12月8日は、帝國海軍が第二次世界大戦に制式に参戦した真珠湾攻撃・マレー半島上陸の日である。
同時に、小生の誕生日である。
閑話休題、開戦記念日ということでわが国の長期的対外政策、即ち国家戦略について少々述べたい。
わが国は、兵法においてドイツからの影響も多々あったが、憲法体制や統治機構などに関してもドイツからのものが大きく、地政学分野もドイツからの影響が大きかった。
国家戦略を画定するには、第一に海洋国家的か大陸国家的かの区分が必要であるが、海洋国家は海洋交通・貿易・物資交流の自由を考えこれを重視する戦略を立てる。対して大陸国家は閉鎖的な自給自足(Autarky)と生存圏としての一定領域の占拠を考える。
こうした点から、海洋国家的類型にあたるのはアメリカ・イギリスであり、大陸国家的には欧州連合・ロシア・中国が区分される。しかし、政治的に見て日本のかつての食糧管理法(廃止)や輸入食糧への関税障壁に見られる食糧自給への拘り、そして実態はどうあれ憲法に認められた専守防衛という防衛戦略は多分に大陸国家的発想であり、大陸国家を矮小化した“小陸国家”という様相である。
一方、経済的には農業を除き貿易立国としての地位を有し、海洋交通・物資交流により経済を運営する日本は海洋国家的であり、大平内閣の総合安全保障理論、鈴木内閣の1000浬シーレーン防衛構想以降部分的に政治の海洋国家化は進み、食糧に関する関税障壁はWTOとの交渉を介して部分開放が徐々に進展し、専守防衛に関しても憲法の範囲内でありながらも国連平和維持活動・緊急人道支援・テロとの戦いとして海洋国家へ転換しつつある。
日本が小陸国家を志向した最大の要因は、戦前ではドイツ地政学理論に基づく大陸進出(満州国と朝鮮半島を緩衝地帯として自給自足の生存権確立を目指した)、戦後では戦中の飢餓作戦によるシーレーン途絶の教訓からといえるが、前者に関しては明治維新からの軍隊の編成体系を介したドイツとの交流、後者に関しては元海軍参謀大井篤氏の著書『海上護衛戦』に戦略の失敗としてシーレーン防衛の軽視が挙げられており、現代では杞憂である。食糧確保に関してはリスク分散により脆弱性を軽減でき、必ずしも小陸国家を志向する必然性は無い。
従って、国家戦略は“海洋交通・貿易・物資交流の自由”を第一に画定されるべきである。即ち、アルフレット・マハンが『海上権力行使論』に述べたような大海軍を目指す政治的安全保障論的発想が必要となろう。
近年、漸く憲法改正に関する建設的議論が為されるようになったが、国家戦略画定に関しても、今一度振り返る必要があろう。
HARUNA