日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

人にしか出来ない仕事を

2009-01-12 11:02:23 | 徒然
先週末あたりから「ワークシェアリング」と言うコトバを、頻繁に聞くようになった。
「ワークシェアリング」の意味については、今更説明をする必要はないだろう。
「ひとつの仕事を分け合う」うコトで、「雇用を増やす代わりに、給与全体を下げる」と言うコトがワークシェアリングの基本的な考えだ。

この「ワークシェアリング」、確かに雇用を増やすことには効果的だが、給与が減ると言う意味で日本では定着しなかった。
ところが、昨今の「派遣切り」で日本経済をリードしてきた数々の企業が、批判されるようになったことで、改めて「ワークシェアリング」と言うコトを言いはじめたように感じるのは、私だけではないだろう。
特に経団連会長でキャノンの社長である御手洗さんの考えの中には、単純に「雇用を確保しながら、人件費を増やさない方法」としての「ワークシェアリング」と言う気がしてならない。
これでは、雇用者は増えるが「ワーキングプア」と呼ばれる人たちを増やすだけなのではないだろうか?
それでは、内需拡大には結びつかないし、国内でのキャノン製品の売上には結びつかないはずなのだ。
それを、十分理解した上での考えなのだろうか?

テレビのニュース番組などを見ていて、気が付いたことがある。
それは「派遣や期間工として働いている人たちは、取り替えがすぐにきく『パーツ』のような存在」と言うコトバを、コメンテーターと呼ばれる人たちが口にしていることだ。
確かに、製造現場で派遣や期間工と呼ばれる人たちは、大した技術や職能もないまま、その仕事(多くは、製造ラインか?)に就いているだろう。
だが、働いている派遣社員や期間工の人たちは「職能技術などのスキルを身に付けたい」と思っているのではないだろうか?
全員とはいわないが、そのような気持ちを持って、仕事に就いている人たちもいるのではないだろうか?

「団塊の世代」と呼ばれた人たちが、退職し始めた頃盛んに言われたことが「職能技術者の継承」だった。
日本の高度成長を支えた「高度な技術を持った職能者の退職」は、企業にとって大きな痛手だったはずなのだ。
ところがいつのまにか、聞かれなくなってしまった。
本当なら、多くの企業は「高度な職能技術者」は「人財」だったはずなのだ。
とすれば、派遣社員や期間工の人たちの中からでも、このような「人財」を育てる必要があるはずなのでは?
非正規雇用・正規雇用と言う枠を外して、多くの人たちにこのようなチャンスを与えることが、景気が回復した時には必ず必要となる「人財」になると思うのだが・・・。

チャップリンの映画「モダンタイムス」が作られたのは、半世紀以上も前。
「人にできる仕事」ではなく「人にしか出来ない仕事」を、創り出すのも企業にとっては大切なコトなのではないだろうか?
なぜならそれは、企業にとって「人財」を創るコトにもなるはずだからだ。
その上での「ワークシェアリング」を、語らなくては意味がないように思うのだ。