韋駄天夫人 著:白洲 正子
初めて、随筆というものを読んだ
そう言えたのかというほど、文章を楽しめた一冊でした
つらつら、エッセーと呼ばれるものをいくつも読んできたし
いわゆる小説ではない何かを、たくさん読んできていたけども
これが随筆というやつなのかと、
なんか、そう思わされるような、不思議な魅力
これは、私が好きな時代というだけなのかもしれないけども
楽しく読み終えたのでありました
かの白洲正子が、知人や、その生き様や、思うところやを
ある種テーマを与えられて書いたのだそうだけども
筆のままに書いているというのが流麗といっていいのか、
どうも、するする過ぎているようで
でも、文字というか言葉に無駄がないように思える
なんだか、読むと面白いと思えてならない
そんな不思議と読めたのでありました
同時代人である、小林秀雄はまったく読むことができないのに
なぜ、韋駄天マダムのは読めてしまうのか
不思議だなと感じたのだけども、
これがまた、現代にも繋がるといっていいのか、
連なる、古びれないものなのかもしれないなんて
かっこよく考えたりしたのであります
白洲正子といえばというほどに、骨董と、青山次郎であると
個人的には思うのでありまして、そこについて語られているところも
これまた非常に楽しく、骨董のあり方、
また骨董に携わる人々の描写が、いずれも面白くて
美とは何か、これについての師匠が山ほどいたという環境が
はたしてよかったのか、悪かったのか
そこは、どうにも、悪かったようなんだけども
鍛えられて、一人の人間として立てたとも
思われるようになれば、面白いものだと感じ入ったりするのでありました
文庫の最後には、夫白洲次郎についても書いていて
こちらも非常に興味深いところであったのだが、
この夫婦のありようも不思議であるなと
歴史書というでもないものから、
昭和当時の風俗というか、空気みたいなのを感じられたうえに
文壇とは別の、文化仲間たちの何かが
文章から伝わるようであり、大変楽しい、このような人たちが居たんだなと
そこにいたいとか、会いたいとかとはかけ離れた
憧れといって差し支えない、触れないほうが幸せなものを
見たように思えて、楽しかったのであります
なんだか、感想文まで丁寧になってしまった
恐るべき文章力である
初めて、随筆というものを読んだ
そう言えたのかというほど、文章を楽しめた一冊でした
つらつら、エッセーと呼ばれるものをいくつも読んできたし
いわゆる小説ではない何かを、たくさん読んできていたけども
これが随筆というやつなのかと、
なんか、そう思わされるような、不思議な魅力
これは、私が好きな時代というだけなのかもしれないけども
楽しく読み終えたのでありました
かの白洲正子が、知人や、その生き様や、思うところやを
ある種テーマを与えられて書いたのだそうだけども
筆のままに書いているというのが流麗といっていいのか、
どうも、するする過ぎているようで
でも、文字というか言葉に無駄がないように思える
なんだか、読むと面白いと思えてならない
そんな不思議と読めたのでありました
同時代人である、小林秀雄はまったく読むことができないのに
なぜ、韋駄天マダムのは読めてしまうのか
不思議だなと感じたのだけども、
これがまた、現代にも繋がるといっていいのか、
連なる、古びれないものなのかもしれないなんて
かっこよく考えたりしたのであります
白洲正子といえばというほどに、骨董と、青山次郎であると
個人的には思うのでありまして、そこについて語られているところも
これまた非常に楽しく、骨董のあり方、
また骨董に携わる人々の描写が、いずれも面白くて
美とは何か、これについての師匠が山ほどいたという環境が
はたしてよかったのか、悪かったのか
そこは、どうにも、悪かったようなんだけども
鍛えられて、一人の人間として立てたとも
思われるようになれば、面白いものだと感じ入ったりするのでありました
文庫の最後には、夫白洲次郎についても書いていて
こちらも非常に興味深いところであったのだが、
この夫婦のありようも不思議であるなと
歴史書というでもないものから、
昭和当時の風俗というか、空気みたいなのを感じられたうえに
文壇とは別の、文化仲間たちの何かが
文章から伝わるようであり、大変楽しい、このような人たちが居たんだなと
そこにいたいとか、会いたいとかとはかけ離れた
憧れといって差し支えない、触れないほうが幸せなものを
見たように思えて、楽しかったのであります
なんだか、感想文まで丁寧になってしまった
恐るべき文章力である