2021年6月9日に菅内閣初となる党首討論が行われた。コロナ禍のオリンピック開催の是非が当然のこととして主要議題の一つとなったが、その議題については2021年6月7日の参議院決算委員会でのオリンピック開催に関わる菅義偉の考え方が直近の情報として受け継がれると思うから、そこでの立憲民主党の福山哲郎と菅義偉の質疑の一部を最初に取り上げることにする。
福山哲郎「復興五輪というスローガンもコロナに打ち勝ったというスローガンも全く国民の共鳴を得なくなりました。残念ながら政権を維持し、選挙に臨む切り札のように言われていることに私は極めて遺憾に思っています。選手や関係者のことを考えると、私もできる限り開催したいと思います。
しかし何が何でも強行に開催すればいいというものではないと思います。コロナ禍で行われるオリ・パラは失敗は許されません。人命が関わっています。先程水岡委員(福山哲郎の前の質問者で、同じ立憲民主党議員)も言われましたが、IOCの委員が緊急事態宣言の中でも絶対にできるとか、総理が中止を求めても、開催されるという発言は主権国家として看過できないと私は考えます。
総理は先程発言をされませんでしたが、総理は我が国の総理大臣です。こういった発言をIOCの委員にされることについて総理は何も言わないことは逆に東京で開くオリンピックの国民の思いが折れてしまいます。総理、一言言って頂きませんか。それは違うと。だから、総理として私も判断の一員だと。そう言って頂きませんか」
菅義偉「私もあとすぐに申し上げましたけど、国民の命と健康を守るのが私の責任だと。守れなければ、やらないと。これは当然のことじゃないでしょうか」
菅義偉は日本国首相としてオリ・パラの開催・中止・延期の決定権を握っている、あるいは与えられていることを国民に明らかにしたことになる。このことは2020年3月24日、当時の首相安倍晋三がIOC会長のバッハと電話会談、コロナの感染を理由に1年程度延期を申し出て、了承されたことが既に証明している。
当然、菅義偉が国民の命と健康を守ることができていないと判断する基準をどこに置いているのかが問題となる。
福山哲郎「海外からは新たな変異株が持ち込まれる可能性もあります。人流も増加します。医療体制が逼迫する可能性もあります。さらに感染者が増加すれば、医療体制が崩壊することも想定されます。政府が繰り返し述べている、総理が言っておられる『安心・安全の大会』を開催するためには開催を可能とする医療体制、感染者の数、そういった指標や判断基準を示す必要があるんじゃないんですか。
総理、判断基準を示して頂かなきゃいけないんじゃないんでしょうか。(緊急事態宣言の)解除を目的としているだけじゃダメです。さっきの丸川大臣の答弁も全く答弁になっていません。私は(開催の判断基準を示すことが)必要じゃないかと言っているんです。だから、今、答弁をくれとはいいません。そういった物が必要じゃないかと申し上げているから、総理、お答えください」
丸川珠代「先程申し上げましたシミュレーションを先ず見て、それが一体どのような日常の医療に負荷をかけるのかということをしっかり見て参りたいと思います。今暫くこの数字を詰める。お時間を頂戴したいと思います」
福山哲郎「一体いつまで出されて、誰がシミュレーションしているんですか。専門家がどの程度が関わっているんですか。尾身会長はこの問題について正式に依頼を受けていないと仰ってます。誰がこのシミュレーションを――」
丸川珠代「大会よりもかなり前に出させて頂きますが、相手があることですから、今はっきりと期限を申し上げられるような状況にはないんですが、東京都とも前提条件についてきちんと議論をしながら進めているところでございます」
「相手があることですから」と言っていることはシミュレーションの主体を指しているはずである。「大会よりもかなり前に出させて頂きます」と言っている以上、近々に公表することを「相手があることですから」と回避する正当性は見い出し難い。少なくとも福山哲郎の「誰がシミュレーションしているんですか」の質問に答える責任は有しているはずだが、答えずじまいにした。
この2021年6月7日の質疑から4日後、6月9日の党首討論から2日後の2021年6月11日付の「NHK NEWS WEB」記事によると、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会が6月11日に東京大会の新型コロナ対策を検討する専門家らによる3回目の会合を開き、観客を入れた場合の人の流れのシミュレーションや対策案などが話し合われたと伝えている。正式名をネットで調べたところ、「東京2020大会における新型コロナウイルス感染症対策のための専門家ラウンドテーブル」となっている。2021年5月28日に第2回会合が開催されているが、議事録を公開していないから、第3回会合も公開されないのだろう。
記事は、組織委員会は〈現時点で有効な観戦チケット(販売済みの使用可能なチケット)は全競技会場の収容人数に対して42%であることを明らかにした〉としている。このほかに1日で観客が最も多いのは7月31日の東京都で約22万5000人、東京大会の開催に伴う人の流れについて最も多い日で1日34万人の見込み。大会とは別に1日に都外から東京へ観光や出張で訪れる人は25万人、都外からの通勤や通学は194万人、その他海外からの大会関係者5万9000人、国内関係者等1万5000人、都内での競技の体験イベントや食べ物の販売などが行える「ライブサイト」3万7000人などと記事は伝えている。
都外から東京へ観光や出張で訪れる1日25万人+都外からの通勤や通学1日194万人+その他=225万人の相当な人流となる。人流の増減が感染の増減に対応している以上、五輪開催を受けた人流の増加は数字だけの意味で受け止めることはできなくなる。
記事は会合メンバーの発言を伝えている。
岡部信彦座長(川崎市健康安全研究所所長)「残念ながら感染者ゼロはありえないので少しでも減らすことが重要だ。発想を変えて遠隔での観戦を楽しんでもらえないかと提案した。例えばステージ4でステイホームと言っている時に、チケットを持っている人は自由に観戦にとは言えない」
中村英正(組織委員会メインオペレーションセンターチーフ)「観客上限について6月に方針を示すが、そのあとに何が起きるかは見通せない。当然いろんなケースを想定しないと安心安全な大会は開けない」
感染の増加と対応しているゆえに人流の増加に対する危機感は強い。
同じ内容を伝えている「asahi.com」(2021年6月11日 19時22分)記事は、〈全競技会場の最大収容人数の42%が販売済み〉で、〈朝日新聞の試算によると、大会全体の収容人数は1145万席。この42%は約480万枚となる。組織委は「500万枚には届かない。400万枚台」と説明している。〉と伝えていて、公表された「チケット保有者のエリア別の割合」も、〈東京、神奈川、千葉、埼玉にある競技会場のチケット所有者の7割が、この1都3県で生活する地元住民という。〉と伝えている。チケット代を無駄にしないために480万人から30万人引いて観客だけで少なくとも450万人が大会期間中に移動すると計算したとしても、この450万人のうちの7割315万人がオリンピック17日間、パラリンピック12日間、合計29日間で割ると、東京、神奈川、千葉、埼玉で計算上は1日平均約11万人程度が移動することになり、中都市は人口10万人以上の市、小都市は人口10万人未満の市となっているから、中都市と小都市の境目の人口の移動は場所によっては馬鹿にならない人流となる。当然、感染拡大の危険要因と用心しなければならない。但し、ワクチン接種の進行度によって、多少の違いはあるかもしれないが、65歳上高齢者接種完了を7月末とすると、その1週間前に五輪は開催されている。64歳以下も前倒しで行なわれているが、限定的な効果とならざるを得ないような状況にある。
記事は「観客による人流の増加は、夏休み期間で減少が見込まれる通学者の人流よりも少ない」との声を伝え得ているが、夏休み期間中の通学者がオリンピック開催のお祭り気分に刺激を受けて、ちょっとした買い物に出たり、映画を観に行ったり、ショッピングセンターに出掛けたり、テーマパークに出掛けたりの人流に早変わりしない保証はないことを考えると、相殺されて、その差はたいして変わらないということもあり得る。
6月7日の参議院決算委員会質疑に戻る。
福山哲郎「(自席に引き上げていく丸川珠代の背中に向かって)いつから、誰がシミュレーションしているようなことを国会答弁するのはやめて頂きたい。総理、どうですか。基準とか、今言われた感染者数とか、そういった医療体制とか、そういったものの判断基準を示すことが早急にあるんじゃないんですか。総理、お答えください」
菅義偉「私は先程から申し上げているとおりですね。選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心して参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていく。これが開催の前提条件であります。こうしたことを実現できるように対策を講じて参りますけども、これが前提が崩れれば、そうしたことを行わないということであります」
この「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心して参加できるようにする」としている言葉は菅義偉が東京大会というエリアだけの「安心・安全」を意図していて、国内一般の「安心・安全」との兼ね合いは念頭に置いていないことが分かる。当然、あとの「国民の命と健康を守っていく」は限定的な意味しか取らないことになるが、この関係は後でまた述べる。
福山哲郎「前提が崩れるかどうか、何で判断するんですか、総理」
菅義偉「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていく。これが大前提。
そして具体的な対策としては毎日大会関係者の先ず人数を絞り込んで、これ、当初の半分以下であります。選手大会関係者にワクチン接種を、ここは私が訪米したときにファイザーからこのオリンピック大会・パラリンピック大会への提供を受けましたので、そうした中でIOCが提案する中で、約8割のワクチン接種を行っているということでございます。
そうして大会関係者の行動を管理をして、一般との、国民との接触、ここは防止をします。入国する前に検査を2回、入国時にまた検査をし、徹底した検査をし、国民との接触を防止する。ま、そうした中で安全に接触を防止する。そう言うことによって感染の危険性がないように、そこはしっかりと講じていきたいと思います」
党首討論の参考のためにここまでを取り上げる。菅義偉は「国民の命と健康を守るのが私の責任だと。守れなければ、やらない」を日本国総理大臣としてのオリンピック開催の条件とした。これを受けて、福山哲郎が「総理が国民の命と健康を守ることができていないと判断する基準は」と一言質問していたなら、「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心して参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていく。これが開催の前提条件であります」といったこれまでも国会や記者会見でほぼ同じことを散々に答弁してきたことの繰り返しを演じさせることは止めることができただろう。このような答弁自体が「国民の命と健康を守ることができていないと判断する基準」を説明する言葉とはなっていなからだ。
菅義偉はまた大会関係者の行動管理によって「国民との接触を防止する」ことが感染防止対策となるようなことを言っているが、それはあくまでも大会関係者から国民への感染防止対策であって、五輪開催による人流増加を受けた国民から国民への感染防止対策は抜け落としたままにしている。もしかしたら、組織委員会は「東京2020大会における新型コロナウイルス感染症対策のための専門家ラウンドテーブル(第3回会合)」の人流増加が数字で示されることになるこの報告を党首討論後に合わせるよう公表したのだろうか。緊急事態宣言もまん延防止等重点措置も基本的には人流抑止が感染防止の主対策となっている。五輪開催はその逆の人流増加を招くことになるから、報告で明らかになる人流増加はそのまま感染増加のリスクに目を向けさせることになり、菅義偉にとって都合の悪い情報となるからである。
「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていく」と言っていることは大会関係者から国民への感染防止対策の効果を出したときのみに言えることで、五輪開催による人流増加を受けた国内一般での国民から国民への感染防止対策には一切触れていないから、その点での「国民の命と健康を守っていく」方法論は除外していることになって、必然的に「選手や大会関係者の感染対策」は「国民の命と健康を守っていく」ことを保証する感染防止対策としては万全な役目を果たすとは言えない限定を受けることになる。
要するに菅義偉は「選手や大会関係者の感染対策」が国内一般でのあらゆる感染リスクにも対応させた「国民の命と健康を守っていく」万全策であるかのように思わせる擬装を行っているに過ぎない。
菅義偉が五輪開催に関する発言で五輪という空間の「安心・安全」を言い立てているだけで、一般社会の「安心・安全」に言及しているわけではないことをブログに何度も書いてきたが、この手の擬装と対応している。だから、分科会会長の尾身茂は開催した場合の国民への感染増大の危険性を含めたリスク管理の必要性を訴えることになっている。
では、以上のことを認識した上で、「党首討論」 (THE PAGE/2021/6/9(水) 18:51配信)から立憲民主党代表枝野幸男と菅義偉の遣り取りのうち、オリンピックに関係する議論を取り上げ、最後に日本維新の会共同代表片山虎之助と菅の遣り取りに一言触れてみる。
枝野幸男「それではオリンピックに関連してお尋ねしたいと思います。総理は月曜日の参議院決算委員会で、国民の命と健康を守るのは自分の責任で、それがオリンピック開催の前提条件である。その前提が崩れたら行わないとおっしゃられました。大変勇気ある、しかし当然のご発言だというふうに思います。国民の命と健康という観点から私は最大のリスクは、開催を契機として国内で感染拡大を招くということだと思っています。総理の言う、国民の命と健康を守るとおっしゃるのは、大会参加者などによる直接的な感染拡大だけではなくて、当然のことながら、開催を契機として国内で感染が広がる。それが国民の命と健康を脅かすような事態は招かないと。こういうことも含むという意味でよろしいですね。確認させてください」
菅義偉「私自身、オリンピックについても私の考え方を是非説明させていただきたいと思います。東京大会は感染対策、水際対策、これを徹底して安全・安心なものにしなきゃならないと思います。海外から来る選手を始め大会関係者、これ、当初18万人といわれたんですけど半分以下に絞ります。それをさらに縮小する方向で今、検討しています。また、選手など8割以上はワクチンを接種して参加するということを、報告を受けています。入国前に2回、入国時に1回、そしてその後に3回、徹底して検査をし、選手については期間中も毎日行う。その予定であります。
また、海外メディアなどは組織委員会が管理するホテルにこれ集約をします。日本国民と接触することがないようにGPSを使って行動管理をし、検査もこれ、しっかり行います。また、事前に計画書を出させますから、登録をさせて、違反した場合は強制退去させます。この5月だけでも4回、テスト大会っていうものをやっています。感染対策を含めて、いろんな準備をして、1つ1つこうした対応を行っております。まさに安全・安心の大会にしたいというふうに思います。
それとよく、私にこれオリンピックについて聞かれるわけですけども、実は私自身、56年前の東京オリンピック大会、高校生でしたけども、いまだに鮮明に記憶しています。それは例を挙げますと例えば東洋の魔女といわれたバレーの選手。回転レシーブっていうのがありました。ボールに食いつくようにボールを拾って得点を挙げておりました。非常に印象に残っています。また、底知れない人間の能力というものを感じました、あのマラソンのアベベ選手も非常に印象に残っています。
そして何よりも私自身、記憶に残っていますのは、オランダのヘーシンク選手です。日本柔道が国際社会の中で、大会で初めて負けた試合でしたけども、悔しかったですけども、その後の対応、すごく印象に残っています。興奮したオランダの役員の人たちがヘーシンクに抱きついてくるのを制して、敗者である神永選手に対して敬意を払った、あの瞬間というのは私はずっと忘れることができなかったんです。そうしたことを子供たちにもやはり見てほしい。
さらに当時、パラリンピックが初めてパラリンピックと名前を付けて行った大会です。パラリンピック、障害者の皆さんには、まさに障害者スポーツに光が当たったのがあの日本の大会であります。そしてこのことを契機に、障害者の皆さんが社会進出を試みたい、まさに共生社会を実現するための1つの大きな契機になったというふうに思います」
枝野幸男「2年ぶりの党首討論ということで、多くの国民の皆さんが、特に感染症から、そしてオリンピックを開催して、命と暮らしを守れるのかどうか、注目されています。総理の後段のお話はここにはふさわしくないお話だったんではないかと言わざるを得ません。私たちは、例えば検査の対象は、私は場合によっては政令でも拡大できる話だと思いますし、100%しないとニュージーランドやオーストラリアのようなことができないのかというと、必ずしもそうではありません。徹底して1人の感染者の周辺を検査するということ自体、アプローチしてこなかったというのは間違いありません。
・・・・・・・(中略)・・・・・・・・
私のお尋ねには、なかなか正面から答えていただけませんでしたが、私はオリンピックに関連してなんとか選手やコーチの皆さんについては頑張られるんだと思います。ただ、例えば、これはオリンピックがもし開催されて、世界中から東京に人が集まる、日本中から人が集まる。そして夜遅くまでテレビで生中継されている。そういう状況のときに例えば感染が広がって、不要不急の外出を抑えてください。夜は飲食店をやめてください。あるいは営業をもう休業してください。こうしたことをお願いできますか。そしてお願いしたとしても説得力はありますか。
残念ながら、もしリバウンドの兆候が見えても、強い措置を取ってもなかなか国民の皆さんの理解が得られないという状況が、前後合わせると2カ月続くんです。夏休みとも重なります。東京で約半年にわたって事実上ずっとみんな我慢をしてきた。どこかで解除したら緩みは必ず出ます。それによって、急激な第5波でまた医療逼迫、それがオリンピックや、あるいは特に後半にあるパラリンピックに重なったら、どうなるんだと。
そういうことを考えたら、私は前回の東京オリンピックは、私の生まれた年です。だから私は見た経験はありません。でも生まれたときから、子供のころからオリンピックの年の生まれだね、言われてきたし言ってもきたし、それなりに思い入れがあるつもりですし、選手の努力を考えたら私もぜひ開催したいと思います。でも今日の総理のお答えを聞いたのでは、今のようなリスクも含めて本当に命と暮らしを守れるのか。命を失われたら取り返しがつかないんです。失われた命には、政治は責任を取れないんです。そのことについてのご認識が十分ではないのではないかと、残念ながら言わざるを得ません」
30兆円規模の補正予算の速やかな編成の追及へと移る。
枝野幸男は最初に「総理は月曜日の参議院決算委員会で、国民の命と健康を守るのは自分の責任で、それがオリンピック開催の前提条件である。その前提が崩れたら行わないとおっしゃった」と質問の矢を放ったが、菅義偉のこの発言から東京オリンピック・パラリンピックの開催・中止・延期の決定権を日本国首相として握っているということを読み取り、当然確認しておかなければならない、「その前提が崩れたら行わないと判断する基準をどこに置いているのか」の肝心な質問は一言も尋ねもせずに、「当然のご発言だ」で片付けている。
この「基準」を確認しなければ、開催中止、あるいは開催延期の要求は菅義偉の「安全・安心の大会を実現する」の抽象的な言葉で簡単に跳ね返され続けることになる。
枝野幸男は次に「総理の言う、国民の命と健康を守るとおっしゃるのは、大会参加者などによる直接的な感染拡大だけではなくて、当然のことながら、開催を契機として国内で感染が広がる。それが国民の命と健康を脅かすような事態は招かないと。こういうことも含むという意味でよろしいですね。確認させてください」と尋ねた。
対する菅義偉の答弁は大会参加者に対する感染対策を述べただけだから、五輪の感染対策絡みで普段口にしている「国民の命と健康を守る」と同様、大会参加者を通した国民への感染拡大を阻止する観点から「国民の命と健康を守る」と言っているに過ぎない。五輪開催を受けた人流増加によって国民から国民への感染の機会・危険の増大が想定される危機管理の観点からその感染防止対策を打ち出して、その水平線上で、いわば社会全体に目を向けて「国民の命と健康を守る」と確約しているわけではない。枝野幸男がこのことを菅義偉のこれまでの国会答弁や記者会見発言から学習していたなら、何らかの反論を加えることができただろうが、何の反論もしなかった。
菅義偉が1964年10月の第1回東京オリンピックでの東洋の魔女やオランダの柔道選手ヘーシンク選手やマラソンのアベベ選手の素晴らしい活躍が人々に感動を与えたことと、この大会で初めて開催されたパラリンピックに参加した障害者の活躍が彼らの社会進出、共生社会実現の「1つの大きな契機になった」ことなどを挙げて、オリンピック・パラリンピックの価値を述べ、開催の理由としていたことに対して枝野幸男は「総理の後段のお話はここにはふさわしくないお話だったんではないかと言わざるを得ません」のみで片付けている。つまり1964年の日本の社会と57年後の20021年7月から8月の日本の社会を同列に扱っていることに何の異議申し立ても行なわなかった。
長い期間に亘って多くの死者・重傷者を出し、医療逼迫を招き、社会・経済活動の極度な制限を強いるパンデミック状態にあるコロナ禍での五輪開催の是非を議論しているのだから、1964年との比較で2021年開催の妥当性を主張し、その主張を正当づけるためには1964年が少なくとも東日本大震災のような大自然災害に見舞われていたか、コロナ同様の何らかの感染症がパンデミック状態にあったものの、それらの災厄を克服した中での開催だったのだから、2021年の現在の状況の中でも開催は可能であるとする議論は成り立つが、1964年はそういった困難に日本社会が見舞われていた中での開催ではなかったではないか、比較することはできないではないかと反論しなければならなかった。
少なくとも1964年の社会状況と2021年の社会状況を同一レベルで扱っていいのかと尋ねるべきだったろう。つまり菅義偉はオリンピックだけのことを頭に置いて、比較できないことを得々と比較したに過ぎなかった。枝野幸男側から言うと、菅義偉が比較できないことを比較するするのを安々と許してしまった。
NHKまとめによると、2021年6月12日 23:59 時点での国内のコロナ感染による累積死者数は1万4042人+クルーズ船13人=1万4055人となっている。重傷者数は852人だが、回復して社会復帰している感染者もいるから、述べ人数はずっと多くなる。
警察庁発表の2021年3月10日時点での東日本大震災での死者1万5899人、重軽傷者6157人、警察に届出があった行方不明者2526人のうちの死者1万5899人に迫るコロナ感染累積死者数1万4055人である。
要するにコロナ禍から国民の命と健康を守ることができていない。オリンピックというエリアのみが「安心・安全」であればいいという理由は成り立たない。当然、このような状況をオリンピック開催までに断ち切ることができず、続くようなら、開催強行は日本政府のトップ菅義偉による人命軽視行為となる。
こういった認識を持てずに開催することだけが頭にあるからなのだろう、菅義偉は1964年の第1回東京オリンピックの高校生のときだったという思い出話を素晴らしいことのように語った。菅義偉の脳ミソの程度を疑いたくなる。
菅義偉は第1回東京パラリンピックを持ち出して、障害者の社会進出、共生社会実現の「1つの大きな契機になった」とその意義を強調しているが、意義を強調する資格は政治に携わる者として国際比較した場合の日本の障害者の社会進出、日本の共生社会実現が質を伴った形で上位になければならない。
先ず障害者の社会進出を「日本と世界のバリアフリー事情」(NHK視点・論点/2020年10月19日)から見てみる。
〈野球場の車イス席の設置数を見てみましょう。公式ホームページによると東京ドームは、22席。甲子園は35席です。アメリカ、サンフランシスコの野球場では、300以上の車イス席がどのエリアにも設置。ヤンキースタジアムも500席以上。〉
約1年前の情報だが、この1年間で日本の車イス席が増えたとしても、アメリカの数に敵わないのは目に見えている。車イス席の数そのものが障害者の社会進出の程度そのものを物語り、共生社会実現の程度を物語っていることになるだけではなく、社会進出や共生社会の質も一定程度示唆している。
日本障害者法定雇用率は2021年3月から民間企業の法定雇用率は2.3%、国や地方公共団体は2.6%、都道府県などの教育委員会は2.5%となったが、政府が障害者の採用を盛んに尻を叩いているからか、それぞれの実雇用率は各法定雇用率に迫っている。結構なことだが、「障害者雇用からはじまる『働き方改革』取り巻く潮流と未来を予測」(チャレンジラボ/2019.08.08)に次のような一文がある。
〈スウェーデンやデンマークなどは法定雇用率がありません。日本企業にとってみれば、「義務もペナルティもないのに、なぜ障害者雇用を進められるのか」という疑問もわいてくるでしょう。
私たちがスウェーデンのホテルチェーン企業でヒヤリングを行ったとき、最初に障害者の雇用者数を聞いたところ「カウントしたことがない」と返されました。彼らの間で障害者は「さまざまな特徴・特性を持った人たちの1人」という考え方が自然のようでした。もともと社会全体に、言葉も文化も違う移民が多いという背景もあるかもしれません。〉
〈もともと社会全体に、言葉も文化も違う移民が多いという背景もあるかもしれません。〉という評価がどの程度の妥当性を持ち得ているかどうかは門外漢として判定できないが、要するに障害者を対等な1個の人間として区別なく対面できている様子を窺うことができる。いくら日本の障害者実雇用率が法定雇用率に迫っていたとしても、対等な姿勢を持ち得た対面を日常的にできていなければ、実雇用率は色褪せることになる。菅義偉が日本社会が障害者を1個の人間視できている環境にまで成熟できているかどうかまで考えて第1回東京パラリンピックが障害者の社会進出、共生社会実現の「1つの大きな契機になった」と言ったかどうかは極めて疑わしい。
参考までに「note」(2019/11/11 11:49)が行ったアンケート期間2017/8/4~2017/8/10(有効回答者数:326名)のインターネット調査「障がい者に対する差別・偏見に関する調査」を挙げておく。
「あなたはどのような場所で差別・偏見を受けたと感じた経験がありますか」 (複数選択可)
職場 56%
公共交通機関 30%
実際に第1回東京パラリンピックが障害者の社会進出、共生社会実現の「1つの大きな契機になった」が事実だったとしても、生きていてこその障害者の社会進出であり、共生社会の実現である。コロナで命の保障がなくなったなら、社会進出や共生社会の実現が潰える障害者も出てくる。そして命は健常者・障害者の違いに関わらずに全ての人間に対して相互に保障されなければならない。日本国憲法第13条の「すべて国民は、個人として尊重される」は命の相互的な保障を謳っている。コロナから「国民の命と健康を守る」ことができない状況を放置したまま、五輪競技に於ける障害者の活躍がほかの障害者やその他を勇気づけることになるとの理由で開催することは命の相互保障に反することになる。
枝野幸男は以上見てきたように菅義偉の「国民の命と健康を守るのは自分の責任で、それがオリンピック開催の前提条件である。その前提が崩れたら行わない」とする発言に対して「その前提が崩れたら行わないと判断する基準をどこに置いているのか」と尋ねる肝心な質問を失念させたこと、
菅義偉の言う大会参加者に対する感染対策が社会全体に目を向けた「国民の命と健康を守る」の確約となっていないことの矛盾を放置させたこと、菅義偉が時代性を無視して第1回東京オリンピック・パラリンピック開催の1964年と第2回が開催される2021年を同列に扱ったことに気づかなかったこと等々は枝野幸男の学習不足から明らかに来ている失態であろう。
では、日本維新の会の片山虎之助の質問に対する菅義偉のか違った答弁を見てみる。文飾は当方。
片山虎之助「それからオリパラについては、もう時間がほとんどありませんが、開催する都市というのは東京都なんですよ。開催都市っちゅうんですかね。どうもその東京都があまり出ない。総理がですよ、非常に矢面に立って、オリパラをどうするということで、例えば専門家会議との間のあれでいろいろと攻撃といったらあれですが、攻撃されていますよね。それ本当はもっと東京都知事の小池さんが出なきゃ私はいかんと思うんですよ。後方支援なんですよ、総理は。それが表に出ていっているんで、私はもっとそこの連携がうまくいっているのかと思うのですが、いかがですか」
菅義偉「私が申し上げたいことを言っていただいて大変うれしく思います。私はそういう答弁をしても責任は全部総理大臣だろうと、国会議論というのはほとんどそうなっています。総理大臣の判断。しかし、ご承知のとおり、今、片山代表からお話しいただいたのが筋道としてはそうだというふうに思います。ただ、私も逃げる気持ちはありませんし、そうした中で国会ではそういう議論になっていることを、私自身は大変残念だなというふうに思っています」
地方自治法の「第一条の二の②」は国と地方公共団体との間の基本的関係を規定している。〈② 国は、前項の規定(国と地方公共団体との間の基本的関係の確立)の趣旨を達成するため、国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務、全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務又は全国的な規模で若しくは全国的な視点に立つて行わなければならない施策及び事業の実施その他の国が本来果たすべき役割を重点的に担い、住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として、地方公共団体との間で適切に役割を分担するとともに、地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たつて、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない。〉
オリンピック・パラリンピックの開催は「国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務」に当り、「全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動」の一つに相当、「全国的な視点に立つて行わなければならない施策及び事業の実施」に合致する。だから政府は先頭に立って五輪を誘致したり、カネを出し、国立競技場の建て替えを行ったりする。東京オリンピック・パラリンピックの開催都市は東京都であっても、国が国としての自らの責任上、大きく関わっていて、それゆえに菅義偉が言っていたように「国民の命と健康を守るのが私の責任だと。守れなければ、やらない」と開催だけではなく、開催を中止する、あるいは延期する決定権を国は握っていることになる。
当然、開催か否かの責任に関しては東京都よりも上位にある。にも関わらず菅義偉は「私はそういう答弁をしても責任は全部総理大臣だろうと、国会議論というのはほとんどそうなっています」と責任逃れの答弁をして何とも思わない態度を取ることができる。
再び言う。コロナから国民の命と健康を守ることができていると判断不可の状況下での五輪開催は日本の首相菅義偉による人命軽視行為にほかならない。
福山哲郎「復興五輪というスローガンもコロナに打ち勝ったというスローガンも全く国民の共鳴を得なくなりました。残念ながら政権を維持し、選挙に臨む切り札のように言われていることに私は極めて遺憾に思っています。選手や関係者のことを考えると、私もできる限り開催したいと思います。
しかし何が何でも強行に開催すればいいというものではないと思います。コロナ禍で行われるオリ・パラは失敗は許されません。人命が関わっています。先程水岡委員(福山哲郎の前の質問者で、同じ立憲民主党議員)も言われましたが、IOCの委員が緊急事態宣言の中でも絶対にできるとか、総理が中止を求めても、開催されるという発言は主権国家として看過できないと私は考えます。
総理は先程発言をされませんでしたが、総理は我が国の総理大臣です。こういった発言をIOCの委員にされることについて総理は何も言わないことは逆に東京で開くオリンピックの国民の思いが折れてしまいます。総理、一言言って頂きませんか。それは違うと。だから、総理として私も判断の一員だと。そう言って頂きませんか」
菅義偉「私もあとすぐに申し上げましたけど、国民の命と健康を守るのが私の責任だと。守れなければ、やらないと。これは当然のことじゃないでしょうか」
菅義偉は日本国首相としてオリ・パラの開催・中止・延期の決定権を握っている、あるいは与えられていることを国民に明らかにしたことになる。このことは2020年3月24日、当時の首相安倍晋三がIOC会長のバッハと電話会談、コロナの感染を理由に1年程度延期を申し出て、了承されたことが既に証明している。
当然、菅義偉が国民の命と健康を守ることができていないと判断する基準をどこに置いているのかが問題となる。
福山哲郎「海外からは新たな変異株が持ち込まれる可能性もあります。人流も増加します。医療体制が逼迫する可能性もあります。さらに感染者が増加すれば、医療体制が崩壊することも想定されます。政府が繰り返し述べている、総理が言っておられる『安心・安全の大会』を開催するためには開催を可能とする医療体制、感染者の数、そういった指標や判断基準を示す必要があるんじゃないんですか。
総理、判断基準を示して頂かなきゃいけないんじゃないんでしょうか。(緊急事態宣言の)解除を目的としているだけじゃダメです。さっきの丸川大臣の答弁も全く答弁になっていません。私は(開催の判断基準を示すことが)必要じゃないかと言っているんです。だから、今、答弁をくれとはいいません。そういった物が必要じゃないかと申し上げているから、総理、お答えください」
丸川珠代「先程申し上げましたシミュレーションを先ず見て、それが一体どのような日常の医療に負荷をかけるのかということをしっかり見て参りたいと思います。今暫くこの数字を詰める。お時間を頂戴したいと思います」
福山哲郎「一体いつまで出されて、誰がシミュレーションしているんですか。専門家がどの程度が関わっているんですか。尾身会長はこの問題について正式に依頼を受けていないと仰ってます。誰がこのシミュレーションを――」
丸川珠代「大会よりもかなり前に出させて頂きますが、相手があることですから、今はっきりと期限を申し上げられるような状況にはないんですが、東京都とも前提条件についてきちんと議論をしながら進めているところでございます」
「相手があることですから」と言っていることはシミュレーションの主体を指しているはずである。「大会よりもかなり前に出させて頂きます」と言っている以上、近々に公表することを「相手があることですから」と回避する正当性は見い出し難い。少なくとも福山哲郎の「誰がシミュレーションしているんですか」の質問に答える責任は有しているはずだが、答えずじまいにした。
この2021年6月7日の質疑から4日後、6月9日の党首討論から2日後の2021年6月11日付の「NHK NEWS WEB」記事によると、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会が6月11日に東京大会の新型コロナ対策を検討する専門家らによる3回目の会合を開き、観客を入れた場合の人の流れのシミュレーションや対策案などが話し合われたと伝えている。正式名をネットで調べたところ、「東京2020大会における新型コロナウイルス感染症対策のための専門家ラウンドテーブル」となっている。2021年5月28日に第2回会合が開催されているが、議事録を公開していないから、第3回会合も公開されないのだろう。
記事は、組織委員会は〈現時点で有効な観戦チケット(販売済みの使用可能なチケット)は全競技会場の収容人数に対して42%であることを明らかにした〉としている。このほかに1日で観客が最も多いのは7月31日の東京都で約22万5000人、東京大会の開催に伴う人の流れについて最も多い日で1日34万人の見込み。大会とは別に1日に都外から東京へ観光や出張で訪れる人は25万人、都外からの通勤や通学は194万人、その他海外からの大会関係者5万9000人、国内関係者等1万5000人、都内での競技の体験イベントや食べ物の販売などが行える「ライブサイト」3万7000人などと記事は伝えている。
都外から東京へ観光や出張で訪れる1日25万人+都外からの通勤や通学1日194万人+その他=225万人の相当な人流となる。人流の増減が感染の増減に対応している以上、五輪開催を受けた人流の増加は数字だけの意味で受け止めることはできなくなる。
記事は会合メンバーの発言を伝えている。
岡部信彦座長(川崎市健康安全研究所所長)「残念ながら感染者ゼロはありえないので少しでも減らすことが重要だ。発想を変えて遠隔での観戦を楽しんでもらえないかと提案した。例えばステージ4でステイホームと言っている時に、チケットを持っている人は自由に観戦にとは言えない」
中村英正(組織委員会メインオペレーションセンターチーフ)「観客上限について6月に方針を示すが、そのあとに何が起きるかは見通せない。当然いろんなケースを想定しないと安心安全な大会は開けない」
感染の増加と対応しているゆえに人流の増加に対する危機感は強い。
同じ内容を伝えている「asahi.com」(2021年6月11日 19時22分)記事は、〈全競技会場の最大収容人数の42%が販売済み〉で、〈朝日新聞の試算によると、大会全体の収容人数は1145万席。この42%は約480万枚となる。組織委は「500万枚には届かない。400万枚台」と説明している。〉と伝えていて、公表された「チケット保有者のエリア別の割合」も、〈東京、神奈川、千葉、埼玉にある競技会場のチケット所有者の7割が、この1都3県で生活する地元住民という。〉と伝えている。チケット代を無駄にしないために480万人から30万人引いて観客だけで少なくとも450万人が大会期間中に移動すると計算したとしても、この450万人のうちの7割315万人がオリンピック17日間、パラリンピック12日間、合計29日間で割ると、東京、神奈川、千葉、埼玉で計算上は1日平均約11万人程度が移動することになり、中都市は人口10万人以上の市、小都市は人口10万人未満の市となっているから、中都市と小都市の境目の人口の移動は場所によっては馬鹿にならない人流となる。当然、感染拡大の危険要因と用心しなければならない。但し、ワクチン接種の進行度によって、多少の違いはあるかもしれないが、65歳上高齢者接種完了を7月末とすると、その1週間前に五輪は開催されている。64歳以下も前倒しで行なわれているが、限定的な効果とならざるを得ないような状況にある。
記事は「観客による人流の増加は、夏休み期間で減少が見込まれる通学者の人流よりも少ない」との声を伝え得ているが、夏休み期間中の通学者がオリンピック開催のお祭り気分に刺激を受けて、ちょっとした買い物に出たり、映画を観に行ったり、ショッピングセンターに出掛けたり、テーマパークに出掛けたりの人流に早変わりしない保証はないことを考えると、相殺されて、その差はたいして変わらないということもあり得る。
6月7日の参議院決算委員会質疑に戻る。
福山哲郎「(自席に引き上げていく丸川珠代の背中に向かって)いつから、誰がシミュレーションしているようなことを国会答弁するのはやめて頂きたい。総理、どうですか。基準とか、今言われた感染者数とか、そういった医療体制とか、そういったものの判断基準を示すことが早急にあるんじゃないんですか。総理、お答えください」
菅義偉「私は先程から申し上げているとおりですね。選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心して参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていく。これが開催の前提条件であります。こうしたことを実現できるように対策を講じて参りますけども、これが前提が崩れれば、そうしたことを行わないということであります」
この「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心して参加できるようにする」としている言葉は菅義偉が東京大会というエリアだけの「安心・安全」を意図していて、国内一般の「安心・安全」との兼ね合いは念頭に置いていないことが分かる。当然、あとの「国民の命と健康を守っていく」は限定的な意味しか取らないことになるが、この関係は後でまた述べる。
福山哲郎「前提が崩れるかどうか、何で判断するんですか、総理」
菅義偉「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていく。これが大前提。
そして具体的な対策としては毎日大会関係者の先ず人数を絞り込んで、これ、当初の半分以下であります。選手大会関係者にワクチン接種を、ここは私が訪米したときにファイザーからこのオリンピック大会・パラリンピック大会への提供を受けましたので、そうした中でIOCが提案する中で、約8割のワクチン接種を行っているということでございます。
そうして大会関係者の行動を管理をして、一般との、国民との接触、ここは防止をします。入国する前に検査を2回、入国時にまた検査をし、徹底した検査をし、国民との接触を防止する。ま、そうした中で安全に接触を防止する。そう言うことによって感染の危険性がないように、そこはしっかりと講じていきたいと思います」
党首討論の参考のためにここまでを取り上げる。菅義偉は「国民の命と健康を守るのが私の責任だと。守れなければ、やらない」を日本国総理大臣としてのオリンピック開催の条件とした。これを受けて、福山哲郎が「総理が国民の命と健康を守ることができていないと判断する基準は」と一言質問していたなら、「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心して参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていく。これが開催の前提条件であります」といったこれまでも国会や記者会見でほぼ同じことを散々に答弁してきたことの繰り返しを演じさせることは止めることができただろう。このような答弁自体が「国民の命と健康を守ることができていないと判断する基準」を説明する言葉とはなっていなからだ。
菅義偉はまた大会関係者の行動管理によって「国民との接触を防止する」ことが感染防止対策となるようなことを言っているが、それはあくまでも大会関係者から国民への感染防止対策であって、五輪開催による人流増加を受けた国民から国民への感染防止対策は抜け落としたままにしている。もしかしたら、組織委員会は「東京2020大会における新型コロナウイルス感染症対策のための専門家ラウンドテーブル(第3回会合)」の人流増加が数字で示されることになるこの報告を党首討論後に合わせるよう公表したのだろうか。緊急事態宣言もまん延防止等重点措置も基本的には人流抑止が感染防止の主対策となっている。五輪開催はその逆の人流増加を招くことになるから、報告で明らかになる人流増加はそのまま感染増加のリスクに目を向けさせることになり、菅義偉にとって都合の悪い情報となるからである。
「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じて、世界から選手が安心参加できるようにすると共に国民の命と健康を守っていく」と言っていることは大会関係者から国民への感染防止対策の効果を出したときのみに言えることで、五輪開催による人流増加を受けた国内一般での国民から国民への感染防止対策には一切触れていないから、その点での「国民の命と健康を守っていく」方法論は除外していることになって、必然的に「選手や大会関係者の感染対策」は「国民の命と健康を守っていく」ことを保証する感染防止対策としては万全な役目を果たすとは言えない限定を受けることになる。
要するに菅義偉は「選手や大会関係者の感染対策」が国内一般でのあらゆる感染リスクにも対応させた「国民の命と健康を守っていく」万全策であるかのように思わせる擬装を行っているに過ぎない。
菅義偉が五輪開催に関する発言で五輪という空間の「安心・安全」を言い立てているだけで、一般社会の「安心・安全」に言及しているわけではないことをブログに何度も書いてきたが、この手の擬装と対応している。だから、分科会会長の尾身茂は開催した場合の国民への感染増大の危険性を含めたリスク管理の必要性を訴えることになっている。
では、以上のことを認識した上で、「党首討論」 (THE PAGE/2021/6/9(水) 18:51配信)から立憲民主党代表枝野幸男と菅義偉の遣り取りのうち、オリンピックに関係する議論を取り上げ、最後に日本維新の会共同代表片山虎之助と菅の遣り取りに一言触れてみる。
枝野幸男「それではオリンピックに関連してお尋ねしたいと思います。総理は月曜日の参議院決算委員会で、国民の命と健康を守るのは自分の責任で、それがオリンピック開催の前提条件である。その前提が崩れたら行わないとおっしゃられました。大変勇気ある、しかし当然のご発言だというふうに思います。国民の命と健康という観点から私は最大のリスクは、開催を契機として国内で感染拡大を招くということだと思っています。総理の言う、国民の命と健康を守るとおっしゃるのは、大会参加者などによる直接的な感染拡大だけではなくて、当然のことながら、開催を契機として国内で感染が広がる。それが国民の命と健康を脅かすような事態は招かないと。こういうことも含むという意味でよろしいですね。確認させてください」
菅義偉「私自身、オリンピックについても私の考え方を是非説明させていただきたいと思います。東京大会は感染対策、水際対策、これを徹底して安全・安心なものにしなきゃならないと思います。海外から来る選手を始め大会関係者、これ、当初18万人といわれたんですけど半分以下に絞ります。それをさらに縮小する方向で今、検討しています。また、選手など8割以上はワクチンを接種して参加するということを、報告を受けています。入国前に2回、入国時に1回、そしてその後に3回、徹底して検査をし、選手については期間中も毎日行う。その予定であります。
また、海外メディアなどは組織委員会が管理するホテルにこれ集約をします。日本国民と接触することがないようにGPSを使って行動管理をし、検査もこれ、しっかり行います。また、事前に計画書を出させますから、登録をさせて、違反した場合は強制退去させます。この5月だけでも4回、テスト大会っていうものをやっています。感染対策を含めて、いろんな準備をして、1つ1つこうした対応を行っております。まさに安全・安心の大会にしたいというふうに思います。
それとよく、私にこれオリンピックについて聞かれるわけですけども、実は私自身、56年前の東京オリンピック大会、高校生でしたけども、いまだに鮮明に記憶しています。それは例を挙げますと例えば東洋の魔女といわれたバレーの選手。回転レシーブっていうのがありました。ボールに食いつくようにボールを拾って得点を挙げておりました。非常に印象に残っています。また、底知れない人間の能力というものを感じました、あのマラソンのアベベ選手も非常に印象に残っています。
そして何よりも私自身、記憶に残っていますのは、オランダのヘーシンク選手です。日本柔道が国際社会の中で、大会で初めて負けた試合でしたけども、悔しかったですけども、その後の対応、すごく印象に残っています。興奮したオランダの役員の人たちがヘーシンクに抱きついてくるのを制して、敗者である神永選手に対して敬意を払った、あの瞬間というのは私はずっと忘れることができなかったんです。そうしたことを子供たちにもやはり見てほしい。
さらに当時、パラリンピックが初めてパラリンピックと名前を付けて行った大会です。パラリンピック、障害者の皆さんには、まさに障害者スポーツに光が当たったのがあの日本の大会であります。そしてこのことを契機に、障害者の皆さんが社会進出を試みたい、まさに共生社会を実現するための1つの大きな契機になったというふうに思います」
枝野幸男「2年ぶりの党首討論ということで、多くの国民の皆さんが、特に感染症から、そしてオリンピックを開催して、命と暮らしを守れるのかどうか、注目されています。総理の後段のお話はここにはふさわしくないお話だったんではないかと言わざるを得ません。私たちは、例えば検査の対象は、私は場合によっては政令でも拡大できる話だと思いますし、100%しないとニュージーランドやオーストラリアのようなことができないのかというと、必ずしもそうではありません。徹底して1人の感染者の周辺を検査するということ自体、アプローチしてこなかったというのは間違いありません。
・・・・・・・(中略)・・・・・・・・
私のお尋ねには、なかなか正面から答えていただけませんでしたが、私はオリンピックに関連してなんとか選手やコーチの皆さんについては頑張られるんだと思います。ただ、例えば、これはオリンピックがもし開催されて、世界中から東京に人が集まる、日本中から人が集まる。そして夜遅くまでテレビで生中継されている。そういう状況のときに例えば感染が広がって、不要不急の外出を抑えてください。夜は飲食店をやめてください。あるいは営業をもう休業してください。こうしたことをお願いできますか。そしてお願いしたとしても説得力はありますか。
残念ながら、もしリバウンドの兆候が見えても、強い措置を取ってもなかなか国民の皆さんの理解が得られないという状況が、前後合わせると2カ月続くんです。夏休みとも重なります。東京で約半年にわたって事実上ずっとみんな我慢をしてきた。どこかで解除したら緩みは必ず出ます。それによって、急激な第5波でまた医療逼迫、それがオリンピックや、あるいは特に後半にあるパラリンピックに重なったら、どうなるんだと。
そういうことを考えたら、私は前回の東京オリンピックは、私の生まれた年です。だから私は見た経験はありません。でも生まれたときから、子供のころからオリンピックの年の生まれだね、言われてきたし言ってもきたし、それなりに思い入れがあるつもりですし、選手の努力を考えたら私もぜひ開催したいと思います。でも今日の総理のお答えを聞いたのでは、今のようなリスクも含めて本当に命と暮らしを守れるのか。命を失われたら取り返しがつかないんです。失われた命には、政治は責任を取れないんです。そのことについてのご認識が十分ではないのではないかと、残念ながら言わざるを得ません」
30兆円規模の補正予算の速やかな編成の追及へと移る。
枝野幸男は最初に「総理は月曜日の参議院決算委員会で、国民の命と健康を守るのは自分の責任で、それがオリンピック開催の前提条件である。その前提が崩れたら行わないとおっしゃった」と質問の矢を放ったが、菅義偉のこの発言から東京オリンピック・パラリンピックの開催・中止・延期の決定権を日本国首相として握っているということを読み取り、当然確認しておかなければならない、「その前提が崩れたら行わないと判断する基準をどこに置いているのか」の肝心な質問は一言も尋ねもせずに、「当然のご発言だ」で片付けている。
この「基準」を確認しなければ、開催中止、あるいは開催延期の要求は菅義偉の「安全・安心の大会を実現する」の抽象的な言葉で簡単に跳ね返され続けることになる。
枝野幸男は次に「総理の言う、国民の命と健康を守るとおっしゃるのは、大会参加者などによる直接的な感染拡大だけではなくて、当然のことながら、開催を契機として国内で感染が広がる。それが国民の命と健康を脅かすような事態は招かないと。こういうことも含むという意味でよろしいですね。確認させてください」と尋ねた。
対する菅義偉の答弁は大会参加者に対する感染対策を述べただけだから、五輪の感染対策絡みで普段口にしている「国民の命と健康を守る」と同様、大会参加者を通した国民への感染拡大を阻止する観点から「国民の命と健康を守る」と言っているに過ぎない。五輪開催を受けた人流増加によって国民から国民への感染の機会・危険の増大が想定される危機管理の観点からその感染防止対策を打ち出して、その水平線上で、いわば社会全体に目を向けて「国民の命と健康を守る」と確約しているわけではない。枝野幸男がこのことを菅義偉のこれまでの国会答弁や記者会見発言から学習していたなら、何らかの反論を加えることができただろうが、何の反論もしなかった。
菅義偉が1964年10月の第1回東京オリンピックでの東洋の魔女やオランダの柔道選手ヘーシンク選手やマラソンのアベベ選手の素晴らしい活躍が人々に感動を与えたことと、この大会で初めて開催されたパラリンピックに参加した障害者の活躍が彼らの社会進出、共生社会実現の「1つの大きな契機になった」ことなどを挙げて、オリンピック・パラリンピックの価値を述べ、開催の理由としていたことに対して枝野幸男は「総理の後段のお話はここにはふさわしくないお話だったんではないかと言わざるを得ません」のみで片付けている。つまり1964年の日本の社会と57年後の20021年7月から8月の日本の社会を同列に扱っていることに何の異議申し立ても行なわなかった。
長い期間に亘って多くの死者・重傷者を出し、医療逼迫を招き、社会・経済活動の極度な制限を強いるパンデミック状態にあるコロナ禍での五輪開催の是非を議論しているのだから、1964年との比較で2021年開催の妥当性を主張し、その主張を正当づけるためには1964年が少なくとも東日本大震災のような大自然災害に見舞われていたか、コロナ同様の何らかの感染症がパンデミック状態にあったものの、それらの災厄を克服した中での開催だったのだから、2021年の現在の状況の中でも開催は可能であるとする議論は成り立つが、1964年はそういった困難に日本社会が見舞われていた中での開催ではなかったではないか、比較することはできないではないかと反論しなければならなかった。
少なくとも1964年の社会状況と2021年の社会状況を同一レベルで扱っていいのかと尋ねるべきだったろう。つまり菅義偉はオリンピックだけのことを頭に置いて、比較できないことを得々と比較したに過ぎなかった。枝野幸男側から言うと、菅義偉が比較できないことを比較するするのを安々と許してしまった。
NHKまとめによると、2021年6月12日 23:59 時点での国内のコロナ感染による累積死者数は1万4042人+クルーズ船13人=1万4055人となっている。重傷者数は852人だが、回復して社会復帰している感染者もいるから、述べ人数はずっと多くなる。
警察庁発表の2021年3月10日時点での東日本大震災での死者1万5899人、重軽傷者6157人、警察に届出があった行方不明者2526人のうちの死者1万5899人に迫るコロナ感染累積死者数1万4055人である。
要するにコロナ禍から国民の命と健康を守ることができていない。オリンピックというエリアのみが「安心・安全」であればいいという理由は成り立たない。当然、このような状況をオリンピック開催までに断ち切ることができず、続くようなら、開催強行は日本政府のトップ菅義偉による人命軽視行為となる。
こういった認識を持てずに開催することだけが頭にあるからなのだろう、菅義偉は1964年の第1回東京オリンピックの高校生のときだったという思い出話を素晴らしいことのように語った。菅義偉の脳ミソの程度を疑いたくなる。
菅義偉は第1回東京パラリンピックを持ち出して、障害者の社会進出、共生社会実現の「1つの大きな契機になった」とその意義を強調しているが、意義を強調する資格は政治に携わる者として国際比較した場合の日本の障害者の社会進出、日本の共生社会実現が質を伴った形で上位になければならない。
先ず障害者の社会進出を「日本と世界のバリアフリー事情」(NHK視点・論点/2020年10月19日)から見てみる。
〈野球場の車イス席の設置数を見てみましょう。公式ホームページによると東京ドームは、22席。甲子園は35席です。アメリカ、サンフランシスコの野球場では、300以上の車イス席がどのエリアにも設置。ヤンキースタジアムも500席以上。〉
約1年前の情報だが、この1年間で日本の車イス席が増えたとしても、アメリカの数に敵わないのは目に見えている。車イス席の数そのものが障害者の社会進出の程度そのものを物語り、共生社会実現の程度を物語っていることになるだけではなく、社会進出や共生社会の質も一定程度示唆している。
日本障害者法定雇用率は2021年3月から民間企業の法定雇用率は2.3%、国や地方公共団体は2.6%、都道府県などの教育委員会は2.5%となったが、政府が障害者の採用を盛んに尻を叩いているからか、それぞれの実雇用率は各法定雇用率に迫っている。結構なことだが、「障害者雇用からはじまる『働き方改革』取り巻く潮流と未来を予測」(チャレンジラボ/2019.08.08)に次のような一文がある。
〈スウェーデンやデンマークなどは法定雇用率がありません。日本企業にとってみれば、「義務もペナルティもないのに、なぜ障害者雇用を進められるのか」という疑問もわいてくるでしょう。
私たちがスウェーデンのホテルチェーン企業でヒヤリングを行ったとき、最初に障害者の雇用者数を聞いたところ「カウントしたことがない」と返されました。彼らの間で障害者は「さまざまな特徴・特性を持った人たちの1人」という考え方が自然のようでした。もともと社会全体に、言葉も文化も違う移民が多いという背景もあるかもしれません。〉
〈もともと社会全体に、言葉も文化も違う移民が多いという背景もあるかもしれません。〉という評価がどの程度の妥当性を持ち得ているかどうかは門外漢として判定できないが、要するに障害者を対等な1個の人間として区別なく対面できている様子を窺うことができる。いくら日本の障害者実雇用率が法定雇用率に迫っていたとしても、対等な姿勢を持ち得た対面を日常的にできていなければ、実雇用率は色褪せることになる。菅義偉が日本社会が障害者を1個の人間視できている環境にまで成熟できているかどうかまで考えて第1回東京パラリンピックが障害者の社会進出、共生社会実現の「1つの大きな契機になった」と言ったかどうかは極めて疑わしい。
参考までに「note」(2019/11/11 11:49)が行ったアンケート期間2017/8/4~2017/8/10(有効回答者数:326名)のインターネット調査「障がい者に対する差別・偏見に関する調査」を挙げておく。
「あなたはどのような場所で差別・偏見を受けたと感じた経験がありますか」 (複数選択可)
職場 56%
公共交通機関 30%
実際に第1回東京パラリンピックが障害者の社会進出、共生社会実現の「1つの大きな契機になった」が事実だったとしても、生きていてこその障害者の社会進出であり、共生社会の実現である。コロナで命の保障がなくなったなら、社会進出や共生社会の実現が潰える障害者も出てくる。そして命は健常者・障害者の違いに関わらずに全ての人間に対して相互に保障されなければならない。日本国憲法第13条の「すべて国民は、個人として尊重される」は命の相互的な保障を謳っている。コロナから「国民の命と健康を守る」ことができない状況を放置したまま、五輪競技に於ける障害者の活躍がほかの障害者やその他を勇気づけることになるとの理由で開催することは命の相互保障に反することになる。
枝野幸男は以上見てきたように菅義偉の「国民の命と健康を守るのは自分の責任で、それがオリンピック開催の前提条件である。その前提が崩れたら行わない」とする発言に対して「その前提が崩れたら行わないと判断する基準をどこに置いているのか」と尋ねる肝心な質問を失念させたこと、
菅義偉の言う大会参加者に対する感染対策が社会全体に目を向けた「国民の命と健康を守る」の確約となっていないことの矛盾を放置させたこと、菅義偉が時代性を無視して第1回東京オリンピック・パラリンピック開催の1964年と第2回が開催される2021年を同列に扱ったことに気づかなかったこと等々は枝野幸男の学習不足から明らかに来ている失態であろう。
では、日本維新の会の片山虎之助の質問に対する菅義偉のか違った答弁を見てみる。文飾は当方。
片山虎之助「それからオリパラについては、もう時間がほとんどありませんが、開催する都市というのは東京都なんですよ。開催都市っちゅうんですかね。どうもその東京都があまり出ない。総理がですよ、非常に矢面に立って、オリパラをどうするということで、例えば専門家会議との間のあれでいろいろと攻撃といったらあれですが、攻撃されていますよね。それ本当はもっと東京都知事の小池さんが出なきゃ私はいかんと思うんですよ。後方支援なんですよ、総理は。それが表に出ていっているんで、私はもっとそこの連携がうまくいっているのかと思うのですが、いかがですか」
菅義偉「私が申し上げたいことを言っていただいて大変うれしく思います。私はそういう答弁をしても責任は全部総理大臣だろうと、国会議論というのはほとんどそうなっています。総理大臣の判断。しかし、ご承知のとおり、今、片山代表からお話しいただいたのが筋道としてはそうだというふうに思います。ただ、私も逃げる気持ちはありませんし、そうした中で国会ではそういう議論になっていることを、私自身は大変残念だなというふうに思っています」
地方自治法の「第一条の二の②」は国と地方公共団体との間の基本的関係を規定している。〈② 国は、前項の規定(国と地方公共団体との間の基本的関係の確立)の趣旨を達成するため、国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務、全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務又は全国的な規模で若しくは全国的な視点に立つて行わなければならない施策及び事業の実施その他の国が本来果たすべき役割を重点的に担い、住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として、地方公共団体との間で適切に役割を分担するとともに、地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たつて、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない。〉
オリンピック・パラリンピックの開催は「国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務」に当り、「全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動」の一つに相当、「全国的な視点に立つて行わなければならない施策及び事業の実施」に合致する。だから政府は先頭に立って五輪を誘致したり、カネを出し、国立競技場の建て替えを行ったりする。東京オリンピック・パラリンピックの開催都市は東京都であっても、国が国としての自らの責任上、大きく関わっていて、それゆえに菅義偉が言っていたように「国民の命と健康を守るのが私の責任だと。守れなければ、やらない」と開催だけではなく、開催を中止する、あるいは延期する決定権を国は握っていることになる。
当然、開催か否かの責任に関しては東京都よりも上位にある。にも関わらず菅義偉は「私はそういう答弁をしても責任は全部総理大臣だろうと、国会議論というのはほとんどそうなっています」と責任逃れの答弁をして何とも思わない態度を取ることができる。
再び言う。コロナから国民の命と健康を守ることができていると判断不可の状況下での五輪開催は日本の首相菅義偉による人命軽視行為にほかならない。