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犯人探しに意味があるのか?

2009-01-11 10:32:12 | ビジネス
年が明けても、金融危機が拡大するばかりで終わりが見えない。
そんな中、朝日新聞のWEBサイトに〈連載―世界変動〉公的資金投入は、犯人探しの始まりと言う記事が掲載されている。

「公的資金投入」と言えば、日本のバブル崩壊後、都市銀行などに投入されたことを思い出す。
日本の銀行は合併を繰り返しながら、投入された公的資金で何とか生き延びてきた。
もちろん、現在も続く優遇税制もあってのことだ。
例え、とんでもないほどの経常利益を計上できるほど経営状態が良くなっても、いまだに優遇税制は続いている。
11月のリーマンショック、急激な円高、直後の円高による輸出産業企業の赤字転落などで、銀行各行も今年度は相当厳しい数字が並びそうだが、それでもアメリカほどではないだろう。

バブル崩壊後、日本でも「犯人探し」のようなことがあった。
結果は、不起訴となり国民全体が「税金投入=公的資金投入」で終わってしまった。
おそらく、今回のアメリカ発の金融危機についても、同じコトがいえるのではないだろうか?
バブルの頃、誰も彼もが「この経済状況は、永遠に続く」と、どこかで思っていたような気がするのだ。
「思っていた」のではなく、「信じたい」と言う願望だったのかも知れないが。

ただ「犯人探し」をするとすれば、それは社会全体の雰囲気だったのではないだろうか?
日本でもバブル期~バブル崩壊~現在までに、一種の「拝金主義」的な思考が生まれてきた。
「お金がある・お金儲けが上手い=勝ち組み、お金がない・お金儲けが下手=負け組み」と言う2つの組み分けなどが、それだ。
それを象徴するのが「デイトレーダー」だろう。
パソコンの画面をにらみ、「今日はいくら儲かった、損をした」と言っては、一喜一憂をしていた人たちだ。
このような人たちを持て囃すような社会的雰囲気が、つい2、3年前まで日本でもあったのだ。
持て囃すメディアもいかがなものか?と思うのだが、それを真似て、我も我もと、身の丈以上の儲けに熱狂していた生活者の姿も現実としてあった、というコトを忘れてはいけないのではないだろうか?

「バブル経済」と呼ばれる「虚の儲け話による経済」は、過去何度も繰り返されてきた。
有名なところでは「チューリップ・バブル」だろう。
以来、対象となるモノが代わるだけで、その内容は変わってはいない。
そのことから、私達はまだまだ学ぶべきコトがあるのでは?
今回の金融危機で、世界がきな臭くなってきているコトを敏感に察知し、回避することもまたひとつの知恵だと思うのだ。