現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

水上勉 『虚竹の笛』

2011-01-21 10:49:31 | 一休と虚無僧
2001年、水上勉の「虚竹の笛/尺八私考」が出た。
明暗寺の開祖「虚竹禅師」がモデルで、我々虚竹禅師奉賛会
会員にとっては、こんなうれしいことはない と喜んだが、
買って読んでみると???であった。

水上勉は、「中国で『和漢竹簡往来』という書を手に入れ、
その中に、「普化尺八の伝来、虚竹の素性、一休と虚竹のこと
などが書かれていた」というのだが、ほんとうだったら、
大変なことだ。しかし、水上氏は『和漢竹簡往来』を公開
しない。どうやら水上勉の創作のようだ。

これを読んだ人はすっかり事実と思い込まされる。中国の
新聞にも「普化尺八のルーツが判った」とニュースで取り上げ
られたほどだ。

小説家の創作はどこまで許されるのか。
歴史小説では、どこまでが真実で、ここは作者の創作だろうと
感じさせる暗黙の手法がある。水上勉は、その著『一休』でも、
存在しない書物を「出典」として、事実であるかの如く思わせて
いる。

五木寛之の『親鸞』は、「五木・親鸞」として、フィクション
であることを承知して楽しめるが、「水上・一休」は、一休を
「エロ坊主」としてしか描いていないことに不快を感じる。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

クリックお願いします。日記@BlogRanking 





虚竹の笛 2

2011-01-21 10:26:37 | 一休と虚無僧
水上勉の『虚竹の笛』は、虚無僧史に光を当てる
ものと期待したが、あまりにも創作話であり、
いささかがっかりした。しかし、信長も秀吉も
多くの作家が、好き勝手にいろいろ人物像を創り
上げているではないか。『虚竹の笛』も小説として、
読み直してみると、いろいろ得るところがあった。

P.131「尺八を吹いて、鳥や獣を呼びよせられるようで
    なければ一人前ではない。魚も跳びはねる
    ほどでなければ。鶯も尺八の音にほだされて
    啼き声をあげるというふうな」

私も尺八を吹いていたら、シジュウカラが飛んできて
私の頭や肩に止まり、尺八の歌口と私の唇の間を
チュンチュン嘴でつつき、しばらく共に合唱?した
経験がある。

P.168「竹は、育った土地の響きがある。竹は禅境そのもの」

ほんとにそうだ。 尺八は、それぞれに音色が違う。
熊本と京都、新潟の竹ではそれぞれ響きが違う。中国の
竹で作った尺八は異国の匂いがする。それは私も感じる。

P.322「竹には故郷の響きがある。水夫たちは尺八の音に
   故郷を思って泣くのです」

そう、ホームレスが私の尺八の音に、うっとりと耳を傾けて
くれた。空を見あげ、はるかな昔、故郷の母を思い出すような
目をして。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

日記@BlogRanking


虚竹の笛 3

2011-01-21 10:25:54 | 一休と虚無僧
P.342「真言だろうと禅だろうと、尺八道はすべてに通じている。
   大道無門。禅も帰するところは遊行」
P.349「自力他力は初門のうち、唯一念仏になれば自力も他力もない」
P.350「曲の名は無い、ただ西湖に吹く風の音に任せて吹くのみ」

虚無僧は禅宗の一派と思われているが、室町時代、発祥の過程では
時宗(遊行宗)とも関係があった。ただ「南無阿弥陀仏」と唱えれば
救われるとする他力の念仏宗と、釈迦も仏も否定して自力を説く禅宗。
このまったく相反する仏法の接点が由良興国寺の開祖、法灯国師
心地覚心なのだ。

覚心は真言宗の高野山で修行し、禅も学んだ。禅浄双修、禅も真言も
浄土教も遊行宗もすべてが覚心につながるのである。
虚無僧が、なぜ法灯国師覚心を普化宗の日本開祖に担ぎ上げたのか。
その謎に、水上氏なりに暗に触れているのだ。

「尺八の音は死者の弔いに似合う」。そう、葬送、鎮魂の響きだ。
「人々は自然と尺八の音に合掌する。尺八は念仏なのだ」。
「仏法は今五山にはない。尺八の中にある」。

そうなのだ。「虚無僧とはなんぞや」。『虚竹の笛』を再度読み直し
てみて、端々の記述から、水上氏の言わんとするところが読めた。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。



日記@BlogRanking


1/20 虚無僧 74日目 物乞いと虚無僧

2011-01-21 01:46:46 | 虚無僧日記
1/20 夜10時過ぎ、ふと横を見ると、男が地べたに四つんばいに
なっている。フードをかぶっているので顔は見えない。前には、
大きめの紙コップが置かれている。物乞いをしているのだ。
その姿にショックを感じた。あそこまで、自分を捨てきれる
だろうか。

通行人が 小銭をコップの中に入れると、男は、頭を少し下げ
ただけで、言葉を発しない。顔も見せない。地べたについた
両手、両足は さぞ冷たかろうに、1時間以上続けている。

近寄って、男の傍らに立って尺八を吹くと、通行人が 私と彼を
見つめ、次々と紙コップの方に小銭を入れていく。12 時を過ぎて、
人通りも途絶えたので、話かけてみた。コップの中には、私より
はるかに たくさんのお金が入っている。

なお、顔は上げずに 私の問いに答えるには 「新潟から来た。
いつもは栄にいる」とのこと。そういえば、以前 栄で見た。
托鉢僧の格好ではなく、厚手のジャンパーに よれよれのズボン
だが、お椀を持って、1時間以上も直立不動なのだ。通行人が
お椀に小銭を入れても、微動だにしない。その姿に圧倒された。

虚無僧と乞食、どこが違うのか、考えさせられた。虚無僧は
まだまだプライドと格好にこだわっている。あそこまで、
自分を捨てきれない。こうまでして「生きる」覚悟が違う。

「一休と異人ロアンの話」。一休は云う。「ただ座っている
だけでは空しい。お前の言葉は通じないが、せめて笛でも
吹いて、人々の心を慰めることでもできれば、社会に役立つ
人になれるではないか」と。この話が、今日まで私の支えに
なっているのだが、今日は“何もない力”に打ち負かされた。



「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

クリックお願いします。日記@BlogRanking 



一休の仏教批判

2011-01-21 00:14:53 | 一休と虚無僧
「とんち一休さん」の話は、ほとんど江戸時代以降
作られたもの。「屏風の虎」などは、江戸幕府が
滅び、将軍の権威が失墜した明治になっての作だ。
将軍様をやりこめる、バカにする話など、江戸時代に
できようはずがない。

和尚さんをバカにする「水飴の話」は、江戸時代初期に
刊行された『一休咄』だが、これなどは狂言の『ぶす』
の「主人と家来」を「和尚さんと小僧」に替えたもの。

とにかく一休さんは、いたずら小僧だ。「仏様に息を
吹きかけてはならぬ」と云われて、お尻を向けて
お経を読んだり、饅頭を盗み喰いしたのを、仏様の
せいにして、仏像を釜茹でにしたり、叩いたり。
「関の地蔵」の開眼供養にしょんべんをひっかけたり。

およそ子供の教育には害になる話である。古い因習を
打破しようとした戦後には、一休さんの仏教批判が
もてはやされ、拍手喝采を浴びたが、最近は、むしろ
宗教が見直され、「一休さん」の人気が失落している
ように感じる。世の中、意外に堅苦しくまじめな方向に
向かっていると思うのは 私だけだろうか。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

クリックお願いします。日記@BlogRanking