日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

定番に新しいをプラス

2008-12-30 19:40:02 | CMウォッチ
富士フィルムの「お正月を写そう」のテレビCMは、今や「お正月の定番」と言っても良いだろう。
バブル崩壊後、次々と「お正月テレビCM」が姿を消していったが、この富士フィルムの「お正月を写そう」は、その中で残っている数少ないテレビCMだ。
そのテレビCMが、今年は少し違うアプローチと提案をしている。

富士フィルムは、今年新しいサービスとして「フォトブック」を始めた。
これまでのデジカメデータをプリントすると言うサービスから、「フォトブック」というアルバム作りのサービスを始めたのだ。
単に「写真をプリントする」のではなく、「思い出をカタチとして残す」という新しい提案をしたのだ。

それがこのお正月は「フダン一緒に撮れない人と、写真を撮ろう」と言う内容が加わった。
「フダン」が、カタカナと言うところは漢字よりも堅苦しさを感じさせないためだと思うのだが、個人的には漢字の「普段」の方がしっくりする。
それでもコンセプトとなる「なかなか一緒に撮れない人と、撮る」というアプローチは、十分理解できる。
むしろお正月だからこそ、「普段気恥ずかしくて、出来ないこともできるのでは?」という明快さが、何とも心地よいCMとなっているように感じるのだ。

もちろん、テレビCMに登場する3人組のコンビネーションや安定感も、CMに一種の安堵感などを与えているのは言うまでもないだろう。
特に、店長役の長瀬智也さんや店員役の堀北真希さんの「普通ぽっさ」に対して、強烈な個性を発揮している・お客さんの綾小路さんコト樹木希林さんのバランスは、なかなかのモノ。
現実にはありえないようなお客様だが、逆にそのことが「写真」の意味を深めているように思う。

写真の楽しみは、撮るだけではない。
人物写真でも風景写真であっても、その瞬間を残すことで永遠の時を残すことになる。
それを「フォトブック」というカタチで残すことは、写真を撮る楽しみに「思い出を見る」楽しみを加えた。
そして「お正月だから、普段一緒に撮れない人と」というアプローチが、新しい提案となって、生活者の心や気持ちに届くのでは?と、考えるのだ。

今日から本格的に始まった帰省ラッシュ。
ふるさとで過ごす「お正月」には、こんな「普段一緒に撮れない人との思い出を残す」というコトが大切なのでは?
その意味で、なかなかの「仕掛け」のあるテレビCMだと思うのだ。




昔から日本は「ウォームビズ」生活だった

2008-12-30 09:57:01 | ライフスタイル
数年前から「湯たんぽ」が、人気になっている。
年々その傾向は強くなるようで、ドラッグストアーに行くと「蓄熱式湯たんぽ」や、プラスチック製湯たんぽ、ブーツ型デザインでレンジで蓄熱剤を暖めるモノ、サイズも手のひらくらいのモノ、湯たんぽカバーもカラフルで素材もバラエティーに富んでいる。
ホームセンターや東急ハンズなどに行けば、昔ながらのブリキ製のモノや陶器製のものも売られている。
それくらい「湯たんぽ」が、生活の中に再び溶け込み始めているのだろう。

私が個人的に、気になっているアイティムがある。
それが「かいまき布団」だ。
今年は、余り本格的寒さと言うものが到来していない名古屋だが、それでも夜は冷える。
足などは「湯たんぽ」などでカバーできるのだが、肩あたりになると掛け布団を引っ張り上げ、もぐるくらいしか方法がない。
実際、そんな感じで寝ていたのだがやはり肩あたりからの冷えが、気になっていた。
そこで綿入れ半纏を掛けて寝たら、なかなかいい具合なのだ。
なんてことはない、かいまき布団状態で寝ているだけのコトなのだ。
ならば「かいまき布団」のほうが・・・と思うのだが、「かいまき布団」はやはり布団。
湯上りに羽織るを言うわけにはいかない。
ならば「(地方によって名前が違うようだが、綿入れ)丹前」と考えるのだ。

実は、「丹前」は高校生の頃亡くなった母が作ってくれ、愛用していた。
何とも色気のない女子高校生だったのだが、その後ある美術展で「丹前」を発見したのだ。
それが「京都国立近代美術館」で行われていた、「モードのジャポニスム展」。
その中に「ヤポンセ・ロッケ」と呼ばれる、18~19世紀始めの欧州(特にオランダ)の裕福な男性たちの部屋着だ。
真綿を入れた着物そっくりの部屋着は、どう見ても「丹前」もしくは「かいまき布団」なのだ。
もちろん素材となっているのは、母が作ってくれたような木綿絣のようなモノではなく、綸子などの絹織物なのだが、形は「丹前」や「かいまき布団」。
もしかしたら、寒い欧州の人たちはこの「ヤポンセ・ロッケ」こと「丹前・かいまき布団」を、部屋着化する事で暖かく過ごしていたのでは?と、思ったのだ。

面白いことに、1984年の三宅一生さんの秋冬のコレクションで、人気を博したジャケットがあった。
それは日本人の私たちから見ると、「綿入れ半纏」なのだ。
もちろん、生地などの意匠デザインなどはとても優れているのだが、基本形は「綿入れ半纏」。
元々三宅一生さんは「一枚の布」をテーマに、日本的なモノ・コトにこだわってきたデザイナーだった。
その彼が「綿入れ半纏」のようなデザインのジャケットを、コレクションに出すこと自体自然なことだったのかも知れない。

時は流れ、21世紀。
エコロジーだとか、ロハスだとか言われるようになり、「ウォームビズな生活をしましょう」と世間では賑やかになってきた。
しかし考えてみれば、日本は昔から「ウォームビズな生活」をしていたのだ。
もしかしたら、日本の生活文化は今のような時代にとてもあっているのでは?
その意味で、日本が輸出できるモノは決してクルマを中心とした工業製品だけではない、と思うのだが・・・。