「あー、困った、困った」、読みたい本がいっぱいになってしまった!!
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録画フォルダーの中に、やたらとお芝居が溜まって行ってしまうのですが、家に居て3時間に近い時間をテレビ前で費やすことに、兼業主婦業の者は、なにげに罪の意識を感じて、なかなかその録画消化が出来ないでいました。
だけど「終わりよければすべてよし」の感激に、その時間を作ろうと思い立ち、そして見たのがこの作品でした。
NODA・MAPのお芝居は、ストーリー的には決して分かり辛いという事はないのですが、実はその解釈は奥が深くしかも難解です。
思わず
「だんな~、これは自分勝手に解釈したっていいもんですかい ?」などと芝居がかって言ってみたくなるってもんでしょう。
WOWOWで放送されたものの録画でしたが、野田さんと出演者のインタビューもありました。
印象深かったのは、妻夫木さんの
「お客さんはすべては分からなかいかも知れませんが・・・・・」
と言う正直なコメントがあって、分からないかも知れないと言うのは前提なんだなと思いました。
だけどまた、
「最後になんでか分からないのに涙が出てとおっしゃる方も多く・・・・・」と言う言葉もあって、ああ、それは私の事だなと思いました。
なんでかよく分からないのに、涙が零れました。
見た作品は2018年に公演されたものです。
深津絵里演じた夜長姫は、無邪気な少女でありながら、実は鬼女。残酷です。だけどその言葉には何か大事な真実が語られているような気がするのです。鬼女ゆえの遠慮のない真実が。
雨に降られ、雨宿りで軒下に逃げ込んだ人が
「あー、困った困った」と言うけれど、その顔はちっとも困っていなくて、その状況を楽しんでいるような所があると彼女は言います。なるほど、そうかも知れないと単純に思ってしまうと、その先があるのです。
「人間は戦争も何々も何々の時も・・・」と続けていき、何か人がそっと蓋をして決してばらさない人類の暗部を、彼女はさりげなく語っていくのでした。
またオオアマ(天海祐希)と言う人物が出てきます。暗に大海人皇子を指しているのかもしれません。自分の国を得るために、鬼たちを我が軍門に付け、そして国の堺を定めるために殺戮を繰り返します。はっきり言って極悪人にしか見えません。でも彼には彼の正義があるのですよね。たとえヒダの王(野田秀樹)の気持ちをそぐために娘をかどわかした後に殺してしまったとしても・・・・。
考えてみたら国境と言うのは、人々の血で引かれているものかも知れませんね。
盗賊マナコに古田新太、早寝姫に門脇麦。皆魅力的です。
ところで、このお芝居の中で
「木の下には死体が埋まっている?」
「それは詩人の言葉だよ。」と言うくだりがありました。(セリフは不正確です。)
私は子供の頃から、この「桜の木の下には死体が埋まっている」と言う言葉が好きで、このブログ内でも最初の頃はたびたび出てきました。私はそれを漫画の引用のセリフで知ったのです。だから出典も知らず。だけど自分でパソコンを持つようになると検索するのが楽しくて、それが何に書かれていたのかを知りました。
ところが、この作品のタイトルを見て、またもすっかりと勘違いをしてしまいました。
この「桜の森の満開の下」と言うのは、坂口安吾の短編です。
そして「桜の木の下に死体が埋まっている。」と言うのは、梶井基次郎「桜の樹の下には」の冒頭だったのです。
でもある資料によれば、
「また『日本現代文学大事典 作品編』で「さくら」を引くと、「桜の森の満開の下」の項に、梶井基次郎の「桜の樹の下には」に触発されて書いたとあり。」
とあるのです。
そしてそれは短編でありながら、散文詩とも言われているのですって。
だからあの「それは詩人の言葉」に繋がるのですね。
昔、漫画家さんたちがたくさん本を読んだり勉強して、作品を生み出し、それを読んで私も多くの知識を得ました。
お芝居を見たり映画を見たりすることは、それに通じていることだなとしみじみと思いました。
因みに「桜の樹の下には」は青空文庫で読めます。→「桜の樹の下には」
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