今日、昨年から注目されていた広島県選出の河井議員夫妻の逮捕が、報じられた。
毎日新聞:前代未聞の河井克行・案里議員逮捕 現職国会議員夫婦、法相経験者・・・買収
この事件のあらましなどは、新聞やテレビなどで再三報じられてきたので、改めて説明をする必要は無いと思う。
ただ、この事件の発端となった「選挙資金1億5千万円」という、金額の多さには驚くばかりだ。
と同時に「選挙って、そんなにお金がかかるの?」という疑問と、お金で出何処が気になった方も多いと思う。
「買収」という容疑ではあるが、「買収資金」の流れについても、是非追求をして欲しい。
毎日新聞の記事を読みながら、「国会議員の逮捕も珍しいことではなくなってきたのかな?」という、気がした。
私の中で一番印象深いのは、記事にもある田中角栄元総理の逮捕だった。
ただ、田中氏の逮捕に至るまでの過程を見ると、ここ最近逮捕された国会議員とスケールが違うように感じる。
なんとなく、逮捕容疑のが「目先の自己益」という感じがしてしまうのだ。
だからといって、田中氏が良いというわけではない。
今回の河井夫妻に関しては、「選挙に勝つために、お金をバラマキ、票の取りまとめを依頼した」という内容になるのだと思うのだが、「金をばら撒かなくては、選挙に勝てない」という発想というか、スタートが「国会議員になろう!」という気概は無かったのでは?という、気すらしてくるのだ。
かつて、ある選挙区の大ベテランと呼ばれた自民党の国会議員さんは、選挙の終盤になると演説会場で土下座をした、という話があった。
議員だけではなく、老齢の奥様まで一緒になって「選挙に勝たせてやってください」と、一緒に壇上で土下座をする姿をテレビの番組で見たこともある。
それほどまでに「国会議員になりたい!」という、意気込みがあったのだ。
「情緒性の高い」といわれる日本人の高齢の有権者にとっては、この場面で「選挙に勝たせてやりたい」という気持ちになっただろう、ということは想像ができる。
正に「情に訴える選挙戦」というのは、このようなことを言うのだな~と、テレビの画面を見ながら感じたものだ。
それが「お金」という、即物的なものを使って選挙に勝とう!とする姿は、「選挙に勝つ」ということが目的で、「国会議員になる」ということは、考えていないのでは?という気がするのだ。
「選挙に勝つ=国会議員になる」のではなく、「議席数を増やすだけの要員」、あるいは表現が悪いのだが「議席数という駒」であり、国会議員としての仕事などについては、政党から期待されていないのでは?という、気すらしてくるのだ。
だからこそ手っ取り早い方法として、潤沢な選挙資金を提供し、「票とお金で買う」という発想になるのでは?
「多数決」という方法で、物事が進む国会では「数の論理」という考えが、支配的になる。
今の政治は正に「数の論理」で様々なモノが民意を反映することなく、推し進められてきた。
そろそろ、政党も国会議員も「数の論理の駒」という思考から「国会議員という職とは何か?」ということを考えて、選挙資金を集め、選挙をする時代になってほしいものだ。