2020東京オリンピック・パラリンピックは開催国日本、開催都市東京都であり、その競技はオリンピック・パラリンピックの精神と各競技のルールに則って、多分に国家を挙げての開催となるが、そうであるなら、開催国国民の開催に関わる意思・感情と矛盾があってはならない。なぜなら、国家を挙げての開催という状況と国民の意思・感情との矛盾は相反する論理性に立つことになるからだ。国民の意思・感情と矛盾した国家を挙げての開催は独裁国家ならいざ知らず、民主国家では論理的にあり得ないし、成り立たない。
このような関係を取るのはオリンピック・パラリンピックがどれ程に国際的なスポーツの一大イベントであろうとも、運営そのものは開催国内のイベントということになるからである。オリンピック景気とその後の不景気等々は開催国内の国民生活に深く関わってくる。極端な例ではあるが、東京オリンピック・パラリンピック開催前に東日本大震災のような巨大な自然災害に見舞われ、多くの死者を出している状況にあった場合、開催都市にその影響が皆無であっても、国民は開催に矛盾を感じずに済ますことができるだろうか。
新型コロナウイルスの感染症についても同じことが言える。感染が社会的に大きな広がりを見せ、国民の移動の自由や社会経済活動を大きく制約し、なおかつ感染拡大を受けた治療・療養の必要人数の増加が医療の逼迫を招き、軽症者や無症状者は入院はおろか、ホテル療養も断られて、止むを得ず自宅療養を選択、家族に感染させてしまう例がなくならない状況をよそに置いて、東京オリンピック・パラリンピックだけが感染対策をしっかりと施して開催が許されるとしたら、開催国の社会状況を無視した振る舞いとなり、しかも無視する主体が開催国の政府と東京オリンピック・パラリンピック組織委員会ということになって、民意を無視したイベントの強硬開催という体裁を取ることになる。
参考までに東京オリンピック・パラリンピック開催に関して質問した2021年5月15、16日実施の「朝日新聞世論調査」を挙げておく。丸カッコ内の数字は、4月10、11日の調査結果。
◆あなたは、東京オリンピック・パラリンピックをどのようにするのがよいと思いますか。(択一)
今年の夏に開催する 14(28)
再び延期する 40(34)
中止する 43(35)
その他・答えない 3(3)
前回調査よりも「中止」、「延期」が増えて、「今夏の開催」が逆に減っている。
一つだけだと都合のいい数字を持ってきたと見られるから、2021年5月の「NHK世論調査」を見てみる。
「東京オリンピック・パラリンピックの観客の数について、IOC=国際オリンピック委員会などは来月判断することになりました。どのような形で開催すべきと思いますか」
「これまでと同様に行う」2%
「観客の数を制限して行う」19%
「無観客で行う」23%
「中止する」49%・・・・・
「開催」合計が44% 「中止」が49%。オリンピックの開催よりもコロナの感染を受けた社会経済活動の制約が解決されること、移動制限が解除されて、自由な日常生活が回復されることを優先順位に置いている。つまり日常生活あってのオリンピックと看做している。
西村康稔内閣府特命担当相の2021年6月4日「閣議後記者会見」(NHK NEWS WEB/2021年6月4日 14時05分)
西村康稔「新型コロナウイルスに対応して頂いている医療機関には、ワクチン接種や一般医療もお願いしているうえ、オリンピックでは、熱中症やけがなどへの対応が必要になるので何重にも負荷がかかる。
〈東京オリンピック・パラリンピックの期間中の医療への負荷を軽減するためにも、6月20日が期限となっている緊急事態宣言のもとで感染拡大を抑え、医療提供体制を確保していく考えを強調〉
海外から来る人は基本的にワクチンを打って貰う上、体質的に打てない人には、毎日PCR検査をすることも含めた対応でリスクはかなり減らせる。ただ、人の移動によって感染リスクが高まるのを最小化しなければならず、専門家の意見を聞いて取り組んでいきたい」
「人の移動」と言っていることは競技観戦のための「人の移動」ということであろう。発言している趣意は東京オリンピック・パラリンピックが開催されると、競技観戦等の「人の移動によって感染リスクが高まる」から、「今月20日が期限となっている緊急事態宣言のもとで感染拡大を抑え、医療提供体制を確保」することで感染リスクを「最小化しなければならない」ということであり、感染リスクが「最小化」できれば、結果的に東京オリンピック・パラリンピック開催中の人の移動による感染も極力抑えることができて、医療への負荷もさほど増すことはなく、一般社会の医療体制が維持できることになるということであろう。
要するに今回の緊急事態宣言によって感染者数を極力抑えることができたなら、自ずと医療逼迫が改善されるだけではなく、東京オリンピック・パラリンピック開催中も感染の機会を少なくすることが可能となって、感染対策をしっかりと講じた選手や大会関係者の「安心・安全」と国民の「安心・安全」が両立可能とすることができるということであるはずである。決して東京オリンピック・パラリンピック開催だけの「安心・安全」を言っているわけではない。
このことを逆説すると、東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて感染者を中から極力出さず、当然、外に向けた感染も極力なくす感染対策をしっかりと行って、「安心・安全」な開催とすることができたなら、一般社会が「安心・安全」でなくてもいいというスタンスを取っているわけではない。
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長の尾身茂が2021年5月13日の参議院内閣委員会で東京オリンピック・パラリンピック開催可否の判断材料とする前以っての「医療負担の事前評価」が必要だとする発言を行ったと「NHK NEWS WEB」(2021年5月13日 13時49分)記事が伝えていた。
記事は書いている。〈東京オリンピック・パラリンピックの開催の可否について「私の立場では開催についての判断はすべきでないし、できないと思う」と述べたうえで、判断に当たっては大会期間中に、どの程度医療に負荷がかかるかを、あらかじめ評価しておくことなどが極めて重要になると指摘した。〉
だが、この「事前評価」が感染拡大と医療負担の増加を仮定の一つとした場合、東京オリンピック・パラリンピックの中止、あるいは延期の判断が入ってくることもありうる。このことを無視して開催の判断をした場合は事前評価を無視した開催の強行という事態を招きかねない。一般社会の「安心・安全」は念頭に置かずに東京オリンピック・パラリンピックの「安心・安全」だけを優先させて開催を既定路線としている菅義偉や組織委員会、五輪相の丸川珠代辺りにとっては不都合な状況に追い込まれることになる。それゆえに行って貰いたくない事前評価となる。
厚労相の田村憲久が尾身茂のこの「事前評価」を「自主的な研究の成果の発表だと受け止めさせて頂く」と述べることで政府がお願いしたことではないと距離を置いたのはオリンピック開催を既定路線としている政府にとって開催を脅かしかねない評価が入ることを警戒してのことで、行って貰いたくない事前評価であることが田村憲久の発言に如実に現れている。
だが、尾身茂は政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長という立場上、東京オリンピック・パラリンピック開催の影響を受けた人流の増加が開催のエリア外への感染の拡大に影響して、そのような拡大と連動して医療資源の一部をオリンピック・パラリンピックに取られている関係から医療逼迫が容易に医療崩壊へと発展した場合は感染重傷者の命の保証に手の打ちようがなくなるから、医療負担を想定した開催可否の事前評価を行うべきだと訴えているのだろう。
と言うことは、尾身茂は一般社会の「安心・安全」を優先させていることになる。つまり一般社会の「安心・安全」があってこその東京オリンピック・パラリンピック開催の「安心・安全」だと位置づけていることになる。
尾身茂が参議院内閣委員会で東京オリンピック・パラリンピック開催可否の「医療負担の事前評価」の必要性を訴えた翌日の2021年5月14日、菅義偉は首相官邸で緊急事態宣言の対象地域を東京、大阪、兵庫、京都、愛知、福岡の6都府県に加えて5月16日から北海道、岡山、広島の3道県を加えたことを報告する「記者会見」を開いた。
江川紹子(フリーランス記者)「尾身先生が国会で五輪に関して、感染リスクと医療の負荷について、前もって評価をしてほしいというふうに述べられたと思います。これについて政府はどう対応するのでしょうか。そういういろいろなケースを想定して評価するという場合には、それは国民にきちんと根拠とともに示していただけるのかと、このことをお伺いするとともに、尾身先生には、先ほどの感染リスクと医療の負荷についての評価が必要な理由についても教えてください」
菅義偉「先ず私から申し上げます。前回の質問の際に、マスコミの方が確か3万人ぐらい来られるというような話があったと思います。今、そうした方の入国者というのですかね、そうしたものを精査しまして、この間出た数字よりもはるかに少なくなるというふうに思いますし、そうした行動も制限をする。そして、それに反することについては強制的に退去を命じる。そうしたことを含めて、今検討しております。
ですから、一般の国民と関係者で来られた人とは違う動線で行動してもらうようにしていますし、ホテルも特定のホテルに国として指定しておきたい。指定して、そうした国民と接触することがないようにと、そうしたことを今、しっかり対応している途中だという報告を受けています」
江川紹子「感染リスクと医療の負荷についての評価をしてほしいというふうな尾身先生からのお言葉について、これを実行するおつもりはあるのかということを伺いました」
菅義偉「この(マスコミ等の大会関係者の)行動指針を決める際に専門家の方からも2人メンバーになって頂いて、相談しながら決めさせて頂きます」
マスコミ等の大会関係者の「行動指針」と「医療負担の事前評価」とは全然別物である。「行動指針」は開催を前提とした行動の手引であり、「医療負担の事前評価」は開催した場合の医療負担の増減を想定し、想定に応じて開催の可否を判定するものであって、開催を前提としてはいない。
菅義偉は「医療負担の事前評価」をマスコミ等の大会関係者の行動指針にすり替えて遣り過した。この点からも菅政権としては歓迎できない尾身茂の「事前評価」であることが見えてくる。菅義偉は競技選手と大会関係者へのしっかりとしたコロナ対策を前提としたオリンピック開催の「安心・安全」を盛んに言い立てて、開催を既定路線としているが、尾身茂とは逆に大会の「安心・安全」を基準に一般社会の「安心・安全」を切り離しているからこそできるオリンピック開催の既定路線であり、同時に大会の延期や中止の選択肢をも判断材料の一つとすることもあり得る尾身茂の「事前評価」は却って事を面倒にすると見て、無視することにしているのだろう。
緊急事態宣言とまん延防止等重点措置とワクチン接種の抱き合せで感染を抑制、抑制を受けた感染リスクの最小化を視野に入れることができたなら、このことを理由として「医療負担の事前評価」は必要ないと堂々と言い切ることができるはずだが、言い切ることもしない。2021年5月28日の記者会見でイギリスの例を挙げて、ワクチン接種が1回目だけであっても、国民の5割に達すると効果が出ると発言していたが、オリンピック開催までの5割到達が計算できていないのかもしれない。
尾身茂の答弁を見てみる。
尾身茂「今の御質問は、なぜ医療への負荷の評価をしなくてはいけないかということですけれども、実は今、なぜこれだけ多くの人がオリンピックに関係なしに不安に思っているかというと、感染者が500行った、600行ったということよりも、今はやはり医療の負荷というものが、つまり一般医療に支障が来て、救急外来も断らなくてはいけない、必要な手術も断らなくてはいけない、しかも命に非常に直結するようなところまでという状況になっている。
さらに、医療のひっ迫というのが重要なのは、これから正にワクチン接種というところに医療の人がまた、さらにいろいろな人が、オリンピックだろうが何だろうが多くの人が来れば、コロナにかかるかかからないかにかかわらず、多くの人が来ると一定程度必ず何か具合の悪いことになるというようなこともあるわけですよね。
そういう中で私が申し上げた理由は、いずれ私は、関係者の方は何らかの判断を遅かれ早かれされると思うのですけれども、それは開催を仮にするとすれば、前の日にやるわけではないですよね。当然X週間、Xデー、Xマンスを、時間的余裕を持ってやるわけで、そのときの医療への負荷というものは、そのとき、分かりますよね、もう医療が本当にかなり良い状況、中くらいの状況、いろいろ分け方はあると思いますけれども、そのことの状況に応じて、仮にオリンピックをやるのであれば、そのX週間後にどのぐらいの負荷で、状況があれだけれども、更なる負荷ということになりますね。そのことをある程度評価するのは、オリンピックを開催する人たちの責任だと私は思います、ということで申し上げたということ」
長々とした答弁だが、言っていることは新聞報道が伝えている2021年5月13日参議院内閣委員会での発言と同じである。ただ違うのは東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて「医療負担の事前評価」を行うことは「オリンピックを開催する人たちの責任」だと名指ししていることである。勿論、主として開催国日本のトップである菅義偉のことを言っている。
尾身茂がこの後も「事前評価」の必要性を国会等で言い続けているのは菅義偉が「事前評価」には無関心を装い続けているからなのだろう。何らかの反応があれば、言い続ける必要はなくなる。2021年6月2日付の共同通信配信の「東京新聞」記事。
先ず2021年6月2日の衆院厚生労働委員会での発言。
尾身茂「今の状況で(大会開催を)やるのは普通はないわけだ。パンデミック(世界的大流行)の状況でやるのであれば、開催規模をできるだけ小さくして管理体制をできるだけ強化するのは主催者の義務だ。
何のために開催するのか明確なストーリーとリスクの最小化をパッケージで話さないと、一般の人は協力しようと思わない(専門家としての評価を)何らかの形で考えを伝えるのがプロフェッショナルの責務だ」
同衆院内閣委員会。
尾身茂(感染最小化が組織委の「当然の責任だ」との認識を重ねて示した上で)「どのような状況で感染リスクが上がるのか、しっかり分析して意見するのが専門家の務めだ。
(移動の自粛などを要請する中でのパブリックビューイング開催や選手村への酒の持ち込みが可能な状況について)一般の人の理解、協力を得にくくなる」
2021年6月3日付「東京新聞」記事。2021年6月3日の参院厚生労働委員会での発言。
尾身茂「こういうパンデミック(世界的大流行)でやるのが普通ではない。やるなら強い覚悟でやってもらう必要がある。
(五輪開催時は全国から会場への観客の移動、パブリックビューイングなどでの応援といった要因から新たな人の流れが生まれると分析。)スタジアムの中だけのことを考えても感染対策ができない。ジャーナリスト、スポンサーのプレーブック(規則集)の順守は選手より懸念がある」
そして近く専門家の考えを示すことも明らかにしたという。
記事解説。〈分科会は、政府のコロナ対策に専門的な知見から提言を行う組織で、五輪開催の可否には関与しない。会長の尾身氏は、世界保健機関(WHO)西太平洋事務局に長年勤務。重症急性呼吸器症候群(SARS)に事務局長として対応した経歴を持つ。尾身氏の最近の苦言は、感染症の専門家の意見が反映されないまま五輪が開催に突き進むことへの危機感の表れだ。〉
近く専門家の考えを示すと言っていることは2021年6月2日付「NHK NEWS WEB」が2021年6月2日の衆議院厚生労働委員会での尾身茂の発言として伝えている。
尾身茂「国や組織委員会などがやるという最終決定をした場合に、開催に伴って国内での感染拡大に影響があるかどうかを評価し、どうすればリスクを軽減できるか、何らかの形で考えを伝えるのが、われわれプロの責任だ。
(考え方の伝え先や時期などについて)政府なのか、組織委員会なのか、いつ伝えるべきかはいろんな選択肢がある」
尾身茂は「開催に伴って国内での感染拡大に影響があるかどうかを評価する」と言っているが、評価次第では開催中止や開催延期の声が上がることもありうる。
要するに菅義偉が「オリンピックを開催する人たちの責任」として「医療負担の事前評価」を行わないのであるなら、自分たち専門家で「事前評価」を行い、政府に示すという意思表明であろう。
こういった国会での尾身発言に対して五輪相の丸川珠代が2021年6月4日の閣議後会見で示した反応を2021年6月4日付「asahi.com」記事が伝えている。
丸川珠代「我々はスポーツの持つ力を信じて今までやってきた。全く別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいというのは私の実感。
できる対策は何かということに懸命に取り組んでいる。ひとつひとつの積み重ねが、本格的に社会を動かしていく時の知見になる」
尾身茂の一般社会でのコロナの感染や医療負担の各状況が人流の増加が伴う大会開催の影響は全くないとすることはできないとする発言を「全く別の地平から見てきた言葉」だと一刀両断に切り捨てている。と言うことは、オリンピック・ラリンピック開催に無条件に同調する言葉以外は"同じ地平に立った言葉"とは看做すことはできないとしていることであり、東京オリンピック・パラリンピックという場を一般社会の関与を許さない聖域とする発想となる。オリンピックはオリンピックでしっかりとコロナ対策を行っていきます、オリンピックに関係のない人間は余計な口出しはしないでくださいとオリンピックを特別視していることになるからである。
しかも私には「なかなか通じづらい」としていることはそれがオリンピックの開催に適わない「地平」からの言葉であったとしても、一般化して事の是非を判断せずに丸川珠代自身の判断を基準に「全く別の地平から見てきた言葉」だと解釈し、「通じづらい」と価値づけているのだから、極上の思い上がりとなる。
丸川珠代にとって世論調査に於けるオリンピック開催に不都合な回答も、「全く別の地平から見てきた」「通じづらい」回答に見えるに違いない。
「我々はスポーツの持つ力を信じて今までやってきた」と言っているが、要するに「スポーツの持つ力」が多くの見る人をして多大な感動を与えることを信じて、オリンピック・パラリンピックの開催に向けて努力してきたということなのだろう。「スポーツの持つ力」でオリンピックの運営に関わるマネジメントを実践してきたと言っているわけでは決してない。この手のマネジメントは収容人数が何人のどの競技会場をどの競技に当てたら、交通アクセスを含めた利便性を提供できるのか、新しく競技会場を建設すべきか等々の検討と決定を行う経営判断能力がモノを言うのであって、「スポーツの持つ力」がなくても、その能力は十分に発揮できる。
大体が「スポーツの持つ力」の偉大さを口実にして外からの声を「全く別の地平から見てきた言葉」だと遮断できること自体、思い上がりの気持ちなくしてできない。少しでも謙虚さがあったなら、「全く別の地平から見てきた言葉」などとの発言は出てこない。
一方で「できる対策は何かということに懸命に取り組んでいる」と言っていることは「安心・安全」に競技ができるコロナ対策に関して「できる対策は何かということに懸命に取り組んでいる」ということを指しているはずだ。尾身茂の一連の国会発言に反応させた丸川珠代の発言なのだから、「対策」とは「コロナ対策」でなければならない。
要するに「オリンピック開催に直接関わる者として私たちは私たちでコロナ対策に懸命に取り組んでいる。オリンピック開催に直接関わらない全く別の地平から見てきた言葉はあれこれと向けないで欲しい」との意味を持つことになる。当然、後段の「ひとつひとつの積み重ねが、本格的に社会を動かしていく時の知見になる」と言っていることは「コロナ対策に向けたひとつひとつの危機管理の積み重ねが、本格的に社会を動かしていく時の知見になる」と指摘していることになる。
だが、一般社会から比べた場合の東京オリンピック・パラリンピックの世界はごく限られた人数のごく限られた空間での危機管理であり、人の移動の管理という観点から言っても、一般社会の人の移動から比べたら、ごくごく管理しやすい局面にある。それを以って「本格的に社会を動かしていく時の知見になる」とするのは一般社会の危機管理の困難さを考えない思い上がりであろう。オリンピック・パラリンピックを聖域化しているからこそ、たいした「知見になる」との思い込みが可能となる。
例え「スポーツの持つ力を信じてやってきた」からと言って、「やってきた」ことの全てが信じたとおりに正しいと価値づけることができるわけではない。戦前は天皇の持つ力や国の持つ力を絶対的と信じて、信じたとおりに行動してきたが、その価値判断は間違っていたと気づいた国民は多く存在する。信じたとおりに正しいと全てを価値づけて、どのような状況でも東京オリンピック・パラリンピックの開催が許されるとした場合、「スポーツの持つ力」を国民の生活を脇に置いて絶対視することになる。丸川珠代の発言は国民の生活よりも「スポーツの持つ力」を上に置いた絶対視の構造を取っていることは否定できない。
菅義偉が2021年6月2日夜、オンライン形式で開催されたワクチン・サミットについて同日、首相官邸エントランスホールで「ぶらさがり記者会見」を行った際、記者に「新型コロナウイルスが感染拡大する中で東京五輪・パラリンピックを開催する意義について」尋ねられて、「正に、平和の祭典。一流のアスリートがこの東京に集まって、そして、スポーツの力で世界に発信をしていく。さらに、様々な壁を乗り越える努力をしている、障がい者も健常者も、パラリンピックもやりますから、そういう中で、そうした努力というものをしっかりと世界に向けて発信をしていく。そのための安心・安全の対策をしっかり講じた上で、そこはやっていきたい、こういうふうに思っています」と答えているが、丸川珠代が「スポーツの持つ力」を絶対視しているように菅義偉も「平和の祭典」を絶対視していることになる。
「平和の祭典」だからと言って、世の中がコロナの感染で「平和」でなければ、「平和の祭典」としてのバランスを失い、開催することに疑義が生じる。つまりあくまでも世の中あってのオリンピック・パラリンピックでなければならない。
このような関係を取るのはオリンピック・パラリンピックがどれ程に国際的なスポーツの一大イベントであろうとも、運営そのものは開催国内のイベントということになるからである。オリンピック景気とその後の不景気等々は開催国内の国民生活に深く関わってくる。極端な例ではあるが、東京オリンピック・パラリンピック開催前に東日本大震災のような巨大な自然災害に見舞われ、多くの死者を出している状況にあった場合、開催都市にその影響が皆無であっても、国民は開催に矛盾を感じずに済ますことができるだろうか。
新型コロナウイルスの感染症についても同じことが言える。感染が社会的に大きな広がりを見せ、国民の移動の自由や社会経済活動を大きく制約し、なおかつ感染拡大を受けた治療・療養の必要人数の増加が医療の逼迫を招き、軽症者や無症状者は入院はおろか、ホテル療養も断られて、止むを得ず自宅療養を選択、家族に感染させてしまう例がなくならない状況をよそに置いて、東京オリンピック・パラリンピックだけが感染対策をしっかりと施して開催が許されるとしたら、開催国の社会状況を無視した振る舞いとなり、しかも無視する主体が開催国の政府と東京オリンピック・パラリンピック組織委員会ということになって、民意を無視したイベントの強硬開催という体裁を取ることになる。
参考までに東京オリンピック・パラリンピック開催に関して質問した2021年5月15、16日実施の「朝日新聞世論調査」を挙げておく。丸カッコ内の数字は、4月10、11日の調査結果。
◆あなたは、東京オリンピック・パラリンピックをどのようにするのがよいと思いますか。(択一)
今年の夏に開催する 14(28)
再び延期する 40(34)
中止する 43(35)
その他・答えない 3(3)
前回調査よりも「中止」、「延期」が増えて、「今夏の開催」が逆に減っている。
一つだけだと都合のいい数字を持ってきたと見られるから、2021年5月の「NHK世論調査」を見てみる。
「東京オリンピック・パラリンピックの観客の数について、IOC=国際オリンピック委員会などは来月判断することになりました。どのような形で開催すべきと思いますか」
「これまでと同様に行う」2%
「観客の数を制限して行う」19%
「無観客で行う」23%
「中止する」49%・・・・・
「開催」合計が44% 「中止」が49%。オリンピックの開催よりもコロナの感染を受けた社会経済活動の制約が解決されること、移動制限が解除されて、自由な日常生活が回復されることを優先順位に置いている。つまり日常生活あってのオリンピックと看做している。
西村康稔内閣府特命担当相の2021年6月4日「閣議後記者会見」(NHK NEWS WEB/2021年6月4日 14時05分)
西村康稔「新型コロナウイルスに対応して頂いている医療機関には、ワクチン接種や一般医療もお願いしているうえ、オリンピックでは、熱中症やけがなどへの対応が必要になるので何重にも負荷がかかる。
〈東京オリンピック・パラリンピックの期間中の医療への負荷を軽減するためにも、6月20日が期限となっている緊急事態宣言のもとで感染拡大を抑え、医療提供体制を確保していく考えを強調〉
海外から来る人は基本的にワクチンを打って貰う上、体質的に打てない人には、毎日PCR検査をすることも含めた対応でリスクはかなり減らせる。ただ、人の移動によって感染リスクが高まるのを最小化しなければならず、専門家の意見を聞いて取り組んでいきたい」
「人の移動」と言っていることは競技観戦のための「人の移動」ということであろう。発言している趣意は東京オリンピック・パラリンピックが開催されると、競技観戦等の「人の移動によって感染リスクが高まる」から、「今月20日が期限となっている緊急事態宣言のもとで感染拡大を抑え、医療提供体制を確保」することで感染リスクを「最小化しなければならない」ということであり、感染リスクが「最小化」できれば、結果的に東京オリンピック・パラリンピック開催中の人の移動による感染も極力抑えることができて、医療への負荷もさほど増すことはなく、一般社会の医療体制が維持できることになるということであろう。
要するに今回の緊急事態宣言によって感染者数を極力抑えることができたなら、自ずと医療逼迫が改善されるだけではなく、東京オリンピック・パラリンピック開催中も感染の機会を少なくすることが可能となって、感染対策をしっかりと講じた選手や大会関係者の「安心・安全」と国民の「安心・安全」が両立可能とすることができるということであるはずである。決して東京オリンピック・パラリンピック開催だけの「安心・安全」を言っているわけではない。
このことを逆説すると、東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて感染者を中から極力出さず、当然、外に向けた感染も極力なくす感染対策をしっかりと行って、「安心・安全」な開催とすることができたなら、一般社会が「安心・安全」でなくてもいいというスタンスを取っているわけではない。
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長の尾身茂が2021年5月13日の参議院内閣委員会で東京オリンピック・パラリンピック開催可否の判断材料とする前以っての「医療負担の事前評価」が必要だとする発言を行ったと「NHK NEWS WEB」(2021年5月13日 13時49分)記事が伝えていた。
記事は書いている。〈東京オリンピック・パラリンピックの開催の可否について「私の立場では開催についての判断はすべきでないし、できないと思う」と述べたうえで、判断に当たっては大会期間中に、どの程度医療に負荷がかかるかを、あらかじめ評価しておくことなどが極めて重要になると指摘した。〉
だが、この「事前評価」が感染拡大と医療負担の増加を仮定の一つとした場合、東京オリンピック・パラリンピックの中止、あるいは延期の判断が入ってくることもありうる。このことを無視して開催の判断をした場合は事前評価を無視した開催の強行という事態を招きかねない。一般社会の「安心・安全」は念頭に置かずに東京オリンピック・パラリンピックの「安心・安全」だけを優先させて開催を既定路線としている菅義偉や組織委員会、五輪相の丸川珠代辺りにとっては不都合な状況に追い込まれることになる。それゆえに行って貰いたくない事前評価となる。
厚労相の田村憲久が尾身茂のこの「事前評価」を「自主的な研究の成果の発表だと受け止めさせて頂く」と述べることで政府がお願いしたことではないと距離を置いたのはオリンピック開催を既定路線としている政府にとって開催を脅かしかねない評価が入ることを警戒してのことで、行って貰いたくない事前評価であることが田村憲久の発言に如実に現れている。
だが、尾身茂は政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長という立場上、東京オリンピック・パラリンピック開催の影響を受けた人流の増加が開催のエリア外への感染の拡大に影響して、そのような拡大と連動して医療資源の一部をオリンピック・パラリンピックに取られている関係から医療逼迫が容易に医療崩壊へと発展した場合は感染重傷者の命の保証に手の打ちようがなくなるから、医療負担を想定した開催可否の事前評価を行うべきだと訴えているのだろう。
と言うことは、尾身茂は一般社会の「安心・安全」を優先させていることになる。つまり一般社会の「安心・安全」があってこその東京オリンピック・パラリンピック開催の「安心・安全」だと位置づけていることになる。
尾身茂が参議院内閣委員会で東京オリンピック・パラリンピック開催可否の「医療負担の事前評価」の必要性を訴えた翌日の2021年5月14日、菅義偉は首相官邸で緊急事態宣言の対象地域を東京、大阪、兵庫、京都、愛知、福岡の6都府県に加えて5月16日から北海道、岡山、広島の3道県を加えたことを報告する「記者会見」を開いた。
江川紹子(フリーランス記者)「尾身先生が国会で五輪に関して、感染リスクと医療の負荷について、前もって評価をしてほしいというふうに述べられたと思います。これについて政府はどう対応するのでしょうか。そういういろいろなケースを想定して評価するという場合には、それは国民にきちんと根拠とともに示していただけるのかと、このことをお伺いするとともに、尾身先生には、先ほどの感染リスクと医療の負荷についての評価が必要な理由についても教えてください」
菅義偉「先ず私から申し上げます。前回の質問の際に、マスコミの方が確か3万人ぐらい来られるというような話があったと思います。今、そうした方の入国者というのですかね、そうしたものを精査しまして、この間出た数字よりもはるかに少なくなるというふうに思いますし、そうした行動も制限をする。そして、それに反することについては強制的に退去を命じる。そうしたことを含めて、今検討しております。
ですから、一般の国民と関係者で来られた人とは違う動線で行動してもらうようにしていますし、ホテルも特定のホテルに国として指定しておきたい。指定して、そうした国民と接触することがないようにと、そうしたことを今、しっかり対応している途中だという報告を受けています」
江川紹子「感染リスクと医療の負荷についての評価をしてほしいというふうな尾身先生からのお言葉について、これを実行するおつもりはあるのかということを伺いました」
菅義偉「この(マスコミ等の大会関係者の)行動指針を決める際に専門家の方からも2人メンバーになって頂いて、相談しながら決めさせて頂きます」
マスコミ等の大会関係者の「行動指針」と「医療負担の事前評価」とは全然別物である。「行動指針」は開催を前提とした行動の手引であり、「医療負担の事前評価」は開催した場合の医療負担の増減を想定し、想定に応じて開催の可否を判定するものであって、開催を前提としてはいない。
菅義偉は「医療負担の事前評価」をマスコミ等の大会関係者の行動指針にすり替えて遣り過した。この点からも菅政権としては歓迎できない尾身茂の「事前評価」であることが見えてくる。菅義偉は競技選手と大会関係者へのしっかりとしたコロナ対策を前提としたオリンピック開催の「安心・安全」を盛んに言い立てて、開催を既定路線としているが、尾身茂とは逆に大会の「安心・安全」を基準に一般社会の「安心・安全」を切り離しているからこそできるオリンピック開催の既定路線であり、同時に大会の延期や中止の選択肢をも判断材料の一つとすることもあり得る尾身茂の「事前評価」は却って事を面倒にすると見て、無視することにしているのだろう。
緊急事態宣言とまん延防止等重点措置とワクチン接種の抱き合せで感染を抑制、抑制を受けた感染リスクの最小化を視野に入れることができたなら、このことを理由として「医療負担の事前評価」は必要ないと堂々と言い切ることができるはずだが、言い切ることもしない。2021年5月28日の記者会見でイギリスの例を挙げて、ワクチン接種が1回目だけであっても、国民の5割に達すると効果が出ると発言していたが、オリンピック開催までの5割到達が計算できていないのかもしれない。
尾身茂の答弁を見てみる。
尾身茂「今の御質問は、なぜ医療への負荷の評価をしなくてはいけないかということですけれども、実は今、なぜこれだけ多くの人がオリンピックに関係なしに不安に思っているかというと、感染者が500行った、600行ったということよりも、今はやはり医療の負荷というものが、つまり一般医療に支障が来て、救急外来も断らなくてはいけない、必要な手術も断らなくてはいけない、しかも命に非常に直結するようなところまでという状況になっている。
さらに、医療のひっ迫というのが重要なのは、これから正にワクチン接種というところに医療の人がまた、さらにいろいろな人が、オリンピックだろうが何だろうが多くの人が来れば、コロナにかかるかかからないかにかかわらず、多くの人が来ると一定程度必ず何か具合の悪いことになるというようなこともあるわけですよね。
そういう中で私が申し上げた理由は、いずれ私は、関係者の方は何らかの判断を遅かれ早かれされると思うのですけれども、それは開催を仮にするとすれば、前の日にやるわけではないですよね。当然X週間、Xデー、Xマンスを、時間的余裕を持ってやるわけで、そのときの医療への負荷というものは、そのとき、分かりますよね、もう医療が本当にかなり良い状況、中くらいの状況、いろいろ分け方はあると思いますけれども、そのことの状況に応じて、仮にオリンピックをやるのであれば、そのX週間後にどのぐらいの負荷で、状況があれだけれども、更なる負荷ということになりますね。そのことをある程度評価するのは、オリンピックを開催する人たちの責任だと私は思います、ということで申し上げたということ」
長々とした答弁だが、言っていることは新聞報道が伝えている2021年5月13日参議院内閣委員会での発言と同じである。ただ違うのは東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて「医療負担の事前評価」を行うことは「オリンピックを開催する人たちの責任」だと名指ししていることである。勿論、主として開催国日本のトップである菅義偉のことを言っている。
尾身茂がこの後も「事前評価」の必要性を国会等で言い続けているのは菅義偉が「事前評価」には無関心を装い続けているからなのだろう。何らかの反応があれば、言い続ける必要はなくなる。2021年6月2日付の共同通信配信の「東京新聞」記事。
先ず2021年6月2日の衆院厚生労働委員会での発言。
尾身茂「今の状況で(大会開催を)やるのは普通はないわけだ。パンデミック(世界的大流行)の状況でやるのであれば、開催規模をできるだけ小さくして管理体制をできるだけ強化するのは主催者の義務だ。
何のために開催するのか明確なストーリーとリスクの最小化をパッケージで話さないと、一般の人は協力しようと思わない(専門家としての評価を)何らかの形で考えを伝えるのがプロフェッショナルの責務だ」
同衆院内閣委員会。
尾身茂(感染最小化が組織委の「当然の責任だ」との認識を重ねて示した上で)「どのような状況で感染リスクが上がるのか、しっかり分析して意見するのが専門家の務めだ。
(移動の自粛などを要請する中でのパブリックビューイング開催や選手村への酒の持ち込みが可能な状況について)一般の人の理解、協力を得にくくなる」
2021年6月3日付「東京新聞」記事。2021年6月3日の参院厚生労働委員会での発言。
尾身茂「こういうパンデミック(世界的大流行)でやるのが普通ではない。やるなら強い覚悟でやってもらう必要がある。
(五輪開催時は全国から会場への観客の移動、パブリックビューイングなどでの応援といった要因から新たな人の流れが生まれると分析。)スタジアムの中だけのことを考えても感染対策ができない。ジャーナリスト、スポンサーのプレーブック(規則集)の順守は選手より懸念がある」
そして近く専門家の考えを示すことも明らかにしたという。
記事解説。〈分科会は、政府のコロナ対策に専門的な知見から提言を行う組織で、五輪開催の可否には関与しない。会長の尾身氏は、世界保健機関(WHO)西太平洋事務局に長年勤務。重症急性呼吸器症候群(SARS)に事務局長として対応した経歴を持つ。尾身氏の最近の苦言は、感染症の専門家の意見が反映されないまま五輪が開催に突き進むことへの危機感の表れだ。〉
近く専門家の考えを示すと言っていることは2021年6月2日付「NHK NEWS WEB」が2021年6月2日の衆議院厚生労働委員会での尾身茂の発言として伝えている。
尾身茂「国や組織委員会などがやるという最終決定をした場合に、開催に伴って国内での感染拡大に影響があるかどうかを評価し、どうすればリスクを軽減できるか、何らかの形で考えを伝えるのが、われわれプロの責任だ。
(考え方の伝え先や時期などについて)政府なのか、組織委員会なのか、いつ伝えるべきかはいろんな選択肢がある」
尾身茂は「開催に伴って国内での感染拡大に影響があるかどうかを評価する」と言っているが、評価次第では開催中止や開催延期の声が上がることもありうる。
要するに菅義偉が「オリンピックを開催する人たちの責任」として「医療負担の事前評価」を行わないのであるなら、自分たち専門家で「事前評価」を行い、政府に示すという意思表明であろう。
こういった国会での尾身発言に対して五輪相の丸川珠代が2021年6月4日の閣議後会見で示した反応を2021年6月4日付「asahi.com」記事が伝えている。
丸川珠代「我々はスポーツの持つ力を信じて今までやってきた。全く別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいというのは私の実感。
できる対策は何かということに懸命に取り組んでいる。ひとつひとつの積み重ねが、本格的に社会を動かしていく時の知見になる」
尾身茂の一般社会でのコロナの感染や医療負担の各状況が人流の増加が伴う大会開催の影響は全くないとすることはできないとする発言を「全く別の地平から見てきた言葉」だと一刀両断に切り捨てている。と言うことは、オリンピック・ラリンピック開催に無条件に同調する言葉以外は"同じ地平に立った言葉"とは看做すことはできないとしていることであり、東京オリンピック・パラリンピックという場を一般社会の関与を許さない聖域とする発想となる。オリンピックはオリンピックでしっかりとコロナ対策を行っていきます、オリンピックに関係のない人間は余計な口出しはしないでくださいとオリンピックを特別視していることになるからである。
しかも私には「なかなか通じづらい」としていることはそれがオリンピックの開催に適わない「地平」からの言葉であったとしても、一般化して事の是非を判断せずに丸川珠代自身の判断を基準に「全く別の地平から見てきた言葉」だと解釈し、「通じづらい」と価値づけているのだから、極上の思い上がりとなる。
丸川珠代にとって世論調査に於けるオリンピック開催に不都合な回答も、「全く別の地平から見てきた」「通じづらい」回答に見えるに違いない。
「我々はスポーツの持つ力を信じて今までやってきた」と言っているが、要するに「スポーツの持つ力」が多くの見る人をして多大な感動を与えることを信じて、オリンピック・パラリンピックの開催に向けて努力してきたということなのだろう。「スポーツの持つ力」でオリンピックの運営に関わるマネジメントを実践してきたと言っているわけでは決してない。この手のマネジメントは収容人数が何人のどの競技会場をどの競技に当てたら、交通アクセスを含めた利便性を提供できるのか、新しく競技会場を建設すべきか等々の検討と決定を行う経営判断能力がモノを言うのであって、「スポーツの持つ力」がなくても、その能力は十分に発揮できる。
大体が「スポーツの持つ力」の偉大さを口実にして外からの声を「全く別の地平から見てきた言葉」だと遮断できること自体、思い上がりの気持ちなくしてできない。少しでも謙虚さがあったなら、「全く別の地平から見てきた言葉」などとの発言は出てこない。
一方で「できる対策は何かということに懸命に取り組んでいる」と言っていることは「安心・安全」に競技ができるコロナ対策に関して「できる対策は何かということに懸命に取り組んでいる」ということを指しているはずだ。尾身茂の一連の国会発言に反応させた丸川珠代の発言なのだから、「対策」とは「コロナ対策」でなければならない。
要するに「オリンピック開催に直接関わる者として私たちは私たちでコロナ対策に懸命に取り組んでいる。オリンピック開催に直接関わらない全く別の地平から見てきた言葉はあれこれと向けないで欲しい」との意味を持つことになる。当然、後段の「ひとつひとつの積み重ねが、本格的に社会を動かしていく時の知見になる」と言っていることは「コロナ対策に向けたひとつひとつの危機管理の積み重ねが、本格的に社会を動かしていく時の知見になる」と指摘していることになる。
だが、一般社会から比べた場合の東京オリンピック・パラリンピックの世界はごく限られた人数のごく限られた空間での危機管理であり、人の移動の管理という観点から言っても、一般社会の人の移動から比べたら、ごくごく管理しやすい局面にある。それを以って「本格的に社会を動かしていく時の知見になる」とするのは一般社会の危機管理の困難さを考えない思い上がりであろう。オリンピック・パラリンピックを聖域化しているからこそ、たいした「知見になる」との思い込みが可能となる。
例え「スポーツの持つ力を信じてやってきた」からと言って、「やってきた」ことの全てが信じたとおりに正しいと価値づけることができるわけではない。戦前は天皇の持つ力や国の持つ力を絶対的と信じて、信じたとおりに行動してきたが、その価値判断は間違っていたと気づいた国民は多く存在する。信じたとおりに正しいと全てを価値づけて、どのような状況でも東京オリンピック・パラリンピックの開催が許されるとした場合、「スポーツの持つ力」を国民の生活を脇に置いて絶対視することになる。丸川珠代の発言は国民の生活よりも「スポーツの持つ力」を上に置いた絶対視の構造を取っていることは否定できない。
菅義偉が2021年6月2日夜、オンライン形式で開催されたワクチン・サミットについて同日、首相官邸エントランスホールで「ぶらさがり記者会見」を行った際、記者に「新型コロナウイルスが感染拡大する中で東京五輪・パラリンピックを開催する意義について」尋ねられて、「正に、平和の祭典。一流のアスリートがこの東京に集まって、そして、スポーツの力で世界に発信をしていく。さらに、様々な壁を乗り越える努力をしている、障がい者も健常者も、パラリンピックもやりますから、そういう中で、そうした努力というものをしっかりと世界に向けて発信をしていく。そのための安心・安全の対策をしっかり講じた上で、そこはやっていきたい、こういうふうに思っています」と答えているが、丸川珠代が「スポーツの持つ力」を絶対視しているように菅義偉も「平和の祭典」を絶対視していることになる。
「平和の祭典」だからと言って、世の中がコロナの感染で「平和」でなければ、「平和の祭典」としてのバランスを失い、開催することに疑義が生じる。つまりあくまでも世の中あってのオリンピック・パラリンピックでなければならない。