6月1日上野の国立西洋美術館で開催中の「レンブラント展」に行ってきました。
今回のテーマは「版画と絵画 天才が極めた明暗表現」
展示作品も多く見応えがありました。
この作品展に行きたいなと思ったのはNEWS ZEROアートミステリー「なぜ、レンブラントは版画にこだわったのか?」を見たからだと思います。彼の作品に存在する光と影。それが版画の中にも克明に現れていて、テレビで見ていても魅了されました。
レンブラントの手紙も日記も残っておらず、彼が版画にのめりこんだ理由は謎。その謎を追って彼の故郷のオランダを訪ね彼がたどった道を探るという企画番組でしたが、なかなか面白かったです。でも、実は私、ちゃんと最後まで見ていなかった様に思います。あるいは、飽きてしまった夫にチャンネルを変えられてしまったのか・・・
なぜなら、レンブラント展に行って、その彼の人生の片鱗に触れた時、とんでもない勘違いをしていた事に気がついたのでした。
「レンブラント」・・・・、名前がかっこいい。
でも良く考えてみると、この画家ほど私の今までの人生ですれ違ってもいない人は居なかったんじゃないかなと思うのです。彼の何の作品を知っているというのだろう。ほとんど、イヤまったく記憶がないのです。見栄を張らずに白状すべきでしょう。私は彼を知りませんでした。
もしかしたら過去に行った何かの展覧会の中に彼の作品も出展されていたかもしれませんが、記憶にないということは見ていないことと同じですね。
でも良いのです。今では見たし、知ったのですから。
だけど、私が上の述べたようにテレビの特集もちゃんと見ていなかったし、誤解していたと思ったのは、彼の人生の変遷を知ったからなんですね。
私が、番組を見ていて一番印象深かったのは、彼は画家でありながら経済的な事にも「やり手」だと感じた事です。
後世に名を残した画家の多くは生存中に名声を得て、生活の糧も十分に得た人。だけど半面また同じぐらいの多くの人は生存中は赤貧。そして死後、自分の絵が億と言う単位で売買されるなんて予想もつかなかった人たち。私はレンブラントは前者の人でお金の苦労なく芸術のために人生を生きた人なのだと思っていました。
だけど彼の人生も波乱万丈で、裕福であった妻を失うと立て続けにトラブルに合い、果ては破産してしまうのでした。
彼の人生はまるで映画のようです。イヤ、映画があっても可笑しくないですよ。それはこんなところなどを参考にしてください→こちら
ところで肝心の絵のお話です。
彼の自画像や肖像画などを見ていると、非常に「普通」と言う感じがします。この「普通」はもちろん凡庸と言う意味ではありません。人が自然体でいると思うのです。人が存在していたら普通に存在する光と影、それが気負いせず描かれています。故に普通に人が存在しているように感じるのですよね。
その光と影は油絵ばかりでなく版画にも、克明にそれが表現されていました。年配の人がルーペ持参で来ていて、作品に近寄りすぎ係員の人に注意されていたのも可笑しかったのですが、気持ちも分かります。陰影を色でではなく、線で出していく。素晴らしいですね。
トップ画像はチケットですが、彼の自画像です。
レンブラントは印刷する紙に拘り、洋紙の他に中国紙、そして和紙を用いました。今回の展示はその比較が面白かったです。後の見どころは、なんと言っても原版を見ることが出来るところでしょうか。
本当に細かくて、これだからあれかと納得です。
以下、展示してあった作品です。雰囲気のおすそ分けです。
12日まで。会期終了間近です。