「新規開示文書を参考にした日韓請求権問題の考察」 (李洋秀/2014.1.20補筆)から。
「日本としては補償金を支払うが如きことはできないが、韓国帰還と直接関連する形ではなく、例えば住宅の建設の如き間接的に帰還者のesettlement(再定住)の援助になる事業に対しては韓、日、米が3分の1ずつ金をcontribute(提供)する。ただし日本は日韓会談がまとまり、国交を正常化してからでないと支払わないから、それまでは米国側で日本の分を立替え支払うという構想」
補償金とは犯した罪に対して支払う金銭を意味する。当然、補償金の支払いに応じることは何らかの罪を認めることを意味するだけではなく、どのような罪に対していくら補償したのかが記録され、その記録を後世にまで残すことになる。韓国側が要求した補償金支払いの補償項目は慰安婦や徴用工の未払給与や人的被害補償、あるいは精神的苦痛に対する補償となっている。そしてこの被徴用者には日本軍に徴用された韓国の軍人軍属を含んでいる。
日本側は韓国側の要求を飲んで補償に応じ、補償金を支払った場合、慰安婦や徴用工等に関わる一大汚点を日本の歴史に残すことになると考えて、補償金という形ではなく、韓国側の徴用工の未払給与や人的被害補償その他の補償要求をすべて抑えて、無償3億米ドル、有償2億米ドルの合計5億米ドルと民間融資3億米ドルの経済協力協定という形に持っていき、経済協力の背後に汚点の全てを隠す一大ペテンに成功し、なおかつ韓国に対して経済援助という形の施す側に立った。
全ては「日本としては補償金を支払うが如きことはできない」という最初からの基本姿勢を貫き通した結果である。
だが、日本側が1965年の日韓請求権・経済協力協定で慰安婦問題を含めて日韓間の財産・請求権の問題は完全かつ最終的に解決済みであるとしているにも関わらず、韓国に於いて元徴用工らが日本企業を訴える賠償請求訴訟だけではなく、元慰安婦女性による日本政府を相手取った謝罪と損害賠償を求める訴訟が相次いだ。
つまり日本側が1965年の日韓請求権・経済協力協定で慰安婦問題を含めて日韓間の財産・請求権の問題は完全かつ最終的に解決済みであるとしていることに効き目がないと見たのか、安倍晋三は2015年12月に日韓慰安婦合意という新たな一大ペテンとなる協定を結んで、改めて日韓慰安婦合意によって慰安婦の問題は完全かつ最終的に解決済みであるとの態度を取るようになった。
この2015年日韓慰安婦合意がなぜ安倍晋三による一大ペテンなのかは後で証明する。
2021年1月8日付NHK NEWS WEB記事が次のようなことを伝えていた。ソウルの地方裁判は韓国の元慰安婦女性12人が「反人道的な犯罪行為で精神的な苦痛を受けた」として日本政府を相手取って損害賠償を求めていた裁判で原告側の訴えを認め、日本政府に対して原告1人当たり1億ウォン、日本円にして約950万円の支払いを命じる判決を言い渡したと。
この記事は触れていないが、2021年1月12日付「Newsweek」記事には今回の判決に至るまでの経緯が出ている。
元慰安婦女性12人は2013年8月当初は慰謝料を求める民事調停を申し立てが、日本政府が訴訟関連書類の送達を拒絶したため調停が行われることはなかった。原告側は正式裁判への移行をソウル中央地裁に要請、地裁は2016年1月に正式裁判に移行。日本政府が訴訟関連書類の送達を再度拒絶したため、地裁は訴訟関連書類を受け取ったと見なす「公示送達」の手続きを取った。多分、日本政府が見ようが見まいが、訴訟関連書類をソウル中央地裁のサイトにでも掲示し、見たことにして裁判を開始したのだろう。「公示送達」は訴訟関連書類の送達を拒否したり、相手方が所在不明であったりした場合は裁判で広く認められている方法だという。
5年をかけた裁判の結果が今回の判決ということになるが、日本政府が訴訟関連書類の送達を拒絶した理由は、上記NHK NEWS WEB記事によると、主権国家はほかの国の裁判権に服さないとされる国際法上の「主権免除」の原則を持ち出して訴えは却下されるべきだとしていた、つまり裁判そのものを認めなかったことによる。
「主権免除」とは「コトバンク」の解説を借りると、〈主権国家およびその機関が、その行為あるいは財産をめぐる争訟について、外国の裁判所の管轄に服することを免除されること。国家の活動をその機能により主権的行為と私法的・商業的な性格をもつ業務管理的行為に分け、前者についてのみ裁判権免除が認められるとされる。〉ということになる。
勿論、「主権免除」だけではなく、1965年の日韓請求権・経済協力協定と2015年日韓慰安婦合意が関連していることは同NHK NEWS WEB記事が伝えている加藤勝信の2021年1月12日午前記者会見発言からも明らかに読み取ることができる。
加藤勝信「国際法上の主権免除の原則から、日本政府が韓国の裁判権に服することは認められず、本件訴訟は却下されなければならないとの立場を累次にわたり表明してきた。
慰安婦問題を含め、日韓間の財産・請求権の問題は1965年の日韓請求権・経済協力協定で、完全かつ最終的に解決済みであり、2015年の日韓合意において『最終的かつ不可逆的な解決』が両政府の間で確認もされている。それにも関わらず、このような判決が出されたことは極めて遺憾であり、日本政府として、断じて受け入れることはできない。極めて強く抗議した。
韓国が国家として国際法違反を是正するために適切な措置を講じるよう強く求める。また今月13日に判決が予定されている類似の訴訟においても、訴訟は却下されなければならず、韓国政府が日韓合意に従って適切な対応をとることを強く求める」
一大ペテンの上に成り立たせた1965年日韓請求権・経済協力協定であり、2015年日韓慰安婦合意となると、話は別である。
同記事は加藤勝信が言っている「国際法上の主権免除の原則」についてのソウル中央地方裁判所の見解を載せている。〈「主権免除」の原則について「計画的かつ組織的に行われた反人道的な犯罪行為であり、適用されないとみるべきだ」〉と。
つまりかつての日本軍の反人道的な犯罪行為に対する徹底的な断罪の必要上、主権免除は認められないとしていることになる。このソウル中央地裁の主権免除否認の理由は「[全訳]慰安婦訴訟についてのソウル中央地裁報道資料」(Yahoo!ニュース/2021/1/8(金) 12:37)によって詳しく知ることができる。
先ず主権免除とはどういうことかの説明とその適用の例外の存在を述べてから、〈この事件の行為は日本帝国に依り計画的、組織的に広範囲にわたり恣行された反人道的犯罪行為として国際強行規範を違反したものであり、当時日本帝国に依り不法占領中だった韓半島内でわが国民である原告たちに対し恣行されたものとして、たとえこの事件の行為が国家の主権的行為であるとしても、国家免除を適用することはできず、例外的に大韓民国の法院に被告に対する裁判権があると見る。〉と裁判の正当性を主張している。
この記事はまた「原告たちの請求要旨」についても触れている。
〈原告たちは日本帝国が侵略戦争中に組織的で計画的に運営してきた'慰安婦'制度の被害者たちで、日本帝国は第二次世界大戦中、侵略戦争の遂行のために組織的・計画的に'慰安婦'制度を作り運営し、‘慰安婦’を動員する過程で植民地として占領中だった韓半島に居住していた原告たちを誘拐や拉致し、韓半島外へと強制移動させ、原告たちを慰安所に監禁したまま常時的な暴力、拷問、性暴行に露出させた。このような一連の行為(以下、‘この事件の行為’と通称する)は不法行為であることが明白で、このために原告たちが深刻な被害を負ったため被告にその慰謝料の一部として各100,000,000ウォンの支給を求める。〉
ここに取り上げるまでもなく、この種の裁判に向けた訴訟理由は強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)に対する損害賠償で共通している。そして受けた扱いそのものについては韓国人元慰安婦女性だけではなく、インドネシア人元慰安婦女性も、台湾人元慰安婦女性も、フィリッピン人元慰安婦女性も、インドネシアで日本軍に民間人収容所に収容された、その多くが未成年であるオランダ人元慰安婦女性も証言している。
では、2015年日韓慰安婦合意を見てみる。2015年12月28日、日本の外相岸田文雄と朴槿恵(パククネ)政権のユン韓国外相が韓国ソウルで両国間に横たわっていた従軍慰安婦問題で会談し、合意に至った。合意に至るについては安倍晋三ブレーン国家安全保障局長谷内正太郎と当時の大統領秘書室長李丙琪(イビョンギ)元駐日大使との間で秘密交渉が重ねられたとマスコミは伝えている。
合意内容は「共同記者発表」(外務省HP/2015年12月28日)に記載されている。
〈1 岸田外務大臣
(1)慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。
安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。〉――
多数の女性を慰安婦という立場に貶めて、その名誉と尊厳を深く傷つける行為に当時の日本軍が関与していたという意味解釈となる。名誉と尊厳を深く傷つける行為とは、当然、元慰安婦女性の立場からしたら、強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)を内容としていることになる。
あれ程日本軍の関与・日本軍の責任を認めてこなかった安倍晋三が到頭認めるに至った。日本国内の右翼及び右翼系政治家は安倍晋三の豹変に反発した。当時日本のこころ代表の中山恭子も同じである。
2016年1月18日の参議院予算委員会 中山恭子「今回の共同記者発表は極めて偏ったものであり、大きな問題を起こしたと考えております。共同記者発表では『慰安婦問題が当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本の責任を痛感している』。 すべての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復の代替として日本のために戦った日本の軍人たちの名誉と尊厳が救いのない程に傷つけられています。さらに日本人全体がケダモノのように把えられ、日本の名誉が繰返しがつかない程、傷つけられています。 外務大臣にお伺い致します。今回の共同発表が著しく国益を損なうものであることに思いを致さなかったのでしょうか」 対して岸田文雄は、この合意は「従来から表明してきた歴代の内閣の立場を踏まえたものであり」、「この立場は全く変わっておりません」と答えている。 この答弁に納得せず、中山恭子は質問を安倍晋三に変えて、なお追及している。 中山恭子「安倍総理は、私たちの子や孫、その先の世代の子供たちにいつまでも謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかないと発言されています。私も同じ思いでございます。しかし、御覧いただきましたように、この日韓外相共同記者発表の直後から、事実とは異なる曲解された日本人観が拡散しています。 日本政府が自ら日本の軍が元慰安婦の名誉と尊厳を深く傷つけたと認めたことで、日本が女性の性奴隷化を行った国であるなどとの見方が世界の中に定着することとなりました」 安倍晋三「海外のプレスを含め正しくない事実による誹謗中傷があるのは事実でございます。性奴隷 あるいは 20万人 といった事実ではない。この批判を浴びせているのは事実でありまして、それに対しましては政府としては、それは事実ではないということはしっかりと示していきたいと思いますが、政府としてはこれまでに政府が発見した資料の中には、軍や官憲による所謂強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったという立場を辻本清美議員の質問主意書に対する答弁書として平成19年、これは第1次安倍内閣の時でありましたが、閣議決定をしておりまして、その立場には全く変わりがないということでございまして、改めて申し上げておきたいと思います。 また 当時の軍の関与の下にというのは、慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであること、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送について旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与したこと、慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主にこれにあたったこと、であると従来から述べてきている通りであります。 いずれにいたしましても重要なことは今回の合意が、今までの慰安婦問題についての取り組みと決定的に異なっておりまして、史上初めて日韓両政府が一緒になって慰安婦問題が最終的且つ不可逆的に解決されたことを確認した点にあるわけでありまして、私は私たちの子や孫そしてその先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかないと考えておりまして、今回の合意はその決意を実行に移すために決断したものであります」―― |
中山恭子が「日本政府が自ら日本の軍が元慰安婦の名誉と尊厳を深く傷つけたと認めたことで、日本が女性の性奴隷化を行った国であるなどとの見方が世界の中に定着することとなりました」と言っていることは「共同記者発表」を素直に読めば、そのとおりの文脈になるのだから、当然なことだが、安倍晋三は日本軍の関与は「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送」と慰安婦募集を業者に要請したことに限定、強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)に関しては日本軍の関与を全面否定している。このことが一大ペテンとしている何よりの理由でなる。
朴槿恵韓国大統領が元慰安婦の意思を無視してこのような結論でなぜ同意したのかは想像するしかないが、当時の韓国は経済低迷期にあった。2014年の4月からの経済成長率は3四半期連続の0%台で、2015年も同様の傾向が続くと予想されていた。経済苦境打開のために中国に接近したが、韓国経済は一向に改善しなかった。さらに大統領支持率が2014年4月16日の大型旅客船「セウォル(世越)」の転覆・沈没事故に対する救助活動の不手際や政府の危機管理能力に対する信頼低下を境にして40%台後半にまで一気に低下したこと、2014 年 12 月の大統領の元側近による国政介入疑惑を受けた人気低迷、さらに財閥支配の経済構造からの様々な矛盾の噴出と世界的な景気後退を受けて国家経済が低迷する中、歴史認識の違いを言っているどころではなくなり、日韓関係の改善を力とした政権運営の建て直しと国家経済の建て直しの背に腹は代えられない必要性に迫られて、「当時の軍の関与の下に」云々が強制連行と強制売春が行われたことを認めたものではなく、慰安所の設置や管理及び慰安婦の移送のみを意味しているに過ぎないことを弁えていながら、日本側の思惑に乗って2015年12月28日の従軍慰安婦日韓合意に至ったという可能性は否定できない。
安倍晋三は強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)への日本軍関与否定のフレーズに「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」を常に根拠としている。
だが、このフレーズ自体が一大ペテンを用いて成り立たせているに過ぎない。
当時民主党の辻元清美が安倍内閣に対して2013年5月16日に「バタビア臨時軍法会議の証拠資料」についての安倍首相の認識に関する質問主意書」を提出した。内容を簡単に纏めてみる。
先ず安倍晋三の「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」という2007年3月1日の発言と「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった」とする3月5日の参議院予算委員会での発言を取り上げてから、日本軍がインドネシア占領後に民間人収容所に強制入所させた民間オランダ人のうち、「Wikipedia」によると17歳から28歳の合計35人のオランダ人女性を強制的に慰安所に連行、日本軍兵士の強制売春相手とした蛮行に対して日本敗戦後、インドネシアを再度占領したオランダ軍が蛮行を主導した日本軍兵士をバタビア臨時軍法会議で裁くことになった。
裁判資料はオランダ政府戦争犯罪調査局がオランダ人慰安婦女性の証言や日記、それ以外の証言に基づいて「強姦」、「強制的売淫のための婦女子の誘拐及び売淫の強制」、「抑留市民又は被拘禁者の虐待」等々の39の犯罪事項が列挙されていて、バタビア臨時軍法会議に証拠資料として提出され、採用されているとしている。
この犯罪事項は韓国人元慰安婦女性の訴えの内容と共通している。
そこで質問。最初の一点は省くが、軍法会議に提出された証拠資料のうち、〈日本軍の憲兵が女性を集める指示に直接的に関与していたことを示して〉いる箇所は〈軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」であると考えるか。政府の見解を示されたい。〉が一点。
同資料の内、〈女性がその意志に反して強制的に連行されたことを示して〉いる箇所は〈「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」であると考えるか。政府の見解を示されたい。〉がもう一点。
〈総じて当該資料は「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」資料であるという認識か。〉が一点。
さらに別に当該資料に対する安倍自身の認識について質問している。
資料が〈憲兵が女性を集める指示に直接的に関与していたことを示し〉ている箇所は、〈「官憲が家に乗り込んで人さらいのように連れて行くような強制性」を示したものであると考えるか。〉
〈女性がその意志に反して強制的に連行されたことを示して〉いる箇所は〈「官憲が家に乗り込んで人さらいのように連れて行くような強制性」を示したものであると考えるか。〉
〈安倍首相は、総じて当該資料は「当初、定義されていた強制性を裏付けるもの」であるという認識か。〉の三点。
対する「答弁本文」(2013年5月24日)
〈お尋ねについては、先の答弁書(2007年6月5日内閣衆質166第266号)一及び二についてでお答えしたとおりである。〉
では、2007年6月5日の辻元清美の質問主意書に対する安倍内閣「答弁書本文」のみを見てみる。
〈一及び二について
連合国戦争犯罪法廷に対しては、御指摘の資料も含め、関係国から様々な資料が証拠として提出されたものと承知しているが、いずれにせよ、オランダ出身の慰安婦を含め、慰安婦問題に関する政府の基本的立場は、平成5年8月4日の内閣官房長官談話(河野談話)のとおりである。
三について
連合国戦争犯罪法廷の裁判については、御指摘のようなものも含め、法的な諸問題に関して様々な議論があることは承知しているが、いずれにせよ、我が国は、日本国との平和条約(昭和27年条約第5号)第11条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。〉
内容はこれだけとなっている。要するに辻元清美の「日本軍関与による強制連行なのかどうなのか」、「官憲が家に乗り込んで人さらいのように連れて行くような強制性があったのかどうなのか」等の質問に直接的には何も答えていない。質問に直接答えないという姿勢は国会答弁でも頻繁に見せる安倍晋三十八番の手である。この遣り方も一種のペテンであろう。
最後の文言から日本軍関与による人攫い同然の強制性の有無について安倍晋三自身がどう考えているのか探るしかない。再度その文言を改めて取り上げる。
〈連合国戦争犯罪法廷の裁判については、御指摘のようなものも含め、法的な諸問題に関して様々な議論があることは承知しているが、いずれにせよ、我が国は、日本国との平和条約(昭和27年条約第5号)第11条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。〉
意味していることは連合国戦争犯罪法廷の正当性については法的な諸問題の面から様々な議論があるがと、その正当性に否定的態度を一応は示しているが、〈我が国は、日本国との平和条約(昭和27年条約第5号)(サンフランシスコ平和条約のこと)第11条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。〉と述べて、裁判の過程と判決を受け入れたという態度を取っていることになる。つまり裁判そのものを、渋々だろうが、厭々だろうが、面従腹背だろうが受け入れた。
裁判そのものを受け入れたということは当該裁判に対する原告の訴えの内容とその内容に対する判決を受け入れたことを意味する。訴えの内容はオランダ人慰安婦女性の証言や日記を元にして裁判所が証拠として取り上げ、罪状とした、主として「強姦」、「強制的売淫のための婦女子の誘拐及び売淫の強制」である。
それが罪名となって、「Wikipedia」によると、BC級戦犯として11人が有罪とされた。軍人だけではなく、慰安所を経営していた日本人業者も入っていた。責任者である岡田慶治(出生地は広島県福山市)陸軍少佐には死刑が宣告、中心的役割をはたしたと目される大久保朝雄(仙台出身)陸軍大佐は戦後、日本に帰っていたが軍法会議終了前の1947年に自殺。慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと認定された。
「強姦」、「強制的売淫のための婦女子の誘拐及び売淫の強制」の判決そのものを受諾し、安倍内閣が、あるいは安倍晋三自身が〈国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。〉としている以上、当該裁判の判決に反して、あるいは韓国人元慰安婦女性の裁判意思に反して、「官憲が家に乗り込んで人攫いのように連れて行くような強制性はなかった」とか、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による所謂強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とか、「日本軍の関与は慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送と慰安婦の募集を業者に当たらせたぐらいだ」といったことを国会その他で口にすることはバタビア臨時軍法会議を受諾しているとしていることに違反するペテンとなって、許されないことになる。
大体が「政府が発見した資料の中には」云々自体がペテンでしかない。なぜならバタビア臨時軍法会議が慰安婦とされたオランダ人女性の証言や日記に基づいて証拠採用した裁判記録そのものを資料の中に入れていないからだ。
要するに軍や官憲による強制連行を直接示すような記述のない資料だけを発見したことにして、強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)の事実を抹消するペテンをやらかした。そもそもからして韓国のみならず、台湾、フィリッピン、インドネシア等々、元慰安婦の証言が資料として残されているにも関わらず、政府発見の資料の中には入れないペテンを弄した。架空の事実を拵えて、「政府が発見した資料の中には」云々としてきた。強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)が事実として存在していたことの裏返しのペテン行為であろう。
まさしく最大のペテンである。
かくまでも強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)の歴史的事実を認めまいとしている。かつての日本軍とかつての日本国家の不名誉となることを恐れている以外の理由を見つけることはできない。要するに戦前の日本国家を名誉ある偉大な存在と看做している。だから、「政府が発見した資料の中には」云々とする最大のペテンを働かざるを得なかった。
日本政府の慰安婦に関わる資料発見が如何に恣意的に行われた最大のペテンだったのかを証明できる2013年10月15日付「asahi.com」記事、《慰安婦記録出版に「懸念」 日本公使がインドネシア側に》がある。
内容は、〈駐インドネシア公使だった高須幸雄・国連事務次長が1993年8月、旧日本軍の慰安婦らの苦難を記録するインドネシア人作家の著作が発行されれば、両国関係に影響が出るとの懸念をインドネシア側に伝えていた。〉というもので、〈朝日新聞が情報公開で入手した外交文書などで分かった。〉としている。
以下、記事の内容。〈日本政府が当時、韓国で沸騰した慰安婦問題が東南アジアへ広がるのを防ぐ外交を進めたことが明らかになったが、高須氏の動きは文学作品の発禁を促すものとみられ、当時のスハルト独裁政権の言論弾圧に加担したと受け取られかねない。
当時の藤田公郎大使から羽田孜外相(細川内閣)宛の1993年8月23日付極秘公電によると、高須氏は8月20日にインドネシア側関係者と懇談し、作家の活動を紹介する記事が7月26日付毎日新聞に掲載されたと伝えた。
この記事は、ノーベル賞候補だった作家のプラムディア・アナンタ・トゥール氏が、ジャワ島から1400キロ離れた島に戦時中に多数の少女が慰安婦として連れて行かれたと知り、取材を重ねて数百ページにまとめたと報じた。公電で作家とインドネシア側関係者の名前は黒塗りにされているが、作家は同氏とみられる。〉――
ここで確認しておかなければならないことは「政府が発見した資料の中には」云々のフレーズを用いることになったキッカケを辻元清美が提出した質問主意書に対する2007年3月16日の 「政府答弁書」から見つけ出すことができる。
〈お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成3年12月から平成5年8月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月4日の内閣官房長官談話(「河野談話」のこと)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。〉
要するに「河野談話」を1993年8月4日に発表するに備えて政府が事実関係を調べるために漁った慰安婦関係の資料の中には強制連行と受け取れる箇所はなかったとの説明であって、この説明が強制性を否定するフレーズとして用いられるようになったということになる。
では、上記「asahi.com」の記事に対する解釈に戻る。
当時の駐インドネシア公使高須幸雄が「河野談話」発出の1993年8月4日から19日後の1993年8月23日に日本とインドネシアの関係悪化への懸念を持ち出して、作品の発禁を謀ったのは「政府が発見した資料の中には」云々のペテンでしかない歴史認識との調和を崩すわけにはいかなかったからだろうが、このことは同時に「政府が発見した資料」が「軍や官憲による所謂強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする歴史認識に都合よく合わせた恣意的な「発見」だったことを証明して余りあることになる。
つまり「政府が発見した資料の中には強制性を示す記述はなかった」としているペテンを事実であるかのように維持するためにはそのペテンを崩す強制性を証拠立てる事実が入ってきては困ることになるから、出版を阻止しなければならなかった。
インドネシア共産党の影響を受けたインドネシア国軍部隊が1965年の9月にクーデーター未遂事件を起こし、陸軍戦略予備軍司令官だったスハルトがスカルノ大統領から事態収拾の権限を与えられて鎮圧、同年10月16日に陸軍大臣兼陸軍参謀総長の任を与えられると、共産党弾圧に乗り出し、共産党関係者と疑った一般住民までを虐殺したり捕らえたりして、逮捕者をB級政治犯の流刑地であるブル島に送った。
「asahi.com」が紹介しているプラムディア・アナンタ・トゥール氏はインドネシア共産党関係者と疑われて逮捕され、スカルの跡を継いで1968年にインドネシア大統領となったスハルト政権下の1969年にブル島送りとなり、そこでの生活が10年以上に及び、スハルト政権下(1967年3月12日~1998年5月21日)では氏の作品は事実上の発禁処分をうけていたと「Wikipedia」が紹介している。
氏の日本語訳作品『日本軍に棄てられた少女たち ――インドネシアの慰安婦悲話――』は氏の流刑地となったブル島には政治犯の流刑者以前に島外から住人となっていた者がいたことが描かれている。他の場所で日本軍の従軍慰安婦にされてブル島に連れて来られたり、ブル島に連れて来られてから日本軍の従軍慰安婦にされたりした過去を経て、日本の敗戦後にブル島に置き去り同然に棄てられて年を取ることになった元少女たちである。彼女たちの方から近づいてきたり、流刑者の方から移動の自由によって行動範囲を広げていく内に彼女たちの存在を知り、身の上話を聞く関係にまで発展していった。
物語は自身が聞いた身の上話や仲間の流刑者が聞いた身の上話で構成されていて、それらの身の上話には少女たちが数人で家の庭で遊んでいたところ、幌付きの軍用トラックが庭に乗り付け、幌をかけた荷台から歩兵銃を持った十人近くの日本兵が飛び降りてきて、少女たちを捕まえては荷台に放り込み、また走って、少女たちを見つけると、トラックを停めて少女たちを捕まえていき、荷台がほぼ一杯になると慰安所に連れていき、泣き叫び暴れる少女たちを力づくで押さえつけて姦していき、それが毎日続くことになったという内容や、あるいは留学話で釣り、日本に向けて船出はするものの、昭南島(日本軍占領時期のシンガポール)に連れて行って強制的に慰安婦にしたり、あるいはブル島に連れて行って、暴力的に慰安婦の境遇に投げ込むといった内容が取り上げられている。
これらの慰安婦だった元少女たちの身の上話として語られた証言の全てが「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による所謂強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」としている歴史認識を最大のペテンであると暴き立てることになる慰安婦の現実となっている。「政府が発見した資料の中には」の云々のフレーズの背後に強制連行(誘拐・拉致・強制移動)と強制売春(監禁・日常的暴力・拷問・性暴行)といった慰安婦の真正な現実を隠したがっている勢力にとっては外交的圧力をかけて発禁を願うことでしか、ペテンをペテンとして最大限に守ることができないと考えたのだろう。
1965年の日韓請求権・経済協力協定にしても、2015年12月の日韓慰安婦合意にしても、かくかように一大ペテンで成り立たせた日本と韓国の約束である以上、国際法上の主権免除の原則は成り立つはずはなく、ソウル中央地裁が被告を日本政府とした元慰安婦女性12人の訴えを認めて、日本政府に対して原告1人当たり1億ウォン、日本円にして約950万円の支払いを命じる判決を言い渡したとしても、日本政府側が国際法上の主権免除の原則を楯に韓国政府を批判したり抗議したりする資格はない。