日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

日本の企業も参考にして欲しい、有名ブランド経営陣の行動力

2008-12-23 10:51:31 | ビジネス
日経新聞のWEBサイトに、海外ブランド首脳「日本詣で」 営業テコ入れ陣頭指揮と言う記事があった。

しばらく前から、海外有名ブランド商品の国内価格が値下がり始めている。
「円高」に対応しているようにも思えるのだが、むしろ「値下げないと売れない」と言う、厳しい経済状況を反映しているようだ。

元々、日本で販売されている海外有名ブランド品は、「やや高い値がつけられている」と言われていた。
単純に「為替ルート」の問題というのではなく、最初から「日本向け価格」という設定がされていたというコトだ。
それでも「海外有名ブランドだから」と言う理由で、売れつづけていたと言うコトもあり、ここ数年、都市部の一等地には海外有名ブランドの巨大ショップが次々とオープンし、にぎわっていたのは、ご承知のとおりだ。

若い女性の中には、有名ブランドの紙袋をサブバッグのように使っている姿も、ごく普通に見かける。
いかにも「私、有名ブランド品持ってます」的な感じなのだが、それもまたひとつの価値観だろう。
もちろん、このような有名ブランド店で買い物をしているのは、日本人だけではない。
中国の新興富裕層が、日本で日本人以上にこのようなブランド品を買い漁っていたと言う点も、見逃すわけにはいかないだろう。
それほど「有名ブランド品」は、確固たるポジションを持っているように思われていたのだ。
しかし、今回の世界的金融不安は日本経済だけではなく、そのような中国の新興富裕層も直撃をしたようだ。

海外有名ブランドの全世界売上の5割以上が、日本市場でのモノだと考えれば、今回の経営首脳陣の「日本詣で」も当然のことなのだ。
なぜなら日本における海外有名ブランド市場は「ファッション・ヴィクティム(ファッションの犠牲者)」ならぬ、「ブランド・ヴィクティム(有名ブランドの犠牲者)」で成り立っていたのだから。

ただ、この「日本詣で」で経営首脳陣たちの行動が、「さすが!」だと思わせるのだ。
それが、フェンディのマイケル・バーク最高経営責任者(CEO)の言葉
「地下鉄の乗客までチェックしたが、
日本人はもう高級ブランドというだけでは飛びつかない」
 
だ。

先日、JALの社長さんの「庶民生活ぶり」がアメリカの経済紙などで話題になったが、海外の有名ブランドの経営首脳陣も、売りの現場だけではなく、生活者の今の姿を見ようと必死なのだ。

無駄を削り、経費を削減するのは当然のコトだが、「生活者の今」を知るために経営陣自らが積極的に「現場に出て行く必要がある」のではないだろうか?
むしろ海外有名ブランドの強さとは、このような首脳陣の行動があるからなのではないだろうか?


内定取り消しは、違法だったのか・・・

2008-12-22 12:51:47 | ビジネス
今日の毎日新聞のWEBサイトに、「内定取り消しの実態と言う記事が掲載されている。

企業倒産により、内定が取り消された学生さんばかりではない。
問題になっているのは、安易な内定取り消しだ。
企業の都合によって、社会人のスタートラインを無くしてしまうというのは、余りにも無責任のような気がする。

もうひとつ気になるのは、今だに多くの企業が「新卒重視」をしていることだ。
バブル崩壊直後から「就職(大)氷河期」と呼ばれた、就職できなかった世代がいる。
今30代後半に差し掛かった世代の人たちだ。
この世代の多くが、就職することが出来ないままフリーターや派遣社員(いわゆる「日雇い派遣」)となっている。
言い換えるなら「雇用については、いまだにバブル崩壊の後始末が出来ていない」と言う状態が続いているのだ。
そこへ、今回のアメリカ発の世界同時金融不安による「内定取り消し」が、起きているのだ。

とすれば、バブル崩壊直後からの「就職氷河期世代+金融不安直撃世代」が、今後非正規社員化することが予想される。
このような状況は、決して経済にも社会にもプラスになることではない。
と言うのも収入が不安定な非正規社員が多くなれば、社会保障費などの税収の安定が期待できない。
結果、より安定的な税収を求め「消費税率アップ」を含んだ、増税が必要となってくるのだ。
何より、消費そのものに影響を及ぼす。
そのようなコトを考えれば、安易な内定取り消しや「新卒重視」と言う採用方法は、決して企業にとってプラスとはならない。

何よりも、安易な内定取り消しと言うのは、「違法」と言うコトだ。
余りにもニュースなどで「企業の内定取り消し」が、簡単に話題になっているので知らなかったのだが、違法行為と言う意識のなさもまたこのような問題に繋がっているのではないだろうか?

罰則規定そのものが軽いのかも知れないのだが、少なくとも「違法行為」を簡単に行ってしまうと言う社会は、決して健全ではないと思うのだ。

クリスマスソングを聞きながら、考えたこと

2008-12-21 23:08:12 | アラカルト
休日の1日、FMラジオを聞いていても余りクリスマスらしさを感じない。
ラジオでは、それなりにクリスマス・ソングが流れているのに、全体の曲調が明るい雰囲気ではないような気がするのだ。

そんな時、フッと思い出したのが24年前にヒットした「Do They Know It's Christmas?」だった。
ご存知の方も多いと思うのだが、この楽曲が作られた頃、アフリカ、特にエチオピアなどでは大飢餓が起き、毎日物凄い数の子供たちが亡くなっていた。
その子供たちを救おう!と言うことで、作られたのがこの楽曲だった。
翌年には「Live Aid」へと発展していく、ロックミュージシャンたちの活動なのだが、その時集まった義捐金は、瞬く間に消え去ってしまった。

その後、積極的に欧州を中心に始められるようになったのが「フェアトレード」だった。
「フェアトレード」そのものに興味がない方でも、今年女性の間に大人気となった「シアバター」などは、その「フェアトレード」の代表的なモノだといえば、身近に感じられるかも知れない。

その「フェアトレード」の動きは、ファッションの世界を動かしつつあり、伝統的なモノを作るだけではなくなりつつある。
ヴォーグが新進デザイナーとのコラボレーションの企画をしたり、若年層を中心に人気のあるブランドがジョイント企画をしたりして、話題にもなった。
もちろん、それまでの「民芸」的なモノではなく、製品としての品質も要求されるのだが、そのような中から彼女たちの多くは「お金を稼ぐこと」の大変さや、やりがいを見つけていると言う。

そして、今の日本の経済状況は急激な円高で、輸出産業は大変な状況に陥っている。
ならば、輸入産業に目を向けることで、今の経済状況を打開すればよいのでは?と、思ったのだ。
その中でも「フェアトレード」と言う方法は、相手国の生産者にとってもメリットが高く、何よりも経済的自立を支援することが出来る。
日本の繊維産業などは、中国産などに押され「絶滅危惧産業」となりつつあるが、そのような業種こそこ、綿花や獣毛を積極的に輸入出来るのでは?と、思ったのだ。
綿花なども、真っ白に漂白されたものである必要はない。
むしろ今は「オーガニックコットン」のほうが、人気も高く価格も高い。
と同時に、日本の農業技術などの支援も、同時に行うと言うことも考えるコトで、単なる「フェアトレード」と言う「品物の売買」と言う関係から、より深い関係を築くことが出来るのでは?

まだまだ、日本の経済が世界の人たちに贈れるモノは、様々にあるのでは?と・・・クリスマスソングを聞きながら思ったのだった。

Kotaro Oshio - Merry Christmas Mr. Lawlence (PV)

押尾コータローさんのギターが、私からの皆様への「クリスマスギフト」です。

CRMと企業

2008-12-21 08:49:36 | ビジネス
金融不安に端を発した、100年に1度の不況は止まることを知らない。
「ビッグ3」は、破綻回避のために政府支援を求め、様々なコトを模索している。
日本が誇る世界のエクセレントカンパニー・トヨタ自動車は70年ぶりに単体での赤字となる予測が出ている。

「いざなぎ景気」を上回ったと言われた、先の好景気は「生活者には実感の無い好景気」だった。
なぜなら、内需拡大による好景気だったのではなく、あくまでも輸出が好調だったことで得た好景気だったからだ。
その間に様々な「格差」が生まれ、ひとつの奇妙な「価値基準」が生まれた。
それが「勝ち組み・負け組み」だった。
「勝ち組み」とは、「お金儲けが上手い」と言うことだった。

その「奇妙な価値観」は、企業にもあったのではないだろうか?
もちろん、多くの企業は「社会的責任」を負っている。
反面、「利益を追求」しなくてはならない。
そのため、安価で雇用調整がし易い「派遣」を積極的に採用し、より安い部品調達をするために次々と国内の下請間での不毛な価格競争をさせたり、人件費などが安い海外へと生産拠点を移したのだ。

問題だと感じるのは、この間に盛んに言われていた「CRM(「コンシューマー(または、カスタマー)・リレーションシップ・マネージメント」)」だった。
「CRM」は、システム化され「こうすれば、消費者(顧客)満足はアップし、マネージメント出来る」と言うコトばかりが言われるようになってきたように思うのだ。
本当の「CRM」を理解するのではなく、システム化し利益を上げるための手法となってしまったのだ。

だからこそ、今こそ考える必要があるのではないだろうか?
消費者と言う名の生活者は、企業を良く見ている。
安易な雇用調整をするコトや、不毛な下請け間の価格競争で利益を上げる企業に対して「それって違うんじゃない?」と、疑問をもちはじめているのではないだろうか?

利益を求めるコトは大切だ。
ただ、忘れてはいけないと思うのは「健全な利益を上げるためには、生活者の協力が必要だ」と言うコトだ。
安易な雇用調整や下請け切りなどは、結局企業そのものの経営を脅かす要因となるのだ。
既に海外でモノを売り、利益を上げるコトが難しくなってきた。
とすれば、国内の生活者を大切するしかないのだ。
そして、そのような企業姿勢が「企業文化を創り」、海外で評価された時「モノ」ではない「グローバル企業価値」が生まれるのだと考えるのだ。

今は、企業にとっても厳しい時代だからこそ、本当の意味で「CRMの本質」を知る時期なのだと思う。


クローゼットを見直すのがトレンド?

2008-12-20 14:41:54 | トレンド
毎日新聞のWEBサイトを見ていたら、既に来春のファッショントレンドの記事が掲載されていた。
世界的金融危機の影響を受けてか?「新しい」と言うより「昔」が、トレンドらしい。

考えてみれば、クローゼットを開けたとき1シーズンで着なくなった洋服が、案外多いのではないだろうか?
と言うのも毎シーズン発表される「トレンドに乗り遅れまい」と、そのとき流行の洋服を買うことが、少なからずあったように思うのだ。
と言っても、私の場合洋服を買う基準が「トレンドよりもコンサバティブ」、「1シーズンで着られなくなる服は買わない」が基本なので、ほとんど1シーズン限りと言う洋服は無い。
むしろ、服を買いに行っても「コンサバティブな服」がなかなか見つからない、と言うコトのほうが多い(苦笑)。

会社員時代、ファッション関係の仕事もしていたコトもあり、「ファッション≠トレンド」だというコトはよく理解している。
芸能人の皆様方が、有名ブランドのパーティーなどで着てくるドレスやアクセサリーの多くは、ブランドからの貸し出しと言うコトも知っていたこともあり、「トレンドは気にするが、トレンドは着ない」と言う感覚になったのかも知れない。
と言いつつ、それでも悲しいかな1シーズンしか着なかった服が、クローゼットに眠っている。

ところが、来春シーズンは「コーディネート力」がトレンド(傾向)のようだ。
このような傾向は、「この服を着れば、外しは無い」と言うコトが分らないので、なかなか難しい。
難しいのは、服を買う消費者ではなく洋服を売る側だ。
と言うのもお客様の好みを理解し、そこから「クローゼットに眠っている服を想像」し、「新しいモノを提案しなくてはならない」からだ。
これまでのような「今年のトレンドですから」と言う、「セールストーク」は、使えなくなる。

そして、私たち生活者も「クローゼットを見直し」て、「自分に似合うモノ」をキチンと知るコトがトレンドになるのではないだろうか?
元々ファッション業界では、「ファッション・ビクティム」と言うコトバがある。
その年その年の流行ばかりを追っている「(自分の似合うものを知らない)ファッション好きな人」を、「ファッションの犠牲者」と呼ぶのだ。
世界的金融危機で、クローゼットを見直すのが流行すると言うのは、ファッション業界的には何とも皮肉な気がするが、もっと自由にファッションを楽しむためには良い傾向かも知れない。





甘いものは、いかが?-地方が発信するメンズ・スィーツ-

2008-12-19 21:14:35 | トレンド
会社員時代、一緒に仕事をさせて頂いていた男性で「学生時代は剣道部!お楽しみは試合後のチョコパフェ」と言う方がいた。
何でもその方のお話だと、大学の剣道部部員皆さんは、試合後喫茶店(ここが名古屋らしいトコロか?)でパフェやケーキを食べるのが、お楽しみだったそうだ。
ただ問題なのは、厳ついた男性たちが「俺、チョコパフェね。あ!俺、ショートケーキとホット」と言って、注文する時のアルバイトのウェートレスさんの「エ゛チョコパフェ?」と言うような、疑心暗鬼というか怪訝な顔をされるコトだと聞いた。

世間一般的に言われる、「甘いもの=女性が好きなもの」と言うわけではないようだ。
お酒がダメな方は、比較的甘いもの好きと言うイメージもあるが、お酒も甘いものもイケル口、と言う男性も案外多い。
ただ「ケーキが食べたい。餡こが食べたい」と、言えないのは「世間の目」があるからかも知れない。
だからだろう朝日新聞のWEBサイトには、「男はネットで甘党」 津市の兄弟、スイーツ通販と言う記事が掲載されている。

メルマガ会員が3千人いるというのにも驚くのだが、それだけ「人知れず、甘いもに誘惑されている」男性諸氏が多いと言うことかも知れない。
もうひとつ、注目したいのはこの企画・運営しているのが、三重県・津市の男兄弟の方ということだ。
もしかしたら、東京などでは男性が堂々とスィーツを買うことが出来るので、このような発想が無かったのかも知れない。
地方でこのような情報発信が積極的に行われることで、東京発信にありがちな「画一的商品」ではなく、オリジナリティーの高い「自分(たちの)スィーツ」が、出来やすくなっているように思う。
それだけではなく、地方の隠れた名店発掘に繋がり「私御用達、スィーツのお店」となり、新たなブランドが作られていく可能性もある。

そして、男性の好みがハッキリと現れているのが、「高級感や希少価値を求める」と言う点だろう。
これは、スィーツに限らず様々な商品に求めている、共通項的志向だと言えそうだ。
もうひとつ加えるなら「特別感」があるかも知れない。
「希少性の高いモノで、特別に誂えた(=オリジナリティー)」と言うコトだ。
販売不振が続く、小売りではポイントとなる点かも知れない。

写真で紹介されている「クリスマスケーキ」は、一般的な「クリスマスケーキ」よりもデコレーションが、シンプルでシックな感じだ。
一般的に使われるはずの赤いリボンではなく、青系を使っているのが特徴的だともいえる。
もしかしたら、使われているベリー(こけももか?)の色に合わせたのかも知れない。

個人的には、女である私も食べたい!!と思ってしまうのですが・・・。





気分だけでも「クリスマス」

2008-12-19 12:51:07 | アラカルト
本当に、この冬は「クリスマス気分」と言うものが、あまり感じられない。
テレビCMなどの少なさもあるのだが、街行く人たちがあまり買い物していないように感じるからだろうか?
百貨店の玄関ホールに飾られているクリスマス・ツリーも、どこか寂しげに感じてしまうのは、私だけだろうか?

と言うコトで、気分だけでも全国の「クリスマス・イルミネーション」が見られるサイトを見つけた。
「動画で楽しむクリスマス・イルミネーション」だ。
見たい地域・エリアをクリックすると、youtubeなどの動画が見られるようになっている。
仕事でなかなかクリスマス・イルミネーションが見られない方などには、気軽に楽しめるサイトかも知れない。

このサイトを見て初めて知ったのだが、「神戸ルミナリエ」の運営が危機的状況に陥っていたようだ。
今月の15日までの開催期間だったと言うことも、知らなかった。
と言うよりも、もっと長かった(年明け15日くらいまで)ように思っていたのだ。

街中のイルミネーションがこれほど、大々的になったのは「神戸ルミナリエ」だったように思う。
札幌などでは既にあったのかも知れないが、あれほどきらびやかで荘厳な「クリスマスらしい」大規模なイルミネーションと言うのは、「神戸ルミナリエ」が最初だったのでは?
昨年までは、名古屋からも「神戸ルミナリエを見るバスツアー」があったように、記憶している。
その「神戸ルミナリエ」が、危機的状況に陥っていたと言うのは・・・やはり、現在の金融危機の影響だろうか?

残念ながら「神戸ルミナリエ」のイルミネーションを現地で見ることは、出来なくなってしまったが、このサイトでは見ることが出来る。
ほんの少し、クリスマス気分を味わっていただきたい。

では、少し早いメリー・クリスマス


男・ブラジャー、女・ふんどし

2008-12-18 11:05:33 | トレンド
しばらく前に、「男性のブラジャー」についてエントリをした。
今度話題になっているのは、「女性用ふんどし」だそうだ。
今日の朝日新聞のWEBサイトに、少し恥ずかし、でも心地いい!女性用ふんどし意外な人気と言う記事が掲載されている。

実は、私が初めて「女性用ふんどし」というモノを知ったのは、半年ほど前だ。
ある女性下着の通販サイトを見ていたら、堂々と商品として販売されていた。
そのときは「は~、それもアリ?」程度にしか思わなかった。
と言うのも、着物を着るときは「湯文字」をつけるのが当たり前なので、「湯文字よりも、安心度が高いかな?」と思ったからだ。
私はあくまでも、洋服を着るのではなく、着物を着たときのコトを考えていたのだ。
それはどうやら、違っていたようだ。

(私の周囲には、男性用ブラジャーを着けたい!と思う男性諸氏が見当たらないので、分りかねるのだが)男性用ブラジャーは、その「締め付け感」が心地よいのかも知れない。
一種の緊張感は、常にあることは確かだ。
しかし女性向けの下着を見てみると、「(締め付け感からの)ストレス・フリー」と言ったコピーの商品が目に付く。
今年の夏、ユニクロが発売した「ブラキャミ」などは、そのようなニーズを反映した商品だった。
もちろん「寄せて上げるブラ」の人気は衰えてはいないのだが、あくまでもTPOの範囲だろう。
「家でリラックスする時は、ストレス・フリーでいたい」と言うのが、本音だと思う。

その意味で「女性用ふんどし」と言うのは、分らないではない。
普段に身に付けると言うよりも、家でリラックスしたい時用と言う気がするのだ。
はたまた「勝負下着」か?

そのように考えると、「男性は一種の緊張感を求め、女性は開放感を求めている」と言う、気がしてくる。
男性が女性用下着を着、女性が男性用下着を着ると言うのは、時代の変化なのだろうか?
だからと言って「ジェンダーフリーの意識の高まり」だとは、思えないのだが・・・。


生活者の共感を呼ぶーマーケティングの基本-

2008-12-17 21:14:05 | CMウォッチ
毎日新聞のWEBサイトにみんなのニュース:「ムーニー」CM曲がママの間で人気 制作したのは独身電通マン
という記事が掲載されている。

このテレビCMがスタートしたのは、初秋の頃だったと思うのだが、初めて見たときの印象は「そうなんだよね、お母さんの気持ちって!」というモノだった。
出産歴が無い私であっても、何人もの友人たちの出産を見てきた。
初めての妊娠で流産してしまった友人、双子の赤ちゃんを授かった後輩、出産後赤ちゃんに障害があることが分った友人もいた。
みんな子育てに不安を持ち、その成長を楽しみにし、一生懸命に毎日を赤ちゃんと過ごす友人たちの姿は「カッコ良いな~。素敵だな~」と思ったことが何度もあった。
もちろん、育児はそんな生易しいものではないコトもそんな友人たちは教えてくれた。
そんな友人たちの姿を見てきたから、「お母さんの気持ちって、そうなんだよね!」と、共感できたのだった。

テレビCMは、あくまでも「商品を売るために作られる」モノだが、「商品を売る」ためには、その商品を購入する人たちから共感を呼ばなくては、その役割を果たしているとはいえない。
この「ムーニー」のCMは、歌も共感性を呼ぶ部分が高いのだがCMそのもの。
特にアニメーションのCMは、赤ちゃんの成長をよく観察し、お母さんの気持ちを表現していると思う。
「寝返りを打つ・ハイハイをする・タッち(掴まり立ち)、あんよ(掴まり歩き~ひとり歩き)、離乳食から普通の食事」など、毎日が成長の日であり、毎日が記念日のようなモノ、と言うコトをよく現している。
だからこそ、子育てママたちから高い共感を生んでいるのではないだろうか?

そして改めて考えるのは、このCMを作ったのが独身男性だということだ。
このCMを作るにあたり、実際子育て真っ最中の友人宅に泊り込み「子育て観察・体験」をしている。
実際の「子育て」というモノを、体験し観察することで「お母さんの不安や喜び」を理解し、表現することが出来ているのだ。

しかしマーケティングと言う視点から考えれば、当然のことなのかも知れない。
むしろ「基本中の基本」だといえるかも知れない。
最近のテレビCMには「仕様や機能が素晴らしいでしょ!」とか「今は、これが流行り。持っていないと時代遅れだよ」的な、作り手側の主張が強いモノが多いように感じる。
商品のCMにしろ、企業CMにしろ「受け手=生活者に対して、共感性を呼ぶ」内容が無くては、印象には残らないし、支持を受けることも出来ない。
その意味で、このCMは「基本の大切さ」を思い起こさせてくれた。


社会がウツ状態

2008-12-17 16:16:32 | アラカルト
新聞を読んでも、テレビのニュースを見ていても「明るい!」と感じられるモノ・コトが無い。
docomoのテレビCMで「新しいコトが、プライムなんだ」とか「若いんだから」とか「新しくなくては意味が無い」などといわれても、その「新しいコト」に「ワクワク・ドキドキ感」というモノが感じられないのもまた、事実だろう。
もちろん、新機種販売のためだと言うことは、十分分っている。
だが、そのテレビCMが今の社会状況との「ミスマッチ感」があるように感じてしまうのだ。

消費者=生活者側の「社会的閉塞感」は、そこまで高まっているように思えてならない。
もちろん、あくまでも私個人の感覚なので、もしかしたら真っ当なビジネスをしている人の中にも、「イヤイヤ、世の中楽しいですよ!」と言える方もいらっしゃるかもしれない(そのような方にお会いしたいものです・笑)。

反面、企業側が今の社会状況に過敏になり過ぎているのでは?と、感じる部分もある。
確かにアメリカ発の金融危機は、アッという間に世界に広がり「主要産業」と呼ばれる自動車産業、何よりも「社会の血液」となる金融を直撃した。
世界中の株価は下げ止ることを知らず、日本の円高は止まることがない。
アメリカの金利0%政策が、拍車をかけているようだ。
しかし、日本の金利が5%くらいあるなら分るのだが、ご存知のように0.3%というあるのか無いのか分らない程度の低い金利なのだ。
それでも、日本の方が金利が良いという判断をする社会状況は、あまり健全とはいえないような気がする。

まるで社会全体が、「ウツ病」になってしまったような感じがするのだ。
現在「鬱病」と戦っていらっしゃる方からは、お叱りを受けると思う。
だが、様々な場面で「評価されない社会」に、なりつつあるような気がするのだ。
人として「評価されない」というコトは、とても辛く哀しいことだ。
「心の張りや意欲」が減退するのも、当然だろう。
そんな雰囲気が、社会全体を覆っているような気がしてならない。

たとえば、「雇用」にしても、サービス残業続きで心を病む正規雇用社員がいるのであれば、「ワークシェアリング」という方法もあるだろう。
「非正規雇用社員」の住居となっている「社員寮」にしても、借り上げた分の経費はかかっているはずなのだ。
「借り上げ期間終了まで、安価な家賃で提供する」などの方法を検討すれば、「明日から住むところがありません」という最悪の事態は免れる人もいるのでは?

日本は「創意工夫の国」だった。
だからこそ、自動車産業をはじめとする様々な「モノ作り」が出来たのだ。
とすればその「創意工夫」を、もっと他の分野でもできるのではないだろうか?
それが今の社会全体を覆っている「ウツ」から脱却させる方法なのでは?