ちょっと昨年のお話をしましょう。
病院代で家計圧迫は今も続いている事ですが、昨年も夫婦でちょっとした旅行に行けるぐらい病院の検査代で使ってしまいました。
そうなってくると、姉妹には
「お金がない、お金がない、お金がない。」と歌うように愚痴っていました。
でもそんな愚痴の後で、あっちへ行ったこっちに行ったとか言うような遊びの話などをして、あまり真実味がなかったみたいなのです。
ところがある日の雨の日に姉妹で会った時、妹が唐突に言いました。
「なるほど。お姉ちゃんが貧乏だって言っていても実感がわかなかったけれど、今日、それが本当に分かったわ。」
「何を唐突に。前から貧乏だって言ってるじゃん。」と私が言うと
「だって、ほら。」と彼女が指さした先には、私の歩いた足跡がはっきりくっきりとついていたのです。
雨の水がしっかりと靴にしみこんで、歩くたびに水のハンコを押していたのですね。
なんだか足がぐっしょりしてきたなとは思っていたのですが、あえて気にしないようにしていたのにアウトでした。
どんなにオシャレをしていても、靴がダメだと全部だめになってしまうと言いますが、水がしみてしまう靴なんか論外ですよね。
それで妹が、私の貧乏を実感したと言ったのです。
靴がぴったりな物と巡り合うってなかなか難しいと思いませんか。
若い頃のおしゃれな靴などは、買うと必ず靴づれを起こし、足が靴にあうまで我慢するなんて事もしばしばでした。だから奇跡のぴったりな靴にあうと、私は本当に長々と履くのです。
妹にダメ出しをされたその靴は、なんと2007年にイギリスに行った時にその旅行の為に買い求めたものだったのです。ええと、なんと9年も前!!
いやいや、これは昨年のお話なので8年前と言う事になります。
と言っても、この靴をずっと履いていたと言うわけではなくて、あまりに履きすぎてかかとがすり減ったので、ちょっとお蔵入りしていたのです。
友達が好きな靴は修理してもらうと言っていたので、それも考えてのお蔵入りです。
でも確認してないのでわからないのですが、姉がやはりお気に入りの私の靴と似たような靴を修理に持っていったら、このような裏に一枚貼ってあるものは修理不可能だと言われたそうです。
じゃあ、もうこの靴はお仕舞かなと思ったのですが、おととし夫のリフレッシュ休暇の時に、一緒に萩の方に旅行に行った時に、この靴を履いていきました。確かにかかとはすり減っているものの、何時間歩いても足の裏が痛くなりません。そう言う所が大好きで旅行に最適です。靴が最高だと旅行も最高。
それに味をしめてカナダにもそのかかとがすり減った靴を履いていきました。友達が組んだスケジュールは恐ろしいほどの距離を歩く旅でした。足が棒になりパンパンになりました。でも足の裏はセーフで快適。まだまだ歩けると言う余裕さえ感じました。
きっとその頃から、その靴はダメになっていたのだと思うのです。だけれど、山口の旅行の時も雨の多いと言われるバンクーバーでもなぜかお天気には恵まれて、雨に足が濡れると言う事がなかったので気が付かなかったのですね。
母は私が靴も買えないくらい困窮してるのかと気の毒に思い
「履いていない靴があるからあげるから。」と言いました。
― 履いていない靴・・・・!
その言葉に私は反応しました。母の靴はたぶん姉妹の中では私か一番下の妹ぐらいしか会わないと思います。妹はまだまだ若いので、母の靴なんか論外だと思うのです。
― 履いていないなんてもったいないな。貰ってあげてもイイナ。
と、私は思って言いました。
「うん。じゃあ、それ頂戴。」
「だからそんな靴、もう捨てちゃいなね。」と母。
「何を言うの、お母さん !!
ちゃんと晴れた日に履くのよ、これからは。」
でもやっぱり靴は大切です。
どんなに着飾ったとしても、おしゃれな服装がピシって決まっても靴がダメなら全部だめになってしまいますものね。足元を見られないようにと言うよりも足元を見られても全く問題なしと言うようにすることは大切な事だと思います。
この靴のオハナシは少々続きます。もちろん私の事ですから高価な靴を購入したと言うお話ではありません。