森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

道端の花から学ぶ

2017-05-17 15:14:53 | お散歩&写真日記

昨日の事ですが、夕方の雨も降りそうなお天気の中、買い物に行って参りました。

たいして人の目を引かないような小さな野の花なども好きで、そんな花などを見つけながらフラフラと歩いていました。



いきなりボケた花の画像でスミマセンが、私のスマホ・・・、いや私の腕に問題があるのだと思うのですが、小さな花を撮るのがイマイチです。もっと修練が必要なのだと思います。


全体で見るとこんな感じです。



似ているけれど、こんな花もありました。




この小さな花たちを誰が見つけてくれるのかしら。


きっとこの花が大好きな虫たちが居たりするのかも。
さわさわと揺れて風に花粉を飛ばすのが上手いのかも。



この竹林の脇の道にはいったいどれだけの植物がいるのだろうかと、いつも思いながら歩いています。

そのリサーチ、いつか本当にやってみたいです。



フェンスのある荒れた林の向う側に、綺麗な花を付けた木がありました。





とっても綺麗。
だけど名前が分かりませんでした。

今朝、皆さまのブログ周りをしていたら、同じ木が出てきました。
この花は、エゴノキと言うのですね。

 

また、




さあ、スーパーに着いたので入ろうとした時に、この花の( ↑ )ハッとする美しさに目が止まりました。

この花はなぜこんな所に来てしまったのでしょうか。




街路樹のもう盛りを過ぎてしまったツツジの生け垣の下で必死に咲いていたのです。

自転車などで行きかう人の目には、ハルジオンと間違えられてしまっていたかもしれません。

だけどどんな場所で咲いていようとも、その花はその花である事に変わりはない事だし、私のように気が付く人もちゃんといるのだと思います。



ところで、下の囲みは昨年の5月16日に投稿したものです。



 


若冲地獄

5月12日の木曜日、上野の東京都美術館で開催されている「生誕300年記念若冲展」に行ってまいりました。この記事は、その展覧会の感想ではなく、美術館の中に入るまでの顛末記です。......


 

 

 




「若冲展」に行ったのは昨年の5月12日だったのですね。

私たちはふぅふぅ言いながら、彼の絵を鑑賞していたと言うわけなのですが、この日は蜷川さんの亡くなった日でもあったのですよね。そして告別式が16日にあって、その時の藤原竜也さんの弔事に泣いたと言うのは、上の囲みの記事の翌日に書いています。

もちろん5月15日が彼の(藤原竜也さんの)誕生日であったことも忘れてはいませんよ。

一年はあっという間ですね。


あっ、そうそう。
ついでなので一応書いておくことにしますが(マジにおまけの話です。)、昨日の16日は、とりあえず結婚記念日だったのですよね。
スーパーの特売で両手がふさがってしまったので、ケーキなども買わなかったのですが、(今日、買おうかな。)
その事を夫に言うと、またも

「すっかり忘れていたね。」
「ね。」って、なんか人を巻き込むような事を言う。
「あラッ、私は覚えていたわよ。」

毎年、毎年、アホみたいに忘れたりはしないわよ。←心の声。

だけど本当は私も毎年忘れてしまうと言う似たもの夫婦だったのですが、イベントを大事にしようとする私が忘れてしまうのと、すべての家族イベントをぼんやりとしている彼とは忘れる理由が違うような気がしました。
だけどその分析は、更にろくでもない結論になるので終わりです。



最近、ちょっと憂鬱な事があって気持ちが晴れずに引き籠っています。

だけど花たちの強さや健気さから、学んで生きていきたいななどと思った今日この頃です。



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