スポーツ紙に、意外といっては失礼だが、面白い記事があった。
スポニチ:吉村府知事の”名参謀”大阪のコロナ対策を支えるスーパーウーマンは「いくつになってもチャレンジ」
大阪の吉村府知事といえば、政府がなかなか発信しない「新型コロナウイルス対策」に対して、積極的に発言をし独自の支援策や対策を次々と打ち出し、今や首相の安倍さんよりも存在感のある政治家として、注目されている。
その吉村さんを支えるブレーンの一人が、この記事で紹介されている「健康医療部」の部長・藤井睦子さんだ。
藤井さんの経歴を見ると、流石の出身大学!と思うところは十分にあるが、それ以上に素晴らしいのは、行政職として常にその職場で最大限の力を発揮し続けていた、ということなのだと思う。
最大限の力を発揮するための、努力は大変なモノであったのでは?と、想像することはできる。
その「努力」の一つが、学び続けるという姿勢なのだと思う。
随分前、日経新聞が「諸君。学校出たら、勉強しよう」という広告を春に出したことがあった。
宣伝会議:日経新聞のコピーから読む「勉強」のこと
「諸君。学校出たら、勉強しよう」という広告が掲載されたのが、1982年。
今から38年前ということになる。
長い社会人生活の中で、不思議に思っていることがある。
その一つに「社会人になると、勉強をしなくなるのは何故か?」ということだ。
日経の広告が、今でも見る人に強く訴えかける力があるのは、この広告がでた頃から「社会人が変わっていない」からだろう。
もちろん、この広告が出た頃は「就職すれば、一生安泰。年功序列で定年までにそれなりの経済保証はある」という時代だ。
何より企業側も「学生時代に学んだことは、一旦リセットし改めて企業にあった人材教育をする」という、時代でもあった。
社会人になれば、積極的に学ぶ必要は無く、ある程度は企業側が用意した「営業の仕方」等のノウハウを理解すれば、それで大丈夫だったのだ。
だからだろうか?社会人になると途端に「職務に必要な勉強とは何か?」ということを、考えることなく惰性のように会社員生活をする人は多かったように感じる。
そしてそれは、男性が多かったように感じている。
理由は、女性が男性と同じ土俵で仕事をするためには、それ相応の覚悟と実績を残す必要があったからだ。
そのため女性の方が、職務を果たすための勉強を欠かすことなく、全力で取り組む必要があった、という点が大きいように実感している。
私自身、マーケティングという仕事に携わるようになると、「一般教養」と呼ばれる芸術文化の分野はもちろん、経済や社会情勢、時には「クラスター分析」を理解するために高校生の時以来、物理を学び直すということまで、当たり前にしてきた(物理はすっかり、忘却の彼方に去ってしまったが・苦笑)。
それが「偉いでしょ!」という気は、さらさらない。
仕事をするのだから、当然のことだろう(と考えていた。のだが・・・どうやら違うようだ、とここ数年で気が付いた)。
性差でも飛びぬけたセンスも関係ない。
藤井さんのように、新たな職務を任命されれば、それを「チャレンジ」と受け止め勉強し続けることができる人が、これから先必要な人財となっていくのでは?と、感じている。