日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

予算は底なしではない

2013-09-03 20:07:40 | 徒然

東京電力の「福島第一原子力発電所」での、放射能汚染水処理の目途が全くたっていない。
「取りあえず」の策として、海に流出させないための策が取られていたが、その対策そのものが「・・・???」という内容だった。
結果として、あふれ出た汚染水が海に流れ出し、東北の海を再び「放射能汚染の海」にしてしまった。

この対応策そのものに、問題があったと言うのはもちろんだが、何となく東京電力も政府も「いざとなれば、税金で補填すれば良い」と思っていたところがあるのでは?と感じるこの頃だ。

確かに「フクシマ事故」の発端は震災ではあったが、その後の対応策が後手後手となり、いくら税金を投入しても、収束の気配が全く見えてこないような気がしている。
「汚染水処理のために税金を投入する」と言う条件に対して、具体的で抜本的な「汚染水処理の工程表とかかる予算」を東京電力に求める必要があると思う。
予算以上の費用が発生するなら、東京電力がもっている全ての資産を売り払ってでも、自己負担をする、と言う位の条件付だ。
そのくらい厳しい条件を提示しない限り、汚染処理そのものが進まないままズルズルと税金が投入されていくような気がしてならない。

民主党政権だった頃、自民党は「バラマキ予算だ」と言っていたはずだが、それよりも規模の大きな予算編成となっている。
いわゆる「族議員」と呼ばれる人たちが、「アベノミクス」と言う御旗?の下、予算を要求している結果だ。

そもそも日本は「財政難」という状況だったにも関わらず、何故見境のないような予算が組めるのだろう?
この様な状況を考えれば、社会保障に関わる予算は別にしても、「族議員」さんたちの名前が付きそうな施設や道路の建設は取りやめて、汚染水処理にあてるという発想は無いのだろうか?

企業であれ、一般家庭であれ「予算=収入」というのは、青天井ではない。
限られた予算の中で、工夫をしながらやりくりをしている。
それは国というレベルであっても、同じだと思う。
「汚染水処理が最優先」と言うのであれば、他の事業を一時中断しても「汚染水処理」に予算を充てる必要があると思う。
あれもこれも・・・と言う予算など、無いはずなのだ。
にも関わらず、相変わらず「昭和の高度成長期」のつもりで、予算を考える議員さんたちの発想が不思議でならない。