日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

任天堂ひとり勝ち?

2009-01-31 22:34:32 | マーケティング
Yahooのトピックスにトヨタの5倍超、従業員1人で10億稼ぐ高収益企業「任天堂の究極目標」と言うニュースがピックアップされている。
任天堂は「従業員1人当たり10億円を稼ぎ出す企業」と言うのだから、「世界のエクセレントカンパニー・トヨタ」以上といわれても、当然だろう。
それほどの高収益企業「任天堂」というわけなのだが、この「高収益」を支えているのは「ニンテンドーDS」や「Wii」といった商品である事は、誰でもご存知のコトだろう。

しかし、この記事にあるように「ニンテンドーDS」や「Wii」が、「ゲーム機」というカテゴリーの商品なのか?と言われると、どうだろうか?
あくまでも個人的視点として考えていただきたいのだが、今や「ニンテンドーDS」や「Wii」は、「ゲーム機」ではないと考えている。
では何か?それは「利用者の目的によって変わる、ツール」だと考えている。
「○○」という単純なモノではなく、進研ゼミとジョイントしたソフトによって「DS」は、携帯型学習機になっている。
カメラ機能を付加した事で、「携帯デジタル・フォトアルバム」になったり、書道の練習帳やお料理の携帯レシピブックにもなっている。
そして「Wii」も、家族で楽器演奏が楽しめたり、「WiiFit」と言うツールを組み合わせることで、「健康管理」まで出来てしまう。
インターネットに繋げることで、PCを持っていない人たちやPCが苦手な世代にも、受け入れられるようになっている。
もちろん、本来の「ゲーム機能」も充実している。

そのように考えると、「DS」や「Wii」はその内容=ゲームや教材などのソフトを入れ替えることができる「ハコ」のような気がするのだ。
その「ハコを、どう使うのか?」と言うコトは、使用者まかせで、あえて「○○として使ってください」という制約を外している。
むしろその「制約」を外したことが、「DS」や「Wii」をヒットさせたのではないだろうか?

その操作性の簡単さなどは、「ファミコン」で培ってきた技術や発想があってのことだとは思う。
思うのだが、「ハコ」の内容を様々な企業が使えるようにした事が、むしろ大きいと考えるのだ。
とすれば、今や「ゲーム機」と言うカテゴリーに押し込めてしまうコトには、無理があるような気がする。
もちろん、ゲーム機本来が持っている「楽しさ」などは、重要なポイントだとは思うのだが、それだけでここまでヒットし、高収益を生み出す商品と言う理由にはならないと思うのだ。

そして任天堂の成功は、ひとつの新しいビジネスモデルを生み出したのかも知れない・・・と、思うのだ。


 

江戸しぐさに学ぶ「陽に生きる」発想

2009-01-31 15:18:33 | ビジネス
イヤハヤ、どうしてこんなに社会が暗いのだろう?
元々、日本人の国民性として「心配性」なトコロがあるのかも知れないのだが、それにしても暗い。
その理由などは、改めて書く必要はないだろう。
経済だけではなく、政治を含めた将来の不安ばかりが付きまとう。
明るい顔をしているのは、自分の既得権益や利権が守られている人くらいだろうか?

とはいっても、暗い顔ばかりしていてもコトは進まない。
そんな記事が今日の毎日新聞のWEBサイトに掲載されていた。
江戸しぐさ:町人共生のエチケットを漫画に 九州で人気と言う記事だ。
漫画はともかく、ここ数年「江戸しぐさ」がクローズアップされていた。
「江戸しぐさ」を有名にさせ、一般的に認知させたのは2005年にテレビCMとして流された、「公共広告機構:江戸しぐさ」だろう。
江戸時代のマナーは、「粋=カッコ良い」が求められていた。
いつのまにか「粋なコト=カッコ良いコト」が、社会から消えてきたことを実感したテレビCMでもあった。

そして、今は「江戸しぐさ」というよりも「江戸的発想・思考」が必要な時代になってきているような気がする。
そのひとつが「陽に生きる」という、一種の楽天思考・発想だ。
そもそも「陽に生きる」というのは、例えば手元に千円があるとき、「千円しかない」と考えるのではなく、「千円ある」という考え。
「自分達の生活サイズを小さくする代わり、新たな楽しみを見つける」と言う、発想であり思考のコトだといわれている。
逆に「陰り目しぐさ」と呼ばれるような、陰鬱な表情や態度は「粋ではない」とされたようだ。
まさに、今の日本のアチラコチラで見られるのは、「陰り目しぐさ」なのではないだろうか?
大阪商人たちも「辛気臭い顔では、商売にならん」と言っていたはずだ。

もうひとつ「江戸しぐさ」を再評価したいのは、「江戸時代」と言う平和な時代をコミュニケーションと言う方法によって、手に入れていたと言うことだ。
そこには、商売の知恵も生活の知恵もあり、基本となっているのは「相手を思う気持ちや配慮と尊敬」だったように思うのだ。
相手と言っても、人とは限らない。

「モノが売れないから経費節減」と言うのでは、余りにも知恵がない。
経費を節減するのも大事だが、人の豊かな発想を沸き立たせると言うコトのほうが、もっと大切なのではないだろうか?
なぜなら、人の発想には経費がかからない。

NPO「江戸しぐさ」のHPにあるコラムには、様々な「江戸しぐさ」について書かれている。
今の私達が忘れている「粋さ」を、再確認してみる意味でも大切な発想のエッセンスを見る事ができるのではないだろうか?