胡主席朝食会/持ち上げで終わっているMSN産経記事の安倍発言

2008-05-12 01:59:04 | Weblog

 碌でもない日本の首相経験者4人と訪日中の胡錦涛中国国家主席との朝食会が都内ホテルニューオータニで5月8日に開催されたと言う。碌でもない日本の首相経験者とは海部・森・中曽根・安倍の4人。これまた碌でもない同じムジナの一人である小泉純一郎は靖国神社強行参拝で日中冷却関係をつくった手前なのだろう、欠席したという。出席して、「靖国参拝は内政問題だ」vs.「チベット問題は内政問題だ」でお互いの「内政問題」の正当性を賭けて遣り合えば面白い展開が期待できただろうに残念でならない。

 チベット問題は民族の自立、人権問題がかかっているのだから「内政問題」で収まるはずはなく、靖国神社参拝にしても、天皇と国に命を捧げて靖国に祀られるという靖国思想を全身全霊に担わせてアジアに踏み出し侵略戦争を仕掛けた兵士のうちの戦死者を祀っているのだから、そこへの参拝が「内政問題」で終わるはずはないのだが、戦争を共通の経験項としたアジアとの関係は一切捨象して「国のために尊い命を捧げた」と日本の国のみの経験項、日本の国のみの問題としているから、「内政問題」へと帰着させることができる。日本人らしい合理的客観性の欠如が可能とさせている一国主義に立った単細胞極まりない「内政問題」に過ぎない。

 4人は政権担当に関しては過去の人である。当然親睦的な意味合いと主催者が中曽根だと言うから、忘れられた人とならないためのマスコミへの露出意図もあったのだろう、愛ちゃんこと卓球選手福原愛と胡錦涛との卓球試合と同列の一種のセレモニーだったはずである。そこで必要なのは見せかけのものであっても和気藹々の態度演出ではなかったろうか。

 それが意に染まなければ、出席しなければいい。ところが安倍首相は場所柄も弁えずにということになるに違いない、要求される場の雰囲気を無視してチベット問題を取り上げたそうだ。

 このことに関しては空気が読めなかったわけではあるまい。かねてから中国に対して強硬姿勢を見せていた。偉大な首相を夢想しながら途中で無責任にも政権を投げ出し嘲笑の対象となった自分に引き比べた中国の世界に向けた突出振りが腹に据えかね、その弱みを突くことで一矢を報いる目立つことをして存在感を示し、自身の汚名を少しでも埋め合わせたかったに違いない。

 それというのも個人の権利・自由よりも国家を優先させる国家主義者として本来的に人権を口にする資格はない政治家でありながら、人権を口にしたからだ。安倍晋三が国家主義者なのは 「国を命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません」と言っている安倍自身の言葉が何よりも証明している。国民に国のために生命を投げ打たせるとは個人を国家に従属させ、国家を個人の上に置く思想そのものである。

 もし場所柄など弁えていられない程に中国の人権状況に憂えていたなら、首相就任12日後の06年10月に小泉前首相の靖国参拝で関係が悪化した中国を初の外遊先として訪問し、胡錦涛国家主席及び温家宝首相と会談して関係修復を図っているのである。関係修復といった目的に外れようと、その場で自分が憂えていることをぶつけるべきだったろう。中国の人権問題はチベット問題やウイグル問題のみに限らず、国内人権活動家の活動制限や書物の発禁、インターネットの閲覧制限等、当時から多岐に亘って進行形の状態にあったのである。

 あるいは07年6月のドイツ・サミットでの胡錦涛国家主席との個別会談、同年9月のシドニー・アジア太平洋経済協力会議(APEC)非公式首脳会合での胡錦涛国家主席との会談でも中国の人権問題に物申す機会はあったはずだが、安倍首相の方から一言あったといった報道はなかったはずだ。

 ということは場所柄など弁えていられない程に中国の人権状況に憂えていたわけではない朝食会での発言としないわけにはいかない。

 ブッシュ米大統領は05年11月に訪中して胡錦涛主席と会談した際、直接中国の民主化を求めている。また07年9月の安倍首相も出席した上記シドニー・アジア太平洋経済協力会議での演説で出席している胡錦涛主席に向けて中国の民主化を求めているし、その他機会あるごとに中国に対して民主化要求を行っている。

 シドニー・アジア太平洋経済協力会議での演説に関する「AFPBB News」記事を参考までに引用。 


≪ブッシュ米大統領、中国、ミャンマーなどに民主化要求≫(07年09月07日 14:39)

<【9月7日 AFP】ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)米大統領は9月7日、オーストラリアのシドニー(Sydney)で開かれているアジア太平洋経済協力会議(Asia Pacific Economic Cooperation、APEC)ビジネスサミットで演説を行った。

多岐にわたる内容のなかで、ブッシュ大統領は中国政府に対し、来年開催される北京五輪を契機に開放性を一層高めるよう求め、またアジア諸国の首脳には政治犯の釈放に向けてミャンマー政府への圧力を強めるよう呼びかけた。

■中国政府には開放性を求める

 ブッシュ大統領は2008年の五輪開催を中国における政治改革の好機と位置づけ、「米中間の協力関係は継続するが、これまで同様、われわれが個人の尊厳や自由への信念に多大な価値を置いていることを表明し続けたい」と述べた。
大統領はまた、五輪に出席することを楽しみにしているともいい、「(北京五輪は)中国の国民にとって最も誇り高く感じられる時となるだろう。同時に中国の指導者にとっても、さらなる開放性と寛容性を表すことで国としての自信を示す機会になり得る」と述べた。

■アジア諸国には民主化を奨励

 ブッシュ大統領はまた、ミャンマーや北朝鮮、タイについても言及した。
「北朝鮮の国民が近隣の民主国家と同じ自由を謳歌(おうか)できる日のために働きかけ続けなければならない」と力説。また、ミャンマー政府については「民主主義と人権尊重を求める市民への介入をやめるべきだ」と強調、「民主化運動家に対する逮捕や弾圧を止め、これまで逮捕した活動家の身柄を釈放しなければならない」と述べ、アウン・サン・スーチー(Aung San Suu Kyi)さんを含めた政治犯全員を釈放すべきとの見解を示した。

また、タイで軍によるクーデター後初めて実施される12月の総選挙について「自由で公平な選挙」を期待すると語った。>
 日本の首相がこういった場面で民主化要求を演じたことがかつてあっただろうか。

 逆説するなら、安倍晋三はそういった場面でこそ民主化要求を演じるべきだったろう。朝食会は首相経験者が列席したとはいえ、公的な催しではなく、あくまでも私的な場面である。場所柄を弁えずに口にすることではなく、低下した存在感を挽回する目的で話題性ある問題を口にし、自身の発言に注目させようとした疑いが限りなく濃い。

 その証拠を「MSN産経」インターネット記事≪「無事釈放を…」安倍前首相発言で緊張走る 主席と歴代首相との朝食会≫(2008.5.8 18:28 )の「発言要旨」から探ってみる。

 <朝食会での安倍晋三前首相の発言要旨は次の通り。

 戦略的互恵関係の構築に向け。相互訪問を途絶えさせない関係をつくっていくことが重要だ。国が違えば利益がぶつかることがあるが、お互いの安定的関係が両国に利益をもたらすのが戦略的互恵関係だ。問題があるからこそ、首脳が会わなければならない。

 私が小学生のころに日本で東京五輪があった。そのときの高揚感、世界に認められたという達成感は日本に対する誇りにつながった。中国も今、そういうムードにあるのだろう。その中で、チベットの人権問題について憂慮している。ダライ・ラマ側との対話再開は評価するが、同時に、五輪開催によってチベットの人権状況がよくなったという結果を生み出さなければならないそうなることを強く望んでいる。

 これはチベットではなくウイグルの件だが、日本の東大に留学していたトフティ・テュニヤズさんが、研究のため中国に一時帰国した際に逮捕され、11年が経過している。彼の奥さん、家族は日本にいる。無事釈放され、日本に帰ってくることを希望する。> 
 「戦略的互恵関係の構築」云々以下は同記事の解説によると、<小泉氏の靖国参拝をめぐり中国側が首脳交流を途絶えさせたことを暗に批判したもの>だそうだ。

 記事の解説どおりの「批判」だとすると、安倍首相の国家主義のスタンスからしたら当然の主張となるのだが、靖国参拝を絶対善と把えた日本側の言い分に過ぎず、中国側には中国側の「善」があっての行動だとまで考えを巡らせない、そのことを抜け落とした言い分で終わっていることになる。

 それだけではない。中国側にとっては小泉首相の靖国参拝強行とそのことを原因とした日中首脳交流の途絶は日本の安保理常任理事国入りに反対する正当な理由とすることができた政治的には価値ある怪我の功名となっていなかっただろうか。中国は日本の常任理事国入り希望に関して「責任ある大国の役割を果たす国は自国の歴史問題についてはっきり認識すべきだ」と言っているのである。日本をアジアのリーダーから引き摺り下ろし、中国がその地位に取って代わる狙い目ともなったはずである。

 今回の胡錦涛・福田会談でも安保理常任入りを望んでいる日本の立場に一定の理解を表明したものの共同声明に「支持」という表現を盛り込むことはできなかったという。このことは決定権を中国が握っていたことを示している。
日本の常任理事入りに対する中国の意向は中国一国の問題にとどまらず、背後に多くのアジアとアフリカの国々が控えている。そのような関係図になければ中国の決定権は有名無実となり、中国にお願いする構図を取る必要はないわけだが、多勢に無勢の関係が否応もなしに中国に決定権を握らしめ、「支持」をお願いする態度を日本に取らせている。

 となると、日本の国際的地位を高めないためにも中国にしたら一定の距離を保った仲違いの関係は必要事項となる。友好べったりだったなら、常任理事入り反対の理由を失う。「問題があるからこそ、首脳が会わなければならない」、ハイ、そうですかでは中国としたら国益上の外交カードを自ら捨てる自殺行為となるだろう。正論で迫って済む相手ではないのに正論で、それも口先だけの正論で迫る短絡思考は相変わらずの安倍晋三である。

 「五輪開催によってチベットの人権状況がよくなったという結果を生み出さなければならないそうなることを強く望んでいる。」とは普段口にし慣れない立派なことを言ったものである。

 中国に対してチベット人権問題でそれが「よくなったという結果を生み出さなければならない」と要求した以上、「政治は結果責任である」と安倍晋三自身も言っているのだから、自身の言葉の行き先――「結果」
を見守る責任を発動させたことになる。

 自身が言ったことの言葉が言ったとおりの成果を見てこそ、責任を果たしたことになるのだから、北京五輪後になってもチベットの人権状況に変化がなければ、成果を見るまで中国に人権改善を求め続ける「責任」を担い続けなければならない。ブッシュ大統領にしても望んでいながら中国の民主化が望みどおりになっていないから何度でも言い続けているのだろうから。

 安倍信三は果たしてそこまで責任を果たすだろうか。国民には「国を命を投げうってでも守」る決意を要求しながら、自分は生命を投げ打つところまでいかない単に健康状態が優れないというだけで首相職を簡単に投げ打つ責任放棄の無責任政治家なのである、「責任」と名のつくものは期待しようがないように思えて仕方がない。

 胡錦涛主席は安倍晋三の「日本の東大に留学していたトフティ・テュニヤズさんが、研究のため中国に一時帰国した際に逮捕され、11年が経過している。彼の奥さん、家族は日本にいる。無事釈放され、日本に帰ってくることを希望する」という言葉に対して、「私はその件は知らないので、正しい法執行が行われているか調べる」と答えたが、「チベット問題については触れようとしなかった」とその反応を伝えている。

 「内政問題」だと切り返すこともせずに何も答えずに無視したとしたら、安倍の言葉は言葉としての力を持っていなかったことになり、その無力の責任を問わなければならない。

 にも関わらず「産経」が「安倍前首相発言で緊張走る」と伝えているのは安倍晋三がさもたいしたことをやってのけたように見せかけるもので、持ち上げ記事と言われても仕方があるまい。

 トフティ・テュニヤズさんに関して後日駐日中国大使館を通して「調査の末、正しい法執行のもと逮捕・拘束したもので、当局の姿勢に何ら問題はないことが判明した」と報告されたなら、それが事実ではないと窺うことができたとしても、引き下がる以外にどのような手が打てるというのだろうか。

 国家の分裂を謀ったとか政府転覆を謀議したとかで反体制言論取締りを目的とした中国に於ける不法逮捕・不法拘束は何も「トフティ・テュニヤズさん」一人だけの問題ではない。個人の問題に限って取り上げたから、「私はその件は知らない」という流れを誘導させることになったに違いない。

 「日本の東大に留学していて中国に一時帰国して逮捕され、そのまま11年間も拘束されている私の知っているトフティ・テュニヤズさんもそうだが、中国では当局に批判的な言論を行う多くの人間を言論の自由を認めずに逮捕・拘禁していると伝えられていますが、民主主義の観点から許されることではないと思います。如何なものでしょうか」と問い質したなら、国家主席の立場にある者が「私はその件は知らない」と答えることができただろうか。

 一般論として論ずるべきだったろう。人間は絶対的存在ではないのだから、如何なる政治も如何なる政権もすべてに亘って絶対的に正しいということはなく、どこかに間違いや矛盾を抱えていて、それに対する批判が起こる。批判は一般的には矛盾や間違いを知らせる警告であって、その警告が矛盾や間違いを正そうとする力ともなれば、逆に矛盾や間違いに目をつぶろうとする反撥にも変わり得る。

 自分たちの政治が批判されたからといって、その批判に耳を傾けずに権力で封じるのは自分たちが絶対的存在でもないのに自らがつくり出している矛盾や間違いを隠す誤魔化しの反撥でしかなく、そういった態度を取るのは政治的に大人のすることとは言えない。政治に対する国民の支持よりも批判が上回った場合、国の政治を担う資格を失ったものとして政権主体を変えるべきであり、変えることのできる国家体制を前以て構築しておくことこそが真の民主主義と言えるのではないのかと訴える。

 尤も福田政権は国民の支持を失いながら民意を問うことをせずに政権にしがみついている。そのそもそもの原因をつくったのは小泉であり安倍の両政権なのだから、安倍晋三にはこういったことは口が腐っても言えないだろう。

 安倍晋三が個人よりも国家を上に置く自らの国家主義と、そのような国家主義に反する一旦口にした人権問題に向けた関心とどう折り合いをつけるのか、今後が楽しみである。折り合いをつけずに人権問題を発信し続けるとしたら、「政治は結果責任」からの態度ではなく、単に中国憎しを晴らす方便に過ぎないだろう。 
 ≪「無事釈放を…」安倍前首相発言で緊張走る 主席と歴代首相との朝食会≫ (MSN産経/2008.5.8 18:28――安倍発言要旨箇所は除く )

 中国の胡錦濤国家主席と中曽根康弘、海部俊樹、森喜朗、安倍晋三の歴代首相4人との朝食会が8日朝、東京都千代田区のホテルニューオータニで開かれた。89歳と最年長の中曽根氏が主宰し、和やかな友好ムードが演出されたが、安倍氏が中国側が神経をとがらせているチベットやウイグルの人権問題を指摘したことで、一時緊迫する場面もあった。出席者らの証言から、その様子を再現する。

 朝食会は午前8時からの約1時間で、会場の日本料理屋入り口では中曽根氏らが出迎えた。計6回の靖国神社参拝をめぐり、中国側と対立した小泉純一郎元首相は「おれが行ったら、胡主席は来ないんじゃないか」と周囲に漏らしており、姿を見せなかった。

 「みなさんとお会いできるチャンスを得て大変うれしい。このように一堂に会するのは初めてであり、かなり創造的な形だ」

 胡主席はにこやかに謝意を表明し、中曽根氏の正面の席に着いた。タケノコ、マグロのづけ、銀ダラ西京焼き、しじみ汁…と旺盛な食欲でたいらげたが、「さすがにおかわりはしなかった」(海部氏)という。

 中曽根氏は「今まで日中関係は必ずしも良好ではなかったが、7日の日中共同声明により新しい展開が可能になるだろう」と胡主席来日の成果を高く評価。海部氏は東シナ海ガス田問題について「だんだんよい方向で進んでいるようなので、ぜひその方向で進めてほしい」と要請した。

 こうした会場の「緩い空気」(出席者)が一変したのは、続いて安倍氏がこう発言してからだ。

 「お互い国が違うので、利益がぶつかることもあるが、戦略的互恵関係の構築に向け、相互訪問を途絶えさせない関係をつくっていくことが重要だ」


 これは、小泉氏の靖国参拝をめぐり中国側が首脳交流を途絶えさせたことを暗に批判したものだった。安倍氏はその上で、「チベットの人権状況を憂慮している。五輪開催によって、チベットの人権状況がよくなるのだという結果を生み出さなければならない」と指摘した。

 会場には緊張感が走り、出席者はみな一様に黙り込んだが、安倍氏はさらにウイグル問題にも言及した。東大に留学中の平成10年の一時帰国中、国家分裂を扇動したとして中国に逮捕されたトフティ・テュニヤズさんについて「彼の奥さん、家族は日本にいる。無事釈放されることを希望する」と求めたのだ。

 「私はその件は知らないので、正しい法執行が行われているか調べる」

 胡主席は、こう返答したが、チベット問題については触れようとしなかった

 安倍氏の発言で生じた気まずい雰囲気を修復しようと動いたのが森氏だった。北京五輪について「中国はメダルをたくさん取る作戦でくるのでしょうね」と水を向け、胡主席の笑顔を引き出した。

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ミャンマーと北朝鮮/国民の生命・人間性を無視した自己権力維持のための国家権力

2008-05-10 09:16:40 | Weblog

 <国連の世界気象機関の委任でサイクロン監視と警告を行っているインド気象局の担当者は6日、「我々はサイクロンが上陸する48時間前に、ルートや規模などすべてのデータをミャンマー側に連絡していた」と述べ、ミャンマー当局が住民への適切な警告や避難勧告を行わなかったとの見方を示唆した。>(≪ミャンマー:サイクロン被害 「軍政、適切な警告せず」――高まる批判≫毎日jp/08.5.8)

 同じことを時事通信社≪48時間前にサイクロン警報=インド気象当局、ミャンマーに伝える≫)は次のように伝えている。<「サイクロンが直撃する48時間前にミャンマーの関係機関に対し、上陸地点、勢力など関連情報を伝えた」と述べるとともに、「われわれの職務は前もって警報を出すことだ。われわれは事前に何度も警報を出しており、避難などの予防措置を講じる時間は十分にあった」>・・・・

 インド気象当局が前以て出した警告情報(=「警報」)をどう処理し、どう活用するかは――いわば政府が国民に対してインド気象当局から受け取った情報をどのように提供し共有させるか、それを避難活動へとどのように活用させるかは偏にミャンマー軍政当局の責任行為にかかっている。

 その成果が2万人を超える死者の数であり、行方不明者4万人強という数字となって現れた。最終的には10万人を超える可能性を伝える報道もある。

 上記「毎日jp」記事は<被災地で当局が、どこまでサイクロンの情報を住民に伝え、また避難させる施設を整備していたかは不明>としているが、9日夕方のNHKニュースでは、市民が善意で持ち寄ったコメの配給の順番を待つ被害男性が「サイクロンが接近しているなんて政府は何も警告しなかった。早く来てわたしたちを助けてほしい。食料と薬、それに寝る場所が必要なんだ」と訴えている様子を伝えている。

 当局が指定した避難場所で避難中に被害に遭ったという意味で「寝る場所」がないと言っているのではない。インド気象局の警告にも関わらず、何よりも優先させなければならない国民の生命の安全を図るための危険が迫った場合の避難方法・避難場所の準備・確保を経過していない中での「寝る場所」の喪失は「何も警告しなかった」(=何も対策を取らなかった)に等しい何よりの証拠であろう。

 5月10日の早朝の「日テレ24」は「インド気象局」だけではなく、「アジア災害予防センター」もミャンマー当局に対して警告を発していたが、それにも関わらずミャンマー当局が十分な対策を取らなかった疑いがあることを伝えている(内容はインターネット記事から)。

 ≪軍政、直撃6日前に危険情報受け取る≫<日テレ24/08/5/9 19:21>

 <ミャンマーを襲った大型サイクロンによる死者と行方不明者は、6万人を超えている。こうした中、ミャンマー軍事政権が周辺国から事前にサイクロンの情報を受け取っていたにもかかわらず、十分な対策を取らなかったことがわかった。
 タイ・バンコクにあるアジア災害予防センターは、サイクロンがミャンマーを直撃する6日前の先月26日、軍事政権に対して、正確な進路図とともに強風、大雨になるとの予測を伝えていた。その後、ミャンマー側からも情報提供を求めてきたという。インド気象庁も、直撃3日前には危険情報を提供していたことがわかった。
 ミャンマー軍事政府がサイクロンの危険性を事前に把握していながら国民に知らせるなどの十分な対策を取らず、被害が拡大した可能性が高くなっている。


 このような国民生活に直接影響する情報の国家権力と国民との間の共有とその活用の度合いによってミャンマー軍政が国民をどう価値づけ、どう位置づけているか、国家権力の国民に対する姿勢を窺うことができる手立ての一つとなり得る。

 サイクロン被害への外国の支援に示しているミャンマー軍政の態度も国家権力による国民の位置づけが反映したものであろう。中国やタイ、インドといった、軍政に批判的態度を示さないいわゆる友好国の支援は受け入れていることに反して、その他の国の援助物質は受け取るが、人的支援は受け入れられないと救助隊やメディアの入国を拒否する態度は救助隊やメディアによって被害の惨状と被害をそのような状態に増幅させたミャンマー軍政の無為無策が国外に洩れ、それが軍政批判の国際世論となって国内の批判に撥ね返り相乗的に反軍政で共鳴し合うことへの恐れが決定づけている態度に違いない。

 いわば国民の安全よりも国家権力の安全、国民生活の福祉とその維持よりも国家権力の福祉とその維持を優先させたミャンマー軍政の国民に対する態度の顕現となっている。国民を国家権力維持の道具と位置づけ、そのことを目的に国民を支配しているのである。

 そのような国民の生命・人間性を考慮しないミャンマー軍事政権をかつては日本が最大の援助国として擁護し、結果的に国家権力のそのような非人間性の守護者を任じていた。そしてそのような日本の跡を継ぎ、現在は中国が最大の援助国として国家権力の擁護者、その非人間性の守護者を任じている。

 このことは日本の歴史にとどめておかなければならない偉大な外交政策である。尤も日本の自民党政府は国家予算を「国民生活者財源」とはせずに、「政治家財源」、「官僚財源」とする歴史を担ってきた。そのような国民を国家権力よりも下に置く政治家優先・官僚優先の政治性が同じ構造のミャンマー軍政と響き合い、反映することとなった援助結果なのだろう。

 北朝鮮は現在食糧不足で餓死者が出ているということだが、北朝鮮国民がそのように困窮している状況下で北朝鮮政府が一部の地域で軍の家族と一部の幹部だけに、「2号米(軍糧米)」を供給していると「Daily NK」が5月1日の記事で伝えている。北朝鮮が「先軍政治」をタテマエとしている以上、当然の措置なのだが、このこともミャンマー軍政と同様に国民よりも国家権力を優先させていることの何よりの証明となる。国民は「先軍政治」を維持するための道具として金正日政権に支配された存在となっている。

 日本政府はミャンマーに1000万ドル(11億3000万円)の緊急支援を決めたそうだが、昨年9月の民主化デモの武力弾圧、日本人ジャーナリストの長井健司さん殺害等を理由にODAの減額を行っているが、国民よりも国家権力優先のミャンマー軍政である、減額の些細な埋め合わせとならない保証があるのだろうか。
 
 次のようにも疑うことができる。外国からサイクロン情報を伝えられながら適切な警戒態勢も避難措置も取らなかったのは被害に対する外国からの支援によって現在行われているミャンマー政府に対する国際的な経済制裁を埋め合わせる陰謀があったことからの国家権力維持のための、その代償としての国民の安全無視・犠牲ではなかったのではないだろうか。

 そのぐらいのことはしかねない死者2万人超、行方不明者4万人超が示しているミャンマー軍政の非人間性である。

 だからこそ、国民の窮状を他処に新憲法の賛否を問うという国家優先となる国民投票を、例え被災地以外の場所ではあっても、行為予定通りのスケジュールで決行することができるのだろう。

 大体からして新憲法草案自体が(1)国家運営に於ける軍の主導的役割の保証(2)両院の議席の25%を軍が任命(3)正副大統領3人のうち少なくとも1人を軍が選出(4)アウンサンスーチーさんを排除するための「外国の影響や恩恵を受けた者」は総選挙に立候補できない規定(「毎日jp」から)等々が示すように軍政一次(=国家権力維持)優先、その当然の反対給付としての国民の存在無視となっている。民主化デモに対する武力弾圧や官憲による日本人ジャーナリスト長井健司さん殺害、さらに今回のサイクロン対応に見せたその非人間性はミャンマー軍政の性格自体の自然な反映、その暴露と把えなければならない。 
 ≪ミャンマー:サイクロン被害 「軍政、適切な警告せず」――高まる批判≫(毎日jp/08年5月8日 東京朝刊)
 ◇記者の入国も拒否
 【バンコク藤田悟、ニューデリー栗田慎一、ワシントン小松健一】ミャンマーを直撃し2万2500人の死亡が確認されたサイクロン「ナルギス」について、被害が予想されたのに、ミャンマー軍事政権が国民に警戒や避難を呼びかける措置を取らなかったとの疑念が出ている。軍事政権は外国からの援助受け入れに迅速に対応せず報道関係者の入国も拒んでおり、国内外からの批判が高まっている。
 国連の世界気象機関の委任でサイクロン監視と警告を行っているインド気象局の担当者は6日、「我々はサイクロンが上陸する48時間前に、ルートや規模などすべてのデータをミャンマー側に連絡していた」と述べ、ミャンマー当局が住民への適切な警告や避難勧告を行わなかったとの見方を示唆した。
 被災地で当局が、どこまでサイクロンの情報を住民に伝え、また避難させる施設を整備していたかは不明。だが軍事政権を批判する欧米からは、当局の対応の不備を政権の体制と絡めて批判する声が出ている。米国のローラ大統領夫人は5日、記者会見を開き「脅威を認識しながら、警告を発しなかった。軍事政権は国民の基本的ニーズを満たすことができない一例だ」と指摘した。
 軍事政権のチョーサン情報相は6日、「国内外からの援助を歓迎する」と表明。しかし被災地で救援や医療活動に当たるため多数の援助団体関係者が入国を申請しているものの、ビザが発給されず、入国できない状態が続いている。
 また国際メディアの取材のための入国を許さず、5日には観光ビザで最大都市ヤンゴンに到着した英BBCテレビの記者を空港から国外追放処分とした。
 軍事政権は従来、国内の窮状が外国人の目に触れるのを防ぐため、国際機関職員らの入国を厳しく規制、ヤンゴン以外での活動も制限してきた。 
 ≪人的支援あらためて拒否 ミャンマー軍政≫
(東京新聞/2008年5月9日 13時32分)

 【バンコク9日共同】ミャンマー外務省は、9日付の国営紙に発表した声明で、サイクロン被災地支援に関し、ヤンゴンに到着した外国からの航空機に救助隊やメディア関係者が搭乗していたと説明、「援助物資の受け取りが優先で、外国の救助隊やメディアの受け入れ用意はできていない」とし、物資は受け取るが人的支援は拒否する姿勢をあらためて強調した。

 声明は、救助隊らが入国許可を得ていなかったとし、援助物資を積んだ航空機を引き返させたとしている。また「物資を遅れずに被災地に届けるため、多大な努力をしている」とアピールした。

 軍事政権は食料などの受け入れを徐々に進める一方で、入国査証(ビザ)発給を遅らせて援助関係者の活動を妨害。結果的に支援が立ち遅れ、軍政による「2次被害」を懸念する声が高まっている。
 ≪48時間前にサイクロン警報=インド気象当局、ミャンマーに伝える≫ (時事通信/2008年5月7日(水)19:30 )

 【ニューデリー7日AFP=時事】インド気象当局はミャンマーを襲った大型サイクロンについて、同サイクロンがミャンマーに上陸する48時間前に同国に警報を出していた。インド気象局のヤダブ広報担当が6日、AFP通信に明らかにした。ミャンマーではサイクロンによる死者数が2万2000人を超え、行方不明者は4万人を上回っている。≪写真はニューデリーで7日、ミャンマー向け救援物資を積み込むインド空軍の担当者≫

 同氏は「サイクロンが直撃する48時間前にミャンマーの関係機関に対し、上陸地点、勢力など関連情報を伝えた」と述べるとともに、「われわれの職務は前もって警報を出すことだ。われわれは事前に何度も警報を出しており、避難などの予防措置を講じる時間は十分にあった」と付け加えた。インド気象局は、世界気象機関(WMO)から、この地域のサイクロンを観測する権限を与えられている。

 同氏はさらに、「気象局は4月末から、ミャンマーや南アジアおよび東南アジア諸国に対して、ベンガル湾でサイクロンが発達しつつあるとの警報を繰り返し出していた」と指摘した後、「サイクロンの状況について最終回となる41回目の警報は、サイクロンがミャンマーを襲った直後の5月3日に出した」と述べた。
 ローラ・ブッシュ米大統領夫人は5日の記者会見で、ミャンマーを襲ったサイクロンについて、同国軍事政権がサイクロンの接近に関してタイミングよく市民に危険を知らせなかったと非難した。 〔AFP=時事〕

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ミャンマーサイクロン被害/人道支援は民主化と引き換えにすべき

2008-05-08 12:17:34 | Weblog

 5月2日から3日にかけてミャンマーを直撃した大型サイクロンとサイクロンがもたらした高波に飲み込まれるなどして2万人を超える死者を出し、なお4万人を超える行方不明者が存在するという。この人数だけでどれ程の大惨事か、一般市民の生活基盤がどれ程に壊滅的な打撃を受けたかが想像できる。

 ミャンマー政府のチョー・サン情報相がヤンゴンで6日に記者会見して、薬や食糧、衣類などの不足を訴え、国際的な支援物資を歓迎する姿勢を示したという。

 対して赤十字や各国政府が「人道支援」と銘打って援助を申し出た。その内訳を5月6日の「NHK」インターネット記事(≪ミャンマーへ各国支援相次ぐ≫)で見てみると、

1.国際赤十字・赤新月社連盟――18万9000ドル相当の緊急支援。
2.ミャンマーの軍事政権に対して経済制裁を行っているEU・ヨーロッパ連合――総額200万ユーロ
  (日本円で3億2000万円)規模の援助。
3.アメリカ――25万ドル(約2600万円)規模の援助(5月7日の「西日本新聞」による
  と、「325万ドル(約3億4000万円)の緊急人道支援の供与と支援チームの派遣」となっている。
4.韓国――総額10万ドル相当のテント、医薬品、食糧の送付、今後、さらに被害が広がれば国際機関
  を通じた支援を検討。
5.中国政府――現金と物資、併せて100万ドル相当(約1億円)の送付。
6.インドネシア――100万ドルの緊急供与と食糧や医薬品を運ぶためのインドネシア空軍輸送機2機の
  現地への派遣。
7.タイ――食糧や水などの救援物資あわせて9トンをヤンゴンに向けて輸送開始。
8.シンガポール――食糧や水、それに医薬品など20万ドル相当の援助物資を送ると発表。
9.インド――海軍の2隻の艦船を派遣してテントや毛布などを被災者に配ると表明。

 日本政府は「テントや発電機など2800万円相当の援助物資の供与を決めた」と上記「西日本新聞」が伝えている。

 だがである。軍政を敷いて国家の富を独占し、自分たちはいい暮らしをしているのに対して国民の人権を抑圧し、一般国民の生活を圧迫しているミャンマー独裁政府が外国からの人権状況の改善や民主化要求を「内政問題」を口実に撥ねつけておきながら、そのことに反して外国からの援助に関しては「要請する資格」も「受け入れる資格」もあるのだろうか。

 新憲法案の賛否を問う国民投票に関しても、それが正当に行われるか監視する国際監視団の国際社会からの受け入れ要請を拒否しておきながら、災害救助の人道支援は受け入れますは矛盾行為とならないだろうか。

 国民統治に関して「人道」をキーワードとしていない政府が「人道」をキーワードとした支援・援助は受けるお門違い、心得違いを言っているのである。明らかに公平を欠いた態度であろう。

 勿論、これはミャンマー軍政に対する「人道支援」ではなく、あくまでもサイクロン被害を受けたミャンマー国民に対する「人道支援」なのだと言うだろう。だが、人道支援が結果的にミャンマー政府への「敵に塩」となって、独裁権力維持、その延命に側面から手を貸すこととなって、自国民に対する人権抑圧政策に何ら変化を見ないということなら、一時的「人道」、その場凌ぎの人道で終わりかねないし、そのような経緯を辿ったとしたなら、「人道」そのものが倒錯化することになる。

 例えて言うなら、妻に暴力を振るう家庭内暴力夫がその暴力が原因で妻が大怪我をしたからと妻を入院させて治療を受けさせ、怪我が癒えて家に戻ってくると再び妻に暴力を振るう倒錯した経緯になぞらえることができる。

 またミャンマー軍政に対する「人道支援」ではなく、被災国民に対する「人道支援」なのとだ言っても、実際にそのとおりになるのかという問題もある。北朝鮮へ食糧支援として供与されたコメが横流しにあって国連世界食糧計画の「WFP」のマーク入りの麻袋の状態のままヤミ市場で売られている映像を日本のテレビ局が流していたが、食糧支援が飢餓に直面している国民に役立てるのではなく、独裁権力基盤である軍や党幹部に基盤維持を目的に役立てている疑いが拭えない状況に終止符を打てないでいる。

 国外からの支援物資を袋ごと横流しできる力は権力上層に所属する者のみが発揮可能な仕業あろう。この横流しの構造にも権力者の国民に対する自分たちだけよければいいという支配関係・抑圧関係、自己利害優先を見ることができる。

 5月7日の『朝日』記事≪被災地「まるで戦場」≫は、ヤンゴンの学校で日本語を教えている女性からミャンマーの難民支援活動に取り組んでいるNGO「日本ビルマ救援センター」の中尾恵子代表に届いたメールには、「復旧は軍関係者から優先されている」ことが記されていたと伝えている。

 北朝鮮と同様にこのことは軍事政権としてはごく当たり前の措置であろう。軍が重要な権力維持基盤となっているのだから、その崩壊、崩壊とまでいかなくても、動揺状態と化すのは権力の維持そのものに同様の経過を与えるだろうから、その阻止こそを最優先課題としなければならない死活問題であろう。

 人道支援国にも矛盾はある。中国がミャンマーを人道支援するのは理解できる。ミャンマーに対してその人権抑圧軍事政権の擁護者であり、守護神の地位を磐石なまでに築いている。そういった利害損得の関係にある以上、中国は自らの地位・自らの国益を失わないためにも最大限の「人道」支援を敢行し、ミャンマー軍事政権を支える責任を有する。

 だが、アメリカはイラクが大量破壊兵器を所有し、近隣諸国に脅威を与えていることとフセイン独裁政治の自由の抑圧からイラク国民を解放するとしてイラクを攻撃し、フセイン独裁政治を倒した。そして英国や日本その他の国がアメリカのイラク攻撃を支持した。

 またアメリカはイランや北朝鮮の核政策次第では軍事攻撃を辞さない態度を取っている。実際に軍事攻撃に出た場合は、同調する国も出てくるに違いない。イランの核政策に対してはアメリカと欧州諸国は共同歩調を取っている。

 イラク攻撃でもそうであったが、軍事攻撃は多くの一般市民を巻き添えにし、その生命を犠牲とする。イラク戦争開戦後の3年間の攻撃等で死亡したイラク民間人は約15万に上ると世界保健機構(WHO)が08年1月に調査結果を発表している。

 イラクは真の民主主義に関しても真の平和に関しても未だ獲得途上にあり、到達までの道のりは遠い。テロや宗派闘争が収まらず、犠牲者が続出している。いわば真の民主主義と真の平和を獲得するまでに現在以上の一般市民の生命を犠牲とする代償を支払わなければならないだろう。

 いわば大量破壊兵器や核政策の放棄、さらに民主化を目的とした軍事攻撃には無視できない数の多くの民間人の生命を代償とすることが、それが逃れることができない項目である以上、予定調和として組み込まれていると見なければならない。

 自由と民主主義が保障する「人道」を得るために民間人の犠牲と言う「非人道」を代償として支払う構図を軍事攻撃は避けがたく宿命としている。

 と言うことなら、一般市民の生命を巻き添えの犠牲とするのは止むを得ない必要悪だと位置づけ、それを敢えて平和の代償と見做し、大量破壊兵器や核政策の放棄と民主化を求める戦争を仕掛けるなら、災害に対する緊急援助に「民主化と引き換え」という交換条件をつけてもいいわけである。支援対象国が交換条件を断ることによって例え無視できない数の犠牲者が出たとしても、大量破壊兵器や核政策の放棄と民主化要求の戦争で平和と民主主義獲得の代償として一般市民が生命を犠牲にしなければならない構図に於ける形式そのものに違いはないし、代償の多寡に関しては戦争よりも数を少なく計算できないこともない。

 既に触れたように交換条件なしの人道支援が軍事政権への「敵に塩」となり、独裁権力の維持、その延命に側面から手を貸すこととなって、自国民に対する人権抑圧政策が継続された場合の一般市民の新たな犠牲を考えたなら、民主化要求の交換条件による犠牲をある程度相殺できないこともない。

 「人道支援」とは美しい言葉であり、誉むべき立派な行為である。政治権力者は欲していなくても抗うことができない行いであろう。特に政治家は国民から1票を獲得しなければならない利害を抱えているから、批判を浴びないためにも「人道」行為を率先垂範しなければならない。そういった利害から自由な立場にいる、その発言が国際関係に影響を与える外交官なりが美しい言葉・美しい行為に敢えて逆らい、悪者となるのを覚悟して「人道支援は民主化と交換条件とすべきだ」と発言したなら、世界の軍事独裁権力を牽制する、少なくとも微力となると思うのだが、誰もそういった損な役割を演ずる人間はいないようである。 


 ≪イラク戦争の民間人死者数、3年間で15万人超=WHO≫(ロイター/2008年 01月 10日 15:24 JST)

 [ジュネーブ 9日 ロイター] 世界保健機構(WHO)が9日に発表した調査結果によると、イラク戦争開戦後の3年間に攻撃などで死亡したイラクの民間人の数は約15万1000人となった。

 イラク戦争開始以降で最も包括的な内容となる今回の調査では、2003年3月─2006年6月の死者数は10万4000─22万3000人になる可能性があるとしている。

 同期間の死者数については、2006年のジョンズ・ホプキンス大学による調査では60万人以上とされていた。今回の数字はこれを大きく下回る一方、非政府組織(NGO)イラク・ボディー・カウントによる集計値である8万─8万7000人は上回っている。 

 WHOの調査を担当したモハメド・アリ氏は、記者団に対し「こういった推計の作成には多くの不確定要因がある」と指摘。バグダッド州やアンバル州の一部で治安が不安定なために調査担当者が近づけない地域があったなどの理由から、統計の誤差は相対的に高くなるとしている。

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豊田市女子高生殺害/情報の共有と共有情報の活用

2008-05-06 17:45:03 | Weblog

 警察・学校・生徒・地域(自治体・各家庭及び自治会)はどう情報を共有し、どう活用したのか、その検証を行うべき

 5月3日午前5時半頃愛知県豊田市生駒町切戸の高速道脇の田んぼの中で首にビニールテープを巻きつけた15歳女子高生の殺害死体が発見された。前日2日の下校途中の7時前後の間の犯行だという。

 3日前の4月29日に8歳の姉が川に落ちた7歳の弟を助けようとして、弟は中学生に助けられたが自分は溺れて死亡する事故が鹿児島県内で起きている。死という痛ましさに変わりはないはずだが、事件の犯人未逮捕による関心の継続性が生じせしめているのだろう、前者と後者では報道の扱い方、その関心の度合いに格段の違いがあり、何とはなしの不公平を感じた。

 子供の数が27年連続して減少していると2日前に報道されたばかりである。貴重な子供の命のはずだが、貴重であることに反して子供が事故で命を失うケースも跡を絶たない。

 子供の水死事故に関して、その防止策として大人が子どもに水の恐ろしさを教える必要性を挙げる向きもあるらしいが、口で教えて実感できるものでもなく、危険だから水に近づくなの教えを結果とするのがオチとはならないだろうか。但し水死事故が起きた場合、水の危険性を教えたのに子供は守らなかったと大人の責任は逃れることはできる。

 幼い子供に水泳を教える場合、まだ大人が自らの権威主義を固く維持することができていた時代はいきなり子供を水に突き落として人為的に溺れる状態をつくり出し、子ども自身の力でそこから這い上がらせて自然と泳げるようにする強制的訓練を施す大人もいたが、そのことが成功した子供はいいが、水に対する恐怖心に取り憑かれて、一生その恐怖心から逃れることができず泳げるようにならなかったとテレビで告白していた大人もいたから、必ずしも成功する訓練ではなかったようだ。

 個人の権利が発達した今の時代はそういった乱暴な強制的訓練は通用しない。スイミングボードを使ったり、腕に取付ける空気の入ったビニールの小型の浮き輪(アームリングと言うらしいが、確か足首に取付ける浮き輪もあったと思う)を使ったりして、最初から身体を浮かせた安全地帯での状態で教えるが、それでは危険に自力で応用する危機管理能力の訓練に役立つのだろうか。安全地帯では少しぐらい泳げても、川や池に落ちた場合は慌てるのが先で何もできず水を飲み込むばかりで溺れてしまうといったこともあるだろう。

 例えば子供の足がつかないプールに大人が抱きかかえて入れて、最初は子供が水を飲み込まない短い時間手を離して子供に手足をばたつかせてから抱きかかえてやり、少しずつ時間を延ばして同じ場面を何回か繰返し、少し慣れたところで水を少しぐらい飲ませるくらいの時間手足をばたつかせて兎に角も自力で身体を浮かせる訓練とし、そこから泳げるように仕向ける方法の方が万が一の危険に対応できる能力が身につくのではないだろうか。

 テレビのニュースや報道番組は豊田市の女子高生殺害が類似の未遂事件が何件か起きていた中での今回の事件であることを伝えていた。当然誰もの関心がどのような対策を採っていたのか、防ぎ得なかった事件だったのかに向いたのは自然なことで、そのことを重点に報道していたワイドショー番組もあった。

 素人考えながら、三つのインターネット記事を参考に「情報の共有」と「共有情報の活用」という点から事件を振返ってみた。 


 ≪高1女子殺害事件 1週間前にも近くで女子高生襲われる≫ (asahi.com/2008年05月04日08時06分)

 女子高校生が殺害された愛知県豊田市の現場付近では、1週間余り前にも、別の女子高校生が襲われる事件があり、県警は今回の強盗殺人事件との関連がないかどうか調べを進める。

 愛知県の西三河北部地域の高校などでつくる組織から周辺の学校にあった連絡では、4月25日午後7時半ごろ、豊田市若林東町赤池の農道で、自転車に乗った高校2年の女子生徒に、バイクに乗った男が「豊田高校はどこですか」と尋ねながら近づいてきた。生徒が知らないと答えると、男は生徒を道の端に追い込み、手首をつかんで髪を引っ張り、押し倒したという。

 生徒が抵抗したため、男はひるんでバイクで逃げた。黒のヘルメットをかぶっており、バイクのナンバープレートは外されていたという。

 今回の被害者の遺体が見つかった現場からは約3キロ東で、この被害者が卒業した中学校の隣の校区だった。

 同じ若林東町内では4月29日午後3時20分ごろ、書店内にいた小学生の女子児童が黒いジャージーを着た男に手をつかまれ、店内のトイレに連れ込まれる事件もあったという。女児は逃げて無事だった。

 さらに、愛知署などによると、同月23日夕には愛知教育大付属高の別の女子生徒が、今回の現場から北へ約8キロ離れた愛知県東郷町内を自転車で帰宅途中、若い男に押し倒された。生徒が大声を上げると、男は走って逃げたという。
 ≪愛知・女子高生殺害:高校周辺に不審者 校長ら会見≫(毎日jp/08年5月3日 23時05分) 
 
 (沈痛な表情で会見する愛知教育大付属高校の佐々木徹郎校長(左)と山本建一副校長(中央)=愛知県刈谷市で2008年5月3日午後2時59分、竹内幹撮)

 清水愛美さんが通う愛知教育大付属高校では、佐々木徹郎校長と山本建一副校長が3日午後記者会見し、「登下校時の指導を徹底していた。大変ショックを受けている」と沈痛な面持ちで語った。付近では不審者の目撃情報が相次ぎ、学校への防犯カメラ設置や不審者情報のメール伝送など児童・生徒の安全対策に力を入れていただけに、関係者や住民は衝撃を受けている。

 事件が起きた地域は田畑に交じってトヨタ自動車やアイシン精機、デンソーなどの工場が建ち、住宅も点在する。伊勢湾岸自動車道の豊田南インターが開通したことで、人の出入りも増えていた。

 山本副校長によると、学校周辺では4月30日午後4時半ごろ、校門の外や竹やぶで男が体を露出させ、同月中旬には下校途中の女子生徒が男に襲われかけた。学校はこれらの情報と、連休中の部活動中止を全校生徒に電話で伝えたという。

 清水さんの家がある愛知県豊田市によると、同月29日、現場近くの書店で男がトイレに女子を連れ込むなど、07年1月以降11件の不審事案が起きている。
 市が把握した以外にも、昨年12月ごろ現場近くの公園で不審者が複数回目撃され、清水さん自身も今月1日午後7時、自分のブログに「なんかこわいんだけど/お母さんおそいよお」と書き込み、2日正午すぎには「気持ち悪い/部活どうしよ」と書き最後の日記を終えている。

 相次ぐ事態に、豊田市は昨年度、生徒や保護者に不審者情報を一斉メールするシステムを導入。小中学校には警報装置を設置し、民間警備会社にパトロールを委託するなど防犯体制を強化していた。

 さらに、付属高の所在地・刈谷市でも、すべての市立保育園に監視用ビデオを設置したり、小中学校に鍵付き門扉を取り付ける対策を実施し、豊田市に隣接する岡崎市では3年で街路灯を2130本増設する防犯計画を実施に移していた。


 こうした自治体の努力にもかかわらず、今回事件が起きた。清水さんが住む地区の神谷幹夫区長(65)は「学校の防犯対策は向上している」としたうえで、今回のような事件を防ぐには自治体間の一層の連携が必要と訴えた。【式守克史、木村文彦、丸林康樹】 
 ≪愛知・女子高生殺害:死因は窒息死≫(毎日jp/08年5月3日 20時29分)

 3日午前5時半ごろ、愛知県豊田市生駒町の田で、同市駒場町、愛知教育大付属高校1年、清水愛美(まなみ)さん(15)が首にビニールテープを巻かれて死亡しているのを両親の知人の女性が見つけた。清水さんは2日の下校後行方不明となり、持っていたショルダーバッグが現場の南東約15キロの土手に放置されていたことから、県警捜査1課と豊田署は下校途中に殺害されてバッグを奪われたと断定、同署に特別捜査本部を設置し、強盗殺人容疑で捜査を始めた。

 司法解剖の結果、ビニールテープは緩く巻かれていたため、死因は口を圧迫されたか、顔などを殴られたことによる気道閉塞(へいそく)を原因とする窒息死とみられる。死亡推定時刻は2日午後7時25分から遺体発見時まで。

 調べでは、清水さんは高校の制服姿であおむけに倒れていた。争ったような跡があり、制服は泥だらけで、顔や頭に殴られたような傷が数カ所あった。首には幅約4センチ、長さ約3.8メートルのビニールテープが七重に巻かれていた。近くに通学用の自転車が横倒しになっていたほか、靴と携帯電話が落ちていた。

 一方、バッグは3日早朝、同県岡崎市稲熊町の小呂川土手に投げ捨てられているのを散歩中の女性が見つけた。中には教科書、腕時計、電子辞書などが入ったままだった。普段使っていた財布は自宅にあった。

 清水さんはサッカー部のマネジャーで、2日午後6時半ごろまで部活動に参加。同6時45分ごろに校門付近で友人と別れ、1人で自転車で帰宅した。通常帰宅する午後7時半を過ぎても帰らず、携帯電話にかけても応答しなかったことから、家族が知人らと捜すとともに、同署に捜索願を出した。携帯電話は最初、呼び出し音が鳴っていたが、途中から不通になったという。

 清水さんは団体職員の父、力さん(52)の長女で、母と兄3人の6人家族。

 現場は伊勢湾岸自動車道の豊田南インターの西約150メートルの田園地帯。清水さんは普段、現場を通学路に同県刈谷市井ケ谷町の同校まで約4キロを自転車で通っており、自宅まで南西にあと約1キロだった。近くに民家はなく、人通りは少ない。【飯田和樹、米川直己】 
 4月25日午後7時半頃に別の高2女子が襲われた事件では相手の男の顔が黒のヘルメットをかぶっていて確認できなかったとしても男の体型、声の質は確認できたはずである。

 さらにその2日前の4月23日夕方の同じ愛知教育大付属高に通っていたの別の女子生徒が愛知県東郷町内で自転車で帰宅途中に若い男に押し倒された事件に関しては手口が似ていて同一犯人の疑いが濃いが、顔の確認、声の確認の有無を窺わせる報道が何もない。

 このことは「情報の共有」と「共有情報の活用」という点で重要な事柄となる。顔の確認ができていたなら、犯人の似顔絵なりモンタージュ写真なりの作成が可能となり、公共の場所に貼り出せば、犯人逮捕とまでいかなくても、その行動を制約させるはずである。

 小学生女児や女子高生が被害対象となっている。当然警察を筆頭に小中高の学校、各地域・自治会・子供の親たちが事件に関わる情報を共有していたはずであり、そのことは記事も伝えているが、共有した情報をそれぞれがどう活用したかが問題となる。

 警察は共有情報をどのように活用していたのだろうか。つまり共有情報に立って、どのような防犯対策を講じ、どのような捜査を行っていたのだろうか。被害者を出した愛知教育大付属高校は「登下校時の指導を徹底」させていた、「防犯カメラ設置や不審者情報のメール伝送」対策に力を入れていた、そして「連休中の部活動中止を全校生徒に電話で伝えた」としているが、「連休中」に限った情報活用の根拠はどこにあるのだろうか。他の2人の女子高生が襲われた4月の23日と25日は平日の登校日であり、時間帯は夕方から7時半までで、今回の事件は登校日の5月2日、部活動後の下校途中の7時前後の発生という共通点を持っている。共通点からは休校日という項目は一切見当たらない。

 不審者情報をもっけの幸いとして部活動を中止すれば教師の付き添いが必要なくなり教師も連休の間学校を休めるから「連休中」に限ったのではないかと疑いたくはないが、その根拠を学校当局に問い質すべきだろう。犯罪決行日が休日に限定されていないということなら、すべきことは可能な限り人家のない場所を通らないこと、遠回りとなっても少しでも人家のある場所を選んで通学するよう注意するといったことではなかったろうか。こういったことが共有情報の活用ということではないだろうか。

 豊田市は民間警備会社にパトロールを委託する防犯体制を敷いていたということだが、今後の学習資料とするためにもどのような時間帯、どのような体制でパトロールを行っていたのかを検証し、防げなかった原因がパトロール方法に不備・不足があってのことなのか、それとも不可抗力だったのか情報公開すべきであろう。

 明らかにされた情報が新たな情報としての共有を受け、情報の新たな活用へとつながっていくだろうし、つなげていかなければならない。それが学習というものだろう。

 多くの地域が幼児童犯罪対策から自治会やボランティアが中心となって時間帯を決めてパトロールを行っているが、インターネットで調べたところ、豊田市でも行っているようである。被害者の地区で行っているかどうかは不明であるが、書店で小学女児がトイレに連れ込まれる事件が起きていたのだから、行っている自治会では情報の共有へと進んだはずである。パトロール対象を幼児童に加えて中高生にまで広げた活動となっていないとしたら、例え情報を共有したとしても、共有した情報の活用にまで進んでいないかったことを示す。

 このことも今後の学習のために検証すべきである。特に警察や連合自治会からの要請を受けて各自治会が行うこととなったからと上からの指示を受けて半強制的にメンバーを狩り集めたパトロールは決められた時間に機械的に巡回するといった義務的な惰性行為となりやすく、見ているようで見ていない事態――いわば共有情報の活用麻痺の状態へと進んでパトロール自体が実質的な意味を成さなくなる危険性を抱えかねない。

 また生徒や保護者に不審者情報を一斉メールするシステムの導入にしても、警報装置や防犯カメラの設置、街路灯の増設にしても、一見犯罪対策のように見えるが、犯罪が発生してからの犯人逮捕に役立つことはあっても、犯罪の抑止自体には必ずしも有効に機能しない前例から鑑みて、それら対策のみで踏みとどまっていたのではハコモノを造っただけのことで終わりかねず、そのことに安心していたなら、却って共有情報の活用を阻害しかねないことに注意を払う必要がある。

 関係者は事件が起きてから口癖のように「二度とこのような事件が起きないように万全を期したい」といったことを言うが、まずは情報の共有の有無、共有した場合はどの程度の共有だったのか、それをどの程度に活用し得たのか、活用し得なかったのかの検証を省いたなら、「二度と」の誓いは口先だけで終わることになる。尤も事件が自分たちに関わる形で再度起こらなければ、その偶然に助けられて誓いが口先だけであることは露見せずに済むだろうが、その省略による学習不全が学習した場合の情報の共有と共有した情報の活用を妨げて、他の場所での類似事件を防ぐキッカケを奪うことにならない保証はない。

 当然、今回の事件で警察・学校・生徒・地域(自治体・各家庭及び自治会)がどう情報を共有し、どう活用したのかの検証を決して省かせてはならないことになる。省いて終わりにさせるか、そうはさせないかはマスコミの見識にかかっている。

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給食費滞納/物質的豊かさの中の飢渇

2008-05-04 12:55:40 | Weblog

 小学校の給食費滞納問題が依然として続いている。依然としてと言うのは、文科省が自ら調査して2005年度だけで全国の小中学生の1%にあたる約9万9千人に学校給食費の未納があり、その総額は約22億3800円に上ると07年1月24日に発表して1年以上も経過していながら、未納者が年々増えているというからだ。

 先月4月28日(08年)のasahi.com記事は、給食がある小中学校3万1921校のうち未納者がいる小中学校は半数近い43.6%に当たる1万3907校あり、未納者は9万8993人に上ると伝えている。平均で言うと、未納小中学校1校当たり10人近い人数に上ることになる。家が貧しくて払えない家庭だけではなく、その多くは支払う能力がありながら支払わないケースが多いという。確信犯的未納といったところなのだろう。

 文科省学校健康教育課はそういった有支払い能力者の未納原因を「保護者のモラル低下」としているということだが、親にしても小中学校時代はあったのだから、文科省が学校教育で意図してきた「健康教育」政策に反する、その名にふさわしくないこの手の「モラル低下」はどこから来ているのだろうか。単に文科省の「健康教育」が過去の生徒に対して無視できない数で効果を見なかったということだろうか。まさか文科省は身体の健康の育成のみを目的とし、精神の健康の育成は考えに入れていなかったわけではあるまい。

 「モラル低下」は精神の不健康に起因する。だとすると、学校教育が一部教育対象者に効果を見なかったこととなり文科省に最終的な責任があることになる。

 このことに対して文部省側が教育はすべての人間に効果を見い出せるわけではない、学校教育に満足に応えてくれない人間も存在するのであって、文科省側に責任はないと主張するなら、今年の2月に沖縄で起きた米海兵隊員による14歳女子中学生に対する暴行事件に関して在日米軍のエドワード・ライス司令官(空軍中将)が「1~2人、米軍の基準を満たせない者がいるが、きちんと責任を取らせている」とする主張も、「沖縄だけで人口数万の都市に匹敵する2万4千人近い米兵がいるのだから犯罪ゼロというわけにはいかない」といった米軍側にある主張を受け入れなければ公平性を欠くことになる。

 いわば学校教育を受けた者すべてが社会の一員として資格あるモラルを身に着けるわけではないのだから、中には支払う能力がありながら給食費滞納する親がいても仕方がないことだという論理を成り立たさなければならなくなって、未納を社会的な人間存在の矛盾として認めなければならないだろう。

 実際には各学校は未納家庭に対して連帯保証人を立てた必ず支払いますと書いた誓約書を提出させたり、支払い請求に応じない家庭を対象に裁判所に債権差押えを申し立てて給与から差し押さえる強制執行で回収を図ったりしている。いわば責任の所在を家庭に置いている。

 と言うことはそういったモラルを持たない親を育てた文科省の学校教育にやはり最終的には責任があるとしなければならない。米海兵隊員が少女暴行をした事件の責任は沖縄米軍にあるとしたようにである。

 私自身はこの責任構図を信じているわけではない。人それぞれの心の持ちようがモラル決定の要因だと思っている。では、支払う能力がありながら支払わないモラルはどのような心の持ちようが原因した荒涼風景なのだろうか。

 1978年の第二次オイルショック時代、ガソリンの高騰に耐えかねた一般家庭が生活防衛のために普通車から軽自動車に乗り換える経済化現象が起きたが、そのような現象に反して当時の若者の憧れは日産のスカイラインやトヨタのマークⅡといったスポーツタイプの車だった。颯爽と走らせる姿に憧れたのだろう。だが、当時のスカイラインやマークⅡは150万円前後した。大学卒の公務員初任給が9万円前後の時代である。金持ちのドラ息子でなければ、二十歳前半の若者にはとても手が出ない価格であった。

 諦め切れない若者がピカピカに再塗装した中古車に走った。2年3年のローン買いなのだが、月々の支払いが少なくも、一般労働者の若者にとって高い買い物であることに代わりはなく、月々の支払いが精一杯で、任意保険まで手が回らない若者が多くいた。

 しかも当時のスポーツタイプは重量が重く、ガソリンを食わせて走らせる構造となっていたから、5年以上落ちともなると、リットル5キロ前後しか走らない。新車ほどではないにしてもカネ食い虫であることに変わりはなかった。

 スポーツタイプの車に見合ったいい格好を見せるための安全運転とは程遠いドライブが事故と隣り合わせとなる確率の高さは自然な摂理だろう。事故を起こして馬鹿にならない修理費まで任意保険なしだからローンを組んで支払いを凌いだり、人身事故を起こした場合はローン会社から借金をしたりして凌がなければならない。収入に身の丈の物質欲で我慢すべきを背伸びして収入を超えた物質欲で精神の充足を図り、結果的に度の過ぎた物質欲の復讐に合い、金銭的な悲劇に見舞われる。

 給食費の滞納にしても、支払い能力がありながら支払わない場合は収入の身の丈を超えた他への支払いを優先させることから発生している収支の皺寄せが原因しているのではないだろうか。国内旅行や海外旅行を優先させる。あるいは外食してテレビ番組で紹介しているようなグルメな食事を満喫する。ブランド品か、ブランド品でなくても高価なファッションやアクセサリーで身を固め、豊かな気分となる。そういったふうに物質欲を満たすことで自らの精神を満たす生き方が経済的な余裕をなくし、その不足を埋め合わせるために給食費の未払いに進む。

 なぜ給食費かというと、子供を塾に通わせていたなら、今月の家計は赤字だからと塾代金を未納としたなら、「支払えるようになるまで塾を休んでください。支払えるようになったなら、また塾に来てください」と言われるのがオチだろう。また自治会費といったたちまち近所に知れて評判を落とすような会費を滞納対象とするわけにはいかない。給食費なら、公立学校の場合は義務教育だから、支払わなくても学校にくるなとは言わないだろうし、学校はプライバシーに関係する問題ということで秘密を守るだろからと近所に知れることもない。そういった高を括る気持の上に、いや義務教育なのだから、給食費も国が支払うべきだとこじつけて格好の滞納対象としているといったこともあるに違いない。

 いずれにしても支払い能力の所持に反した滞納である以上、支払い優先度の問題であろう。確かテレビで報道していたことだと思うが、高級外車を乗り回す身分でありながら、給食費を滞納している家庭があると言っていたが、車のローンは月々口座から自動的に引き落とされて手をつけることができない。こういった優先させる支払い、優先させなければならない支払いがあって、後回しにしている支払いが給食費ということなのだろう。

 学校が例え滞納を子供に知らせなくても子供を犠牲にしていることに変わりはないのだから、このことだけで精神の貧困を示してもいるが、物質的豊かさを充足させることで精神を充足させている一方でモラルに関わる精神の豊かさを削っているのである。豊かな物質社会、豊かな物質時代に浸るあまりの、そのことが引き起こしている精神の飢渇と言えないだろうか。


≪給食費滞納10万人…事前申込書・給料差し押さえも≫(asahi.com/2008年04月28日03時01分)

 千葉や長崎の公立高校で入学金の未納が問題になったが、公立の小中学校では給食費の滞納に頭を悩ませている。払おうとしない保護者が少しずつ増えているからだ。申込書の提出を求めたり、法的手段に訴えたりと「断固たる態度」で臨む教育委員会が相次いでいる。
(子どもたちが大好きな給食の時間。給食費の滞納が増えると、食材の質を落とすことになりかねない=千葉県市川市内の小学校、小沢写す)
 
 ■未提出なら「弁当持参を」
 江戸川を挟んで東京都に隣接する千葉県市川市。市教委は今年度、市立小中、特別支援学校の計56校で、保護者に「学校給食申込書」の提出を求める仕組みを導入した。

 未収額は06年度、必要額の0.22%にあたる250万円。千葉県全体だと0.7%(県教委の05年度調査)なので決して多くはないが、年々増え続けている。それに歯止めをかけるのが目的だ。

 ある小学校の場合、市教委からの手紙と、1年間の給食を署名押印して申し込む書式を2月に配った。手紙には「未払い額が大きくなると正常な運営に支障をきたすことにもなりかねません」、提出しなかったり払わなかったりした時は「弁当の持参をお願いする」とも書かれていた。

 校長は「食の安全を守るという意味もあります」と話す。市川市の給食は、カレールーもギョーザも手作りなのが自慢だ。だが、学校単位で集金して校内で作る方式のため、未収分が食材の質に直結しやすい。

 この学校では申込書は順調に集まったが、市教委には市民から反発の声があった。「子どもに罪はないのだから、不足分を補填(ほてん)できないのか」「きちんと払ってきたのに、『申し込み』させるとは失礼だ」……。「申込書は出さないが給食費は支払う」という保護者もいた。

 市PTA連絡協議会の佐藤博彰会長は「ついにここまで来たか、というのが正直な気持ち。ただ、レストランでお金を払わなければ犯罪になるのだから、仕方がないと受け止めています」と話す。

 市教委には、全国30以上の自治体から問い合わせが来ている。

■全国10万人、22億円余

 滞納は全国に広がる。文部科学省が07年1月に発表した全国調査では、給食がある小中学校の4割を超える1万3907校で滞納があった。児童生徒の約1%にあたる10万人近くで、総額22億円余にのぼる。

 各地の市町村教委が最近打ち出した対策は、(1)あらかじめ警告し(2)滞納が続いたら法的措置に踏み切る――の2段階に分類できる。

 宇都宮市は07年度から保護者に支払いの「確約書」を求めており、保証人を書く欄もある。実際に請求した例はないが、1月現在の滞納は約244万円と前年に比べ6割減った。

 水戸市も今年から申込書の提出を求めている。払わない状態が続いた場合、「給食の提供を中止することについて異議ありません」との文言も入れた。

 栃木県足利市も1月にまとめた対策に、事前申込制を盛り込んだ。いわば前払いで、応じなければ提供をやめられる。担当者は「督促し、誓約書を書いてもらい、裁判でも払ってもらえない場合の方法として考えた」と説明する。

 広島県呉市は06年度、「払えるのに払わない」世帯に対しては簡易裁判所に支払い督促を申し立てることにした。06、07年度に各5~6件。それでも支払う意思が見られない場合、保護者の勤務先から給料の一部を差し押さえるケースも出ている。

 各校は督促の家庭訪問を繰り返し、校長のポケットマネーなど学校で立て替えてきた。しかし、「どうにもならない」という校長からの声に押される形で、法的措置に踏み切ったという。

 06年度までの3年間で計約440万円の滞納があった島根県出雲市。市教委の調査では13.9%の世帯が「親の規範意識が欠け、支払う意思がない」で、中には高額な車を持っていた家庭もあった。督促申し立てなどを視野に入れた対策を打ち出すと、07年度は約330万円まで減った。(小沢香、水沢健一、星賀亨弘)

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ここがおかしい福田首相/すべての問題点・矛盾は自民党政治を震源としている。

2008-05-02 07:25:26 | Weblog

 参議院に送付したものの60日以内に議決されず否決されたものと見做す「みなし否決」の規定を採用、再度衆議院に上程した租税特別措置法改正案が4月30日午後の衆院本会議で自民、公明両党など3分の2以上の賛成で再可決され、成立、失効したガソリン税などの暫定税率が復活した。それを受けて夕方、福田首相が「記者会見」を行った。

  福田センセイは暫定税率の失効で「国・地方合わせて800兆円もの借金を抱える中で、この1か月間で1,800億円の歳入が失われ、この状態が続けば、毎日60億円もの歳入が国・地方の財政から失われることになる。こうした歳入不足への不安から、地域の道路を含めて、全国で5,000か所を超える事業が凍結され、また全国各地の自治体から教育や福祉といった住民サービスにまで支障が生じ、地域経済にも悪影響が及ぶことを懸念する声が挙がっている」と言っているが、「国・地方合わせて800兆円もの借金」は昨日今日の問題ではなく、自民党政治・自民党行政のハコモノ一辺倒政策が戦後60年かけて結果的につくり出した「借金」であって、自民党政治・自民党行政のそのような借金体質化した土台を問題とせずに歳入不足だけを言っても始まるまい。

 また歳入不足は今に始まったことではなく、自民党政治は一方でムダ遣いどっぷりの放漫国家経営をしながら赤字国債で借金を補填してきた歴史を抱えているのである。現在問題となっているのは、そういった借金体質・ムダ遣い体質を血肉化している自民党政治・自民党行政をこのまま続けて日本は立ち行くのかということであって、取り扱うべきはそういった全体の問題であり、細部の問題ではあるまい。

 無論、福田センセイは「ムダ遣い」にも言及している。こうまで野党やマスコミに「ムダ遣い」を暴露・追及されて、言及せざるを得なかったから言及したといったところだろうが、こう言っている。

 「道路特会での無駄遣いの実態が明らかとなり、道路整備計画の信頼性に大きな疑問が投げかけられた。道路財源であれ何であれ、国民の税金を預かっている以上、1円たりとも無駄があってはならないことは言うまでもない。道路財源に関する無駄遣いについては、不適切な支出を直ちにやめること、随意契約を競争的な契約に変えること、不要の天下りを徹底排除することなどを決めた。問題は、これが着実に実行されることであり、外部有識者による監視も強化し、具体的な予算の削減につなげいく」

 「1円たりとも無駄があってはならない」のはごくごく当たり前のことで、福田センセイはこの後「無駄な予算の根絶は、すべての改革の大前提であります」と同じことを大上段に言っているが、それを当たり前のこととすることも「大前提」とすることもができずに「1円」どころの騒ぎではない「無駄」だらけの自民党政治及び自民党行政を国家経営の歴史としてきた。その結果の「国・地方合わせて800兆円もの借金」なのであり、「改革」が改革となっていなかったことの証明でもある。

 そういった自民党政治・自民党行政全般に亘っている国家経営に於けるムダ遣い体質、無能・無為無策体質を徹底総括・徹底検証して間違いの元を質し、それを教訓とすべきを、そうはせずに「すべての省庁、独立行政法人、関連公益法人に至るまで、無駄な歳出を徹底的に洗い出し、無駄ゼロに向けた見直しを断行する、公務員制度改革や公益法人改革を徹底することにより、いわゆる天下り制度についても抜本的に是正することを約束する」と改めることだけを口にしても、総花的な羅列、口で言うだけの空約束で終わる可能性が高い。

 福田センセイは暫定税率復活を「地方財政への配慮」も不可欠理由とした措置だとした上で、但しムダを暴露されたからだろう、単に配慮するだけではなく、道路特定財源を一般化して道路計画を見直すと国民を納得させるための辻褄合わせをしているが、散々な無駄遣いと無能な自民党政治・自民党行政で借金を増やすだけ増やし、にっちもさっちもいかなくなった国家財政のみを取り繕うために地方財政を顧慮せず「三位一体改革」の名のもと地方交付税を削りに削って都市と地方の格差をつくり出したのも自民党政治・自民党行政であって、その張本人の一人が「地方財政への配慮」を言うのは矛盾をつくり出した一味の者が矛盾をあげつらうのと同じで、その滑稽さを問題としなければならない。

 「道路財源の在り方」の問題は「少子高齢化」、小児科医や産科医の「医師不足」、「地球環境問題」、「社会保障」等の問題にも連なる「我が国の在り方そのものを問う問題」だと前置きして、そういった国民が求める「喫緊の課題」に応えていくためには「道路整備や国民生活にとって優先度の高い順に、コストを徹底的に削減して行うこととし、それによって生み出された財源を一般財源として積極的に活用していかなければならないと決断した」としているが、要するに道路は道路として造り、余った財源を一般財源化すると言っているのである。当然のこととして道路族は従来どおりに余らないように予算を使い切るだろうから、これまた空約束の類で終わる可能性は高いことになる。

 最も滑稽な主張は次の箇所である。「少子高齢化、地球環境問題といった構造変化に直面している中にあって、これからは国民や消費者の目線に立った行政を進めていかなければならない。私は、今、消費者の目線で行政を進める新しい役所として消費者庁をつくろうとしているが、この道路財源についても、生活者の目線で、その使い方を見直していきます。」

 大体が「これからは」とするところがおかしいのだが、福田センセイはおかしいことに気づいてすらいない。国民主権を決めたのは日本国憲法成立の1946年11月である。それまでは現人神天皇が主権者であり、国民は天皇のため・お国のために生かされた。しかし1946年以降国民主権となって60年以上経過してから、「これからは国民や消費者の目線に立った行政を進め」るとは、国民主権を蔑ろにしてきたことの暴露以外の何ものでもない。

 「国民や消費者の目線に立った行政」は戦後をスタート地点としなければならなかったにも関わらず、自民党政治・自民党行政はそうしてこなかった。そして戦後60年を経た今になって、何の恥ずかしげもなく「国民や消費者の目線に立った行政」と言って憚らない。その神経を疑う。

 「一般財源化」であろうとなかろうと、「国民生活者が主役」であり、それが国民主権と言うことでなければならないはずなのに、「私の言う、一般財源化とはまさに国民生活者が主役となる行政への転換を示すものであります」などと恥ずかしげもなく言う。

 要するに自民党政治・自民党行政は「国民生活者」をこれまで脇役に置いてきたのである。戦後60年以上も国民を脇役に置いて何ら恥じず、恥じないことで面の皮を厚くしている自民党政治・自民党行政が今さら心を改めますと言っても、誰が信じるだろうか。

 こうも言っている。一般財源化は「道路特定財源から脱却し、これを生活者である皆さんが求めているさまざまな政策に使うための言わば、生活者財源へと改革をしてまいるものであります」

 美しい立派な物言いだが、国民の税金・国家予算を「政治家財源」・「官僚財源」として既得権益化し、ムダ遣いだらけ、借金だらけにしてきた。それら「財源」を元手に政治家は口利きや利益誘導に、官僚は天下りや随意契約のキックバックや接待等々に役立て、自分たちの私腹肥やしに回してきたのである。

 国家予算を本来あるべき「生活者財源」とせずに、恣(ほしいまま)に「政治家財源」・「官僚財源」とすることで「国・地方合わせて800兆円もの借金」を拵え、「少子化問題」は30年も前から分かっていたのに(<明治以来人口が増え続けてきた日本社会が、大きな転換点を迎えた。厚生労働省の推計で05年に生まれた子供の数が死亡者を1万人下回り、政府の推計より1年早く人口の自然減が始まった。子供が生まれにくくなったのは、将来への不安や経済的な負担などが理由だ。だが、30年前から、日本がいずれ少子化によって人口維持ができなくなることは分かっていた。それなのになぜ効果的な対応が打ち出せなかったのだろう。>≪「人口減 産めぬ現実」≫05.12.22『朝日』朝刊/冒頭部分)、自民党政治・自民党行政は「効果的な対応が打ち出せ」ずに無為無策のまま放置してきたことを棚に上げて、今さらながらにその解決は「喫緊の課題」だと言い募る。

 その他医師不足にしても都市と地方の格差、地方の疲弊にしても、年金破綻にしてもすべては無能・無為無策の自民党政治・自民党行政を震源とした問題点・矛盾なのである。保育園・幼稚園に入れない待機児童問題が女性に対して生みたくても埋めない現実をつくり出し少子化の原因の一つとなっていることも同じく無能・無為無策の自民党政治・自民党行政を震源とした問題点・矛盾であろう。

 国民が必要とする政策を満遍なく実行すべきを、道路、道路と道路建設を優先させてきた。立派な家を大金をかけて建てたが、そこに住む家族はバラバラでそれぞれが孤立し、一家団欒のない家庭状況そのままの日本社会を自民党政治・自民党行政はつくり出してきた。現在の日本の問題点・矛盾は自民党・自民党行政を震源とした「成果」なのである。

 そういった「成果」しか自民党政治・自民党行政は創り出すことができなかった。問題が自民党政治・自民党行政そのものであるなら、首相自身が何を言ってもムダ、何を言わせても無意味でしかない。
 * * * * * * * * * * * * * * * *
 ≪「人口減産めぬ現実」(05.12.22/『朝日』朝刊)

 「明治以来人口が増え続けてきて日本社会が、大きな転換点を迎えた。厚生労働省の推計で05年に生まれた子供の数が死亡者を1万人下回り、政府の推計より1年早く人口の自然減が始まった。、子供が生まれにくくなったのは、将来への不安や経済的な負担などが理由だ。だが、30年前から、日本がいずれ少子化によって人口維持ができなくなることは分かっていた。それなのになぜ効果的な対応が打ち出せなかったのだろう。

  『お金がかかりすぎる』
 
 『2人目はとても』
 川崎市の会社員、中野広行さん(41)と洋子さん(39)は、一人息子の広海ちゃん(2)を認可外の保育室に預けて働く。効率保育園には2年続けて入所希望を出したが、希望者が多くてかなわなかった。『子供1人だって安心して預けて働けない。2人目なんてとても考えられない』と嘆く。
 『仕事は続けたいし、子供は産みたい。妥協点が1人。少子化は問題だと思うけど、たくさん産める人が産んでね、という感じ』と都内の共働きの公務員の女性(33)は話す。

  04年の合計特殊州出生率は1・29で過去最低を更新中。『晩婚・晩産化に加え、結婚したカップルが持つ子供の数が減っている』と国立社会保障・人口問題研究所の高橋重郷副所長は分析する。

 年金などの制度設計の基礎になる同研究所の人口推計(中位)が置いた前提は、85年生まれの女性の6人に1人は結婚せず、結婚しても産むのは1・72人。3割の女性は一生子供を持たない。これでも『甘い』と批判されがちだ。

 同研究所の02年の調査では、50歳未満の妻にとって理想の子供数は2・56人だったが、結婚期間が15~19年の妻が実際に生んだ子の平均は2・23人と格差があった。理由は『子育てや教育にお金がかかりすぎる』『育児の心理的・肉体的負担に耐えられない』など。

 お金の問題は大きい。内閣府の試算では、大卒の女性が退職せずに60歳まで勤務した場合、出産により一旦退職してパートで再就職した場合に比べて、障害年収が2億円以上多くなる(国民生活白書)。

 少子化を招く背景には、経済力の低いニートやフリーターの増加もある。UFJ総研の試算では、不リーガーが正社員になれないことにより経済力が伴わず、婚姻数が最大で年間11・6万組減少する。この結果、13万~26万人の子供が生まれなくなるという。

 少子高齢化が急速に進行すると、社会や経済にさまざまな影響を及ぼす。人口問題研究所の推計による都、2030年には、ほぼ3人に1人が65歳以上のお年寄りだ。高齢化で、社会保障の給付は増える。厚生労働省の試算では年金・福祉・医療の社会保障給付は04年度の86兆円から25年度は152兆円になる。支え手が減れば、1人あたりの負担はさらにおもくなる。

 人口減でゆとりが生まれる部分もある。内閣府がまとめた『21世紀ビジョン』では、中古住宅市場の整備を進めて、4人家族の借家1戸当たりの平均延べ面積(98年で59平方メートル)を、30年には100平方メートル以上にできるとしている。

 ゆったり通勤も夢ではない。東京大などの研究は、都心の8区に通勤するサラリーマンは00年の310万人から、50年には247万人と2割減ると予測している。

  若い世代への支援探る

 『30年間政治は無策』
 『日本が人口減少社会になっていくのは実は30年前に分かっていた。残念ながら30年間、我々の社会は有効な手段を準備できなかった。

 22日の閣議後の記者会見で竹中総務相はこう語った。合計特殊出生率は1970年半ば以降、人口を維持するのに必要とされる2・1を割り続けている。これが続けば自然減を迎えることは百も承知だったわけだ。

 それなのになぜ有効な手を打てなかったのか。竹中氏は『要因は多岐に渡る。経済、住居、所得の環境、教育のあり方、男女参画のあり方の問題』と指摘した。

 35年と半生を縛る多額の住宅ローン、仕事と子育てを両立しにくい社会、それに年金や医療などの将来不安がのしかかる・・・・。とても安心して子供を産める環境にはない。

 実際の各政党の政策にも手詰まり感がある。19日の官邸での政府・与党連絡会議。公明党の冬芝幹事長は『児童手当の対象者は『(公明党が連立を組んだ)99年は約240万人だったが、今回の制度改正で約1310人まで増えた』と胸を張った。しかしその間の合計特殊出生率の低下傾向は変わらなかった。安倍官房長官は22日の記者会見で、『この政策をやれば確実に少子化に歯止めがかかるという政策はなかなかない』。総合的な対策の必要性は政治家の共通認識だ。

 今後重点を置くべき方向が見えていないわけではない。猪口少子化担当相は22日の記者会見で『子育てと仕事の両立支援』と『若い子育ての世代への経済支援』を挙げた。雇用や社会保障など広範な社会の下支えをつくった上で、若い世代をどう支援するか――。

 ただ、所得格差が広がる社会への不安も広がる。八百津は『小さな政府』を目指す小泉改革が少子化を助長しかねないと指摘する。民主党の前原代表は22日、党本部で朝日新聞記者に『格差が生じて、子育て世代がアップアップしている。まさに小泉流が。勝ち組と負け組みを生み出しているしわ寄せが来ているのではないか」

 「少子化への要因への具体的対応を検討するに当たっては、まず、少子化の要因が何なのかを分析する必要がある。1970年代半ば以降の合計特殊出生率低下の要因は、未婚率の上昇である。1975年に21%であった20歳代後半の女性の未婚率は、1995年に48%であり、1975年に8%であった30歳代前半の女性の未婚率は1995年に20%である。日本は欧米の国と比べても婚外出生の割合が1%と極めて少ないため、未婚率の上昇が直ちに出生率の低下につながっている。一方、その間、一組の夫婦の産む子どもの数は2.2人程度で、変化していない。年配の人たちの中には、自分の経験から、昔は兄弟姉妹が4人も5人もいたのに、最近は一人っ子が多くなったことが少子化の原因という誤解をしている人が多い。確かに1950年代半ばまでの出生率の低下は兄弟姉妹の数が減ったことによる。しかし、1970年代半ば以降現在まで続く出生率の低下は、未婚率の上昇によるものである。・・・」

 つまり、昔は兄弟姉妹が4人も5人もいたのに最近は一人っ子が多くなって、それが子どもをわがままにした原因だと思われているが、そうではない。出生率の低下は未婚率の上昇と無子率の上昇によるものであり、実際は、1960年以後生まれでは平均きょうだい数はほぼ2.5人(平均2.48人)で、そのうち一人っ子の割合も6~7%(平均6.5%)で安定している(厚生省社会保障・人口問題研究所人口動向研究部が行った第3回世帯動態調査参照)のである。わかりやすくいうと、子供を持つ世帯の約60%が二人っ子、30%が三人兄弟で大半を占め、一人っ子はわずか6~7%で変化がないということである。一人っ子の増加がわがままな子を増やしたというのは何の根拠もないのだ。

 少子化の要因としても近年は未婚率の上昇が注目されている。2005年の今回の国勢調査の結果発表に目が離せない。

 ▼最近の動向

 日本では1989年に合計特殊出生率が急落した「1.57ショック」をきっかけに政府は少子化対策に取り組んできた。

 2004年の合計特殊出生率(概数)は1.29と辛うじて前年度と同じであった。

 2003年の合計特殊出生率1.29は前年の1.32からかなり低下した値であった。この数字と同じ値の概数値が発表されたのは、国民的な関心が集まった年金法案が国会で可決された直後であり、年金収支の将来展望のベースとなった合計特殊出生率の将来想定値以下となったため年金収支の将来フレームの信頼性を揺るがすものとして注目された。

 その際、出生率回復のための年金制度の工夫として、フランスとスウェーデンの例があげられた。毎日新聞(04年6月11日)によれば、「フランスでは3人の子どもを9年間養育した男女に年金額を10%加算するなどし、出生率を94年の1.65から02年に1.88に回復させた。スウェーデンは、子どもが4歳になる間に所得が減っても、年金計算は(1)子どもが生まれる前年の所得(2)年金加入期間の平均所得の75%(3)現行所得に基礎額(約50万円)を上乗せした金額-の3通りから最も有利なものを充てるなどの対策で、01年に1.57だった出生率は02年に1.65に伸びた。」

 なお、韓国では、2000年から04年にかけて、合計特殊出生率が1.47、1.30、1.17、1.19、1.16と急激に低下し、日本やイタリアを下回るに至っている点が韓国国内でも関心事となっている。韓国における出生率の低下は日本より急激であり、日本においては祖父母と子の世代の子育てに関する意識ギャップと同様なものが韓国では親と子の世代に生じていると想像される。

 韓国の出生率の低さについては、教育費、特に塾代を含めた家計負担の大きさをあげられる場合が多い。確かに、学校教育費の私的負担では韓国は世界1の高さとなっている(図録3950参照)。

 時系列データが得られなかったので図には取り上げていないが、WHOによれば、中国の合計特殊出生率は、1992年に2.0、2002年に1.8とされており(Core Health Indicators)、それほど高くない。これが一人っ子政策の効果によるものか、一部で言われているように、政策を実施しなくとも中国でも教育費などが高くなり、余り多くの子供はそもそももてないという要因の効果なのかは分からない。

 (少子化の動向)

 1960年代以降の合計特殊出生率(TFR、生涯で女性が何人子供を産むか)の変化を見ると、日本より水準の高かった欧米は、日本のなだらかな低下とは対照的な急激な低下を経験し、1980年代前半には欧米、日本ともほぼ同じ少子化水準に達した。(第1期)

 それ以降1980年代~90年代前半も欧米と対照的である。すなわち、米国、スウェーデン、デンマークなど欧米では反転して高くなった国も多いのに対し、日本はなお低下を続けている。(第2期)

 しかし、1990年代前半以降は、再度の出生率の低下が生じ、また最近はさらに回復する傾向にある。(第3期)
2004年の合計特殊出生率は1.2888で、昨年の1.2905より低下し、過去最低となった。

 現在の人口を維持するためには2.08なければならないとされてる。

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基本的人権/他国のフンドシで相撲を取る中国の「聖火応援隊」

2008-05-01 03:49:25 | Weblog

 日本の主権侵害に当たらないのか?

 各国の聖火リレーを利用したチベット問題の中国政府の対応に対する抗議の妨害行動から守るべく埋め尽くさんばかりの大量の中国国旗を振って参集した中国人集団は中国当局が旅費負担で動員したものだと4月29日の「asahi.com」≪「聖火応援隊」やっぱり動員 中国当局が旅費負担≫が伝えている。

 上からの指示で何事も動かす共産党一党独裁国家であり、国民の多くも上からの指示に従うことに慣らされた行動傾向を抱えているだろうから「動員」だとは思っていただけではなく、4月25日の「毎日jp」(≪聖火リレー:留学生動員「中国大使館が関与」 豪当局者)が既に題名どおりのことを伝えていたし、テレビの報道番組でも動員を疑う発言があったが、証拠がなければ断言はできない。上記の報道で、さもありなんの印象を受けた。

 アルバイトが忙しくて学業が疎かになりがちとなるといった話題に事欠かない中国人留学生たちが自腹を切ってまで大挙押し寄せること自体異様なことだったはずである。

 記事内容を箇条書きにすると、

北京五輪の聖火リレーへの妨害を防ぐため、各地の中国大使館側が旅費を負担するなどして、現地の中国人留学生らを大
量動員していたことが関係者の話でわかった。


各地で赤い中国国旗を振っていた「聖火応援隊」もやはり当局主導だった。

1人2千円の交通費を負担したが、残りの費用は、すべて大使館側が負担してくれた。

配布マニュアルには、(1)聖火が引き継がれる地点にそれぞれ20人ずつ集まって「人間の壁」をつくり妨害者の進入を防ぐ(2)自分たち以外の大人数の団体を見つけたら責任者に報告する(3)不審な物を発見したらすぐに新聞紙や服で包んで排除する、などと書かれている。

「体を張って妨害を食い止めてもいいが暴力を振るってはいけない」「大声を出してもいいが、相手を侮辱するような言葉は使わない」など、法律やルールを守るよう呼びかけ、現場でも注意されたという。中国のイメージが損なわれないよう配慮していることがうかがえる。

パリやロンドンで聖火妨害が相次いだため、各大使館が中国人留学生や華僑を動員し、聖火を防衛することを決めたという。オーストラリアのキャンベラでは1万人以上が、アルゼンチンのブエノスアイレスでも数千人の留学生らが動員された。

「中国大使館が費用を負担して現地の中国人を動員しているのか」という記者からの質問に対し、姜瑜副報道局長は「そのような質問をして、どんな意味があるのか」と明言を避けた。
 * * * * * * * * * * * * * * * *
 さも愛国心からの自発的行動であるかのように見せかけていたが、相当に綿密に計画された官製動員であり、官製の「聖火リレー応援隊」だったことが分かる。

 3の「1人2千円の交通費を負担したが、残りの費用は、すべて大使館側が負担してくれた。」は「官製動員」であることを隠し、自発行為を装わせるための証拠隠滅を目的とした工作なのは間違いない。

 7の「『中国大使館が費用を負担して現地の中国人を動員しているのか』という記者からの質問に対し、姜瑜副報道局長は『そのような質問をして、どんな意味があるのか』と明言を避けた。」と言うことだが、大いに意味があることではないのか。

 日本では5千人もの大量の中国人が長野に(キャンベラでは1万人も)集まったということだが、中国政府は主権が及ばないはずの外国の地で中国大使館の介在のもと5千人も動員した集団活動を通して抗議活動の阻止を目的とした中国政府の意志(=中国の国家権力意志)を働かせたのである。そうである以上、これは一種の無許可の集会であるということだけではなく、そのことも問題だが、そのことを超えて日本の主権侵害に当たらないだろうか。

 そしてそのような日本の主権侵害に当たる無許可の大集会を可能とした契機は日本の憲法が保障している集会の自由や思想・信条の自由、表現の自由等の基本的人権の自由であり、それを利用した場面展開であろう。

 勿論中国にも抗議活動を目的とした集会・デモの類は存在する。しかし国家意志に反する人権行為は制限され、コントロールを受ける。1989年6月4日の学生や知識人が民主化を求めたデモを人民軍が戦車まで動員し武力弾圧して多くの死者を出した六四天安門事件は最悪の事例であろう。

 そして現在も人権活動家は国家権力による様々な監視を受け、国家権力の許容範囲を超えた場合は拘束され、思想・信条の自由、表現の自由を認めない裁判所の意志を受けて刑に服さなければならない。許された集会・デモの類は国家権力の統制下に入ることで意図しなくても官製色を纏い、官製化することになる。

 いわば中国は自国では基本的人権を制限しておきながら、外国の地での基本的人権の自由を利用して国家権力意志の行使を目的とした、当然のことながら表向きはそれを隠していたものの公然たる集会を行ったのである。

 つまりこういうことではないか。基本的人権に関わる満足なフンドシを国内的には持っていないのだから、外国の地でも控えるべきを、それが公平な態度と言うべきだが、控えもせずに自由であることを認める他国のフンドシを利用して人権行為を行う僭越を働いたのである。

 何としたたかなと言うべきか、狡猾と言うべきか、のほほんとした日本の政治家にはマネのできない見事な外交戦術である。 


 ≪「聖火応援隊」やっぱり動員 中国当局が旅費負担≫(asahi.com/2008年04月29日06時24分)

 【北京=峯村健司】北京五輪の聖火リレーへの妨害を防ぐため、各地の中国大使館側が旅費を負担するなどして、現地の中国人留学生らを大量動員していたことが関係者の話でわかった。「人間の壁」による妨害対策を指示するなど、対処マニュアルも作成。各地で赤い中国国旗を振っていた「聖火応援隊」は、やはり当局主導だった。

 長野市を走った26日の聖火リレーでは、約5千人の中国人留学生らが日本各地から集まった。東京から参加した複数の留学生によると、前日から夜行バスで向かい、1人2千円の交通費を負担したが、残りの費用は、すべて大使館側が負担してくれたという。

 配られたマニュアルでは、(1)聖火が引き継がれる地点にそれぞれ20人ずつ集まって「人間の壁」をつくり妨害者の進入を防ぐ(2)自分たち以外の大人数の団体を見つけたら責任者に報告する(3)不審な物を発見したらすぐに新聞紙や服で包んで排除する、などと書かれている。
 さらに「体を張って妨害を食い止めてもいいが暴力を振るってはいけない」「大声を出してもいいが、相手を侮辱するような言葉は使わない」など、法律やルールを守るよう呼びかけ、現場でも注意されたという。中国のイメージが損なわれないよう配慮していることがうかがえる。

 関係者によると、パリやロンドンで聖火妨害が相次いだため、各大使館が中国人留学生や華僑を動員し、聖火を防衛することを決めたという。オーストラリアのキャンベラでは1万人以上が、アルゼンチンのブエノスアイレスでも数千人の留学生らが動員された。リレーが通過しなかったカナダやニュージーランドなど15カ所でも、現地中国人による大規模な「北京五輪支持集会」が開かれている。

 24日にあった中国外務省の定例会見で、「中国大使館が費用を負担して現地の中国人を動員しているのか」という記者からの質問に対し、姜瑜副報道局長は「そのような質問をして、どんな意味があるのか」と明言を避けた。 
 ≪聖火リレー:留学生動員「中国大使館が関与」 豪当局者≫(毎日jp 2008年4月25日 20時20分)

 【キャンベラ井田純】オーストラリアの首都キャンベラでの北京五輪聖火リレーに、1万人以上の中国系住民や留学生が集まったことについて、キャンベラのスタンホープ首都特別地域首席大臣は「中国大使館が関与していたことは明らかだ」と述べ、中国当局による組織的動員だったとの見方を明らかにした。25日付地元紙が伝えた。

 24日の聖火リレーでは、大型バスなどで1万人以上の中国系住民がキャンベラ入りし、スタート会場などに集結。チベット系のグループや人権団体に激しく抗議するなど、圧倒的多数による「北京五輪支持」デモを展開していた。

 スタンホープ氏は「中国大使は、シドニーやメルボルンの中国系団体代表と接触を重ねていることを示唆していた」と述べ、大使館の関与は「疑う余地がない」と明言。デモで使われた多数の中国国旗なども、「当局から提供されたものに違いない」と語った。

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