今年社会的問題となったことの一つに、中学・高校などのスポーツ部の活動で「体罰」が日常的に行われていた、という問題があった。
それは「日本柔道連盟」と言う、日本の「お家芸」とも言えるスポーツにまで及んだ。
この問題が表面化したコトで、盛んに言われる様になったのが「スポーツ科学」だ。
科学的根拠に基づいたトレーニングによって、選手を強化すべき、と言うこと。
そのことには、大賛成なのだが・・・この様な「科学的見地」に立ったトレーニングを学んだ指導者が、どれだけ現場にいるのだろう?と言う疑問がある。
また、体罰を容認するような風潮が今でも、父兄側にあると言うことも聞く。
そこにはやはり「勝利至上主義」というか、「勝てば官軍」のような、発想があるからだろう。
むしろ、その様な発想が日本のスポーツを科学的な見地でトレーニングする、という考えを遅らせてきたのかも知れない。
そんな中で決まった7年後のオリンピック開催。
今は「体罰」反省から、「科学的見地に立ったトレーニング」の必要性が言われていても、次第に「勝利至上主義」的な声が強くなっていく可能性は高い。
オリンピックが始まると、連日のように「今日のメダル」という報告がテレビや新聞などで目にすることとなるからだ。
確かに「メダルを獲得する」と言うコトは、重要だと思う。
しかし、それは厳しいトレーニングの結果の成果だ。
メダル獲得数が多い欧米では、随分前から科学的根拠のあるトレーニングを選手に課して、強化してきた。
その結果としての「メダル獲得」だと言うコトを、忘れてはいけないと思う。
確かに、「最後の力を振り絞る時」と言うのは、トレーニングなどで鍛えた力よりも、精神力だとは言われているが、「最後の力を振り絞れるトレーニングをする」と言うコトのほうが、世界で闘う力になるのでは。
このオリンピック開催が「体罰」の問題を生かす、またとないチャンスだと思う。