ここ数日、考えることがある。
それは「思考力と思考速度」ということだ。
何故、そのようなことを考えているのか?というと、時々「答えが分かっているのに、何故考え込むのだろう?」と、感じる方と出会ったからだ。
決してその方の学力などが、劣っているわけではない。
にもかかわらず、「答えが分かっているのに、熟考するのか」不思議でたまらなかったのだ。
会社員時代に、あるマーケティングについての勉強会に、出席したことを思い出したのだ。
勉強会そのものは、1日をかけて3人くらいの講師の先生に登壇いただき「マーケティングの基礎~ビジネスにおけるマーケティング」という幅広い内容で、大学の先生から実際にビジネスパーソンとして活躍されている方まで、経歴も様々な方々だった。
その中で、大学の先生(=教授)が、「君たち、熱心に僕の話をノートに書いるが、ノートに書くことで勉強をして気になっているのではないか?」と指摘されたことがあった。
考えてみれば、私たち(の世代?)は小学校の頃から「教科書と先生が板書した内容をノートに書く」という授業を受けてきた。
そしてそのノートを読み返し、覚えることが「復習」だとされてきたような気がする。
それは小学校から大学まで、ほぼ変わることが無かったように思う。
その大学の先生は「僕の話を聞きながら、自分の会社はどうなのだろう?このような考えはできないのか?と、疑問を持ったり、僕の話から何かを感じて、考えるということはしないのかね?大切なことは僕の話ではなく、僕の話から何を感じ・考えたのか?ということだ」と、言われたのだった。
もっとも随分前の話なので、記憶が定かではない部分もあるのだが、話の趣旨としてはそのような内容だった。
おそらく「答えが分かっているのに、熟考してしまう」と感じてしまうのは、「答えを提示されていない為に、自分で考える為の時間が必要」ということなのでは?という気がしてきたのだ。
上述したように、小学校の頃から「考える」というトレーニングを、余りしてきていないのかもしれない。
実際、マーケティングの話をすると「How toを教えてくれるだけで十分」という方は、世代に関係なく案外多い。
ビジネスのフレームを作ってもらい、How toに沿って仕事をすれば、成功する!と、考えている方は少なくないようなのだ。
だが、これから先AIがごく当たり前のように使われるようになると、How toの仕事はAIがするようになるだろう。
何よりAIは、経験を学習しその学習から様々な場面や状況の中で、ベストと思われる選択ができるようにプログラムされている。
まだまだAIの「思考プログラム」が開発途上だし、そのプログラムを作る人によって、随分AIの思考そのものが変わってしまうという問題もある。
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しかしながら、コミュニケーションという部分ではなく「データベースから推測し、ベストな答えを導き出す」という、部分に限って言えば、How toにしか興味のない人よりも遥かに短時間でその答えを導きだすだろう。
そう考えると、ビジネスという場面だけではなく、本や新聞を読みながらでも「背景となるモノは何?」とか「問題の本質はどこにあるのか?」という、思考をめぐらすトレーニングが必要なのではないだろうか?
最初に「答えが分かっている」と書いたのは、私が同じ話を聞きながら「何故?解決策はどこ?」と考えていたからだ。
そしてそれは、日々の「思考トレーニング」によって、身につくことでありこれから先のAI時代には、必要な力のような気がする。
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