現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「六波羅蜜」の一つ「布施」

2011-01-28 15:06:11 | 心の問題
六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、仏の境地に近づこう
とする菩薩の成すべき六つの修行。「布施・持戒・
忍辱・精進・禅定・智慧」と六つある。
 
【布施(ふせ)】

 布施とは「他人に物を施すこと」

 財施・・・他人にお金や物を施すこと。
 身施・・・他人に労力を施すこと。
 法施・・・他人に仏の教えを施すこと。

虚無僧が尺八によって、人々の心の内なる仏心を導きだすことも
「法施」の布施行なのだ。そこが物乞いと違うところか?
いや紙一重で同じか。悩むところだ。

 虚無僧に金品を布施される方は、施しをできることが
 「有り難い」と思えることによって、自分自身の仏性が
 磨かれる。

【持戒(じかい)】
 持戒とは、驕りを捨て、身を慎むということ。
 
【忍辱(にんにく)】
 忍辱とは、他に対して寛容であり、どんな困難をも耐え
 忍ぶということ。
 
【精進(しょうじん)】
 精進とは、継続して努力すること。

【禅定(ぜんじょう)】
 禅定とは、何事が起こっても迷ったり、動揺したりせず、
 静かな精神を保ち、心が定まっている状態。

【智慧(ちえ)】
 智慧とは、真理を見極め、真理によって判断、処理できる
 能力をいい、仏になる最終到達点である。


 
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松尾芭蕉は、なぜ「芭蕉」を俳号にしたのか

2011-01-28 09:09:50 | 虚無僧日記
松尾芭蕉は、なぜ「芭蕉」なのだろう?
調べてみたが、俳号の由来は不明だった。

では「芭蕉」にはどういう意味があるのか?
そもそも「バショウ」は、バナナと同じ「バショウ科」の植物。
大きな葉を持ち、花や果実はバナナとよく似ているが、実(み)は
食用に適さない。中国原産だが、英名を「ジャパニーズ・バナナ」
と言うから、日本の植物として固有のものらしい。琉球諸島では、
葉鞘の繊維で「芭蕉布」を織り、衣服に利用していた。

伊藤若冲の絵も有名だが、日本的情景には馴染まない植物だ。

能の「芭蕉」は世阿弥の娘婿、金春善竹の作。善竹は一休の
もとに参禅し、その影響を強く受けていた。しかし、一休は
禅宗だが、能楽師は浄土宗、時宗である。観阿弥、世阿弥は、
「阿弥陀信仰」の阿弥号なのだ。

能「芭蕉」の内容は、「芭蕉」という植物の精が現れ、人間
同様、植物でも「成仏」したいと願い出るというもの。
「万物悉皆有仏性」。人や動物だけでなく、植物にも石にも
もの皆仏性を有するという「法華経」の思想を説いたものだ。

こうした植物の精が登場する能は他に、梅、藤、桜(西行桜)、
柳(遊行柳)。この四つは、いかにも日本的な風景に合う
植物だが、芭蕉だけは異質だ。

中国では「芭蕉の精が人間に化けて出る」という怪異譚が
あるそうな。(中国の『湖海新聞夷堅続志』)

今川義元は、駿府を発つ際、謡曲「芭蕉」の一節を口ずさみ
出陣し、桶狭間で非業の最期を遂げた。

それから数十年後、駿府は徳川二代将軍秀忠の三男忠長の
所領となった。忠長は兄家光と折り合いが悪く、自死に
追い込まれる。駿府から甲府への改易の知らせが来た時、
忠長は駿府城で「芭蕉」の能を催していたという。

というわけで「芭蕉」は縁起が悪い植物ともされた。

「芭蕉」は、ひときわ大きい葉が人影にも見え、精霊や
妖怪のイメージと結びつけられていた感がある。その
大きな葉の影に隠れるという意味で「隠密」の意味も
含まれていたようだ。


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1/27 虚無僧 81日目

2011-01-28 00:40:12 | 虚無僧日記
1/27 今日は、Aさんが初めて尺八を習いにみえた。
昨年末に虚無僧で立っていて声をかけてくれた方だ。
おじいさんが尺八を吹かれていたので、小学校5年から
尺八には馴染んでいたとのこと。私と似ている。私も
叔父の影響で小学校5年から尺八に親しみ、あっち
こっち行って、知識だけは豊富になった。2時間みっちり、
私が50年で身につけた技術のほとんどを 伝授した。

今日は、N氏とH氏も稽古にみえた。二人とも尺八歴は
長いが、音の出し方、息の入れ方、指の使い方から矯正
している。

というわけで、虚無僧に出たのが9時過ぎ。近鉄前に
いつも いるはずの「路上商い士」が一人もいない。
やがて占い師の女性が現れた。聞くと、「からむ人や
通報する人がいて、皆引き揚げた」とのこと。私は
その場にいなくて良かった。遅くなったことが幸い
だったのだ。

11時過ぎ、雪もちらついてきた。若者が二人、私に手を
合わせて布施。さらに若い女性二人。そして、もっと若い
女の子二人。「何してるんですかぁ。ここにお金いれるん
ですか。よし、入れてあげよう。頑張って生きてください」。

若い女性は縁が無いものと思っていたが、その思いも捨て、
無心で尺八を吹いていたら、今日は4人も。うれしいことだ。



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