12月22日(火) 晴れ 冷たい風 娑婆の清々しさ 感謝
大陸からの寒気が日本列島に押し寄せると云う情報を耳にしながらの佐久病院行きは12月14日(月)のことでした。
当日の天気が晴れか雲りかは忘却の彼方・・・と申しますか、昨日の食事も思い出せない昨今ご理解を戴きましょう。
しかし、雨には降られなかったことは確かです。
この度の入院加療に際しては皆様に暖かい励ましの言葉をいただき、そのお陰と申しますか
予想だにしない快方に向かい、予定では28日の退院でしたが、なんとも6日も早く、
その症状からして完治に向かっていると医師団に判断された次第です。

≪佐久病院3階西病棟から見る浅間山≫
この病棟にはいろいろな症状の方が入院をしているが、自分の健康な体に感謝しなければいられない。
俺の病室は6人部屋ほぼ高齢者がベッドを使っていたが、眼科が4名他は耳鼻科と内科が各1名だった。
眼科も白内障は前日入院で日帰りもしくは翌日退院、俺の緑内障は眼圧を整える期間を含め2週間と云われていた。
病室の窓からはほとんど外の景色は見えずに病院の正門のある国道に面しているだけで淋しい限りだ。

≪病院のある臼田と云う町は古い建物が残っている≫
病室にはTVが備えられているが、それぞれ見るモノが違うし、音量も多種多様に聞こえてくる。
一昔前はNHKの時報が流れるていたが、デジタルができてからはあの時報を鳴らさなくなった。
病室でもアナログとデジタルで微妙に声の時差があるのだ。
まるでエコーの部屋に閉じこめられて拷問にかけられているようだ。
病室に 娑婆が飛び込む TVの騒音
禁煙と 同じレベル TVの音量
起きては放屁 夜はいびき 静まる間なく 佐久の西3

《ベッドサイドの最新式のテレビ》
病は気からと云うが病室では既に病にかかってしまったモノだから来ている人ばかりなのだろう。
その中でも俺のようなのは不謹慎きわまりなく、己が親からの命を授かりしかも、五体満足で60数年を来ている。
俺の生まれたころは人のパーツ交換などできる時代ではなく、ただただ天命を全うしようと云うだけだった。
まさか、俺の視野に霞がかかるとか影ができるとかで『ソレデワ レンズヲ コウカン シマショウ』などの台詞を受けるとは思わなかった。
病院で費やした時間実質8日で192時間の内手術室で過ごしたのは1.5時間だけだ。
要するに約190時間くらいの全てを看護婦さんの看護婦さんに診てもらい過ごしたことになる。
彼女たちの献身的(俺はそう思うが)な職業意識以上の技術と気配りは素晴らしい。
ややをもすると男性諸氏は勘違いをしてしまうと言う傾向まであるは確かだろう。
“俺に・・・?”とか、“ほんと???”なぁ~んて思うのは日常茶飯事のことだと云う。
看護婦を なかに競うは 我が身の病歴
投薬を 拒む爺に 甘えみえ
看護婦が 代わると注射 したこころ

《12/20 の雪景色 寺の屋根も白く趣がある風景 朝焼けに浅間は淡く染まった》
劃して今日の退院にこぎ着けたのでです。
退院には眼圧が10以下まで下がらないと・・・・と云うことで
術後の眼圧は日々乱高下が激しくバブル崩壊直前の様を示していました。
昨日まではあきらめていたところ神の手による眼球マッサージとでも云いましょうか、なんと“6”まで下がったのです。
早速Mに丁重な電話でお迎えをお願いしました。

《千曲川河川敷の迎えの車、満杯で通路のセンターライン上に縦列駐車》
朝の回診を終えて退院後の諸注意を受けながら支払いを済ませて病院を出る頃には昼前になってしまった。
予定どうりのグットなタイミング、いつもの蕎麦屋さん“めん茶房つたや”さんに寄る。
店では店主、女将さん共々、俺の退院を祝ってくれるという大歓待!!
早速にテーブルに運ばれたのが千曲川の鮎と鮠の唐揚げ田楽風&鯉煎餅・・・・
からっきし酒がだめな俺にはもったいないような大皿にはクコの実が馬鈴薯とサツマイモのきんとんでくるまれていた。

入院中から帰りは“鍋焼きうどん”と決めていると、拘りのご亭主、「麺の堅さ、太さを」を聞き分けて打ち始めたのです。
腰の強い俺好みの鍋で煮込んでもしっかりとそのうどんの味、うま味を醸し出してくれた。
しっかりすっかり退院祝いと全快祝いを満腹の腹を抱えて家路につきました。
ありがとうございます。

家に着く頃には病院にいたことはすっかりと忘れ去り、忘却の彼方へと昔の話のような一日でした。
そう関知した俺の涼しげな眼差しを皆様にご披露しなければ今日は追われないと思いながら
少々シャイでアンニュイな山裾・・・・皆様には“碧眼の美少年”に代役を立てることにお許しを請うとしたい。

長らくお休みいただいたきましたが
書体風体相変わらずの“山裾の日々”
今日から再出発です
ヨロシクお願い申し上げます
大陸からの寒気が日本列島に押し寄せると云う情報を耳にしながらの佐久病院行きは12月14日(月)のことでした。
当日の天気が晴れか雲りかは忘却の彼方・・・と申しますか、昨日の食事も思い出せない昨今ご理解を戴きましょう。
しかし、雨には降られなかったことは確かです。
この度の入院加療に際しては皆様に暖かい励ましの言葉をいただき、そのお陰と申しますか
予想だにしない快方に向かい、予定では28日の退院でしたが、なんとも6日も早く、
その症状からして完治に向かっていると医師団に判断された次第です。

≪佐久病院3階西病棟から見る浅間山≫
この病棟にはいろいろな症状の方が入院をしているが、自分の健康な体に感謝しなければいられない。
俺の病室は6人部屋ほぼ高齢者がベッドを使っていたが、眼科が4名他は耳鼻科と内科が各1名だった。
眼科も白内障は前日入院で日帰りもしくは翌日退院、俺の緑内障は眼圧を整える期間を含め2週間と云われていた。
病室の窓からはほとんど外の景色は見えずに病院の正門のある国道に面しているだけで淋しい限りだ。

≪病院のある臼田と云う町は古い建物が残っている≫
病室にはTVが備えられているが、それぞれ見るモノが違うし、音量も多種多様に聞こえてくる。
一昔前はNHKの時報が流れるていたが、デジタルができてからはあの時報を鳴らさなくなった。
病室でもアナログとデジタルで微妙に声の時差があるのだ。
まるでエコーの部屋に閉じこめられて拷問にかけられているようだ。
病室に 娑婆が飛び込む TVの騒音
禁煙と 同じレベル TVの音量
起きては放屁 夜はいびき 静まる間なく 佐久の西3

《ベッドサイドの最新式のテレビ》
病は気からと云うが病室では既に病にかかってしまったモノだから来ている人ばかりなのだろう。
その中でも俺のようなのは不謹慎きわまりなく、己が親からの命を授かりしかも、五体満足で60数年を来ている。
俺の生まれたころは人のパーツ交換などできる時代ではなく、ただただ天命を全うしようと云うだけだった。
まさか、俺の視野に霞がかかるとか影ができるとかで『ソレデワ レンズヲ コウカン シマショウ』などの台詞を受けるとは思わなかった。
病院で費やした時間実質8日で192時間の内手術室で過ごしたのは1.5時間だけだ。
要するに約190時間くらいの全てを看護婦さんの看護婦さんに診てもらい過ごしたことになる。
彼女たちの献身的(俺はそう思うが)な職業意識以上の技術と気配りは素晴らしい。
ややをもすると男性諸氏は勘違いをしてしまうと言う傾向まであるは確かだろう。
“俺に・・・?”とか、“ほんと???”なぁ~んて思うのは日常茶飯事のことだと云う。
看護婦を なかに競うは 我が身の病歴
投薬を 拒む爺に 甘えみえ
看護婦が 代わると注射 したこころ

《12/20 の雪景色 寺の屋根も白く趣がある風景 朝焼けに浅間は淡く染まった》
劃して今日の退院にこぎ着けたのでです。
退院には眼圧が10以下まで下がらないと・・・・と云うことで
術後の眼圧は日々乱高下が激しくバブル崩壊直前の様を示していました。
昨日まではあきらめていたところ神の手による眼球マッサージとでも云いましょうか、なんと“6”まで下がったのです。
早速Mに丁重な電話でお迎えをお願いしました。

《千曲川河川敷の迎えの車、満杯で通路のセンターライン上に縦列駐車》
朝の回診を終えて退院後の諸注意を受けながら支払いを済ませて病院を出る頃には昼前になってしまった。
予定どうりのグットなタイミング、いつもの蕎麦屋さん“めん茶房つたや”さんに寄る。
店では店主、女将さん共々、俺の退院を祝ってくれるという大歓待!!
早速にテーブルに運ばれたのが千曲川の鮎と鮠の唐揚げ田楽風&鯉煎餅・・・・
からっきし酒がだめな俺にはもったいないような大皿にはクコの実が馬鈴薯とサツマイモのきんとんでくるまれていた。

入院中から帰りは“鍋焼きうどん”と決めていると、拘りのご亭主、「麺の堅さ、太さを」を聞き分けて打ち始めたのです。
腰の強い俺好みの鍋で煮込んでもしっかりとそのうどんの味、うま味を醸し出してくれた。
しっかりすっかり退院祝いと全快祝いを満腹の腹を抱えて家路につきました。
ありがとうございます。

家に着く頃には病院にいたことはすっかりと忘れ去り、忘却の彼方へと昔の話のような一日でした。
そう関知した俺の涼しげな眼差しを皆様にご披露しなければ今日は追われないと思いながら
少々シャイでアンニュイな山裾・・・・皆様には“碧眼の美少年”に代役を立てることにお許しを請うとしたい。

長らくお休みいただいたきましたが
書体風体相変わらずの“山裾の日々”
今日から再出発です
ヨロシクお願い申し上げます
でもお家がイチバンですね。
引き続きお大事になさってください。
まだしっかり読んでおりません。今日までという展覧会に行ってきます。
毎朝クリックしている自分に・・・
かえってからゆっくりもう一度拝見します。
お日様が出てきたようです。
無理なさらないように。
想えば奉職中(けんきょ)は12月となると体調を崩した時期がありました。
あの頃は厄年とか・・・・・
家に帰ると小顔のSalaも主の留守を狙ってデカイ顔をしてました。
ありがとうございます
入院中の写真は携帯のカメラを使いました。
少々ピンボケですね。
一日数分の診察であとは寝て暮らす日々・・・
ありがとうございます
昨日は臼田の山奥の田口に父親の命日が近いので、墓参りに行きました。
その寄り道で、墓参りの前に、昔の田口城という山城を登ったのですが、
その途中で佐久病院が見えました。
山裾の人はまだ退院できないのかなと考えていたのですが、
11時ごろだったので、退院の後だったのかもしれませんね。
昨年の病院生活を思い出しました。
懐かしい様な・・・
でも、我家が一番ですね。
私は退院まで首固定で、本も読む姿勢もとれずテレビを見るのも大変で見ませんでした。
CDウォークマンが唯一の楽しみでした。
看護婦さんには本当にお世話になりました。
素敵なクリスマスとお正月をお迎えください。
病院で好きな音楽が聞けない・・・・
唯一 眼科の外来へ行くとクラシックがBGMで流れています。
ウォークマンに入れるのが間に合わずCDをそのまま持ち込むわけにもいかず・・・
読書に明け暮れた良い9日間でした。
看護婦さんは何故あれほどの優しさを醸し出すのでしょうか??
同じ空間で長く過ごして見たくなります(危険)
退院を すれば待ってる 冬支度
未だ冬の準備ができていません!!
ありがとうございます
手術が大成功で、お早い退院....誠におめでとう御座います!
手術された目は、まだ眼帯の下ですか?
眼帯を外すと、クッキリ見えて 世の中を見る見方まで、変わるでしょうね!?? (^^)v
佐久病院には、名医が揃っているのですね!
益々の御活躍を 期待してます!
術後の眼帯を外して晴れて・・・・!!
って私も其れを期待してましたね。
手術が終わり病室へ戻ると恐る恐る鏡を覗きこむと・・・
眼帯と云うか右目の上には眼帯以上に大きなテープが斜めに張られ
額から右の頬骨くらいまでびしっと決まっていました。
一晩中傷みはないのですが・・・・・
このテープを外すときに眉毛は完全にテープと共に剥がされて・・・・
右目の上は剃り込んだように眉毛のない顔!!
想像しただけでも恐ろしく・・・
歯ブラシをボンドで固めて黒く染めておこうか??
など思案のうちに起床時間を迎えたのです。
診察は午後1時半 晴れて晴天の青空が眩く目に飛び込んでくる・・・・
すると30分前に看護婦さんが、診察ですね!!
眼帯取りますね・・・
なんとも簡単にバリッと剥がしたんです。
反復と云うか熟練とでも云うのでしょう・・・
眉毛の当たるところはテープの粘着が保護されてました。
また。。紺碧の空は目に入らずただただぼやけた壁の白さだけが印象的でした。
ですから・・・・
術後翌日から眼帯はナシです。
裸眼ですヨ・・・大きな手術を受けたと思ったら・・・トホホ です。
ありがとうございます