森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

新しい日々の一日目。

2016-01-01 19:00:55 | 梢は歌う(日記)
 
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いつもと同じように午前0時がやってくるいつものように今日が明日に変わるだけだけれど新しい365日がやってくる 新しい年を迎えると言うことはたとえば新し...
 

上の囲みは昨年の1月1日に書いたものです。

 

昨夜ベランダから空を見上げたら、月と金星が〈もしかしたら土星〉が平行に並び、2015年の最後の夜を祝福していたのです。月と平行に並ぶ星まではちゃんとは写らなかったのですが、空気が澄んで星々も輝いて、美しい夜の空でした。

 

 

夜が明けて、空には2016年の最初の太陽が昇っていました。

私と夫とルート君の三人で横浜に向かいます。

 

 

 

横浜に着いた私たちは、ラッタ君の住まいに行き彼を拾って、ここ数年の定番行事となった父の墓参りに向かいました。

 

お墓参りと言っても、本当に行って手を合わせるだけ。

ラッタさんなどは、

「やあ、おめでとう。また来年な。」などと言うー。

早朝なのでまだ寒かったのですが、風もなく空は青く「穏やかな」と言う言葉がぴったりの一日の始まりです。

 

ふと空を見ると、ゆうべの名残の月が位置を変えてぽっかりと浮かんでいました。

「もう、あなたはね、『2016年の月』と言う名前なんですよ。」と私は心の中で言ってみたりします。

 

空のレベルでは、本当は何にも変わってない。

もしも

「どうでもいいや。」と思ったら、新年を迎える事に何の意味もない事だと思います。

でも生きていくと言うのはカレンダーの日付をはじめから繰り返してカウントしていくだけの行事ではないのですよね。

意味とか意義とかを模索し考えていく。そしてそれが出来るのは人間だけ。

せっかく人として生まれてきたのだから、もっと悩んで丁寧に生きていこうと、今の私は思っているのです。

 

その後私たちは私の実家に行き、かなり楽しい時間を持ちました。

 

今年は12月にやって来たあんずともも吉、二匹だけで初めての留守番でそれがちょっと心配だったので、少し早く帰ってきました。

 

それでも夕日が沈む頃。

 

一緒に帰るラッタさんが、ちょっとうつらうつらとしています。

来た時は三人。帰る時はちょっと嬉しい四人です。

 

天空で不動の光を放つ者たちよ。

どうか地上でうごめく弱き私たちを守りたまえ。

子供たちを、若者たちを守りたまえ。

2016年を決して決して戦前と言う年にしてはいけないのです。

不戦と言う奇跡の歴史をさらに築いていく、それが私たち大人の使命だと思います。

 

 

昨年は、皆様ありがとうございました。

ご縁を大切にして、2016年もイキイキと生きていきたいと思っています。

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

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コメント (2)
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