現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

1/3 岡崎にて弾き初め

2011-01-03 22:11:52 | 虚無僧日記
1/3 岡崎のG先生宅で「弾き初め、吹き初め」。
尺八6人、筝・三絃が2人。

G氏は、尺八の音もすばらしいが、三絃も弾く。
昨年よりグンと腕をあげた。I氏は 『夕顔』
『芥子の花』、そして古典本曲『虚空』を、
見事に吹いた。豊橋のM氏は、ジャズ・バンドを
組んで、昨年15回も公演を行ったとか。

初参加のA氏。昨年暮れ、名古屋駅前で虚無僧
で立っていた時、声をかけてくれた青年。
なんと、吹き料は、祖父の形見という「初代
青木鈴慕」と「青木道夫」の竹 2管。骨董的
価値は大変な代物。これを吹きこなせるかが
課題だ。

私は2尺4寸管で『阿字観』。G氏の評は
「マキさんの円熟した時期の演奏ですな」と。
彼の批評はいつも当を得ている。3年前は
「まだ、(人に聞かせたい、見せたいという)
欲に捉われてますな」と。ドキッであった。

尺八談義が尽きない、いい仲間だ。お土産も
たくさんいただいて、解散。ありがたいこと
です。感謝。


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脚下照顧

2011-01-03 20:33:23 | 虚無僧日記
「脚下」は「足元」。「脚下照顧」は、「自分の足元を見よ」
という意。そこから、「他人に求めず、まず自分を反省せよと
いう戒め」とか、いろいろ説かれているが、どれも、禅語の
知識として頭に入るぐらいだった。

2008年(H20) に 107歳で遷化された 永平寺の第78世貫主
宮崎奕保(みやざき えきほ)老師の法話を テープで聞いた。
老師ほどの方なら、どのように説かれるだろうと、思いきや、
「脚下照顧とは、靴をそろえなさいということです」と、いたって
身近なわかりやすい話だった。それだけに、腑に落ちた。

玄関に脱がれた靴を見ると、その家が判る。宮崎師は、
東司 (とうす=トイレ) の草履が乱れていると、おん自ら、
整えられたという。「脱ぎ散らかされていれば、他人に
させるのでなく、自分が整えてあげればいいことです」と。
老師がそのようなことをされれば、僧侶たちも次からは、
きちんと揃えるようになることだろう。

老師はさらに、「靴を揃えることで、心も整い、開けたら
閉める、出したら戻すの当たり前のことを当たり前にやる
ことで、家の中も整っていく」と説かれている。

今年、「あらたまりたい」「美しくなりたい」と思う私。
靴を揃えて脱ぐのは、もう以前からできているので、
次なる課題は「開けたら閉める、出したら戻す」だ。


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1/2・3の朝は

2011-01-03 08:28:21 | 虚無僧日記
ラジオ体操は、元旦を除いて毎朝。朝起会が6時に
終わると、那古野神社に行き、体操の後は、皆で
モーニング。ところが いつもの喫茶店は 正月休み。

そこで、Sさんの妹さんの店を、特別に使わせて
いただくこととなった。貸切で、にわか「新年会」。
尺八の 生演奏も聞いていただく。みな、明るく
ステキな方ばかり。

今日 ( 1/3 ) は、 毎年、岡崎の筝のG先生宅に、
筝と尺八の仲間が集まって 新年会。弾き初め、
吹き初め。こちらも、いい仲間だ。

ところで、岡崎までの交通費。「明暗箱」を開けて
みれば、ちゃんと、岡崎を往復するだけの必要額は
はいっていた。昨晩めぐり会えた○○先生はじめ、
喜捨していただいた方に感謝。何も憂えず、心配
せずとも、なるようになっていく人生。生かされて
いることに感謝。

今年は、いい正月スタートをきれた。


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