現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

家康替玉説

2011-01-23 22:03:24 | 虚無僧って?
家康の謎。正室の築山殿と長男信康を殺したこと。
そして、松平を「徳川」と改名。本家の松平太郎左衛門
家筋は、江戸時代を通じて、わずか500石で、三河松平郷に
閉じ込めたこと。

そこで「家康替玉説」が出る。
「家康 ( 松平元康 ) は、桶狭間の混乱の中で戦死した。
松平の家臣としては、駿府にいる竹千代 ( 信康 ) を
取り返して、今川からの独立を図る好機。それまで
元康の死を秘して、替え玉を立てた」というもの。

替玉のはずの元康が力をつけ、まず、反対する家臣団
を押さえ込んだのが「三河一向宗」との争い。そして、
築山殿と信康を殺して、松平の当主に収まった。

家康は、本家筋の松平一族を冷遇し、自らは「徳川」と
改姓する。その理由として「先祖は、上州(群馬県)の
得川(とくがわ)郷から 時宗(じしゅう)の僧となって
流浪し、松平に養子として迎えられた」などという
伝承を作った。

松平郷は、京賀茂神社領の荘園で、松平氏は、その現地
荘官であり、「藤原姓」だった。それを、新田一族で
「源氏姓」に変えたのも不可思議。あえて「時宗の僧」
などと言い出したのは、家康の本当の出自をカムフラージュ
して、伝え残したかったのではないか。

もしそうなら、次の問題に飛躍してくるのだ。諸国を
遍歴する遊行聖(ゆぎょうひじり)、時宗の徒(時衆)が、
江戸時代になって、幕府の政策で、藤沢の「浄光寺」を
本山として、「時宗」という一宗を確立したこと。

同じく、高野聖や鉢叩きと同類だった「こも僧」も、
時衆の公認に期待して、我もとばかりに『家康公お墨付』なる
ものをでっちあげた。幕府はこれを黙認してきた、
その謎が解けるのである。


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修行って何?

2011-01-23 10:54:55 | 虚無僧日記
「ニセモノ」さんからいただいたコメント。
「修行している姿を見て、この人に何とかしてあげたい」と
 思ってお金を入れられる人→ 托鉢

もうひとつ 付け加えるならば、「救いを求めて」布施される
方もおられる。悩み苦しむ人を救う力は、私にはまだ無い。
だから修行するのだと 気づかされた。

昨晩は、酔っ払った若者二人にからまれた。左右から天蓋に
顔を近づけてくる。それでも二人の間に挟まれながら、平常心で
尺八を吹き続けた。すると、二人共財布を出して、小銭を入れて
くれた。しばらく手を合わせて「(心が) 洗われたな」と 云い
残して去っていった。酔った勢いでのジェスチャーだろうが
うれしい言葉だった。

もうひとつ、時折、酔っ払いのホームレスが現れる。大声で
わめきちらし、通行人に怒鳴りつけている。私の所に寄って
来たらどうしようと不安にもなる。釈迦は、荒れ狂う像の心に
入って おとなしくさせた。この人の心も鎮められないかと、
一音に“ 気 ”を込めて吹く。すると、気持ちよさそうに
目を細め、両手で尺八を吹く真似をし、首を振りながら去って
行った。

人の心にはいる。入れる人間になる。それが修行かと思えて
きた。「寒さに耐えて」とか、「尺八の練磨のため」にやって
いるうちは 自分本位だ。通行人の心に入り、さらに救いに
なるような姿カタチを作るまでが、修行の目的かと。

真如教主は、冬は氷を割っての水ごり、夏は蝋燭を何本も
腕に立てての勤行と、厳しい修行の末、衆生済度の道一筋に
立たれた。釈迦もそうだった。しかし、釈迦も真如教主も
「苦行をする必要はなし」と説いてくださっている。大乗
仏教では「托鉢修行」の必要を認めていない。そうは云われても
人は、自ら苦に身を沈めたい自虐性があるようだ。


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先を読む

2011-01-23 10:10:13 | 虚無僧日記
朝5時から「朝起会」、6時半から「真如苑の寒修行」に参坐。
それぞれ1時間ずつ正座している。座禅のようなものだ。
「朝起会」も「真如苑」も似ている。「朝起会」は「愛和」。
真如苑は「和合」。「腹を立てず、他人のせいにせず、己を滅して
世のため 人のため(真如苑)、我も人もの幸せ(朝起会)に、とことん
尽くしきる」。そうすれば、朝起会では「天からのご褒美」。
真如苑では「仏様のご加護」が得られる。

その一つが「予知能力」、「見えないものが見えてくる」というもの。

昨日、ガソリン・スタンドに寄ったら「パンクしてますよ」と。
実は、前日から「車に釘が刺さってパンクする」という声なき声が
聞こえていた。自分で点検しても判らなかった。でも不安もあって、
いつもはセルフ・スタンドで給油するのだが、めずらしく有人の
スタンドに寄ったのだった。パンク修理の間、スタンドの建物の
中にはいったら、びっくり。私のプロフィールのチラシが、
掲示板に貼ってあった。他にも仏教関係の「いい話」などが
貼られていた。「男の子は母親に反発するものだ」と。私の
ことと反省。

そういえば、先日、詩吟の会の懇親会で、「じゃんけん大会」が
あり、いつもは勝ったことがないのに、五回連続勝ち進み、優勝
した。相手の出すのが、瞬間に読めたのだ。

昨日は、N氏が尺八の稽古にみえ、2時間の特訓。楽譜の先を
読むことが必要と教える。私など、2小節、さらに次の行も
見ている。先を予測できる。素人さんは、楽譜を一つひとつ
追ってるから、つっかえ つっかえなのだ。

「ジヤンボ宝くじ」は買わなかった。「当たらない、当たらない」
という声が聞こえるからだ。


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1/22 虚無僧 76日目

2011-01-23 05:49:41 | 虚無僧日記
酒も入ると気も大きくなる。声も大きくなる。
虚無僧で歩いていると、すれちがいざまに 瞬間に発する
言葉が 聞こえてくる。

「虚無僧だ」「うっそオ、マジ?」
「時代劇みたいだ」。「侍だ」「隠密剣士だ」
「忍者だ」
「早く、手裏剣、手裏剣!」
「あの刀、真剣かな?」
先日「成人式」で模造刀を持ち込んで騒いだ事件があった。
刀なんぞは持ってません。袋の中は「替え尺八」です。

「座頭市だ」というのも 三度ほど あった。
「目、見えてるのかな?」
結構「盲人」と思う人が多い。

「女か?」という声も。
髪を後ろに垂らしているのと、白い着物でそう思うらしい。
女虚無僧がいたとは思えないが、江戸時代の浮世絵や
大津絵、絵草紙に「女虚無僧」はよく登場してくる。

「明暗だって」という声が一番多い。「明暗分かれる」
「名案、妙案」などと、思いついた言葉を口にする。
中国人も「メイアン」と読む。小学生で「みょうあん」と
読んだ子がいた。

ときどき誰かがいたずらしようとするのだろう。
「殺されるぞ!」「やめろ!」などと 制止する声も聞こえて
くる。いたずら心と、それを制止しようとする理性が、
虚無僧を見て出来湧くようだ。


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1/22 虚無僧 76日目「名古屋駅 虚無僧」で検索すると

2011-01-23 00:20:34 | 虚無僧日記
1/22 土曜日。名古屋駅前は異常な人だかりと喧騒。
愛知県知事選○○候補の街頭演説。あのダミ声の
名古屋弁は、そう「河村市長」。その後、なんと
「橋下大阪府知事」が来名して応援演説。力強い
演説口調だったが、かえってビルに反響して、聞き
取りにくい。宣伝カーの前は狭い歩道。取り巻きと
報道関係者がほとんど。一般人は 1~2百人ほどか。

JR構内は立ち止まり禁止だが、この時ばかりは
OKか。立ち止まって選挙演説を聞いていると、
「すみません、入れさせてください」と、男性が
後ろから。こうして3人の方から喜捨いただいた。

「寒修行」75日目となった。毎日名古屋駅をうろついていて、
写メも撮られている。中には、ブログに書いている人も
いるのではと思い、「名古屋駅・虚無僧」で検索してみた。
結果4件ヒットした。反応は さまざまだ。

「名古屋駅で虚無僧を見た」
「ウッソ~、マジ? コスプレ?」


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