にお呼びとあらば、公務をどけてでもお邪魔いたします」
記事は知事がここで堪忍袋の緒が切れたらしいとして人事担当者に処分を検討するように指示したとしている。
結果、府の内規に基づく「厳重注意」にしたという。ところが、「厳重注意」だけでは怒りが収まらず、10月8日の囲み取材の場で自身を民間組織のトップである社長に譬えて許されることかと怒りを爆発させる。
「彼女の仕事自身も、知事の指揮命令権の中に入っていることすら認識になさそうです。知事と職員の関係から、きちんと説かなければならないようです」
「一般常識を逸脱している。・・・・これはありえない。・・・・どうなんですかね。こんなもんなんですか?『愚痴はブログで言ってください』とか社長に言うことは。言えます?『メールを読むのは時間のムダだ』って(社長に)言えます?。もっとひどいのも、いっぱいあるんですよ」
「『お前』というのも頻繁にあります。『お前』って、社長とかに言えますかね?『お前の考えていることはおかしい』って」
「『お前』メールを送信する職員は100人程度いる」ということも打ち明けたという。
記者たちに怒りを洗いざらいぶちまけたが、それでも怒りが収まらない様子を窺うことができる。
大阪府の職員は8万5千人相当いるうち、警察部門や教育部門などを除いた一般行政部門は平成20年度で9千人程度いるそうだが、橋下知事は全職員にメールを送るとき、9千人程もいる中には自分の意見に納得しない者、自分のやり方に常日頃から反撥していて、「坊主憎ければ、袈裟まで憎し」で頭から無視する者などがたくさんいるだろうと考えたことがあるのだろうか。
何を言っても、効果がない者、面と向かっての注意はハイハイ聞くが、陰では右から左、鼻の先でせせら笑って受け流す者、いわば面従腹背の人間がうようよいることを考えたことがあるだろうか。
例えば、知事のメールに対して、近くに座っている女性職員のバストを衣服の上からチラチラ見ながら、くわえタバコで(禁煙となっていたならできないが)パソコンで、「日出づる国の橋下将軍様、税金に対する意識は常に常に高く高く、これ以上ない高さにまで持つべきが公務員の使命でございます。将軍様のおっしゃることはご尤も、常に正しいと思っています」と返信のメールを打った場合、橋下知事にはメールの文面しか見えないから満足する結果を得たと思うだろうが、男性職員が送信したあと、仕事は何もせず、誰に邪魔されることなく女性職員の胸をチラチラゆっくりと眺めて目の保養を堪能することに時間を費やしたとしたら、そのような男性職員の仕事の非効率・怠惰がメールに書いたことに反して税金のムダ遣いとなっているのだが、そういった面従腹背に橋下知事は気づくことはない。
いわばメールの効き目を少しでも考えたことがあるなら、不特定多数の者に向かってメールで注意するといったことをしただろうか。第一、メール一つでいとも簡単に意識改革ができると思い込んでいたのだろうか。
囲み記者会見で、「『お前』というのも頻繁にあります。『お前』って、社長とかに言えますかね?『お前の考えていることはおかしい』って」と憤懣やる方ない態度で訴えているが、「日刊スポーツ」記事で、〈他の職員からの返信メールには「お前…」呼ばわりするなどトップへの態度に問題のある職員が「100人ぐらいはいる」と指摘〉したと解説している箇所に当たるが、それは表に現れている「100人」であって、陰に隠れた面従腹背の人間、何も感じない人間などを数に入れていないはずだが、それでも態度に問題のある職員が100人もいると分かっていながら、さらに既に触れたようにメール一つで意識改革など右から左といった具合に簡単に果たせるはずがないにも関わらずメールを送った。
このことは自分の意見に納得もせず、従いもしない人数を意識しないまま、自分の意見に納得し、従う予定調和に立っていたことを示す。だから、メールが出せた。
つまり当然と言えば当然のことだが、自分の意見に正当性を持たせていた。
だが、税金に対する意識を既に保持しながら職務に従事している人間、あるいは知事からのメールで知事の言うとおりにそうあるべきだと気づくこととなった人間に対しては知事の正当性は正当性を得るが、納得もせず、従いもしない人間にはその正当性は伝わらず、正当性を獲得し得ない。
橋下知事は全職員が自分の意見に納得し、従うことを予定調和した時点で、自分では気づかないうちに既に独裁意志を働かせていたのである。一人や二人相手の説得ではなく、全職員相手にメール一つで意識改革などできようはずもない、納得させ、従わせることなど不可能でありながら、納得し、従うことを予定調和していた。独裁意志なくして望み得ない予定調和であろう。
このことは女性職員に関して、「彼女の仕事自身も、知事の指揮命令権の中に入っていることすら認識になさそうです」と言ったことに表れている。「知事の指揮命令権の中に入っている」からと言って、知事の「指揮命令」が常に正しいとは限らないはずだが、正しいとし、だから従わなければならないを前提としている点が自らを絶対的位置に置き、逆に職員を絶対的に従わせる下の位置に置くこととなっている。
だから女性職員の返信メールに対して、「あなたの言い分があるのであれば、知事室に来るように」と言うことができた。
橋本知事は職員全員にメールを送った。その時点で全職員が情報の相互共有を果たした。その意見に対する反論も、それを知事自身が例え間違った内容だと把えたとしても、職員全員に知らせることで初めて最初のとおりに情報の相互共有が可能となる。大袈裟に言うと、思想・信条の自由を知事と全職員共々相互に保障することになる。
さらに情報の相互共有を行うなうことで、知事と職員個人個人の間で意見表明の平等を保つことができる。知事だけが全職員にメールを発信して、職員個人からでは知事にしかメールが届かないシステムでは情報の共有も意見表明も半端と化す。
当初はそういったシステムとなっていたのかもしれないと思って調べたところ、〈知事は一連のやりとりを府幹部らに転送。〉(asahi.com)と出ていたから、府幹部の間のみ情報の共有を維持し、女性職員に対しては、「あなたの言い分があるのであれば、知事室に来るように」と言うことで、橋本知事は最初に構築したはずの全職員との間にあった情報の相互共有の構造を自ら破ったばかりか、情報の相互共有という支援のない場所で、言い換えるなら、情報上の孤立無援の場所で女性職員に意見を言わせようとする意味で、意見表明の平等を自ら崩した。
彼女自身メールで知事を「お前」呼ばわりしたわけではないし、考え方の正否を議論すべきであるのにも関わらず、知事室という密室で知事という権威を持った上司として女性職員を下に置き、「知事と職員の関係から、きちんと説かなければならない」と上下関係で意見も態度も律しようとした。
このことも無意識のものであっても、独裁意志の表れであろう。
だが、橋下知事のこの独裁意志はメールでしか表現できなかったようだ。府幹部の議会答弁に税金に対する感覚が乏しいということなら、橋下知事も出席していたはずだから、その場で直接答弁の態度を注意すべきではなかったろうか。いわば責任ある上司としての責任ある態度を取るべきだった。
「ちょっと今の答弁の仕方、おかしいんじゃない?結果として380億円の税金をムダにすることになるんだよ。民間の普通の会社なら組織挙げて真っ青ですよ!何か380億円の損失がピンとこない答弁になっているんじゃない?380億円の損失って、何にも感じないようなら、何があっても給料が保障される組織に毒されているとしか言いようがない。恐ろしいことじゃん」
直接注意したと書いている記事は見当たらない。注意していたなら、その噂はたちまち府庁全体ばかりか、マスコミの報道を通じて日本中に知れ渡り、全職員に対して間接的な忠告となったはずである。取るべきはそういった態度であったろう。
だが、一般職員には独裁意志を働かせることができても、幹部には独裁意志すら示すことができなかった。
もし橋下知事が出席していなかったなら、人づてに聞いた間接情報を元に全職員にメールで注意を促すといったことはできないだろうから、その前に府幹部を呼びつけて正確な事実関係を問い質すといったことをしなければならない。但し府幹部は決定的に自分に不利になる証言は口にせず、素直に非を認めない正当化のオブラートに包む役人特有の(閣僚も同じだが)責任回避態度を演じるだろうから、問い質した事実関係の正確さは府幹部にのみの“正確さ”となりかねない。となると、やはりそういった不正確な実関係に基づいて全職員にメールを出すことは難しくなる。
こういったことを逆に無視してメールを送ったなら、税金意識の乏しい職員であっても、「関係ないじゃないか。上の連中が決めたことだ、八つ当たりはやめてくれ」と反撥を受けるのが関の山だろう。
上のなすところ、下これに倣う。税金意識の希薄さ、無責任は上から始まって下の隅々、組織全体を覆っている病弊であろう。だが、上のなすところ、下これに倣うという構造を取る以上(下がだらしないから、上がだらしなくなると言うことは決してない。下は常に上を見習う。)、上のみを相手にすべきだったはずである。
だが、そうしなかった。
メールが全職員宛てであっても、全職員宛てであったがゆえに情報の相互共有は果たせたが、その共有も自己にとって正しいとしている自分の意見・主張のみの共有を目指していて、結果として知事の一方的な主張の表明となり、逆に全職員を匿名の不特定多数扱いしたこととになり、顔を持たない人間に貶めることになった。
独裁者は顔を持つ市民、顔を持つ国民を恐れる。側近・部下も言いなりにさせることによって顔を持たないロボットとすることができる。顔を持ったとしても、自分と同じ顔でなければ許さない。国民も市民も顔を持たない存在とすることによって、自由を奪い、人権を抑圧することができる。
橋下知事は何よりもすべきであった件の府幹部への直接的な咎めではなく、顔を持たない中から顔を見せた者のみを咎めて、それをさも全体の態度だとする見せしめを行い、そのことを記者会見で明らかにした。顔を持たずに、顔を見せないままでいた人間は例え税金意識を乏しいまま保ったとしても許されることになる。
これも独裁体制によくある風景ではないだろうか。本人が意識していなくても、橋下知事はそういった風景を遣り過ごして気づかないでいる。
どのような人間にも人を自分の言いなりに動かしたい独裁意志を衝動として心の中に眠らせてる。誰もが自分を常に正しい場所に置きたいと願っている。橋下大阪府知事はそういった気持に強く支配されているように見える。自分を正しいとしたいが余り、その性急さが金正日もどきの独裁者者に向かわせかねない危険な臭いを感じさせる。条件さえ整えば、実現させることになるのではないだろうか。
プーチンの庇護さえ受けていれば、プーチンを超えない範囲でいつでも独裁者となれる条件を整えることができるはずだが、そういった姿勢を取らない最近のメドベージェフ・ロシア大統領は橋下知事とは正反対の位置に立っているようだ。
これは大袈裟な見方だろうか。 |