日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ファッションの世界も「地産地消」?

2013-11-15 15:17:55 | ビジネス

ファッションビジネスの話となると、このところ話題になるのはユニクロばかりだ。
それも、ファッションそのものの話題ではなく、業績とか売り上げといった「数字」の話。
肝心なファッションの話となると「・・・」になってしまう。
ユニクロやH&M等に代表されるような「ファストファッション」ばかりが、注目されているのを見ると、ファッション分野の仕事を僅かながらもかじったコトがある私としては、残念というかファッションそのものが、つまらなくなってきているような気がしてならない。

特に、日本人デザイナーの活躍というについては、1980年代~1990年代のような注目度はなく、ミラノから始まるシーズンごとのファッションショーの話題についても、東京の注目度は下がる一方という印象がある。
違う見方をすると、東京から新しいファッションを発信できていない、と言うコトになる。
もちろん、渋谷や原宿などの「カワイイファッション」や「ストリートファッション」、秋葉原の「オタク系」などは、世界でも注目されるファッションなのだが、いわゆる「プロが創りだすファッション」という視点では、随分寂しい状況になっている、と言うのが現実だと思う。

そう思っていたら、実は新しい動きが生まれはじめているようだ。
朝日新聞:日本人デザイナーが拓く、日本の繊維の未来
元々日本で創り出される織物や染色の技術は、世界でもトップクラス。
ジーンズとなるデニムの世界的シェアは、岡山県倉敷市がトップだったと思う。
オートクチュールなどのニットで使われる糸は、日本製が人気だという話も以前聞いたことがある。
そんな日本の繊維産業を支えている多くは、地方の中小企業だったりする。
むしろ手間暇が掛かる作業が多い、この様な繊維産業は効率を求める都市部周辺では無理なのかも知れない。
何より、地方にはその地域独特の織物技術や染色技術がある。
その様な地方に残る高い織物・染色技術を使って、若いファッションデザイナー達が、世界へ出ようとしているようなのだ。

1980年代、世界のファッションを驚かせた日本人デザイナー達は、「日本らしさ」をデザインという方法で表現をした。
そして今世界へ出ようとしている若いデザイナー達は、日本の地方に眠る(?)高い繊維技術で世界を驚かせようとしているようなのだ。
それは「ファッションの地産地消」と言う感覚の様にも思える。
もっともこの場合の「地産地消」とは、地方で生産をし地方で消費するのではなく、消費される様に世界に発信する、と言う意味になるのだが。


食品偽装表示に思う

2013-11-14 13:40:37 | アラカルト

阪急阪神ホテルのレストランで発覚した、「偽装表示」の問題。
止まるどころか拡大するばかりで、「食材偽装表示」が、外食業界の常識だったのか?と、思わせる程だ。
今日も、名古屋三越のレストランの一部で「食材表示が偽装されていた」と、報じられている。
中日新聞:栄のラシック(※)内2店で虚偽食材
※ラシックとは、名古屋三越の系列の複合ファッションビルで、名古屋三越に隣接している。

今回の虚偽食材として報じられているのは、「バナメイエビ→芝エビ」、「北海道産大豆使用の味噌→秋田県産大豆使用の味噌」という内容。
「バナメイエビ→芝エビ」というのは、他の外食店でも問題になっていた虚偽食材。
一方「北海道産大豆使用の味噌→秋田県産大豆使用の味噌」というのは、初めてのケースだと思う。

「手前味噌」という言葉がある様に、お味噌を自宅で手作りをしていた時代ならともかく、今のように多くの家庭が購入する時代に、秋田県産大豆と北海道産大豆の味噌の違いが分かる人がどれほどいるのだろう?
まして、このお味噌を使って料理を提供していたのは、「金沢の食材をメインとした寿司店」。
「国産大豆使用味噌」と書けば、問題は無かったのか?と言うコトになる。
まるで「重箱の隅をつついている」ような、気がする。

もう一つ気になるのは、虚偽食材として使われていた数々の食材が「悪い食材」として、イメージづけられるコトへの怖さだ。
某冷凍食品メーカーのテレビCMで、以前「バナメイエビ使用のエビ焼売」というものがあった。
パッケージにも「バナメイエビ使用」と、謳ってあった。
「バナメイエビ」そのものは、芝エビの代用的存在だったかも知れないが、「バナメイエビ」には「バナメイエビ」としての美味しさがあり、決して「悪い食材ではない」はずなのだ。
「大正エビ→ブラックタイガー」にしても、料理の本などには「大正エビ、またはブラックタイガー」と記載してある本もある。

牛脂を入れた加工肉ステーキにしても、多くはオーストラリア産牛肉に和牛の牛脂を入れるコトで、柔らかさと旨味を出すことを目的としていて、食材そのものが体に悪い訳ではない。
米国で起きた「BSE問題」以来、オーストラリア産牛肉を購入するコトが多くなったが(と言っても、数ヶ月に1回程度だが・・・牛肉そのものが苦手なので・苦笑)、十分美味しい牛肉だと思うし、柔らかくはないが、しっかり噛むコトで肉の旨味が感じられると思っている。

むしろ「牛ステーキは、柔らかく刺しが均等に入っていなくては美味しくない」という、思い込みなのではないだろうか?
「○○料理に使われるのは、××という食材」という思い込み、と言うべきかも知れない。
もちろん、今回の虚偽表示の問題は、外食店に大きな問題があると思う。
ただ、その背景にあるのは「食に対する思い込み」、と言う気もするのだ。

少なくとも今回虚偽表示に使われた多くの食材は、「悪い食材」ではないし、それぞれ美味しい食材である、と言うコトを忘れてはいけないと思う。



サントリーとサーモスのコラボ

2013-11-13 20:31:31 | ビジネス

急に寒くなったためだろうか、体調を崩してしまった。
体調を崩す、と言っても「なんだか熱っぽくて、体がだるい・・・」と言う感じだったのだが、どうしてもPCに向かう元気がなく、昨日は拙ブログをお休みした。

これだけ急に寒くなると、暖かい飲み物が欲しくなる。
もちろん、今年の夏のように猛暑・酷暑・炎暑が続くき、冷たい飲み物ばかり飲んでしまったという方も多いだろう。
そんな時「冷たいまま・暖かいまま、飲み干せたら良いな~」と思われる方は多いのでは無いだろうか?
残念ながら、ポットボトル飲料は、途中でぬるくなってしまう。

そんな欲求に答えるように、サントリーとサーモスが共同企画した商品が登場しているようだ。
サントリー:MY BOTTLE DRINK drop  

ポーションをマグカップというよりも、ジョッキという感じのカップにセットをし、水やお湯で希釈して飲む、と言う新しい飲み物の提案のようだ。


確かに、朝飲みたいものと昼食後に飲みたいものは違うだろう。仕事中に飲みたいもの飲み物も違うことだってある。その様な欲求に対して応える様な形で保温・保冷時間も飲みきれる2時間という設定になっている点も、よく考えられていると思う。

この商品を見たとき、希釈ポーションを製造販売では先行しているネスレではないコトに、やや驚きを感じた。既に製造中止となってしまっているようだが、もし、この様な飲み方の提案があれば、もしかしたら継続されていたかも知れない。
希釈ポーションは、インスタントよりも本格的な味わいと手軽さがあり、個人的には好きな商品だった。
その魅力を十分に保ちながら、ぬるくならずに飲み干せる、と言うのは、魅力的だと思う。

そしてこの商品にライバルは?と考えたとき、もしかしたらテイクアウトができるCafeのドリンクなのでは?と言う気がしたのだ。
すぐに思い浮かぶのは、スターバックスの「タンブラー」だ。
確かにオシャレな容器で、持ち歩きに便利そうだ。
何より、本格的なカフェドリンクがオフィスで飲めると言う魅力がある。
ただ・・・プラスチック容器なので「保温・保冷」という点では、難点がある。

一方、サントリーの「MY BOTTLE DRINK」は、希釈をする必要があるので熱いお湯や冷たい水を用意しなくてはならない、と言う難点がある。

両方を満足させる、と言うコトは難しいのかも知れないが、新しい飲み物の提案としては面白いと思う。
リクエストをするとすれば、お茶のポーションは「伊右衛門」をお願いしたい。
そして、オリジナルポーションだけではなく、もう少し汎用性が高ければもっと嬉しいのだが・・・。


マーケットって、何だろう?

2013-11-11 21:07:10 | マーケティング

マーケティングという仕事をしているのだから、今更何を!と言われると思う。
でも、この分野の仕事に携わっていると「マーケット」を説明する難しさを、実感するコトも度々ある。

多くの人にとって「マーケット」と聞いた時、何を・どんなことを思い浮かべるだろうか?
金融関連の仕事をされている方なら、「金融市場」と言われる「株式や為替の売買」を思い浮かべるかもしれない。
野菜や果物、魚などの生鮮食品を扱う仕事をされている方なら、それこそ「市場」というコトになると思う。
それら総てが「マーケット」だと思うのだが、そこで動いているモノ・コトはお金や物質的なものだけではないと思う。

週末のFM番組に「感じて漢字の世界」という、ミニ番組で先週末取り上げられた漢字が「市」だった。
そして、その説明の妙にとても関心をしたのだった。
「感じて漢字の世界 11月9日放送「市」

「市=マーケット」と考えると、そこには多くの人が集まり様々な情報も行き交っている。
情報だけではない、人を思う気持ちも行き交っている。
「人を思う気持ち」と言うのは、単なる商売の発展を思うコトだけではなく、「人と人とが触れ合い、ぬくもりを感じ、確かめ合う場所」だと考えれば、「マーケット」という場は、とても多様的で複雑な要素を含んだ場であり、人の生活の営みが行き交う場でもあるのだと思う。

そう考えると、今の「マーケット」にそんな暖かみや思いやる気持ちが、あるだろうか?
最近感じるコトの一つに、「人のモンスター化」というコトがある。
違う言い方をするなら、「俺様主義」というのだろうか?
自分のコトばかりを主張して、相手のことを思いやれない。自分の考えが正しく、周囲は自分に合わせるべき、と言う考えに凝り固まっている・・・などなど、その様な思考の人が増えているように感じるのだ。
そうなると、「マーケット」そのものが、機能しなくなってしまうような気がしてならないのだ。
ギスギスした、お金や物だけが行き交う「マーケット」というのは、決して社会をしあわせにしないと思う。

わずか数分の番組なのだが、そんなコトを考えさせられたのだった。


新しい「香り」ビジネス?

2013-11-10 21:22:09 | ビジネス

この夏頃から問題になり始めた?「香害」。
海外でヒットした、柔軟剤が話題となり「柔軟剤市場を変えた」とまで言われた。
反面、私自身も経験をしたのが「香害」だった。

「香り」そのものは良いものであっても、総ての人に受け入れられると言う訳ではない。
まして、人が多く集まるような「電車内」や、ショッピングセンターなどでは、苦手な人にとっては、苦痛以外の何物でも無い。
そんな「香り」だが、興味ある記事が讀賣新聞に掲載されていた。
讀賣新聞:プルースト現象、懐かしい香りが脳や体を活性化

「プルースト現象(または「プルースト効果」)」というのは、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の中に書かれた一節から取られた、心理的現象というが言われている(らしい)のだが、それが研究され、心理的効果があるというコトになると、実際この様なビジネスが起きてくる可能性はある。
と言うのも、マーケティングの勉強を社会人となってから、再び始めた頃ある本にこの様な一節があったからだ。
「アイボリーの石鹸の香りを嗅ぐと、子どもの頃使っていたバスルームを思い出す。そしてその思い出は、優しかった母や両親と過ごした楽しい思い出に結びつき、私に幸せな感覚をもたらす」
と言う内容だった。
そしてその本では、この様な「子どもの頃から慣れ親しんできたブランドには、信頼・信用に鍵をかけた状態である」という内容の説明がされていた。
しかし、今回の「プルースト現象(または「プルースト効果」)」という視点で考えると、それは単なるブランドに対する信頼や信用、と言う意味ではなく、より深いところで結びついた脳とか体、心理的影響によるモノだというコトになる。

それだけではなく、「香り」というビジネスが、医療や介護という分野にまで発展する可能性がある、と言うコトを指しているように考えるのだ。
現実的に可能なのかはわからないが、認知症などが進んだ患者さんに対して「子どもの頃、どんなところで生活をし、その時印象的な香りは何か?」というコトが判れば、その香りが治療に使えるかも知れない。
精神疾患の患者さんに対して、投薬治療以外の治療法ができるかも知れない。

香りのように「五感」に訴えるようなモノ・コトというのは、案外深いところで人に影響を与えているのかも知れない。


大画面テレビとテレビドラマ

2013-11-09 21:26:33 | アラカルト

週末になると、新聞に折り込まれる家電量販店のチラシ。
冬のボーナスシーズンを前に、各社積極的な売り込みを感じるこの頃だ。
そのチラシを見ていて、気になったコトがある。
それは「大画面テレビ」と呼ばれる、テレビを置く場所だ。

おそらくリビングに置かれるコトを想定しているのだと思うのだが、60V型以上のサイズとなると、相当の広さが必要なのでは?と、思ったからだ。
まして、家電量販店(=家電メーカー各社)が力を入れたい「4Kテレビ」となると、55V型サイズ以上。
高額なテレビというだけではなく、置き場所も必要なテレビという気がする。
4Kテレビを置くには、それなりの広さのあるリビングがある、と言うコトも前提として考える必要があり、その様なお宅はどれくらいあるのだろう?と考えてしまうのだ。

と同時に、このような「大画面テレビ」ではどのような番組を見るのだろう?と、考えたのだ。
実際、家電量販店に行くと「大画面テレビ」で流している番組というのは、スポーツ番組が多い。
先日のボストンレッドソックスが優勝した時のシーンなどは、大画面テレビならではの臨場感があり、一瞬ではあるがスタジアムとの一体感のようなものを感じた程だった。

ところが、同じ大画面テレビでテレビドラマが流れていると、何とも違和感というか「チョット違うのだけどな~」という感覚を持つコトが多い。
あくまでも個人的な感覚なので、大画面で大好きな俳優さんが見られて嬉しい!と、思われる方もいらっしゃると思う。
私が感じる違和感というのは、実はその「大画面に映される俳優さん」なのだ。

テレビと映画と違いの一つは、顔のアップなどの距離感だと言う気がしている。
テレビのほうが、映画に比べ随分近いと言う感じを受けるのだ。
その距離感の近さが、大型テレビの画面でアップされると、圧迫感というか画面の大きさに圧倒されて、違和感を感じてしまうように思う。
それに比べ、スポーツなどはスタジアムの全体と選手を捉えるとなると、ある程度大きな画面サイズのほうが臨場感もあり、スポーツそのものを楽しめるような気がする。
やはりテレビには、テレビにあった映像距離感というものがあり、今の大画面テレビのサイズは、日本のテレビドラマ向けサイズではないような気がするのだ。

テレビがブラウン管だった時代のテレビドラマの感覚で、大画面が主流になりつつある今、同じ感覚でドラマ製作をしているとすれば、視聴する側の「視覚的感覚」というモノが、抜けているかも知れない、と言う気がしている。

何事にも、程よい距離感というものが必要なのでは?と、折り込まれた家電量販店のチラシを見ながら感じた週末だ。


食品の偽装表示よりも怖いこと

2013-11-08 20:17:39 | ライフスタイル

有名ホテルどころか、百貨店や喫茶店チェーンなども巻き込んで「偽装表示」が問題になっている。
確かに、生活者を裏切る問題ある事件だと思う。
ただ、この事件とは別に思い出したコトがある。
それは「食生活」というコトだ。

先月の「体育の日」に合わせて、新聞社各社が世代別の「体力測定」のようなニュースを報じていた。
その中で目立ったのは「老年期の人ほど、体力がある」という内容だった。
「老年期の人」と言っても、今の時代還暦を迎えた方が「赤いちゃんちゃんこ」を着て、写真に収まった写真というのは、余り見ない。
見ないと言うよりも、形式的には「赤いちゃんちゃんこ」を贈られても、その「赤いちゃんちゃんこ」が似合わない、と言う方が増えているように感じる。
最近の幼稚園の運動会や発表会などでは、親だけではなく祖父母も一緒ということが多いらしい。
そこで見られる「祖父母」の姿というのは、私が幼稚園児だった40数年前の「祖父母の姿」とは、随分違う。とても若々しく、「3世代リレー」などという競技があっても、十分活躍出来そうな「祖父母」だ。
そんな元気な中高年が多くなりつつある反面、子ども達の体力不足が問題になっている。
この傾向は、ここ10年位続くもので最近ではこの様なニュースを聞いても、驚くようなコトはあまりないのではないだろうか。

そんな折、栄養士さんの講演を聞く機会があり、ビックリしたコトがある。
「スナック菓子などが主食代わりになりつつある子ども達は、若年期から生活習慣病のリスクが高くなり、親よりも先に若年期の子どもが亡くなる、と言うケースが当たり前になる時代がくるかもしれない」と言うことを言われたコトだ。

「食品表示の偽装」は、「食品」としての問題ではない。
故意的に、高い食材や社会的イメージを悪用した「偽装」だ。
それに比べ単体として、常食さえしなければさほど問題にはならないが、今の子ども達に「常食」傾向が見られる食品に対して、社会全体が興味・関心を持っていない、と言う現実のほうが、陰に隠れた大問題という気がするのだ。

別に「スナック菓子」や「ファーストフード」を食べるな!と言うのではない。
手作りで栄養バランスが取れた食事を、1日3食用意する、と言うコトも現実としては難しい。
だからこそ、1週間単位くらいで食事全体を考えるコトが大切だと思うし、ニュースにならないからこそ、注意をする必要があると思う。


 


「家族のありかた」と政治

2013-11-06 15:27:38 | 徒然

自民党保守派と呼ばれる人たちが、婚外子に対する法の改正などに猛反発をしているらしい。
毎日新聞:自民党 婚外子や成人の年齢巡る法改正の保守派猛反発

実は、この法改正のきっかけとなった最高裁の判決をニュースで知った時、「自称保守派」という人達は、猛反発するだろうな~と思っていた。
そして「やはり・・・」という気がしている。

この「自称保守派」の方達の言う「家族」というのは、政策モデルとして言われる「両親+子ども2人」家族のことを指しているのだと思う。
残念ながら、私の周囲にはこの様な家族構成の友人は少ない。
結婚をしても、お子さんに恵まれなかったと言う友人もいれば、モデルケースのような家族の友人もいる。離婚をしシングルマザーで頑張っている友人もいるし、私のような独身女性だっている。30代半ばで結婚をし、高齢出産を経験した友人もいる。
本当に、政府がこれまで「モデルケース」として考えているような、「家族」と言うのは、本当に少ない。
「家族の個性化」と言う感じなのだ。

今回「自称保守派」の人達が懸念している「婚外子」だが、実は2つのケース(と言うべきか?)があると思う。
一つは「自称保守派」の人達が言っている様な、結婚相手とは違う相手と子どもをもうけた場合。
もう一つは、事実婚を選んでいるという場合だ。
少子化に歯止めが掛かったフランスなどは、事実婚が多いため「婚外子」であっても平等に扱われる、と言うことがさほど問題にならなかったのだと思う。

日本の場合はどうなのだろう?
「自称保守派」の人達に伺いたいのだが、日本の政治家で結婚相手とは別の女性とおつきあいをし、子どもまでもうけたという「大物政治家」はいなかったのか?
その「大物政治家」を生んだご家庭は、どのようなご家庭だったのか?
さらに不思議なのは、「自称保守派」の人達が言う「婚外子」の法の下での平等が、不倫を助長させる、と言うコト。
「法の下で婚外子が平等だから、不倫をしよう!」と思う人が、不倫をするのだろうか?

結局のところ、結婚相手以外の相手との間に子どもをもうけるか否かは、とても個人的な「大人の事情」によるモノで、生まれた子どもには罪はないと思うのだ。
それだけではなく、事実婚を選んだご夫婦の間に生まれた子ども達は、「婚外子」だからと言って法的差別を受けなくてはならないのだろうか?
逆に「自称保守派」の人達の言う様な「家族・家庭」が、世間で言われる「幸せな家族・家庭」だと言い切れるのだろうか?

何とも不思議というか、現実の「家族・家庭」を知らない人達だな~と言う気がする。
そしてその様な人達が、政治家として「家族や家庭のあり方」を言うコトに、「日本は大丈夫だろうか?」と、心配をしてしまうのだ。


「作る」という時間

2013-11-05 19:11:26 | ライフスタイル

「阪急阪神ホテルズ」から始まった、食品虚偽表示事件。
収束の目途がたたないどころか、ホテルから百貨店へと広がってきている。
いずれ、身近なスーパーでも発覚するかも知れない。
スーパーで発覚した時、生活者の反応というのはどのようなものだろう?と、考えてしまう。

と言うのも、ホテルなどで提供されていたステーキ肉が、実は成形肉でしかも牛脂を使って「いかにもステーキ風」にしていた、と言うだけではなく値段も和牛ステーキ肉としてはややお値打ち感があるかな?と思いつつも、やはりそれなりの値段だったからだ。
多くに人にとって「価格」というのは、その商品を判断する時の一つの目安となるコトもまた、多い。
その「微妙」というか「絶妙」な価格設定が、生活者にとって「大きな裏切り行為」という印象をより強くしているような気がする。

一方、生活者として「価格設定」の基となる様々な事柄に対して、どれだけのコトを知っているのだろう?
養殖されているエビにしても、成形肉になる前の肉にしても、それ相当の労力も時間もかかっているはずだ。
目の前にある姿・形だけがその「モノ」ではない。
そこに関わる様々な人の手があり、初めて私達の目の前に「モノ」が登場する。

何故その様なコトを感じたのか?と言うと、朝日新聞WEBサイトに「島めぐり」という企画連載記事に、屋久島でオーダーメイドの靴を手作りで作っている方の記事があったからだ。
朝日新聞:屋久島<3>世界ににひとつ オートクチュールの靴
この記事や掲載されている写真を見て、「オートクチュールの靴を作る時間」と言うのは、工業製品化された靴とは違う時間の流れが必要で、そこには様々な「手」が加わって、初めて私達の目の前にその商品が現れる、と言うコトを感じたからだ。

工業製品化された商品にもそれなりの良さがあり、そこにかかる「手」がある。
そんな「手間」というコトを、想像するコトも一つの価値を知るコトなのではないだろうか?

虚偽表示というのは、やってはいけないコトだと思う。
百貨店やホテルなどに対する信用や信頼があって、その商品を購入している。
だが生活者側も、もう一歩踏み込んで目の前にある商品が商品棚に並ぶまでの過程を、想像する必要があるのかも知れない。



仕事って、何だろう?

2013-11-04 20:10:38 | アラカルト

日経新聞のWEBサイトを見ていたら、「仕事嫌いな従業員が9割」という記事があった。
日経新聞:意欲なく仕事嫌いな従業員9割も 世界23万人調査

仕事が嫌いな従業員が9割も入れば、仕事の効率などが恐ろしく悪いのでは?と、想像できる。
そして、「長時間勤務が日常的になっている」と指摘され、一見「仕事中心生活」と思える日本においても、この数字は当てはまると言うのは、チョット驚きだった。

確かに「楽しく面白い仕事」と言うのは、ほとんど無いと思う。
会社員として仕事をしていた時も、雑務と言われる様な仕事のほうが多く、時間もとられることのほうが多かったように思う。
だからと言って、仕事が面白くなかったか?と言われると、「楽しくはなかったと思うが、それなりだった」という気がしている。
と言うよりも、「仕事=楽しい面白い」と思っている社会人は、ほとんどいらっしゃらないのでは?と、勝手に想像している。
それでも「仕事をする意味」のようなコトを見いだし、仕事をしているという人は多いのではないだろうか?

問題なのは「意欲がない」という点ではないだろうか?
「意欲」というよりも、「仕事をする意味」がわからない、とか見いだせない、と言うコトだと思う。
その背景にあるコトは何だろう?
一つは「ブラック企業」と呼ばれるような、「雇用者の使い捨て」と言うコトがあるだろう。
「自分がいつ使い捨てられるのか?」と思いながら、仕事をさせられていては「意欲」など湧くはずもない。

マネジメントというコトも考えられる。
最近感じるコトの一つに、「人材の促成」ばかりに目が行き、本当の「人材を育てる」という企業が少ない様に感じるのだ。
仕事と言うよりも、企業が目指す事業目的などを、しっかり伝えたうえで「仕事の目的」などをマネジメントをする側・される側が共有出来ていない、と言う点はないだろうか?

「評価」ということも、忘れてはいないだろうか?
「評価」といってもプラスもマイナスもあるのだが、マイナス評価を「ダメ」と言うだけでは、言われた側は納得がいかないし、理解できない。仕事をする成長機会も与えられないコトになる。
プラスの評価についても「よかった」だけではなく、「○○がよかった」と具体的な評価が大切だと思う。

「人手」は経費かも知れないが、「人材」は資産だと思う。
企業にとって「人材という資産」も、「内部保留」しておかないと社会変化が激しい現在を乗り切るコトは難しいのでは?

それにしてもいつからだろう?「仕事は楽しく」という考えが、一般的になってきたのは?
仕事なんて、楽しいコトのほうが少ないし辛いコトのほうが多い(と、実感している)。
何となく、不思議な職業観だな~と感じるのだった。