二人はかつて、誰もが愛するような大輪の薔薇ではなかったが、例えば道端で誰の手も加えられずに咲いていた紫陽花の花のようなものだったかもしれない。
その美しさは多くの人の目にとまるわけでもなく、だけどそんなことは関係なくいきいきと咲いていた。
私たちは綺麗だね。
あなたは美しいね。
お前は可愛いね。
若い二人は、そんなふうにお互いを愛でながら寄り添っていた。
だけど若い二人の花たちの色は微妙に違う。
風が吹けばお互いにあっちを向いたりこっちを向いたり。
しかしいつしか年月は、その花の色を混ざり合わせ、同じ方向を見る花たちに変えていったのだ。
一方で年月は、その花たちから瑞々しさも輝きも奪っていった。
私たちは今、寄り添った枯れた花。
老いていく二人。
ゆっくりと。
※ 夫は年末にインフルエンザにかかってしまいました。微熱しか出ずに軽いのかと思ったら、その微熱はなかなか引かず、やけに長いなと思っていました。それでも30日ぐらいには復活して、治ったと思っていたのです。それが昨日の3日からまた熱がぶり返し、2メートル移動しても息が上がってしまいます。
今日4日の朝一番で病院に行き、レントゲンを撮り、それは肺炎であることが分かりました。
薄々そうではないかと思っていたのですが、他にもアキレス腱が痛かったり、味覚障害になっていたりで、もうメチャクチャです。
なんだか肺炎と言われて、恐ろしい病気なのに病名が分かってホッとしたのも本心です。
しかし朝の8時からかかりつけの病院に診察券を出しに行き、そこから付き合って一緒に診察に行き、その後入院の出来る大きな病院にまた行なおし、いろいろ検査をし、結局入院することになった夫が病室に入って横になれたのは、午後3時半。
私が帰る4時になっても、点滴などの治療は始まらず、言っては何だけれど横になって眠るだけなら家でもできるわと嫌味のような事を思ってしまったのでした。
4日と言う正月明けが行けなかったのか、それともこの病院のシステムが悪いのかー。
とにかく今日と言う日の半日以上は、病気を悪化させるような疲れる時間でした。
そして10時半から4時まで私も何も口にする事も出来ませんでした。
お腹が空いたと言う感覚はなかったのですが、喉はカラカラです。
そんな私に感謝をして気遣ってくれたのは夫だけ。
心配して駆けつけた姑などは、息子である夫の心配をしても、ずっと一緒に付き添っている私への気遣いもなく悪気なしであっても責めるような事を言ったのです。
病気の人の心配はもちろんだけど、ちょっとだけ疲れが増幅する事もあったりして、こういう時には私の100パーセントの味方の人が傍にいて欲しいと思いました。
例えばそれは私の子供たちや私の姉妹たち。
それがやっぱり私の本当の家族だと思えてなりません。
姑の家にたまたまやって来た夫の兄が、帰り際に行った言葉。
「肺炎じゃ見舞いには行かない方が良いな。」
文字に起こし、その文字だけ見るとさながら気遣っているかのようだけれど、その顔の表情で、気づかいなどではない事が即座に分かります。
「病状が落ち着いたら、そのうち顔を出したい」とか言うのが兄ちゃんと言うものではないのかよ、このドアホがと思いましたが、もちろんそれは心の声です。
新年早々、悲喜こもごも。
いやいやいや、この話で「喜」の部分は何処なのか。
疲れたのでルート君と夜はおうどん屋さんで外食です。
その時、彼は言いました。
「良かったよね。病気を治すスタート地点に立てて。」
熱いおうどんの湯気越しに、私はにっこりほほ笑んで
疲れがスウッと抜けていくのを感じていたのでした。