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「受験」って特別なこと?

2006-10-30 15:03:34 | 徒然
公立高校の「世界史」を履修せず単位不足で、卒業できなくなる可能性がある高校生が、日に日に増えている。
当初は、地方の公立高校が予備校的役割も果たさなければならない為と言う、指摘があったのだが、今日の産経新聞WEBサイトをみると、決して地方の公立高校だけに限ったことではないようだ。

この問題が発覚してから、思うことがある。
それは「受験の為、仕方なく」という言葉だ。
世界史の授業を普通にやっていたら、週2コマ程度の授業だったのではないだろうか?
それを、他の授業に振り替えたところで、大した受験対策になっているとは思えないのである。
むしろそれを「受験勉強・受験対策の効率化」と、とらえるほうが怖く感じる。
と言うのも、直眼的モノの見方ばかりが優先され、長期的視野でモノを見る力がなくなっていくような気がするからだ。
高校の履修と言うのは、授業を受け定期考査(と、出身高校では中間・期末テストのことを呼んでいた)の結果で、認定されるモノ。
そんなに「受験」の名のもとに、カリカリしなくても・・・と思うのだ。

「今の大学受験は、そんなに簡単ではない」と、言われるかも知れないが、では「何故、大学に進学をするのか?」ということを聞きたいのだ。
「就職に有利」だとか「人生の選択肢が増える」というのは確かにあるけれども、有名国公私立大学に進学したからと言って、その後の人生の保障などはない。
「何故、大学に進学したいのか?」という動機がなければ、進学後は「受験の開放感」から勉学よりも他のコトに気がいってしまい、本来大学で身につけているはずの専門知識も社会的常識もない、学生ばかりが増えてしまうのではないだろうか?
実際、「効率的」とか「合理的」という名のもと「HOW to」ばかりを追い求め、自分で創造する力が劇的に低下している若年者が多いように感じるのだ。

それにしても、日本は「お受験(有名私立小学校受験)」に始まり、「大学受験」まで「受験」ということに対して、「特別視」し過ぎるのではないだろうか?
確かに「受験をする」ということは、その時々で重荷で大変なことだ。
でも、社会に出ればそれよりも、もっと大変で重たい責任がある。
大学受験などは、「自分が一体何を学び、どんなことをしたいのか?」ということを、自問自答し、考える時間としてとらえたほうが、良いように思うのだが・・・。
その後、進路変更をすることが可能と言うのが、「再チャレンジ」の第一歩なのでは?