2月14日(木)快晴 冷蔵庫の中のような一日
久々に午前中はなにもなく・・・そんなときに思うのは・・
雪を眺めながら風呂に入ろうということで実行・・・・
浅間山は手前の松を見越しの松として裾野から一望する。
更には右手前には純白の雪景色の中に淡い光で仕切られた田圃が見える
田舎暮らしの最高の贅沢とでも云うことだろう・・・・
午後は1時半から町中央公民館で19年度男女共同セミナーが開かれるので参加した。
これも地域の公民館分館の役員は出席することになっているが・・・・
昼間の時間では勤め人の参加は難しいだろう。
講師は 藤瀬恭子女史(諏訪東京理科大学・共通教育センター)となっている。
タイトルは思わせぶりだが・・・・
女たちは、国境を越える
ーーー映画「北の零年」で男女共同参画を考えよう
「北の零年」において<我らが国>を造ったのは誰か
と云う言葉にしても文字にしても長い言い訳がましいタイトルだった。

講師の紹介から始まり、最初に言葉に出たのが今日は「バレンタインだから・・・・」とバレンタインは女性が1年に1回男性に愛を告白できる日」こんな理不尽なことは陳腐な物で止めてしまえとのたまう。
講師の方は会が始まる前に壇上に座っていて、俺は男性が演壇にいるのは?と思っていたが・・・・
余計なことを云わなくてよかった。
男性は威張ってる権利があるように思っているなど、彼女は映画を題材にした男女共同講演を専門に請け負っているようだ。

しかし、映画はフィクションが多く、時代背景も異なり非現実的な面が多々ある。
活きたセミナーをするのならば、家庭や学校、会社などでの男女共同のことを題材にした方が受け入れられやすいのではないか。
実際、俺のような年でも勤務先の中ではバレンタインなんて遠の昔から陳腐化している。
もしも実際に愛を告白したりチョコレートを上げたりしても仲良し同士や夫婦の間なら犬も食わぬ物と一緒でよい。

ところが「北の零年」が始まり、吉永小百合と渡辺謙がドラマチックな最終場面では・・・
「男は勝っ手・・女は犠牲となる」なぞと講師がマイクで語ると、隣の席のご婦人はハンケチを頬に当ててしきりにうなずいている。
そんなの物が目に入る俺にとっては、思わず“う~ム 俺が悪かった”とでも口から出や品かとびくびくしながら画面を見入ってしまったのでした。
なんとか5時少し前に終了したが、映画を見るのでもなく講師の考えを語り合うのでもない講演は既に過去の物だろう。
『生活の中の男女共同』などとテーマを決めて町民同士が語り合い、講師が評価するなどが意味があると思うが・・・・・
男女の差別は個人のもので、男が女を否めているという発想は既に退化しているように思える。
イヤ 退化している・・・ 絶対に立場が違っているのは我が家では明白な事実だろう。
夜は7時からTH先生のお宅で9条の会があるので出かける。
詳細は・・・つづく
・・・つづき
7時にTH先生のお宅へ着くように家を出る。
田圃の中の道は既にガリガリに凍り付いており轍からずれると後が降られる。
部屋へはいると既に皆さんが来ていてO女史の体調が悪いので欠席の旨を伝える。
今日の会合はこの会で憲法を学んで行こうという話が決まり、それなら公開講座でいろいろなジャンルの方に講演をお願いすることになった。
9条を名二にはださず、「学校では憲法をどのように教えているのか」とか、「農業と憲法」など、身近な問題を実際の生活の中でどのようにとらえるかの勉強会になるだろう。
散会となったのは22時30分になり、車に乗り込むとフロントガラスはガチガチに凍り付いていた。
久々に午前中はなにもなく・・・そんなときに思うのは・・
雪を眺めながら風呂に入ろうということで実行・・・・
浅間山は手前の松を見越しの松として裾野から一望する。
更には右手前には純白の雪景色の中に淡い光で仕切られた田圃が見える
田舎暮らしの最高の贅沢とでも云うことだろう・・・・
午後は1時半から町中央公民館で19年度男女共同セミナーが開かれるので参加した。
これも地域の公民館分館の役員は出席することになっているが・・・・
昼間の時間では勤め人の参加は難しいだろう。
講師は 藤瀬恭子女史(諏訪東京理科大学・共通教育センター)となっている。
タイトルは思わせぶりだが・・・・
女たちは、国境を越える
ーーー映画「北の零年」で男女共同参画を考えよう
「北の零年」において<我らが国>を造ったのは誰か
と云う言葉にしても文字にしても長い言い訳がましいタイトルだった。

講師の紹介から始まり、最初に言葉に出たのが今日は「バレンタインだから・・・・」とバレンタインは女性が1年に1回男性に愛を告白できる日」こんな理不尽なことは陳腐な物で止めてしまえとのたまう。
講師の方は会が始まる前に壇上に座っていて、俺は男性が演壇にいるのは?と思っていたが・・・・
余計なことを云わなくてよかった。
男性は威張ってる権利があるように思っているなど、彼女は映画を題材にした男女共同講演を専門に請け負っているようだ。

しかし、映画はフィクションが多く、時代背景も異なり非現実的な面が多々ある。
活きたセミナーをするのならば、家庭や学校、会社などでの男女共同のことを題材にした方が受け入れられやすいのではないか。
実際、俺のような年でも勤務先の中ではバレンタインなんて遠の昔から陳腐化している。
もしも実際に愛を告白したりチョコレートを上げたりしても仲良し同士や夫婦の間なら犬も食わぬ物と一緒でよい。

ところが「北の零年」が始まり、吉永小百合と渡辺謙がドラマチックな最終場面では・・・
「男は勝っ手・・女は犠牲となる」なぞと講師がマイクで語ると、隣の席のご婦人はハンケチを頬に当ててしきりにうなずいている。
そんなの物が目に入る俺にとっては、思わず“う~ム 俺が悪かった”とでも口から出や品かとびくびくしながら画面を見入ってしまったのでした。
なんとか5時少し前に終了したが、映画を見るのでもなく講師の考えを語り合うのでもない講演は既に過去の物だろう。
『生活の中の男女共同』などとテーマを決めて町民同士が語り合い、講師が評価するなどが意味があると思うが・・・・・
男女の差別は個人のもので、男が女を否めているという発想は既に退化しているように思える。
イヤ 退化している・・・ 絶対に立場が違っているのは我が家では明白な事実だろう。
夜は7時からTH先生のお宅で9条の会があるので出かける。
詳細は・・・つづく
・・・つづき
7時にTH先生のお宅へ着くように家を出る。
田圃の中の道は既にガリガリに凍り付いており轍からずれると後が降られる。
部屋へはいると既に皆さんが来ていてO女史の体調が悪いので欠席の旨を伝える。
今日の会合はこの会で憲法を学んで行こうという話が決まり、それなら公開講座でいろいろなジャンルの方に講演をお願いすることになった。
9条を名二にはださず、「学校では憲法をどのように教えているのか」とか、「農業と憲法」など、身近な問題を実際の生活の中でどのようにとらえるかの勉強会になるだろう。
散会となったのは22時30分になり、車に乗り込むとフロントガラスはガチガチに凍り付いていた。
なぜこの時代に北の零年なんでしょうね
ずいぶんと昔の話で男性を攻撃しても・・
意味ないですよね
まわりを見ると、
少なくとも家庭内の実権は、妻の方にありに思われますが・・
確かにまだ社会全般においては、男性優位のきらいもありそうですが・・・
男が悪い、悪いと責め立てるのではなく
お互い協力しあいたいですね
女性として私の思いです
「北の零年」敬妻と佐久までいって、大分前に鑑賞しました。それなりの感動はありました。
遅れてくるのは無料だからでしょう。
夜もお勉強と、頭の中がパンクしてしまいませんか?
確かに今時の子どもを見ても女子の強さにはオドロキですね!!
江戸が残る明治の時代を題材にする大学の先生も貴重品かも知れません。
今では男女共同参画という講座も少ないのでテーマを選ぶのに慎重にならざるを得ないと思います。
いずれにしても、私と同じ考えのお二人からのコメントありがとうございました。