田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

一寸の虫 ・ ・ ・ 3mmのムシでも 大きな魂を持っている

2012年07月12日 | 日記

7月12日(木) 雨   昼にはあがり 午後には陽がでる  夜は再びあめ

雨音をたてて降っていた雨も小雨に変わり、浅間の裾埜まで曇に隠れていたのが中腹まで消えた。屋根から落ちる雨水がテンポとリズムのバランスが取れてくると、我が家の水琴窟が響出す。昼過ぎにはすっかり雨も止み、青空こそ見えないが陽射しが影を落とすまでになった。

庭にでてみると秋の七草の筆頭にあがる桔梗が今にも花を開く体勢になっている。秋の桔梗はムラサキだが、我が家では先達としてムラサキより白が花を開く。どのようなタイミングで開くのか、爪の先や枯れ枝で紙風船の折り目のようなところを障ってみたが硬い。開くところを見たいと大分長い間、まったが蝶も蜂も来ることはなかった。

白の桔梗の脇にあるラベンダーも辺りに“石鹸の匂い”をまき散らし花を開きだした。小さな花は軸の周りに開くのだが、先ずは二つだけ。そこに不思議な虫がいた。上から見るとカメムシに見え、頭を見るとセミ。セミとカメムシは親戚関係にあるようだが、図鑑でも見ても該当するものがない。触角の先端がブラシのようになっていいるようだが、風にゆれる花を、手持ちのカメラでピントを合わせるのは至難の業。しかも小さな花、一寸もない虫の大きさだが、カメラを近づけると向きを変えた。

 

白樺レストランを覗くと今日も蝶はいない。しかも、樹液が垂れている所にはキイロスズメバチが集団で来ていた。彼らは巣を大きくする時期で、樹皮を剝いてつなぎ合わせるには糖度の高い白樺の樹液は良い材料だ。二匹三匹と数えてレンズを覗いていると俺の耳の脇でブンブンと威嚇音が聞こえた。頭を低くして早々に逃げたが、“庇を貸して母屋を取られる”と云うことになった。畑に廻るとニンジンの花が盛りを過ぎようとしている。ここではスズバチか盛んに密を集めている。他の虫がくると追い返すようにして独り占めしているが、彼も花の時期が短いことを知っての業なのだろう。

俺の管理する畑は草ボウボウ、野菜も草の内と負け惜しみを言い訳にしているが、ヒメジオンが花を開いているところに初めて見る虫がいた。これも小さな虫だが触角はカミキリ虫と同じようにノコギリ刃のようになっている。珍しいのは頭に赤い点が二つある。カメラを近づけると触角で近寄るなと云うように上下に振る。この虫の名は“オバボタル”と云う。図鑑でカミキリ虫を調べたがなく、ホタルの仲間を調べるとあった。この虫は水の中で育つわけではないらしい。発光するのかも定かでないが、どの位仲間がいるのか観察を続けたくなった。少しの間見続けていると小さなアリが近寄ると、触角を左右別に動かして追い払っている。意外に小心者のように見えて親近感が湧いた。

触角を左右別に動かすオバボタルもいれば、ムシトリナデシコに止まったモンシロチョウ、は、僅かな風が吹いても翅を微妙に動かして裁く、その間足はしっかりと花を掴み口吻は花に差し込んで密を吸っている。小さな虫でも生きる術を見つけているのが凄い。同じような動きをするのはホシミスジも同様で、四枚の翅を別々に動かして、まるでストレッチでもしているかのような動きをする。

庭の隅で赤い実を熟させているフサスグリ、雨がポツポツと落ち始めたときに辺りには沢山の小さな雨蛙がいる。彼らは今年卵から孵った子ガエルたち。腹を一杯に膨らませたモノ、背中の骨まで皮一枚のヤセッポチ・カエルと様々なヤツがいるが、皆懸命に生きている。フサスグリの葉の上によじ登ったカエル、精々頑張って夏を迎えて欲しい。

こう言う 野原の小さな生き物を見ていると

都会で飼われるパンダが悲しい

子が死んでしまったのは都会人の強欲からだ

中国の山奥自然の中で生きて行く動物

都会に連れてきて無理矢理子育てをさせることはない

都会でも足下に未だ見ぬ知らぬ生き物がいるだろうに

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